LOGIN自分がここまで必死になってきたのは、すべて烈生のそばに行くためだった。今さら諦めるわけにはいかない。それに、今の自分には、もう後戻りする道など残されていない気がしていた。……朝、奈穂が目を覚ますと、隣に正修の姿はなかった。もう会社に行ったのだと思っていた。だが、体を起こして伸びをした瞬間、浴室のドアが開き、正修が出てくる。「まだ行ってなかったの?」奈穂は意外そうに目を瞬かせた。正修はベッドに歩み寄り、彼女の額にかかる髪をそっと撫でる。「行くつもりだったんだが、さっき電話が入ってな。君を起こしたくなくて、浴室で電話に出てた」そこで奈穂は、彼がすでにきっちり身支度を整えていることに気づいた。端正なスーツ姿。どこか禁欲的で知的な雰囲気をまとっている。それに比べて、自分は今、何も身につけていない。何度も肌を重ねてきたはずなのに、なぜか今さら急に恥ずかしくなった。そんな様子を悟られたくなくて、彼女は無意識に布団の中に少し潜り込む。「こ、こほん……じゃあ今から会社?」正修は彼女を見つめる。その眼差しが、ゆっくり熱を帯びていった。「……急に、行きたくなくなった」奈穂が反応する前に、彼はそのまま唇を重ねてくる。強い独占欲を感じさせるキスだった。奈穂は息を呑み、瞬く間に体の力が抜けていく。気づけば両腕は自然と彼の首に回り、その突然の口づけに応えていた。乱れた呼吸と激しい鼓動だけが、静かな部屋に響く。奈穂はすっかり力が抜けて、手も半ば本能のまま動いていた。ようやくキスが終わり我に返ると、正修のシャツのボタンがいくつも外れていることに気づく。しかも、それを外したのは自分だった。正修は掠れた声で笑う。「どうやら今、奈穂は俺と同じことを考えてるみたいだな」「……っ」奈穂は頬が熱くなるのを感じ、唇を噛んだ。そして誤魔化すように彼を睨む。「うるさい!」言うなり、彼のネクタイを掴み、そのままベッドに引き倒した。結局その日、二人は午前中いっぱい寝室から出なかった。カーテンも閉じられたまま。奈穂はまるで夢見心地のまま、ずっと意識がふわふわしていた。ようやく時間を確認しようと思い、スマホを手に取る。表示された時刻を見て、彼女は思わず声を上げた。「もう十二時過ぎてる!」「ん…
すべての証拠は、その男を指していた。逮捕された当初、男は犯行を頑なに否認していた。だが、ほどなくして耐えきれなくなり、自白した。彼の供述によれば、当時彼は健司に必死で見逃してほしいと懇願した。しかし健司は応じず、そのせいで逆恨みするようになった。出所後はずっと、健司への復讐を企てていたという。そして、奈穂は健司が最も大切にしている一人娘。だから彼女を狙ったのだ、と。警察はすでに男を拘留している。一見すると、事件は解決したように見えた。だが警察も、正修も、奈穂も、誰もが違和感を抱いていた。あまりにも順調すぎる。どの手がかりも簡単に見つかり、しかもそのすべてが、不自然なほど露骨に男を指していた。まるで誰かが意図的に、その男を彼らの前に差し出し、「こいつこそ真犯人だ」と全員に思わせようとしているかのようだった。疑念はあった。だが誰一人、それを口にはしない。まるで本当に犯人が確定し、この事件への関心を失ったかのように振る舞っていた。……深夜。若菜のもとに、音凛から電話がかかってくる。「全部片付いたわ。用意していた身代わりも逮捕された。もう心配する必要はない」もちろん、音凛が親切心から若菜を安心させようとしているわけではない。ただ、若菜がずっと怯え続け、どこかでボロを出すのを警戒していただけだ。「本当に?それならよかった……」若菜は安堵の息を漏らした。「もうこれ以上、捜査は続かないですよね?」「黒幕まで捕まってるのに、何を調べる必要があるの?」音凛はやや苛立った声で言う。「もう少し肝を据えなさいよ」若菜は目の前のパソコン画面に視線を向けた。そこでは、いくつものファイルが転送中になっている。若菜は心の中で冷笑する。――自分が臆病なら、こんなことできるわけがない。だが、そんな本音を音凛に明かすつもりはない。だから反論せず、静かに尋ねた。「次の計画はありますか?」「あの人」から指示されていた仕事は、もうすぐ終わる。つまり、これからは自由に動ける時間が増えるということだ。もし音凛が今後も奈穂を陥れるつもりなら、若菜としては喜んで協力する気だった。「次があるならまた連絡するわ。でも川岸市の件が起きたばかりだし、九条正修も水戸奈穂も今はかなり警戒してるはず。少し待ちましょう
