俺は一瞬自分の耳を疑った。
そのような事は考えたこともない。「レンダース領の領主カイゼル・レンダース伯爵は領主としての資質に欠けると思います。領地の争いで皇家に手間を掛けさせています。爵位と領地、財産を全て取り上げましょう。レンダース領を皇家直属領にするのです」「そのような罰を与える理由がない⋯⋯」
俺は驚くような事を、天使のように微笑みながら語る皇妃に釘付けになった。「報告書を過去10年分見せてください。叩いて埃の出ない貴族などいません。しかも、レンダース領にはサファイア鉱山があります。領民は3流でも土地は1流です。向こう5年は税を免除にすれば、領民は喜んで陛下に尻尾を振ります」
確かにしょっちゅう暴動で不満を訴える領民は3流だ。対話という手段を選ぶことすら思いつかない蛮族と言えるだろう。しかし、俺は蛇にまで優しい視線を向けていた彼女が、人を冷たく格付けし出したのが信じられなかった。
無垢で優しいだけの女ではないと評判からは分かっていたし、そのような甘い人間なら皇宮で生きていけない。
「しかし、爵位や領地まで取り上げるような罪を犯した証拠など見つけられるだろうか⋯⋯」
「カイゼル・レンダース伯爵もタルシア・バラルデール前皇后の国葬にはいらっしゃいますよね。その際にでも彼と接触してみます。私が少し会話すれば脳が溶けて、口を割ると思いますよ。ここまで領民に不満を持たせる領主⋯⋯彼を切ることは領地だけではなくバラルデール帝国の為になります」
俺は自分がカイゼル・レンダース伯爵からの報告書には目を通すから、皇妃には何もしなくても良いと伝えた。 彼女に言われた通り、報告書を確認するとおかしな点がすぐに沢山見つかる。 領地からの報告書は全て行政部に確認を任せていた。 俺は持ってこられた書類は問題のないものとして、サインをしていた。 そもそも、数字のズレなど細かいことに目を向けるのが面倒だった。 別に不正があっても、大した額ではないと思っていた。 レンダース領にはサファイア鉱山があり、裕福になってもおかしくない土地だ。 しかし、皇家へ度々支援を求め、その支援金はどこにいったのかも分からない。 少しチェックしただけで疑問を感じるのに、誰も指摘しない。 (カイゼル・レンダースは行政部とも癒着しているのか⋯⋯) 皇妃は書類をチェックしなくても、カイゼル・レンダース伯爵を資質のない領主だと言って放った。 俺は彼女を女の武器で男を翻弄してきた女だと思っていた。 実際、彼女は一目で人の心を奪う程に美しかった。 求めるような目で常に見つめられている度に、彼女に溺れないように常に気をつけて自制をしなければならなかった。 しかし、彼女の美貌は隠れ蓑で本当は優れた政治感で、マルキテーズ王国の為に暗躍してきたのではないかとの疑いが出てきた。 皇妃をあまり政治に関わらせたくなかった。 彼女が味方なら心強いが、敵である可能性の方が高い気がする。(脳が溶けるか⋯⋯) 俺自身も彼女の可愛らしい優しく澄んだ声と、天使のような見た目に囚われ何だか脳が正常に機能していない。 もう既にモニカ・マルテキーズの手に堕ちているのかもしれない。 それでも、彼女にスレラリ草を使うこと今後絶対にない。 俺の子供ができてるかもしれないと嬉しそうに語る聖母のような皇妃の姿が本当の彼女だと信じたい。 皇妃がマリリン・プルメル公女からお茶会に誘われたと嬉しそうに報告してきた。 今、俺の妻になった上に、舞
「すぐに戻ってくるから」「レンダース領の暴動は1年前にもありましたよね。もう、領主を切りませんか? 暴動はおさまりますよ。出兵による遠征費も節約できます」 俺は一瞬自分の耳を疑った。 そのような事は考えたこともない。 「レンダース領の領主カイゼル・レンダース伯爵は領主としての資質に欠けると思います。領地の争いで皇家に手間を掛けさせています。爵位と領地、財産を全て取り上げましょう。レンダース領を皇家直属領にするのです」「そのような罰を与える理由がない⋯⋯」俺は驚くような事を、天使のように微笑みながら語る皇妃に釘付けになった。「報告書を過去10年分見せてください。叩いて埃の出ない貴族などいません。しかも、レンダース領にはサファイア鉱山があります。領民は3流でも土地は1流です。