เข้าสู่ระบบ遼一は、冷ややかな光をたたえた瞳で明日香を見据えた。「病院で丸一日眠ったはずなのに、まだ寝足りないのか?俺が帰ってこいと言わなければ、いつまでも戻ってこようとしないんだな」明日香には、遼一がなぜ怒っているのかまるで理解できなかった。その詰問めいた口調は、まるで帰りの遅い子どもを叱る親そのものだった。遼一は明日香より八歳ほど年上で、二人の年齢差は決して大きくはない。だが彼は幼い頃から、明日香を束縛することに異様なほど執着していた。明日香が放課後、一時間ほど帰宅が遅れただけでも、どこで何をしていたのか細かく問いただすのが常だった。幼い頃、明日香は遼一のことが好きで、幾度となく告白した。しかしそのすべてが断られた。遼一は、明日香を妹としか見られないと言った。だがその一方で、彼女に嫌悪感を示しながらも、明日香の周囲に異性が現れることを決して許さず、親しく付き合うことなど到底認めようとはしなかった。明日香は悲しみのあまり、新しい恋をして遼一を忘れようと、ある男子生徒と付き合ったこともあった。だが、交際を始めてまだ三日しか経たないうちに、遼一はどこからかその話を嗅ぎつけ、翌日にはその男子生徒は理由も告げられぬまま転校となり、当然のように二人は別れさせられた。明日香は、その一連の出来事すべてに遼一が関わっていることを、とうに悟っていた。「……あなたは今や、月島家とは何の関係もないのよ。いつまでも保護者みたいな顔して私に口出ししないで」明日香は苛立ちを隠さずに言い放ち、そのまま部屋へ戻ろうと背を向けた。しかし、一歩踏み出した瞬間、遼一の手が彼女の腕を掴んだ。「この二日間、清風寺で何をしてた?」「お寺に行って何ができるっていうの?あなた、本当にお節介にもほどがあるわ」明日香は腕を振り払おうとしたが、何度試みてもびくともしない。ついに深い溜息が漏れた。「あなたの執着が早く消えて、私を解放してくれるようにって……お仏様にお願いしに行ったのよ。悪い?」「このお経はどこから手に入れた」「住職がくれたのよ!」明日香は心底うんざりした様子で言い放った。「もう本当に疲れたわ。聞きたいことがあるなら、一度に全部聞いてよ。小出しにしないで」遼一に、こんな物言いをする者など一人もいなかった。明日香は初めてであり、そして遼一が甘やかす
「その点なら心配いらないわ。遼一がお兄ちゃんにひどいことをするはずないもの。だって、私のお兄ちゃんは彼の義兄でもあるんだから」遥のその断言を聞き、明日香はそれ以上反論しなかった。ただ心の奥底で、どうか全てが無事に運び、樹と一緒にここを離れられるようにと祈るしかなかった。それでも、不安は薄くならないまま、胸の底に沈殿していた。遥が部屋を出ていくと案の定、階下の薬局で薬を受け取っていた。だがこれまでの経緯を思えば、この病院自体が疑念の巣窟のような場所だと明日香は考えていた。ゆえに手渡された薬は、そのまま迷わずゴミ箱へ捨てた。どんな成分が仕込まれているか分かったものではない。体が少し楽になった頃、明日香は樹の病室を訪ね、上階へ向かった。ベッド脇に腰を下ろし、綿棒に水を含ませては、荒れた彼の唇にそっと触れる。生気の途絶えたその顔を見つめながら、胸の奥が締めつけられる。まるで、本当に生命そのものの光を失ってしまったかのように見えた。どれほどの時間、樹の傍に寄り添っていたのか分からない。ただ、彼に伝えたい言葉はいくらでも湧き上がってきた。「……今日ね、お坊さんからお経をいただいたの。あなたはちゃんと守られているから、すぐに良くなるはずだって」「もう、ずっと寝てるんだから……これ以上、眠り続けないでよ?」「樹、あと数ヶ月もすれば、また帝都に雪が降るわ……」「学校の彫刻の後ろの文字……私、見たよ。私の名前だった」震える声で紡ぐ言葉が、静かな病室に落ちていく。「この数日、ずっとあなたに話し続けているの。この四年間の私の全部を……ちゃんと聞こえてる?本当に、あなたに目を覚ましてほしいの。前みたいな樹に会いたい。あなたと南緒さんのことなんて、もう気にしてないから……だから、早く戻ってきて?」ひと粒の涙が、彼のやせ細った頬を伝い落ちた。その温もりが触れた瞬間、樹の体がほんのわずかに動いたように見えた。その時、ドアの方から足音が近づく。明日香は素早く涙を拭い、鼻をすする音をかみ殺しながら、何事もなかったように振る舞った。ボディガードがドアを押し開けた。「明日香様、そろそろお帰りを。社長はすでにスプレンディア・レジデンスにお戻りで、すぐにお迎えするようにとのご指示です」「分かったわ。あなたたちは外で待っ
