悪役令嬢に転生したけど、追放された先で精霊王に溺愛されました

悪役令嬢に転生したけど、追放された先で精霊王に溺愛されました

last update最終更新日 : 2025-11-07
作家:  吟色連載中
言語: Japanese
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概要

ラブコメ

異世界ファンタジー

アクション

聖女

巫女

歪んだ関係

ざまぁ

王太子との婚約破棄を宣告されたその日、エリカは悟る。――ここは前世で読んだ乙女ゲームの世界、そして自分は“悪役令嬢”だと。罪をでっち上げられ、家からも切り捨てられた彼女は、微笑み一つで裁きを受け入れる。「殿下の物語を汚さぬよう、私が退場いたします」――そう告げて追放された彼女を待っていたのは、誰も近づけぬ“精霊王の森”。そこで彼女だけが選ばれ、世界の理を覆す力と、真実の愛に出会う。脚本を壊す悪役令嬢の逆転譚、ここに開幕。

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第1話

婚約破棄の法廷 ―脚本を壊す悪役令嬢―

――本日、王太子殿下は婚約の破棄を宣言される。

高らかな宣告が、王城の大広間に反響した。磨かれた大理石は冷え、天窓からの光は聖堂じみて白かった。けれど、その光は鎖のように重く、私の足首に絡みつく。

(知っている。この光景は、前世で読んだ乙女ゲームの断罪イベント――

 そして私は、悪役令嬢の役名でここに立っている)

「エリカ・ヴァレンティーナ公爵令嬢」

玉座前の壇上に立つレオンハルト殿下が、よく通る声で私の名を切り取った。金の髪が揺れ、勝者の微笑みが群衆の期待を照らす。

「王家婚約条章・第十二条に基づき、汝は王家の威信を損ね、国益に疑義を生じさせた。ゆえに、ここに婚約を破棄する」

ざわ、という群衆の息が、床を這う。聖職者が並ぶ右手側で、枢機卿ヴァルターが細い目をさらに細くし、薄く笑った。左手側では貴婦人たちが扇を揺らし、囁きが矢のように飛ぶ。

「殿下、どうかお慈悲を……!」

白い聖衣に金の縁取り。偽りの可憐さをまとった“聖女”アリシアが、舞台の台本通りに涙を零す。頬に一筋、完璧な角度の滴。

「わたくし、耐えておりました。ですが、エリカ様は……わたくしの祈りを嘲り、侍女たちに命じて――」

「聖女を泣かせる者は、神を泣かせる者に等しい」

ヴァルターはため息交じりに、しかしよく響く声で言う。「異端は芽のうちに摘むべきですな」

「悪役令嬢だって」「やっぱり噂通り」「怖い」――

傍聴席のさざめきは、台本通り。前世の私は、こういう場面をページの外から眺めて、登場人物に憤り、そして閉じた本を忘れた。

けど今は違う。これはもう、誰かの脚本じゃない。

私は一歩、前に出た。裾が光を弾き、足音が静かに広間に落ちる。

「王太子殿下。証拠はありますか?」

空気が、きゅっと締まる。アリシアは涙の角度を保ったまま私を見る。ヴァルターの扇笑が、わずかに止まった。

「……何だと?」

レオンハルトの青い瞳が揺れる。

「条章第十二条は、“国益に疑義”の認定に、教会証言と貴族院承認を必要とします。証拠は、どちらに?」

群衆のざわめきが、一瞬だけ吸い込まれる。

(怯えない。もう、怯える役は終わった)

「証拠なら、ここに“聖女の涙”がある!」

アリシアを庇うように、誰かが叫ぶ。やさしく、しかしあまりに都合のよい台詞。

「それは、あなたの物語の小道具でしょう」

私は微笑んだ。「法律ではありません」

静寂。玉座の前で、レオンハルトの顔から勝者の余裕が一滴だけ落ちる。彼はすぐに取り繕い、言葉を重ねた。

「エリカ、君の気位は立派だ。しかし、民心は聖女を求めている。君のように冷酷な令嬢は――」

「冷酷?」

言葉が私の舌で転がり、すぐに止まる。

(冷酷、ね。なら、私はどう見えている?)