向こう5年は税を免除にすれば、領民は喜んで陛下に尻尾を振ります」 確かにしょっちゅう暴動で不満を訴える領民は3流だ。対話という手段を選ぶことすら思いつかない蛮族と言えるだろう。 しかし、俺は蛇にまで優しい視線を向けていた彼女が、人を冷たく格付けし出したのが信じられなかった。 無垢で優しいだけの女ではないと評判からは分かっていたし、そのような甘い人間なら皇宮で生きていけない。「しかし、爵位や領地まで取り上げるような罪を犯した証拠など見つけられるだろうか⋯⋯」「カイゼル・レンダース伯爵もタルシア・バラルデール前皇后の国葬にはいらっしゃいますよね。その際にでも彼と接触してみます。私が少し会話すれば脳が溶けて、口を割ると思いますよ。ここまで領民に不満を持たせる領主⋯⋯彼を切ることは領地だけではなくバラルデール帝国の為になります」
「陛下、皇妃殿下が動きました」 夜明け前に侍従が部屋に知らせに来たので、俺は皇妃が庭園の方に歩いて行ったと聞き庭園に向かった。 昨晩、彼女の美しさに魅せられ皆が彼女と踊りたがっていた。 ダンスの誘いがあれば、受けるのは当たり前なのに彼女に八つ当たりしてしまった。 明らかに俺は彼女に心を占拠され始めていて、おかしな独占欲まで生まれている。 彼女が一緒に食事をしたいなどと可愛いおねだりをしてきて、愛おしく思った。 しかし、今度は夜明け前に皇城内を抜け出すと言う不審な真似をする。 ただ、安心して愛させてくれれば良いのに、彼女に対する疑いは消えない。 庭園まで行くと話し声が聞こえた。(間者と接触している?) 近づいていくと、彼女はカイザーと会話をしていた。 カイザーが俺にも言わないような本音を彼女に吐露していて驚いてしまう。 モニカ・マルテキーズの前では男は何でも話してしまうと聞いていたが、5歳のカイザーも例外ではなかったようだ。 何も知らないと思っていたカイザーが、スレラリ草の毒を自分の母親が使っていることを知っていて驚いた。(何も知らなかったのは俺の方だ⋯⋯) 楽しそうに蛇を腕に巻くという奇行をする皇妃が心配になった。 その上、彼女は飛んでったハンカチを走って追って池まで入って行った。(王女として育てられたのではないのか? なぜ、そのように野生的なんだ?) 皇妃が拾いに行ったのは、カイザーが彼の母親から貰ったハンカチだ。 彼はまだ幼くて表には出せなくても、亡くなった母親を今も想っていたのだろう。 そして、カイザーは皇妃を「姉君」と呼び、彼女からのハンカチが欲しいと言っていた。(本当に人の心を捉える天才だな⋯⋯モニカ・マルテキーズ) 彼女は花が好きなように見えたので外にガーデンテーブルを設置して、そこで朝食を一緒にとる事にした。 しばらくして、現れた彼女は真っ白なシンプルなワンピースを着ていた。 俺と食事をする女は皆、朝
目を開けると陛下が心配そうに私のことを覗き見ていた。 背中にベッドの柔らかさを感じて、周りを見渡すと自分の部屋だと分かる。(私、倒れたの?)「陛下、申し訳ございません。私が無理を言って出席させて頂いたのにご迷惑をお掛けしました」「いや、俺の方こそ⋯⋯すまなかった」 陛下は何に対して謝っているのだろう。(雌犬とか、悪魔とか言われたような気がするけれど⋯⋯何がいけなかったのかしら⋯⋯)「私の方こそバラルデール帝国について不勉強でした。ダンスの誘いは受けるべきではなかったのですね」「いや、君は間違ってない⋯⋯俺が勝手にイライラしていただけだ」 陛下はお母様を亡くされたばかりだ。 私は部屋にいるように彼から言われたのに、自分の我儘を通した。(こんな私では、また捨てられてしまうかも⋯⋯) 私が落ち込んで黙りこくっていると、陛下が私の髪に手を伸ばして撫でてきた。 私は昔から髪を撫でられのが好きで、思わず目を瞑りその優しい感触に身を委ねた。(前世が犬だったからから、撫でられるのが気持ち良いのかも)「その何かお詫びをさせてくれないか? 欲しいものとかあれば言ってくれ」「お食事を⋯⋯陛下とお食事を一緒にしたいです」 私は少しでも陛下と一緒にいる機会が欲しくて提案した。「分かった。明日から一緒に食事をしよう。今日はもう遅い⋯⋯体を休める為にも眠った方が良い」「はい。明日が来るのが楽しみです。おやすみなさい陛下」 心なしか陛下が優しい顔をしていて、私は安心した。 ふと目が覚める。 遠くに夜行性の梟が鳴いている声がしたのでまだ、朝にはなっていないだろう。 カーテンを開けるとまだ夜明け前だった。 眠り続ける生活を過ごした反動か、体が冴えている気がする。(もしかして、全快した?) 私は立ち上がり、そっとクローゼットを開けて淡いピンクの軽めのワンピースを着た。 (よし、お散歩に行こう!) 私がしょっちゅうお散歩
