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第4話

Author: 緋色の追憶
ウェディングフォトが真奈美に与えた衝撃は、かなりのものだった。まるで心に「代替品」と焼き印を押されたような痛みが走り、今まで見過ごしてきたたくさんの些細なことが、一気に繋がっていく。

真奈美は、自分の結婚式のことを思い出した。

「派手にしたくない」という翔太の考えと同じく、真奈美もそこまで盛大にしなくてもいいと思っていたので、本当に親しい職場の仲間と、ごく一部の親戚だけ呼んだこじんまりとしたものだった。

結婚式の前の晩、翔太は「緊急の任務が入った」と言い、朝まで帰ってこなかった。

真奈美は一人、新居でウェディングドレスを眺め翔太の帰りを待っていた。少し寂しかったが、それ以上に、彼の仕事を支える者としての覚悟を決めたのだった。

結婚式当日、翔太は時間通りに現れた。タキシード姿はいつも通りかっこよかったが、その表情には拭いきれない疲れと……どこか憂いを帯びた影が差していた。

司会者に挨拶の言葉を促された翔太は、マイクを受け取り、数秒黙ったあと口を開いた。「真奈美の、俺の仕事への理解と協力に感謝しています。これからは……夫としての責任を果たしていくつもりです」

その言葉はとても堅く、まるで業務報告のようだった。

しかし参列者は皆「翔太さんは真面目すぎる」なんて言って、会場からは温かい笑い声と拍手が起こった。

真奈美もつられて笑った。心によぎった小さな違和感は、新婚の恥ずかしさと周りの賑やかさにかき消されたのだった。

今思えば、あの疲れと憂いは、前の晩、別の女のために「出動」していたからだったのではないだろうか?

あの「責任を果たす」という言葉は、初めからこの結婚の本質を物語っていたのかもしれない。

それに、自分たちの結婚式に泉は参列していなかった。

泉は大事な出張があって間に合わないのだと、翔太が言っていた。

だから真奈美はわざわざ泉に電話までして、「仕事は大事だから、気にしないで」とフォローをいれたぐらいだった。

電話の向こうの泉の声は少しかすれていて、「真奈美、本当にごめん。一生に一度の結婚式なのに……絶対に幸せになってね。翔太は……あなたのことすごく大事に思ってるから」と言った。

あの時は、親友からの祝福と謝罪の言葉だとしか思わなかった。しかし今、改めて思い返すと、一言一句が偽りと残酷さに満ちている。

あのかすれた声は、泣いた後だったのでは?

翔太の隣に、堂々と立つことができなくなったから?そして、泉が言った「翔太も大事に思ってる」なんて言葉にも、やはり別の意味があったのだろう。

この結婚は、最初から三人の喜劇だった。しかし、台本を知らされていない自分だけが、全てうまくいっていると思い込み、一人芝居を演じていただけで……

夜が更けた頃、鍵が回る音がした。

翔太が帰ってきた。外の冷たい空気と、かすかなタバコの匂いをまとって。

真奈美がもう寝ているとでも思ったのか、忍ばせた足音がリビングへと向かって行く。

真奈美は書斎の暗闇の中に座ったまま、特に立ち上がることもしなかった。

しばらくして、寝室のドアが静かに開けられる音が聞こえた。翔太が自分の様子でも見にいったのだろう。

また少しすると、足音がゲストルームの方へ向かった。翔太は残業で遅くなった時、真奈美を起こさないようにとゲストルームを使うのだった。

家の中が、再び静けさを取り戻す。

しかし、その静寂はすぐに破られた。

押し殺したような、かすかな話し声が、階下から真奈美の耳に届く。

どうやら、家の中からではなく、下の庭のようだ。

まるで魂を抜かれた抜け殻のように、彼女は見えない力に引っぱられるまま、ゆっくりと立ち上がると、庭に面した小さな窓辺へと近寄った。

窓の外は深い夜の闇に包まれ、庭には薄暗い街灯がひとつ灯っているだけ。

その明かりがちょうど途切れたあたりの暗がりに、二つの人影が寄り添うように立っている。

翔太と泉だった。

翔太はこちらに背を向け、泉が彼に向き合うようにして、少し顔を上げていた。

距離があるので、何を話しているかは聞こえない。ただ、泉の肩が小刻みに震えているのが見える。どうやら泣いているようだった。

翔太の手が動いた。少し戸惑うように、その手は泉の肩に置かれ、優しくさすっている。なぜだか、慣れた手つきで慰めているようにも見えた。

しかし次の瞬間、泉が不意に一歩踏み出し、その顔を翔太の胸にうずめた。

翔太の体は明らかにこわばった。泉の肩をさすっていた手は止まり、宙に浮いたまま……だが、すぐに彼女を突き放そうとはしなかった。

街灯が、寄り添う二人の影を長く伸ばす。冷たい地面に映ったその影は、ぴったりと一つに重なっていく。

真奈美は、二階の窓の暗がりから、ただ静かにその光景を見つめていた。

荒れ果てた心に残っていた翔太への最後の期待の灯火も、完全に吹き消されてしまった。

怒りも、嫉妬も、痛みでさえも何も感じることはなかった。ただ、すべてが凍り付いたような、完全な静寂だけが心を支配している。

子供が流れてしまい入院し、心も体もボロボロだった時も、自分の人生がとても滑稽なものだと知った時も……この二人は、こんなにもお互いに惹かれ合っていたなんて。

遺書だって、泉の将来を保証する内容だった。

だとしたら今、翔太はその温もりと腕で本当に愛する女性を慰め、彼女が悲しまないよう、そして、将来に傷がつかないよう守っているということなのだろうか?

なんて責任感のある男なのだろう。

「責任」だけで一緒にいる妻には氷のように冷たく、「責任」のない愛する人には、この上なく優しい。

やがて翔太が、ほんの少しだけ身を引き、泉と距離をとった。そして、また何かを小声でささやく。

泉もこくりと頷き、手の甲で目元を拭った。

それから二人は、前後に並んで、静かに庭の外の小道の先に消えていった。

おそらく、翔太は彼女を寮まで送っていくのだろう。

真奈美は窓から離れた。明かりはつけず、手探りで書斎のデスクまで行くと、パソコンの電源を入れた。

画面の冷たい光が、血の気のない彼女の顔を照らし出す。その瞳は、底知れない闇のように漆黒で……

真奈美は職場のシステムにログインした。キーボードの上で一瞬指を止めたが、驚くほど落ち着いた手つきでタイピングを始める。

題名の欄は「退職届」。

本文はまるでカルテの要約を書いているかのように、至ってシンプルだった。

真奈美は一度見直す。誤字脱字はなく、文体も客観的。感情的な非難は一切なく、遺書やウェディングフォト、先ほどの庭での出来事、そして、流れてしまった子供のことにも触れていない。

なぜなら、これらのことは自分の恥であり、傷だ。だから他人に見せて、とやかく言われる必要はない。

真奈美が望むのは、ただ一刻も早く、この吐き気のするような関係を断ち切ることだけだった。

全てを終えると、彼女はパソコンを閉じた。書斎が再び暗闇に沈む。

リビングに行き、ソファに腰を下ろした。果てしない夜の闇を見つめながら、ただひたすら夜明けを待った。

この夜は、ひどく長く感じられた。
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