私は視線を右手へ滑らせた。そこには父――ディラン公爵がいる。灰色の瞳は泳ぎ、手には家の印章。

父は口を開かない。開けない。

机上の羊皮紙に、彼の印章がゆっくりと傾き、そして――押された。

乾いた音。私の胸のどこかが、音もなく沈む。

(わかってる。父は家を守らなきゃいけない。私一人を切れば、たくさんが助かると、信じたいのね)

(だから――私は、あなたを責めない。責めない代わりに、二度と頼らない)

私は薬指の指輪を外した。

ゆっくりと。広間の光を受けて、銀が一度だけ白く瞬く。

スローモーションのなかで、群衆の息が揃うのがわかる。

「理解しました」

自分の声は、驚くほど澄んでいた。

私は殿下へと向き直り、うやうやしく一礼する。

「殿下の“物語”を汚さぬよう、私が退場いたします」

ざわっ、と大広間が燃え上がる。罵りも嘲笑も混じる、あの雑音。

不思議と、怖くなかった。

(もう誰の脚本にも縛られない。――私は、私の物語を生きる)

「待て、まだ話は――」

レオンハルトが声を荒げかけた瞬間、ヴァルターが袖を引く。彼らの目は、私ではなく群衆と“体面”を見ていた。

私は振り返らずに歩く。

裾が白い羽のように舞い、靴音が大理石に点を刻む。

背後で、アリシアの嗚咽は舞台じみて遠い。

「連行しろ」

命じる声。

茶の髪の騎士――ルークが、私の腕を粗く掴む。「行くぞ、悪役令嬢さま」

その隣で、短剣を弄ぶマーカスがにやつく。「泣かないのか? つまらねぇ女だ」

「泣く相手は、選ぶものよ」

私は二人を見ずに答えた。

扉が開く。外気が流れ込む。王城の香油と花の匂いではない、現実の街の匂い。石畳の向こう、遠くに雲がゆっくりと流れている。

広間の最後尾、父が動いた気配がした。けれど振り向かない。

振り向かない代わりに、心の中でだけ短く告げる。

(さよなら。お父さま)

***

車輪が石を噛み、馬車がぎし、と軋む。

窓は閉ざされ、薄暗い内部に私の呼吸だけがある。

膝の上で、指輪の跡が白い。そこに重さが、もうない。

(前世の私は、こんな理不尽を画面越しに見て、憤って、やがて忘れた。

 でも今の私は、忘れないために生きる)

「神も運命も、関係ないわ」

誰もいない箱の中で、私は小さく呟く。

「私を裁けるのは、私だけ」

馬車が王都の門をくぐる。冷たい風が、針のように頬を刺した。

門兵の視線が、汚れのように滑り落ちていく。

門の外は、雲の色に似た世界。遠くに、薄い霧の帯が見えていた。

(霧――?)

風が、窓の隙間から忍び込む。ひとひらの冷たさが首筋を撫で、耳元で、誰かが囁いた。

――こちらへ。

女でも男でもない、名前のない声。

優しく、けれど抗いがたい呼び声。

私は瞼を閉じ、一つ息を吐いた。

怖さは、不思議とない。むしろ、胸の奥で微かな熱が灯る。

(行く。もう、終わらせない)