男は降参したように肩をすくめ、苦笑した。「やっぱり、美人って簡単には落とせないな」「私を口説こうとしてたの?」君江はグラスの中の酒を見つめたまま、わずかに眉を上げる。「それはちょっとまずいんじゃない?弟くん」その呼び方に、隣の男の表情が一瞬だけ固まった。だがすぐに平静を取り戻し、先ほどよりさらに人懐っこい笑みを浮かべる。「へえ、俺のこと知ってたんだ。お姉ちゃん」「前に写真を見たことあるの」君江はカクテルを口に含みながら言った。「でも、あまりにも気持ち悪かったから、一瞬見ただけ」しかも写真の中の彼は黒髪だった。今は銀髪になっている。だから最初に見た時は、すぐには気づかなかったのだ。だが、「縁がある」なんて言葉を聞いた瞬間、彼女は思い出した。この男は、進の婚外子二人のうちの弟・須藤清流(すどう せいりゅう)。よくも平然と自分の前に現れたものだ。「気持ち悪い」と言われても、清流はまったく不機嫌そうな顔を見せなかった。「偶然ここでお姉ちゃんに会ったから、挨拶したかっただけだよ」「私たち、挨拶するような関係じゃないわ」君江は冷ややかに言う。「まさか『姉弟』って呼び合えば、本当に家族にでもなれると思ってるの?」この婚外子の顔を見るだけで不快だった。酒を飲む気も失せ、君江は立ち上がって店を出ようとする。だが清流は、面白そうに彼女を見つめ続けていた。彼女が背を向けた時、さらにその背中に声を投げる。「お姉ちゃん、俺たち、また会うことになると思うよ」君江は振り返り、彼の銀髪に目を向けた。そして突然、彼女も笑った。「それはどうかしら」そう言い残し、彼女は振り返ることなく去っていく。清流は、その後ろ姿が完全に見えなくなるまで目で追い続けていた。――この姉は、思っていたよりずっと面白い。その時、スマホが震えた。清流は携帯を取り出し、画面に表示された【母】の文字を見て、露骨に顔をしかめた。しばらく迷った末、結局通話を取った。「母さん」「今どこにいるの?」佐知子の声には不機嫌さが滲んでいた。「みんな、あなたを待ってるのよ」「その食事会、行かないって言っただろ。それに、あの男とはなるべく関わるなって何度も言ったはずだ。どうして聞かない?」清流は声を低く抑える。「今の生活を全部失ってからじゃないと、事
奈穂は、その電話が自分に関係しているのだろうと察していた。だから君江が通話を切ると、すぐに尋ねる。「どうしたの?」「友達からなんだけど、ある人が奈穂ちゃんに伝言を頼んできたみたい」君江は言った。「その人、関山優奈っていうんだけど」そう言いながら、君江はわずかに眉をひそめる。「なんか聞き覚えあるわね……前に私の友達に連れられてパーティーに来てた、あの関山さん?」「うん、そう」優奈の友人は、何があったのか詳しくは知らないため、軽々しく奈穂に連絡するのをためらっていた。そこで、奈穂と親しい君江を思い出し、君江に伝言を頼んだらしい。「その関山さんがね、『謝りたい』って」君江はそのまま伝える。「『このところ自分は完全におかしくなっていた。自分の苦しみを勝手に他人のせいにして、本当に申し訳なかった。もう二度と、水戸さんと九条社長の邪魔はしない』って」奈穂は静かに頷いたが、それ以上は何も言わなかった。結局のところ、この間の優奈は、本当に取り返しのつかないことをしたわけではない。ただ少し、人を不快にさせただけだ。今こうして過ちを認め、わざわざ謝罪までしてきた以上、奈穂もこれ以上責め立てるつもりはなかった。それに、優奈は清乃のことを外で口にしなかった。おかげで余計な噂も広まらずに済んでいる。だから奈穂も、これまでのことを蒸し返す気にはなれなかった。二人はそのまま夕食を終えた。しばらくして、正修が奈穂を迎えに来る。