LOGIN付き合って十年、恋人の湊浩介が、ようやく私との結婚に頷いてくれた。 しかし、ウェディングフォトの撮影中、カメラマンからキスシーンをお願いされた途端、彼は「潔癖症なんだ」と顔をしかめ、私を突き放して一人で帰ってしまった。 気まずさに耐えながら、私は彼の代わりにスタッフへ深々と頭を下げる。 大雪でタクシーも捕まらない。私は降り積もった雪を踏みしめ、重い足取りで一歩、また一歩と家路を辿った。 それなのに、新居で私を待ち受けていたのは、浩介が彼の「忘れられない人」を抱きしめ、名残惜しそうにキスを交わす光景だった。 「灯里、君が望むなら、俺はこの結婚なんていつでも捨ててやる!」 長年の一途な想いは、この瞬間、すべてが笑い話と化した。 泣き崩れた私は、浩介よりも先にこの結婚から逃げ出すことを決めた。 後日、私たちの間ではある噂でもちきりになった。 ――湊家の若様が、捨てられた元婚約者にもう一度振り向いてもらうため、世界中を探し回っている、と。
View More私は無表情のまま、狂ったように叫ぶ男を見つめ返した。「長々と語る必要はないわ。私があなたのもとを去った理由は、ただ一つ――もう、愛していない。それだけよ」立ち去ろうとする私を、彼は掴んだ。浩介は目を真っ赤に充血させ、悲しみと怒りを入り交ぜて叫ぶ。「君が被害者みたいな顔をするな。十年の関係がこんな結末を迎えたのは、君には一切非がないとでも言うのか!」私は人と言い争うのは好きではない。だが、ここで白黒つけなければ、この男は永遠に私に付きまとうだろう。「浩介。私たちの心が離れた理由を、考えなかったわけじゃないわ。倦怠期だったから?私が仕事で、あなたより評価されるようになったから?それとも、昔の恋を忘れられない、あなたの弱さのせい?いくらでも理由は考えられた。でも、もうどうでもいいの。原因が何であれ、私を裏切ったのは、あなた。だから、省みるべきなのも、あなた一人。あなたが私を愛せなくなったのは、あなたの心の問題。私の責任じゃないわ」浩介は、縋るような目で私を見つめ、かすれた声で言った。「でも、俺は、後悔して……」「あなたの後悔を、私が受け止めてあげる義理はないわ」私は彼の手を振り払い、きっぱりと踵を返した。浩介はそれでも諦めず、どこからか私の新しい連絡先を手に入れ、メッセージを送ってきた。【女の子だからって、ご両親に人間扱いされなかったって言ってたじゃない。俺たちは知り合って十五年、付き合って十年だ。俺は君の唯一の家族なんだ。その唯一の家族さえ、もう要らないと言うのか?】私は一言だけ返信した。【血の繋がった家族さえ、私は捨てたのよ。ましてや、元カレだったあなたなんて】浩介は一ヶ月以上も私に付きまとったが、復縁の可能性がゼロだと悟ると、やがて去っていった。だが、それで終わりではなかった。その後の二年間、彼は毎月一度、アメリカへ飛んできた。私が会おうとしないと、彼はただ遠くから私を見つめているだけ。まるで、自分の純愛を貫く悲劇のヒーローを気取っているかのようだった。その滑稽な一人芝居も、私が陽翔のプロポーズを受け入れた日を境に、ぱったりと幕を閉じた。それから間もなく、風の噂で、彼らのその後の顛末を聞いた。灯里が妊娠し、二人はできちゃった結婚をしたこと。結婚生活は喧嘩の絶えない地獄で、
私はハンドバッグの角で浩介の後頭部を殴りつけ、彼を陽翔から引き剥がすと、その前に守るように立ちはだかった。「正気なの、浩介?いい加減にして!」彼と知り合って十五年、自制心と理性を重んじる彼が、こんな狂気に駆られた姿を見せたことは、一度もなかった。浩介は、信じられないものを見る目で私を見つめ、獣のように声を張り上げた。「なぜあいつはお前にキスできる!お前とそいつは、どういう関係なんだ!」「私のことは、もうあなたには関係ない」「俺は君の彼氏だ!」「結婚式のあの日から、もう違うわ」浩介は激情に顔を歪ませたが、必死にそれを押し殺し、まるで大きな譲歩でもするかのような恩着せがましい口調で言った。「まだ灯里のことで根に持っているのか?今日、人を使ってあいつを家から追い出した。渡していた家族カードも停止した。もう、灯里とは完全に無関係だ」……ということは、今朝、私に「やり直そう」と迫ってきた時点では、まだ灯里を家に住まわせ、カードを使わせていた、と。他の女とのだらしない関係を清算もせずに、どの口が私を愛していると囁き、結婚を願えるのだろう。この男は、自分がどれほど醜悪で、独り善がりなのか、本当に、何一つわかっていないのだ。私は冷たく言い放った。「私たちの関係は、もう終わったの。あなたが誰と何をしようと、私には関係ない。説明も不要よ」「別れただと!?俺は認めん!佳奈、俺はもう謝っただろうが!」浩介が何かを叫び終える前に、隣で陽翔が苦しげに息を呑んだ。私はもう浩介に構うことなく、陽翔を支えて家の中へ入る。背後で聞こえる彼の懇願の声を、分厚いドアで無慈悲に遮断した。家に戻ると、私は救急箱を取り出し、陽翔の口元の傷を手当てしてやる。「いってぇ……お姉さん、唇、切れちゃったかも」彼は大げさに顔をしかめ、潤んだ瞳で私を見上げて甘えてみせる。「はいはい、芝居はいいから」私はわざと、消毒液をつけた綿棒で彼の唇の端をぐっと押した。格闘技の全国チャンピオンが、浩介に一発で地面に倒されて起き上がれないなんて、聞いて呆れるわ。陽翔は小声で文句を言う。「あの浮気野郎、お姉さんの元カレだろ?全然釣り合ってない。まだあのキザなチェスターの方がマシだね」パタン、と救急箱の蓋を閉める。「陽翔くん。あなたが私をど
