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第3話

Author: 緋色の追憶
「俺は職場に行ってくるから、お前は休んでろ。夜には戻るよ」

この重苦しい空気に耐えられなかったのか、翔太は荷物を置くと、それだけを言い残して足早に立ち去っていった。

ドアは特に強く閉められたわけではなかったが、その音はしんと静まり返った部屋に、まるで雷が落ちたかのように響いた。

真奈美は足が痺れるほどの長い間、玄関に立ち尽くしていた。

寝室には行かなかった。そこには、二人で過ごした思い出が多すぎたから。

真奈美はゆっくりと書斎に向かう。そこは翔太が家で仕事をする時に使う場所で、彼女が立ち入ることはほとんどなかった。

書斎の作りはシンプルで、本棚とデスク、椅子があるだけ。

デスクの上にもパソコンが一台だけで、他には何もなかった。

本棚は、ほとんどが勲章や表彰状で埋め尽くされている。

ぼんやりと視線を動かしていると、本棚の一番下の目立たない隅に、紺色の箱が置いてあるのが目に入った。箱の縁は少し擦り切れていて、かなり年季が入っているようだった。

何かに引き寄せられるように、真奈美はその箱へ向かって歩いていくと、しゃがみ込んで箱を手にとってみた。

箱にはなんのラベルも無く、うっすらと埃を被っている。

真奈美は蓋を開けた。

中に入っていたのは重要な書類などではなかった。

初期訓練の頃のバッジが数個、壊れた古い万年筆が一本、端が丸まった理論ノート……物はそこまで多くなく、無造作に放り込まれている。

時の流れを感じさせる品々を指でなぞると、心が冷たく麻痺していくのを感じた。

これらはすべて翔太の過去。自分とは関係のない過去のもの。

すると突然、指先に硬くて滑らかな角が触れた。

ノートと箱の側面の隙間に何か挟まっている。真奈美はそれをそっと引き出した。

一枚の写真だ。

しかも、ウェディングフォトだった。

パリッとした黒のタキシードを着こなし、微笑んでいるのは紛れもなく翔太だった。珍しく優しい目つきまでしている。今よりも少し若く、顔立ちにもまだどこかあどけなさが残っていた。

そして彼の隣で、花のような笑顔を浮かべながら純白なウェディングドレスに身を包み、寄り添っている女性は泉だった。

真奈美の呼吸がぴたりと止まる。

全身の血が瞬時に凍りついたかと思うと、一気に逆流し、耳の奥でゴウゴウと鳴り響いた。

彼女は床にうずくまった。写真の角を握る指が、まるで氷水にでも浸したかのように冷たくなり、震えが止まらない。

満開な花畑を背景に、柔らかな光に包まれながら見つめ合う二人からは、この上ない幸福感が溢れている。翔太を見つめる泉の幸せと信頼に満ちた、全てを委ねるような笑顔が、真奈美の心を鋭く突き刺した。

こんなまっすぐな愛情表現を、真奈美は一度も翔太にしたことがなかった。そして、翔太から受け取ったことも、同じく無かった。

真奈美は、自分たちのウェディングフォト撮影のことを思い出す。

翔太が、「仕事が立て込んでいて時間がない」と言ったので、真奈美は一番シンプルなプランを選び、写真館で数枚撮っただけだった。

ウエディングフォトの中の真奈美は、無理に作った引きつった笑顔をしていたし、翔太も直立不動で、まるで任務をこなしているかのように、規律正しいだけで、ロマンチックなどというものは微塵もなかった。

カメラマンも冗談めかして言っていた。「もっとリラックスしていいんですよ。こんなに綺麗な花嫁さんなんだから、もっと嬉しそうに笑って、笑って!」

しかし翔太は口角を少し引きつらせただけで、出来上がった写真の笑顔は、いかにも作り笑いという感じで、とてもぎこちなかった。

真面目な人だから、こういうのは慣れていないのだろうと、真奈美は自分に言い聞かせていた。

だが、そうではなかったのだ。翔太は笑えないわけでも、優しくできないわけでもない。ましてや、カメラの前で愛情だってしめせたのだから。

翔太はただ、そのロマンチックな一面も、心のこもった配慮も、優しい微笑みも、すべて……別の女性に捧げていただけだった。

決して公にすることはできないかもしれないけれど、彼が心の底で大切にしていた「結婚式」。

ポタッ。

熱い雫が一滴、写真の中の泉の輝く笑顔の上に落ちた。瞬く間に小さなシミとなって広がっていく。

真奈美ははっとした。頬に手をやると、ひんやりと濡れていた。

自分は、まだ涙を流せたのだ。

もう何も感じないと思っていたのに。この写真によって、心の最も深いところをこじ開けられ、裂けるような痛みに襲われる。

遺書を見た時よりも、ずっと痛い。

遺書は心のない、打算的な計画書だった。しかしこの写真は、かつて確かに存在した、燃えるような愛情の証。

そして自分は、最初から最後まで、「替え玉」ですらなかったという証拠でもある。

自分は彼らを隠すための、ただの隠れ蓑にすぎなかった。

写真の中できらきらと輝く泉と、窓に映る自分の姿を見比べる。幽霊のように青白く、目の落ち窪んだ姿。

太陽の下で咲き誇る薔薇と嵐に打たれて枯れた枝。

なんて皮肉なんだろう。

真奈美はゆっくりと写真を元の場所に戻し、箱の蓋を閉めると、本棚の一番下へと押し込んだ。

自分の身体なのに、まるで映画のスローモーションのように見えた。関節の一つ一つが錆びついてしまったかのように、ぎこちない。

立ち上がると、一瞬目の前が真っ暗になった。本棚に手をついてなんとか体勢を立て直す。

下腹部の鈍い痛みが、さらに増している気がして、全身の神経もその痛みに引っ張られていった。

椅子までなんとか移動して座ると、虚ろな目で前方の壁を見つめた。

そこには、幸せな二人が手を取り合う様子が描かれた一枚の絵が飾ってあった。それは数年前に、真奈美が自ら描いたものだった。

今となっては、その幸せそうに笑うその二人が彼女の愚かさと惨めさを嘲笑っているかのように見える。

この家は、最初から自分の家ではなかったのだ。

「都合のいい妻」である自分を飼っておくためだけの、念入りに準備された鳥籠。

本当に翔太が心を奪われ、家庭を築きたいと願った相手は、ずっと外の世界にいて、秘密のウェディングフォトを撮り、仕事も未来も共にしていた。

喉の奥からまた生臭いものがこみ上げてきた。今度は抑えきれず、真奈美は身をかがめて激しくえづいた。だが、何も吐き出せない。ただ、焼けつくような痛みが胃から全身に広がるだけだった。

どれくらい時間が経っただろうか。やっと吐き気が収まった。

彼女は椅子にぐったりともたれかかる。全身に力が入らない。

窓の外は、すでに暗くなっていた。

書斎の電気はついておらず、暗闇が真奈美を飲み込んでいく。

しかし、あのウェディングフォトの泉の眩しい笑顔が脳裏に焼き付き、いつまで経っても忘れられなかった。
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