「須藤さん、先にお送りしますよ」正修は礼儀正しく声をかけた。だが君江は、二人の邪魔になるつもりなど毛頭ない。慌てて手を振る。「大丈夫大丈夫!もう運転手呼んでますから。すぐ来ますよ」それは事実だった。それを聞き、正修と奈穂もそれ以上は勧めず、君江に別れを告げて車で去っていった。ほどなくして、君江の運転手も到着する。車に乗り込むと、運転手が尋ねた。「お嬢様、お帰りになりますか?」君江は最初、「そうね」と言いかけた。だが急に家へ帰る気が失せて、近くのバーを検索して、そこに向かうよう指示する。バーに入った彼女はカウンター席に座り、適当にカクテルを一杯注文した。色鮮やかなそのグラスをぼんやり見つめながら、父の浮気と婚外子の存在を知ってからの日々を思い返す。まるで悪い夢でも見ているようだった。昔は
それなのに由香は、まだそんなことを平然と言ってのける。しかも、自分の前ですらここまで厚かましいのだ。なら、他人の前ではもっと好き放題に話しているに違いない。このまま放っておけば、そのうち多くの人が、本当に健司と由香の間に何かあると思い込んでしまうだろう。だが由香は、奈穂の表情が冷え切っていることにまるで気づいていなかった。それどころか、さらに馴れ馴れしくしてきた。「奈穂、今日こうして会えたのも何かの縁よね。二人だけなの?だったら私も一緒に――」「橘さん」奈穂は、由香に最後まで言わせる気はなかった。「人として、最低限の恥くらいは持ったほうがいいですよ」もう分かった。由香のような相手には、少しでも甘い顔をしてはいけない。少しでも遠慮すれば、すぐにつけ上がる。その言葉を聞き、由香の表情はようやくわずかに崩れた。「奈穂、どうしてそんな……」「その呼び方はやめてください」奈穂は無表情のまま言い放つ。「私たち、そこまで親しくありません」由香は深く息を吸い、傷ついたような顔を見せた。「分かったわ、水戸さん。でも、今の言い方はどういう意味?」「言葉通りの意味よ」君江まで見ていられなくなった。「あなた、どうしてそんな口の利き方をするの?私は健司のお友達なのよ」奈穂は冷笑する。「勝手にそんなことを言わないでください。父と橘さんには何の関係もありませんし、水戸家とも無関係です。橘さん、発言には気をつけてください。もし今後も父との関係について根も葉もない噂を流し続けるなら、水戸家として法的措置を取ることもできます」まさか奈穂がここまではっきり言うとは思っていなかったのだろう。由香の顔色はますます悪くなり、同時に後ろめたさも募っていく。というのも、最近の由香は実際、他人の前で「自分と健司は特別な関係だ」と匂わせるような話をしていたからだ。もちろん、付き合っていると直接嘘をついたわけではない。だが、曖昧で誤解を招く言い方をして、周囲に二人の間に男女の関係があると思わせていた。そのせいで、すでに由香を「次の水戸会長夫人」だと思っている人までいる。由香自身、それを少し誇らしく思っていた。だが今、奈穂の言葉を聞いて、一気に不安が押し寄せてきた。まさか奈穂が、ここまで容赦なく自分を切り捨てるとは思わなかった。つまり健司
今はもう、佐知子が若い男と付き合っている確かな証拠を掴んでいる。だが、二人とも心の中ではよく分かっていた。進にとって今、一番重要なのはあの二人の婚外子だということを。もし佐知子が男を養っている件だけを突きつけても、進はせいぜい彼女を追い出す程度だろう。だが、ほとんどヒモ同然の二人の息子は、これまで通り堂々と須藤グループの役職に就くに違いない。「いっそ証拠を全部そのまま父に突きつけようか?大庭が外で男を囲ってるって知れば、父だってあの二人が本当に自分の子か疑うんじゃない?」君江がそう言うと、奈穂は少し考え込み、わずかに眉を寄せた。だが奈穂が口を開く前に、君江は自分でその案を否定する。「いや、ダメだわ。今の段階で父に全部ぶちまけたら、絶対に向こうを警戒させる。大庭とあの二人に準備する時間を与えたら厄介よ。やっぱり、こっそり親子鑑定を済ませてからにしないと。でも、父の髪の毛を手に入れるのは簡単として……あの二人のはどうすればいいの?