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佐倉さん、もうやめて!月島さんはリセット人生を始めた
佐倉さん、もうやめて!月島さんはリセット人生を始めた
Author: 無敵で一番カッコいい

第1話

Author: 無敵で一番カッコいい
2月14日、バレンタインデー。

月島明日香、31歳、癌で死去。

帝都・静水病院には、ツンと鼻をつく消毒液の匂いが漂っていた。

「遼一、今日も透析で針を刺されたんだけど、本当に痛かった......

もうすぐ死ぬかもしれない。せめて一目だけでも会いに来てくれない?

お願いだから、遼一......」

月島明日香は力なく首を横に倒し、携帯のメッセージ画面を見つめていた。彼女は何度もメッセージを送ったが、まるで石が海に沈んだかのように、佐倉遼一からの返信はなかった。

点滴を受けている彼女の甲は血色を失い、青白い顔は骨が浮き出ており、目は深く落ちくぼんでいた。

手足の末端まで癌が広がり、腐敗が進んでいた。

体を動かすこともできず、何もすることができない。看護師もここ数週間は顔を見せていなかった。

理由は――もう治療の意味がないと判断されたからだ。

明日香はもともと痛みに弱く、少しのことでもすぐに怖がってしまう性格だった。しかし、末期癌の苦しみは日々彼女を襲い続け、耐え忍ぶしかなかった。彼女が生き続ける唯一の理由は、佐倉遼一への愛情だった。

だが、その愛が消え失せた今、彼女に残されたのはやせ細った体だけだった。

月島明日香は携帯を静かに閉じ、ただ死が訪れるのを待っていた。

意識が朦朧とする中で、彼女は苦々しく思った。この8年間、彼女は佐倉遼一と結婚するためにあらゆる手段を尽くし、彼の理想の妻を演じてきた。だが、彼女は一体何を得たのだろう?

彼女の周りの人々は皆、彼女から離れていった。結果として彼女が手に入れたのは、孤立無援と貧困だけだった。

おそらく彼女が死ねば、一番喜ぶのは佐倉遼一だろう。彼はついに自由になり、もう彼女の憎らしい顔を見ることはなくなる。

そして、待ちに待った白石葵をようやく妻として迎えることができるのだろう――。

八ヶ月前

佐倉遼一の誕生日。月島明日香はソファに座り、彼の帰りを待っていた。時間はすでに午前2時を過ぎていた。

テーブルには、彼女が心を込めて作った料理が冷めてしまっていた。

だが、明日香が待ち望んでいた佐倉遼一は戻らず、代わりに彼の秘書が離婚届を持ってやってきた。秘書は気まずそうに言った。「奥様、社長も仕方がないのです。佐倉グループは非常に大きな企業で、後継者が必要なのです」

月島明日香は顔を真っ青にしながら、無理に笑みを浮かべた。数年前、彼女は妊娠したことがあったが、事故により死産してしまった。それ以来、子宮が損傷し、もう二度と子どもを授かることはできなかった。

今や佐倉遼一も30代後半。確かに彼には後継者が必要だった。

だから、彼は明日香と離婚して、子供を産める女性を探そうとしているのだ。

明日香は震える手で秘書を追い返し、遼一に電話をかけた。彼女はどうしても、遼一本人から直接聞きたかったのだ。

しかし、電話が繋がると、そこから聞こえてきたのは白石葵の声だった。

その瞬間、月島明日香の心臓はズキズキと鈍い痛みを感じた。

電話が切れると、彼女は自嘲気味に笑い始めた。だが、笑っているうちに、彼女の目には涙が浮かんできた。

彼女の父親が亡くなる前に会社を遼一に託してから、わずか5年で彼は帝都財団の理事長にまで上り詰めた。

ビジネスの世界では縦横無尽に活躍し、政財界にも太いパイプを持つ、いわゆる「黒も白も操る男」だった。

そんな優れた男の周りには、いつも色とりどりの女が群がっていた。美貌と抜群のプロポーションを持つ美人たちが、彼に事欠くことはなかった。

その中でも、唯一長く彼のそばにいたのが白石葵だった。

白石葵は普通の家庭に生まれ、大学を卒業すると、すぐに佐倉遼一の秘書になった。

彼女の実力や手腕は誰の目にも明らかだった。

二人は最も相性の良い魂の伴侶であり、生まれついての理想的なカップルだった。

もし最初から月島明日香がいなければ、遼一はきっと早くから白石葵と一緒になっていただろう。長年にわたり、密かに彼の愛人であり続けることはなかったはずだ。

愛のない結婚ほど、悲しいものはない。

月島明日香は離婚協議書にサインし、まとまった金を手に入れたものの、彼女は永遠に帝都市から追放された。

彼の許しがない限り、二度と戻ってくることはできない。

そして、そのわずか一週間後に、彼女は末期癌と診断された。

「ドンッ!」

今日はバレンタインデー。外では華やかな花火が打ち上げられていた。

月島明日香は過去の回想から目を覚まし、疲れた目を開けて窓の外を見た。その瞬間、彼女の真っ白な顔は驚きで固まった。

巨大なLEDスクリーンに映し出されたのは、黒い端正なスーツに身を包んだ佐倉遼一だった。彼の長身はただそこに立っているだけで強烈な存在感を放ち、その全身から冷ややかで威厳ある雰囲気が漂っていた。彼の顔は近くで見ると、圧倒的な美しさが際立ち、冷たさの中にも支配者としての静かな威圧感が滲んでいた。

彼は片手で五、六歳ほどの小さな男の子を抱き、もう片方の手で白石葵を優しく包み込むように守っていた。

その子どもの顔立ちは、どことなく佐倉遼一に似ていた。

「佐倉理事長、このお子さんはあなたと白石さんの息子さんですか?」

「白石さん、とてもお美しいですね。こんなに長い間待たせたのですから、お二人の結婚式はいつですか?」

白石葵は遼一の胸元から顔を上げ、甘い笑みを浮かべながら、指にはめた大きなダイヤの指輪を見せつけた。「これからは佐倉夫人と呼んでくださいね。今日、私たちはすでに婚姻届を出しました」

月島明日香はゆっくりと目を閉じた。涙がついに彼女の瞳からこぼれ落ちた。

佐倉遼一、私は後悔している。

もしあなたを愛さなければよかったのに!

もしすべてがやり直せるなら......私は......もう二度とあなたを愛したりしない......

外では大きな雪がしんしんと降り始め、花火の音とともに窓越しにその光が彼女の顔に映し出され、輝く花火の残像が彼女の瞳に映り込んだ。

そして、月島明日香はその日、佐倉遼一と白石葵が結婚した日に静かに息を引き取った。

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