馬車は石畳を離れ、土の道に入る。軋みが深くなり、車体が揺れるたび、過去が少しずつ剥がれていく気がした。

こうして私は、乙女ゲームの悪役令嬢として追放された。

――けれどこの物語、まだ終わらせない。

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last update最終更新日 : 2025-10-08
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追放路 ―物語の外へ―
夜が明けきらない空の下、王都の外れに馬車だけが置き去りにされていた。御者台には誰もいない。戸板は開いたまま、冷たい風が布張りの座席を撫でていく。石の街道に靴底を下ろすと、薄霧が足首のあたりでほどけた。(ゲームでは、ここで“死亡エンド”だった。 けれど私は、終わらせない)門の方を振り返らない。振り返れば、きっと弱くなる。街道は北へ延び、畑はまだ眠っている。鳥の声はなく、遠くで誰かが薪を割る音が一度だけした。私はフードをかぶり、歩き出す。靴音だけが、世界の音になった。やがて、雨が落ちてきた。最初の一滴は不意打ちだったが、すぐに粒が増え、薄墨色の朝を細かく刺す。私は並木の一本、太い根の陰に身を寄せる。濡れた樹皮の匂い。指先がかじかむ。胸の内のどこかが、遅れてきしんだ。(泣く相手は選ぶものよ――そう言ったくせに、私は、誰のために泣いたの?)父の横顔が脳裏に差し込む。灰色の瞳は泳ぎ、沈黙は石のように重かった。印章を押す手――あのとき、確かに震えていた。家を守るために娘を切る、その理屈が正しいと信じたい父の手が。それでも、紙は濡れず、判は俯く私の最後を押し固めた。(責めない。責めない代わりに、二度と頼らない)雨脚が強くなる。裾が冷え、その冷えが骨に入る。視界が少し滲んだ。涙か、雨か、自分でも判然としない。私は膝を抱えて座り込み、額を腕に預けた。前世の断片が、雨粒の間に割って入る。――長机の上には、案件のファイルが積み上がっていた。「今回はエリカさんの落ち度ということで。みんなのために、ね」笑っている上司。私は笑って頷いた。皆が助かるなら、と。夜の社内で、蛍光灯の音だけが響いていた。帰り道、コンビニのガラスに映った顔は、知らない人みたいに白かった。(あの頃と同じ。逃げたくても逃げられない“役割”。 ――なら、私が役を選ぶ)私はゆっくり立ち上がった。濡れたドレスが重い。けれど足は、もう前を向いている。呼吸を整えて、ひとつ吐く。「逃げない。もう、逃げる物語なんて要らない」雨は少し弱まった。枝葉から雫が落ちる音が規則正しく続く。その規則に、ふい、と異物が混ざった。からん。鈴のような、金属でも氷でもない、澄んだ音が、遠くで一度だけ鳴った。顔を上げる。霧が濃い。並木の向こう、見慣れた田畑の輪郭が薄紙の向こう側みたいにぼやける
last update最終更新日 : 2025-10-08
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禁域の森 ―精霊たちの囁き
霧の白が、足元でほどけては結び直される。光の粒で描かれた道は、畑の終わりで途切れず、そのまま林へ溶け込んでいた。一本、二本――並木を越えるたび、空気の味が変わる。冷たかったはずの風が、喉の奥で甘い。(ここは……“生きている”)葉は夜露を払い、青銀に光る。触れてもいないのに、枝がするりと避け、私の肩に当たらない。花弁は足音に合わせて開き、音もなく閉じる。雨雲の切れ間から差す光が、霧の中で屈折し、空がわずかに歪んで見えた。からん――鈴の音が、背中ではなく前から聞こえた。歩を止めると、足元を小さな光が走り抜ける。砂粒ほどの輝きがいくつも生まれ、輪を描いて私の周囲を回り始めた。数が増える。冷たいはずの光が、肌の上でやさしい体温に変わる。――ヒトの子。――なぜここへ。――王の眠りを破る者。声が重なり、木立の間でこだまする。男でも女でもない、年齢すら感じさせない囁き。