私はひらりと身をかわし、心の底からうんざりした声で言った。「もう、やめて。私たち、とっくに終わってるの」「何を言う!十年の付き合いだぞ!あれほど俺を愛していた君が、こんな簡単に諦められるわけがない!ただ意地を張ってるだけだ。……そうか、俺が灯里と本当に縁を切れるか、まだ信じられないんだな?今に見てろ。必ず、証明してみせる!」浩介はそう一方的にまくし立てると、私の答えを聞くこともなく走り去った。彼が現実から目を背けているのか、本気でそう信じ込んでいるのか。そのどちらであっても、今の私には、心底どうでもいいことだった。浩介が去ったのと入れ替わるように、取引先のチェスターが、抱えきれないほどの真紅の薔薇の花束を持って、現れた。「やあ、佳奈。驚いたかい?今日は君との商談を、俺が勝ち取ってきたんだ。まずは、美しい君に、美しい花を。君の毎日が、この薔薇のように情熱と喜びに満ち溢れるように、と願ってね」彼は日本人とアメリカ人のハーフで、こちらでは有名な資産家の御曹司だ。一ヶ月前に偶然知り合って以来、彼は私のことを「運命の人だ」と公言し、会うたびに情熱的な言葉で、猛アタックを仕掛けてくる。私は優雅に薔薇を受け取ると、悪戯っぽく微笑んだ。「ありがとう、チェスター。では、商談ということは……私だけの、特別な条件を提示してくださるとか?」「もちろん。君が、俺の特別な人になってくれるならね」「それなら、交渉なんて野暮なことは抜きにして、このロットすべて、私にプレゼントしてくださるのが筋じゃないかしら?」「ハハ、一本取られたな。相変わらず、君との会話は刺激的だ。だが、君が本気でそれを望むなら、この程度のプレゼント、俺にとっては朝飯前だよ」私は微笑みを深めた。「ちなみに、私の純資産があれば、そのロットがいくつ買えるか、ご存知?」チェスターは感嘆したように片眉を上げた。「俺の目に、君の価値はプライスレスだ」「光栄だわ。私の目にも、あなたは最高のビジネスパートナーよ。もしこのロットで、君の言う『プライスレスな私』にふさわしい価格を提示してくださるなら、御社との取引量を倍にすることも検討するわ」チェスターは高らかに笑った。「降参だ、佳奈!君は最高の交渉相手だよ。恋人にはなれずとも、君という最高のパートナーを得られ
さすがは体育会系、見事に鍛え上げられた体だ。しかし、私にとっては頭痛の種が増えただけだった。「陽翔くん、あなたね……」年下の男の子との恋愛など考えたこともないし、ましてや七つも離れた「弟分」に、恋愛感情など抱くはずもなかった。「ごめん、お姉さん。タオル忘れたの、迷惑だった?僕、追い出されたりしない? 親父に、お姉さんを不機嫌にさせたってバレたら、本気で締められる……」陽翔は飼い主に叱られた子犬のようにしょんぼりと俯き、ひどく落ち込んだふりをする。こうなられると、こちらも強く出られない。痛む眉間を押さえ、私はリビングへと戻った。親友から電話がかかってきて、話しているうちに、自然と浩介と灯里の話題になった。「ねえ、聞いた?灯里の奴、浩介の特補になってから、とんだ笑い草になってるわよ!自分が泥棒猫だから、周りの女もみんなそう見えるんじゃない?浩介の会社の罪もない女子社員、何人もクビになったって話よ。あげくの果てに、取引先の女性にまで嫉妬で噛みついて、大事な提携をパーにしたんだって!さすがの浩介も堪忍袋の緒が切れたらしくて、彼女をクビにして、壮絶な修羅場の末に別れたそうよ。でね、ここからが本題なんだけど。浩介、今も血眼になってあんたを探してるの。最初はポーズかと思ったけど、日に日に鬼気迫る感じで、本気みたい。だから、みんな言ってる。灯里のことはただの遊びで、あいつが本気で愛してるのは、やっぱり佳奈なんだって。もっぱらの噂よ、これ!」私は親友のどこか楽しげな報告を、ただ相槌を打ちながら聞き流し、そして当たり障りのない話題へと逸らした。両親はかつて、私を「普段は猫を被っているが、一度タガが外れると、誰よりも冷酷になる人間だ」と罵った。その言葉は酷く耳に痛いが、否定できない事実でもあった。思えば、彼を愛していた十年、私は彼の忠実な飼い犬だった。主人の与えるわずかな愛情に尻尾を振り、目の前で他の女といちゃつかれ、プライドをズタズタに引き裂かれても、ただひたすらに耐え忍んだ。しかし、あの結婚式から逃げ出した、あの朝。「愛情」という名の鎖に繋がれていた飼い犬は、自らその鎖を、食いちぎったのだ。親友との電話を終えても、彼女の言葉が心に引っかかることはなかった。まさか、半年以上も経ってから、アメリカで浩介と