モニカ・マルテキーズはいつも俺を緊張させた。 淡い水色のロングドレスで現れた彼女は誰にも見せたくないくらい美しかった。 ゴテゴテと宝飾品で着飾り、自分たちを少しでも美しく見せようと必死な貴族令嬢たちが滑稽に見えた。 皇妃の艶やかなプラチナブロンドの髪が、ステップを踏むたびに揺れてキラキラ揺れて見惚れた。 大勢の人間が舞踏会会場にいるのに、俺には彼女しか見えなかった。 俺にそっと体を預けながら踊る彼女を愛おしく思った。 しかし、そんな夢のような気分に浸れたのは束の間だった。 俺とのダンスが終わるなり、彼女は他の男と連続して踊り出した。 体をくっつけて、見つめあって、まるで恋人同志のようだ。 彼女はそうやって相手を誤解させて、籠絡する天才なのだろう。(俺も危うく騙されるとろだった⋯⋯) そして、カイザーに何か声を掛けたかと思うと、よりによってレイモンド・プルメル公爵の息子ジョージア・プルメル公子と舞踏会会場を出ていった。「皇妃殿下はプルメル公子と休憩室に向かわれたようです」 侍従が耳打ちしてきた言葉に脳が沸騰するのを感じた。 彼女はジョージア・プルメル公子を籠絡して、プルメル公爵家と結託し俺を貶めようとしているのではないだろうか。 直ぐにでも休憩室に向かいたいが、カイザーの挨拶を聞いてからにしようと思った。 いつもより、表情が暗いカイザーは徐に俺の隣に来た。「カイザー、5歳の誕生日おめでとう」「兄上、今までご迷惑お掛けしました」(迷惑? なんのことだ?) カイザーの返しを不思議に思っていると、彼は徐に口を開き挨拶を始めた。「皆様、本日は僕の誕生日を祝いに来て頂きありがとうございます。僕は5歳になりました。僕は罪人の息子です。その責を負って僕は皇位継承権を放棄する事をここに宣言します」 周りがカイザーの思っても見なかった宣言に騒ぎ出す。(皇位継承権を放棄するだと?) 俺は彼に彼の母親エステラ
「どうぞ、お座りください。今、紅茶を淹れますね」 ジョージア・プルメル公子に案内されたのは、広い応接室のような場所だった。 壁にパラルデール帝国の歴代皇帝の肖像画が飾ってあって、置いてある調度品も一目で一流のものと分かる。 (このような場所で対応をするのは国賓級の方なはずだわ⋯⋯)「私を訪ねてきた遠方からの来客とはどなたでしょうか?」 私は不安で仕方がなかった。 私はバラルデール帝国に来てから、1度も父や兄に便りを送っていない。(私が死んでも良い⋯⋯そんな風に捨てた人たちとはもう関わりたくない)「あれは、嘘です。ただ、皇妃殿下が今日まで意識が戻らなかったと聞いていたので、体調が心配になりお休みになって欲しかっただけです」 思わず安堵のため息が漏れた。 そして、初対面の私に親切にしてくれたジョージア・プルメル公子に好感を持った。 よく考えればマルテキーズ王国から帝国まで片道2ヶ月も掛かるのだから、父や兄がここまで来ていることはありえない。「お気遣いありがとうございます。ジョージア・プルメル公子⋯⋯」「僕のことはジョージとお呼びくだい。僕は皇妃殿下の臣下です」 私はとても温かい気持ちになった。 彼の父親のレイモンド・プルメル公爵は曲者だと聞いていたが、息子さんはお優しい方のようだ。「ジョージ⋯⋯私のこともモニカと呼んでください。臣下だなんて⋯⋯私はバラルデール帝国のことは勉強不足で貴方から学びたいことが沢山あります」「モニカ⋯⋯可愛い名前ですね」「ありがとうございます」 急にジョージが私の言葉に吹き出したので、何事かと思った。「申し訳ございません⋯⋯実は今日、モニカがありがとうございますを連発しているのが少しおかしくて⋯⋯」「えっ? そんな⋯⋯恥ずかしいです」 私は「母がつけてくれた名前を褒められて嬉しい」と返せばよかったと後悔した。 それにしても、オーケストラの演奏の中ダンスをしている会話を聞かれているとは思わなかった。