私は喉を鳴らし、胸の前で両手を重ねた。怖い。けれど、目は逸らさない。(ゲームでは、この先で“消える”。試され、拒まれ、跡形もなく。 ――でも、私は消えたくない)「……道が、ここに伸びていたの。呼ばれた気がしたのよ」返事はない。代わりに光の輪が速くなり、足元の草が、いっせいに身じろぎした。森の匂いが一段深くなり、遠くで木が軋む。空気の密度が変わり、耳の奥がきゅっと詰まる。次の瞬間、すべての光が消えた。音が――雨も、風も、私の呼吸すら――一拍、遅れて戻ってくる。暗さではない。黒さが満ちる。霧は白なのに、視界が黒く塗られていく気がした。足首に、何かが触れた。煙の腕のような冷たいものが、するり、と絡みつく。――ヒトは裏切る。――奪う。壊す。――去れ。ここは汝の世界ではない。低い、重い響き。幾千もの嘆きが、ひとつの声に束ねられている。膝が勝手に震えた。心臓が早足で走り、手のひらの汗が冷える。「っ……!」逃げたい。背を向けて――でも、ここで背を向けたら、私はきっと、もう二度と前を向けない。(ここで消えるなら、私の意志で。――誰の台本でもなく)私はうつむかず、黒い霧を睨んだ。喉が乾く。けれど、声は出た。「奪わない。壊さない。……それでも、生きたい。私を、見て!」霧の腕が、ぴたりと止まる。静寂。やがて黒さが薄くなり、ひとつだけ光が戻ってきた。砂粒より大きい、豆
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精霊王 ―白き契約―
霧が薄くほどけ、森の奥に静止した水面が現れた。湖――と呼ぶには、風がなさすぎる。鏡のような平らさは、空と地の境目を消し、私の立っている場所が上下どちらなのかさえ曖昧にする。空気は澄みすぎて、吸い込むたびに胸の奥がきゅっと痛い。(金の羽根……)前話のあの羽根と同じ光が、霧の中からはらはらと降る。触れれば溶ける雪のように消え、代わりに温度だけが肌へ残る。湖の中央に、淡い光柱が立ち上がった。そこだけ世界が息を潜めている。鳥の声も、葉擦れも、私の鼓動でさえ小さくなる。私は湖畔へ進む。足元の草は踏まれても折れず、靴の裏から静かな温かさがじんわり昇ってくる。水際で立ち止まると、鏡の下にもう一つの私が立っていた。微かに遅れて動くその影に、思わず指を伸ばしかけ――光柱が、脈打った。水が鳴る。波紋は外へではなく、内へ、ひとつ、ふたつ、と吸い込まれていく。不意に、そこに「輪郭」が生まれた。最初は人の形を真似た光の塊。やがて白が髪になり、白が衣になり、白が肌の境目を描く。金でも銀でもない、“光”そのものを束ねて形にしたような色。瞳は透明に近い蒼――覗かれれば、自分の嘘が全部、静かに浮かぶ気がした。私は息を呑んだ。膝がわずかに震える。この存在の前では、呼吸することさえ罪のよう。彼は、こちらを一度も見ずに、世界のどこか別の場所を確かめるように視線を巡らせ、それから私に焦点を合わせた。光柱が細り、静寂が濃くなる。そして、声が落ちた。低く、美しく、森そのものが言葉を選んだみたいな声で。「名を……呼んでみろ。お前の声で、世界が揺れるか、確かめたい」名。理解より先に、喉が鳴る。自分でも驚くほど自然に、音が形を得た。「……ルシフェル」波紋が走った。けれどそれは水面で広がらず、逆に私の足元から浮き上がる。重力が一瞬だけ方向を忘れ、水が小さな雫になって宙に持ち上がる。その雫一粒ずつに、金の羽根の反射が宿る。彼はほんの少し、目を細めた。微笑みにも見えた。「ヒトの娘よ。お前は“生きたい”と言った」声は私の背骨を伝って胸に落ちる。「だが、生きるとは奪うことでもある。空気も、水も、誰かの時間も、居場所も。――それでも、俺に名を呼ばせるか?」(奪う、か)雨の石畳と、城の大広間と、蛍光灯の白。私の中に積もっている“奪われたもの”が、一瞬で数え切れないほどの形に分かれる
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試練の森 ―揺らぐ庇護―
