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第119話

Author: 十一
「今回帰ってきたのは、ひとつは……お父さんとお母さんにどうしても会いたかったから。もうひとつは……どうかもう一度だけ、チャンスをくれないか?これまでの過ちを、ちゃんと償いたいの」

この数年、凛が帰ってこられなかった理由――それは、両親の失望した目を見るのが、何より怖かったからだ。

でも同時に、心の奥にはずっと、ある思いが燻っていた。自分の選んだ道は間違っていなかった――そう証明したかったのだ。

けれど、現実は非情だった。

彼女は、間違っていた。しかも、どうしようもないほどに。完全に取り返しのつかないほどに。

慎吾の瞳が、かすかに揺れる。……今、あの子は……何を言った?

まさか、あの頑なな娘が、自分の非を認めたのか?

敏子の胸には、痛むような感情が押し寄せていた。――きっと、辛い目に遭ったのだ。何かに裏切られ、心を傷つけられたのだ。でなければ、あんなに意地っ張りな娘が、「私、悪かった」なんて、絶対に言うはずがない。

「……お、お前……本当に……考え直したんだな?」慎吾の声は、さっきまでとは打って変わって、目に見えて柔らかくなっていた。

凛は唇をきゅっと結び、小さくうなずく。「……ずっと前から、わかってた。でも……怒ってるお父さんとお母さんの顔を見るのが、怖くて……帰ってくる勇気がなかったの……」

凛は鼻をすすりながら、帰る直前までの迷いや不安を思い出し、そっと顔を上げて言った。「お父さん、お母さん……私、ここにいてもいい?お正月、一緒に過ごしたいの」

慎吾はふいっと顔を背け、娘と妻に涙を見られまいとしながら、わざと低く、ぶっきらぼうに言った。「……帰ってきたんなら、しばらくいればいい」

その言葉に、敏子はふっと肩の力を抜いた。「まさかこのままずっと立ってるつもり?早くスーツケースを部屋に持っていきなさいよ。ごはん、冷めちゃうじゃない」

その一言に、凛がずっとこらえていた涙が、もう止まらなくなった。泣きながら、けれど笑顔も浮かべて、声を震わせた。「お父さん……お母さん……本当に、本当に会いたかった。ようやく……やっと……帰ってくる場所を見つけられたの」

敏子の目にも涙がにじみ、もう二度と戻らないと思っていた娘を、そっと力強く抱きしめた。

六年――この家は、ようやく家族としてのぬくもりを取り戻した。

……

長い年月をすれ違ってきた三人は、
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