私、まだ一度も直接会ったことないし」「それなら簡単よ」奈穂は微笑んだ。「住所を突き止めればいいの」そこまで聞いて、君江はすぐに察した。「ふふっ、確かに!今日の私、ほんと頭回ってない。こんな簡単なことまで悩むなんて。行こっ、今日は嬉しいことがあったし、ご飯おごるよ」二人が夕食に選んだのは、そこまで有名ではないものの、味には定評のある料理店だった。店内は落ち着いた雰囲気で、席数も多くない。二人が到着した時、店内はかなり空いていて、好きな席を選べる状態だった。二人は窓際の席に腰を下ろす。「そういえば、この前の川岸市旅行どうだった?楽しかった?」奈穂は苦笑した。「全然遊べなかったわ」「え?」君江は奈穂にお茶を注ぎながら首を傾げる。「何かあったの?」奈穂は迷った。あの夜の出来事を話したら、君江がまた激怒するのは容易に想像できた。話すべきかどうか悩んでいたその時――「奈穂?」突然、女性の声が聞こえた。奈穂が反射的に振り返ると、一人の女性が店に入ってきて、笑みを浮かべながらこちらに歩いてくるのが見えた。「……どちら様ですか?」奈穂は一瞬、その女性が誰なのか思い出せなかった。女は奈穂の前まで来ると、にこやかに言った。「覚えてない?私はお父さんのお友達よ。橘っていうの。橘
奈穂は機を見て、正修の腰をきゅっとつねってから言った。「別に大したことじゃないの。今日は北斗が秦烈生に取り入ろうとしているのを見てね。秦家に近づこうとしてるなら、秦逸斗とも何か繋がりがあるかもしれないって思って。それで、さっき少し警告しに行っただけ」彼女は、先ほど逸斗と交わしたやり取りを大まかに話した。ナイフを使ったことも、隠さずに。その話を聞くうちに、正修の胸中では感情が次第に渦巻いていった。彼女が話し終えても、しばらく彼は言葉を発しなかった。「どうして、何も言わないの?」奈穂は彼の服を軽く引っ張った。次の瞬間、正修は突然、力強く彼女を抱きしめた。そのハグには、言葉に
「逸斗を殺そうとした黒幕が誰なのか、必ず調べさせる」烈生は低い声で言った。たとえ今は異国の地に身を置いていようとも、秦家の人間は、好き勝手に傷つけられるような存在ではない。音凛の表情がわずかに揺れたが、烈生は俯いたままメッセージを打っており、その変化に気づかなかった。彼が次々と何通も送信するのを見ているうちに、音凛の胸のざわめきは募るばかり。――兄の手腕を、自分がよく知っている。おそらくそう時間を置かずに、真相に辿り着いてしまうだろう。逸斗の暗殺を指示したのは、他でもない、自分なのだ。本当はさきほど、逸斗を気遣う素振りを見せようとも思った。だが考えてみれば、自分と逸
「どうしたの?九条家と水戸家の政略結婚がただ事じゃないとでも思ってる?でもね、お兄さんもよく分かっているでしょう。利益というものは、もともと流動するもの。今日、彼らが利益で結びついていても、明日になれば、より大きな利益のためにあっさり離れることだってあるわ」そこまで言ったとき、音凛は先ほど正修と奈穂が十指を絡めていた光景をふと思い出した。胸の奥の不快感を必死で押し込めながら、続けた。「見た目は九条正修と水戸奈穂、仲が良さそうに見えるけど、あれだって政略結婚があるから取り繕ってるだけかもしれないでしょう?今、政略結婚の件はまだ正式に公表されてない。もしお兄さんが水戸会長のところへ行って、
「表向きはただの放蕩息子に見えるが……実は、多少なりとも志のある男だ」北斗の声には、わずかに評価する色が混じっている。「だから、賭けてみる価値はある」水紀の心臓は、喉元までせり上がった。北斗が秦家の人間と手を組むにしても、逸斗とは関わらないだろうと、そう考えていた。――なのに、現実はその真逆。北斗の協力相手は逸斗になってしまった。「でも……聞いた話だと、今、秦氏グループの実務はほとんど秦家の長男が担ってるとか……秦会長も、長男を後継者にするつもりなんでしょ?」水紀は必死に動揺を押し殺した「長男と組んだ方が……良いのでは?」「俺だってそうしたいさ。でも、あいつは顔も出さなかっ