夜が明けた。霧はほどけ、昨夜まで神の息遣いで満たされていた湖は跡形もない。ただ、湿った草と黒土の匂いだけが残り、森は深い静けさを取り戻していた。手の甲の“白い羽”が、鼓動と同じ拍で淡く瞬く。脈に合わせて、皮膚の下で小さく光が震え、私という輪郭の内側を確かめるみたいに広がっては収まる。「その紋が燃える時、お前の心が嘘をついた証だ」すぐそばで、低い声。振り向けば、光の気配を羽織った男――精霊王ルシフェルが、朝の冷気を歪ませるように立っていた。白い髪は光を持ち、瞳の蒼は澄みすぎて、見る者の曇りを逃がさない。私は紋に視線を落とし、そっと笑う。「なら、燃やさないように生きるわ」ルシフェルの口角が微かに上がる。彼は何も言わず、歩き出した。私はその半歩後ろに並ぶ。並んだだけで、森の空気が変わる。枝が当たらない。棘が引っ込む。風が、進むべき道を撫でつける。「この森、あなたの気分に合わせて道ができるのね」「森は俺に従うが、好き勝手はしない。お前が選ぶ向きに、ただ障りを退けるだけだ」「それを世間では“好き勝手”って言うのよ」やりとりのあいだにも、羽の紋は淡く脈を刻む。生きている。歩幅に合わせて、私の“生”が確かに加速していく。しばらく進むと、空気の味が変わった。湿りが重くなり、わずかに鉄の匂いが混じる。葉の裏に張り付いた冷気が、肌の表面を指でなぞるように滑っていく。「……黒霧」森の奥、地平の低いところで、白い霧の中に“黒”が混ざった。煙の腕が地表を舐め、木々の根元を縫い、こちらの足跡を嗅ぐ獣のように形を探している。ルシフェルが片手を持ち上げた。光が手のひらにわだかまり、ひと息で森ごと祓い清められそうな、冷たい“絶対”が生まれる。私は、その腕の前に一歩出た。「大丈夫。もう、守られるだけの私じゃない」瞳が合う。蒼が一拍だけ深くなり――やがて、彼は手を下ろした。許可でも、賛同でもない。“見届ける”という選択。黒霧が凝り、輪郭を得る。四肢が生え、背が盛り上がり、筆で塗り潰したような黒い獣が姿を取った。目はないのに、こちらを正確に見ている。毛皮は風を吸わず、足音も落ちない。闇の精霊の残滓――この森の忌みが固まったもの。喉の奥で、羽の紋が熱を帯びた。鼓動が速くなる。脈動に合わせて、熱が指先へ流れていく。(――火)呼びかける言葉より先に、熱
last update最終更新日 : 2025-10-11
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夜を照らす炎 ―禁域の聖女―
夜の森は、しんと静かだった。風は弱く、葉は眠っている。暗さは深いのに、怖さはない。手のひらの“赤い花”が、弱い明かりのように脈を打っているからだ。花弁は四枚。呼吸に合わせて、ふっと明滅する。昨日、火の精霊がくれた印。痛みはもう薄い。ただ、温かさだけが残っている。背後から、低い声がした。「その花は、お前が失わぬための“記録”だ。命も想いも、燃やせば消える。だが、灯せば伝わる」ルシフェルが近くに立っていた。白い髪が夜の光を集め、蒼い瞳は静かだ。「……なら、私は灯す側でいたい」そう言うと、彼はわずかに目を細めた。肯定とも否定とも言わない。けれど、その沈黙は、私の選び方を見守る沈黙だ。小さな虫の声がして、森の夜はまた落ち着く。そのとき――遠くで、風が人の声を運んできた。「……助けて!」かすれた叫び。子どもの泣き声。誰かの怒鳴り声。私は思わず顔を上げる。ルシフェルが眉を寄せる。「禁域の外……人間どもがいる」「助けに行かなくちゃ」「関わるな。人は、救われたあとで牙を剥く生き物だ」一瞬だけ、胸が痛んだ。けれど、迷いは長く続かない。「それでも、見捨てる理由にはならない!」私は走った。草がひざ下で柔らかくほどける。枝は避け、石は足裏で丸く転がる。背後の気配が遠のき、夜の匂いが濃くなる。心臓の拍と、手の花の拍が、同じリズムで速くなった。森が開ける。夜露を含んだ野原。倒れた馬車、散らばる荷。男たちが剣を構え、親子が必死に逃げている。火はない。