男というものは、従順で気が利く女を好むものだ。遙と遼一が籍を入れてまだ日が浅く、明後日にはもう結婚式を控えている。だからこそ、遥は今、二人の関係をぎくしゃくさせたくなかった。遥が部屋を出ていくと、病室には遼一と明日香だけが残された。元々、彼と二人きりになるのが好きではない明日香にとって、その沈黙はすぐさま重苦しいものとなった。明日香の顔色は病的なまでに蒼白く、とても「転んだだけ」で済むような状態には見えない。そして遼一の視線は、まるで侵略者のように冷たく鋭い。「ここ数年、お前はあいつとずっと連絡を取っていたのか」遼一の声は厳寒の刃のようだった。「そんなこと気にするより、お義姉さんのことを気にしたら?それに、妹の私に変な真似をするのはやめてよ。世間に知れたら、私の評判が悪くなるでしょう」明日香は容赦のない口調で言い返した。遼一は眉間に皺を寄せた。「お前は、そんな言い方しかできないのか」「事実を言っただけでしょ。あなたほど気持ち悪い人、いないわ。遼一、あなたに触れられるたび、私は心の底から吐き気がするの。偽りの心配なんてしないで。私の体がどうして良くないのか、一番よく知ってるのはあなたでしょう。私がいつか死ぬことがあったとしても、それは全部あなたのせいよ」遼一は明日香の側に立ち、伸ばした手で触れようとした。「触らないで」明日香の冷えきった声に、遼一の手は宙で止まった。「明日香……俺と遥は、ただの契約結婚なんだ」その声には、ごくかすかに焦りが混じっていた。「契約だろうが何だろうが、私には関係ないわ。ただ、私のそばに来ないでほしいの。……もういい、出て行って。あなたなんか見たくない。出てって!」ちょうどその頃、病室の外では、遙が中の会話を一言一句逃すまいと立ち尽くしていた。握り締めたドレスは、指の跡が残るほど皺くちゃになっている。遼一が出てくると、遥はかろうじて笑顔を作った。「あなた……」だがその言葉は遼一に遮られた。「明日香を頼む」「え、ええ……」病室に入った時、遥の顔色は決して良くはなかった。しかし、それを表に出すわけにはいかなかった。自分たちの将来のためにも、いま明日香を敵に回すわけにはいかない。それに、もうすぐ死ぬかもしれない人間に、争う資格などない。「本当に治療しないつもり
「思ったより早かったな」哲朗は、どこか含みのある笑みを遼一に向けた。遼一がいずれ明日香に惹かれる。その未来は、最初から見えていた。たとえ二人が血を分けた兄妹だという証明書を突きつけられようとも、遼一は迷いなく明日香を愛してしまったのだ。遼一と遥の視線は同時に明日香へと向けられた。しかし、明日香の瞳はただ一人、哲朗に釘付けになったままだった。遥がそっと明日香の側へ歩み寄り、手を握る。「どうしたの?こんなところに……どこか具合が悪いの?」遥は明日香の病状を知っている。だからこの言葉は、明日香の状態を隠すための助けであり、同時に遥自身の思いも少し混ざっていた。明日香は視線を戻し、薄く笑ったまま、成り行きを楽しんでいるような哲朗の表情をあえて無視した。哲朗は、何かを待っているようだった。明日香の胸中には、深い霧のような疑念が渦巻いていた。哲朗は自分に一体何を話そうとしているのか。母とどういう関係があったのか。母の墓前に供えられていた花束も、彼の手によるものなのだろうか。前世の明日香は、哲朗と母の関係について何も知らなかった。母は明日香を産む際に大出血で亡くなった、と教えられていた。しかし、あれは本当に真実だったのか。前世では、誰も真相を語ろうとはしなかったのだ。「山を下りる時に、足元を見ていなくて……うっかり転んじゃったの」淡々としたその言葉は、ボディーガードと遥とで事前に合わせたものだった。哲朗は全てを見透かしているかのように、口元に意味深な笑みを浮かべた。遼一の射抜くような視線が哲朗をとらえ、鋭い声が落ちる。「明日香の検査報告書はどこだ」哲朗は肩をすくめ、軽く言ってのけた。「明日香ちゃんが言ったじゃないか。ただ転んだだけで大したことはないって。明日香ちゃん、本当にひ弱でね。歩いていて転ぶなんて。これからは大人しく家にいて、あちこち出歩かないようにすることだな」二人のやり取りに、明日香はうんざりしてため息をついた。「私のことはいいから、二人とも帰って。点滴が終わったら自分で帰るから」遥が遼一に向き直る。「遼一、あなたは先に帰りなさい。午後には会議があるでしょう?私は病院で彼女を見ているわ。家に着いたらまた電話する」明日香は、遼一を一度も見ようとはしなかった。哲朗は気配を読んで病室を出て