けれど、顔の影は荒く、目は追い詰められている。私は息を整え、手を上げた。赤い花がぱっと明るくなり、焔の蝶がいくつも生まれる。蝶は羽ばたかない。ふわりと浮き、家族の周りに輪を作る。「下がって!」蝶がひとひら、地面に落ちた。ぽうっと赤い円が広がり、薄い膜のような炎が立ち上がる。熱いのに、刺さらない。髪も服も焦げない。ただ、冷たさや恐怖だけを外へ押し出す。男たちが止まる。「なんだ……? 火だと……?」「囲まれてる!」円の外へ踏み出そうとした足が、勝手に止まる。炎は奪わない。けれど、近づく手だけはやさしく拒む。刃の先がわずかに震え、男たちは互いに顔を見合わせた。結界の中、少年が私を見上げて言った。「……女神さま?」私は首を振る。「女神じゃないわ。あなたと同じ、人間」少年はま
last update最終更新日 : 2025-10-12
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祈りの噂 ―王国、揺らぐ―
朝の鐘が、王都ルクシアの屋根をまたいで転がっていく。市場の露店では、パンの湯気と塩魚の匂いのあいだを、噂が駆けた。「見たか、北の空の光柱を」「禁域の森だってよ」「燃えなかったんだ、火なのに」「聖女様が現れたんだ」「いや、魔だ。あんなもの、神のものじゃない」白い石畳を渡って、大聖堂の扉が開く。灰金の髪を背で束ねた司祭セレノが、静かに回廊を進んだ。笑みは薄い、瞳は冷ややかだ。「報告を」侍者が膝をつく。「北の禁域上に光柱。炎は人を焼かず、盗賊を退け、親子を救ったとのことです」セレノはひとつ瞬きし、祭壇の燭台へ視線を移した。「禁域は神の領域。人が踏み入れば、それだけで罪。まして“女”が火を操ったと?」低い呟きに、回廊の空気がわずかに冷える。そこへ、鎧音が近づいた。紺の外套を肩に掛けた若い騎士が一礼する。「王国騎士隊・リオン。北方巡邏の隊からの聞き取りにて、光を見た者が複数おります。……炎は、人を焼かずに守った、と」「守る火、か」セレノの口角だけが柔らかく動く。「それが神の火でないのなら、なお悪い」「異端審問所に通達を」会議室。ステンドグラス越しの朝が、長机に色を落とす。セレノが淡々と言い、司祭たちがざわめきを飲み込む。「神の火は、誰の手にも宿らぬ。宿ったなら、それは神への冒涜だ。――禁域の“女”を調査し、排除せよ」「お待ちください」ひとり立ったのは、先ほどの騎士リオンだった。「見た者は口々に“救い”を語っていました。誰も傷ついていない。ならば――救いを禁ずるのですか?」会議室の空気が揺れ、視線が一斉に彼へ刺さる。セレノは微笑を崩さぬまま、指先で祈りの印を結んだ。「神の御心以外の救いは、すべて異端だ。騎士殿、あなたの情は理解する。しかし秩序は情の上に成り立たない」リオンは唇を噛み、胸に手を当てて一礼する。「……了解しました」森の朝は、焚き火の匂いがする。薄い布を丁寧にたたみながら、私は昨夜の少年の笑顔を思い出していた。赤い花は、手のひらで小さく呼吸を刻む。頭上の枝に、白い影が降りてくる。「昨夜の光は、王国まで届いた」ルシフェルの声は静かだ。葉の影が、その輪郭を柔らかく縁取る。「人の噂は風より速い。お前の優しさも、やがて歪められる」「噂は止められない」私は布を結わえ、顔を上げる。「でも、私の“目の前の人”は選べ
last update最終更新日 : 2025-10-13
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邂逅の森 ―刃と祈り―