その時、不意に一陣の強風が吹き抜け、おみくじ箱が横倒しになった。僧侶は慌てて転がった籤の一枚を拾い上げた――そこには、信じがたいことに「大吉」と記されていた。明日香は、山を下りたら病院へ向かうつもりでいた。いつもなら、彼女が姿を見せると静乃は目を合わせまいと足早に立ち去るものだ。しかし、山道の途中で、明日香は突然、血を吐いた。同行していたボディーガードたちは凍りついたように肝を冷やした。明日香はそのまま意識を手放し、深い昏睡へと落ちていった。ここ数日、彼女は極度に身体を酷使し、ほとんど眠れていなかったのだ。ボディーガードたちは明日香を背負い、慌てて山を下りた。ちょうど駆けつけた救急車が彼女を静水病院へ搬送した。救急処置室へ運ばれる途中、明日香は薄闇のなかで意識を取り戻した。朦朧とした視界に入ってきたのは――最も会いたくなかった人物、哲朗だった。哲朗はマスク越しに明日香の身体を手際よく確認していた。「新垣先生、検査室の準備が整いました」「わかった」哲朗はマスクを外し、明日香を見下ろした。「明日香ちゃん、また会ったね」そばで看護師が明日香の血を拭き取り、別の看護師が控えめに声を掛ける。「新垣先生、患者さんを中へお運びしてよろしいでしょうか?」ベッドが動き始めたとき、明日香はかすれた声で言った。「もう検査しなくていい。脳腫瘍の末期……もう助からないから」看護師たちは思わず目を見張った。哲朗は細めた目で冷ややかに言った。「冗談好きだね。遼一が明後日結婚式を挙げるからって、そんなに無茶しなくてもいいのに」明日香は真っ直ぐに彼の視線を返し、静かに言う。「私が、自分の命を使って嘘をつくと思うの?」彼女は視線を逸らし、白い天井を見上げた。「バッグの中に薬があるわ。それから……新しい服を用意してくれると助かる。お願いね」口の中には鉄のような血の味が広がり、死臭にも似た匂いが鼻についた。どちらも、明日香が最も嫌うものだった。哲朗は明日香の言葉を無視し、脳のCT検査を強行した。結果、確かに彼女の頭蓋内には腫瘍が見つかった。哲朗は白衣のポケットに手を突っ込んだまま病室に入った。明日香はすでに看護師に手伝ってもらい、清潔な服へと着替えていた。哲朗は口元を歪め、彼女の目の前で煙草に火をつ
遼一は入籍を済ませた後も、相変わらずスプレンディア・レジデンスに滞在していた。ただ、明日香はもう彼と一緒に会社へ行く必要はなかった。明日香の存在はすでに多くの噂を呼んでいたが、今は遥が名実ともに「佐倉遼一の妻」、セイグランツ社の女主人である。もし明日香が再び姿を見せれば周囲が何を言うか、彼女自身がいちばんよく分かっていた。続く三日間、帝都は祝祭の渦に包まれた。セイグランツ社と桜庭グループの縁組という大ニュースは瞬く間に帝都の隅々にまで広がり、結婚式は帝都随一の高級ホテルで執り行われることになった。ホテルは三日間の休業を決め、式の準備に全力を注いだ。その一方で、明日香は遥が手配したボディーガードに「見守られ」ながら、今日は病院へは向かわず、再び清風寺へと足を運んだ。樹のために、明日香はほとんど毎日のように通っていた。悪天候でない限り、必ず自分の足で、一歩ずつ山道を登った。昨夜、遼一が戻らなかったため、明日香は早朝に出発し、山頂に着いた頃には夜明けの光が境内を淡く照らしていた。今日の清風寺は参拝客もほとんどおらず、明日香が最初の訪問者だった。本堂の戸が開くと、墨染の衣をまとった若い修行僧が深々と合掌した。「いらっしゃいませ、月島様」明日香が毎朝欠かさず参拝していることもあり、寺の僧たちの多くはすっかり顔なじみになっていた。彼女はいつものように仏像の前で静かに正座した。祈願のためであれば、一度座れば数時間でも動かない。二度目にここを訪れて以来、祈る内容はただ一つだった。樹が一日でも早く目を覚まし、元通りに回復しますように。彼が目覚めるその日まで、毎日ここに来続ける。それが明日香の揺るぎない決意だった。だが、樹の状態は日に日に悪化していた。腎臓は徐々に機能を失い、医師はついに最終通告を下した。もし今後五日以内に目覚めなければ、治療を続ける意味はないだろうと。そのとき、本堂の奥から住職が静かに近づき、柔らかく諭すように声をかけた。「……月島様、ご縁というものは、ただ受け入れるよりほかございません。どうか、この思いに囚われすぎませぬよう。南無阿弥陀仏」明日香の声は細く弱かったが、芯だけは確かに宿っていた。「私、昔は運命なんて信じてなかったし、宗教もまったく信じていませんでした。でも今は……信じたいの。彼のた