夜明け前の霧が、木々の根元に薄くたまっていた。金属のかすかな触れ合う音が、森に入ってくる。「列を崩すな。踏み跡を見失うな」低い号令。教会の紋章をつけた小隊が進む。先頭を行くのは、若い騎士リオンだった。「本当に“聖女”がいるんですか」後ろの兵が息を殺してささやく。「見ればわかる」リオンは短く返す。(噂の光。人を焼かずに照らした火――それが罪なら、この世界はどれだけ暗くなれば気が済む)枝がざわざわと騒ぎ、空気が沈む。森が侵入を嫌がっている。兵が顔をしかめる。「……進みにくい」「戻るな。禁域は怖い顔をするだけだ」リオンは足を止めない。剣の鐺が霧をわずかに切った。⸻湖の跡は、朝露でしっとりしていた。私は革の水袋に水を汲み、口をしっかり縛る。手のひらの赤い花が、静かに明滅した。「来るぞ」木陰からルシフェルの声。「鉄の音と、祈りの匂いが混じっている」「……人?」私は顔を上げる。次の瞬間、空気がぴんと張った。矢が一本、霧の中を切って飛ぶ――はずだった。矢は途中で止まり、空中に静止する。羽根が微かに震えるだけで、先へ進まない。ルシフェルが片手をわずかに上げた。「俺の領域で、矢が風を裂くことは許されない」霧が割れ、鎧の列が姿を現す。先頭の騎士がヘルムを上げ、まっすぐこちらを見た。灰色の瞳。落ち着いた声。「……あなたが“禁域の火”か」「私のことなら、ただの人間よ」私は一歩前に出る。「誰も焼いていない。誰も、傷つけていない」騎士は短く息をつき、名乗った。「王国騎士、リオン。命により、禁域の異端を確認に来た」「異端、ね」私は苦笑する。「あなたたちの言葉だと、そうなるのかもしれない」「お前が光を放ったことで、人は神を疑い始めた」リオンは視線を逸らさない。「救いであっても、秩序を壊すことがある」「壊れるなら、それは“壊れやすかった秩序”じゃない?」言いかけたとき、列の後ろで短い叫びが起きた。「距離を取れ! 炎弾、放つ!」若い兵が焦って杖を構え、火花が走る。赤い球がこちらへ真っ直ぐ――空気が反転した。熱はすぐ冷え、火は氷のように固まって、ガラス玉みたいに宙で停止する。森の音が一度に消えた。鳥も、葉も、風も。ルシフェルの瞳が、金に光る。「――神に刃を向けること。それが“祈り”か?」兵の手から武器がぱきりと割
last update最終更新日 : 2025-10-14
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神の涙 ―祈りの罪―
朝ではないのに、鐘が鳴っていた。王都ルクシアの大聖堂。薄暗い回廊に、祈りの声が重なる。「……報告を」祭壇前で跪いていた司祭セレノが、ゆっくり顔を上げる。侍者が膝をついた。「討伐部隊、全滅は免れましたが撤退。対象の確保、ならず。――王国騎士リオンが独断で接触を中断したとのことです」セレノは一度まばたきし、燭台の火を見た。「救いを選んだ者は、すなわち神を裏切った者だ」侍者が息をのむ。「司祭様……」「命令を作り直す。文言は簡潔に」セレノは羽根ペンを持ち、紙にさらさらと記す。「――“異端の火を抹消せよ”。これを正式発表する。“災厄の源”だ」扉の影に、青い外套の騎士が立っていた。リオンだ。声をかけた侍祭が小声で告げる。「……監察局が、あなたの行動を記録すると」「わかった」リオンは短く答え、視線だけ北へ向けた。(討つ理由は、まだ見えない。それでも刃を上げろと言うなら――俺は、何を見る?)⸻森に雨が降っていた。ぽつ、ぽつ、と葉に落ちる音が小屋根みたいに頭上で続く。私は焚き火の周りに石を寄せ、火が濡れないよう囲いを作る。赤い花の印が手のひらで小さく明滅した。暖かい。怖くない。「風向きが変わった」枝に腰かけたルシフェルが、雨越しに空を見ていた。「王都が騒がしい」「また、人が来るの?」私は火に細い枝を足しながら聞く。「ああ。だが、今回は“祈り”の形で来る」「……祈り?」思わず顔を上げる。「願い、みたいな?」「形ある願いだ。言葉と数と息を揃え、現実に重さをかける。人はそれを祈りと呼ぶ。使い方を誤れば、呪いと同じだ」「誰かを救うための言葉が、誰かを傷つける?」「珍しくない」ルシフェルは目を細め、雨の筋を見送った。「祈りは清らかである必要がない。ただ、強ければ届く」私は焚き火の火を見つめる。「強くて、優しい祈りは、ないのかな」「お前が昨夜灯した火は、たぶん、その類に近い」「なら、よかった」雨は少し大きくなった。匂いが変わる。土が深くなる。耳を澄ますと、遠くで別の音が混じった。低く、長く、揃った声。――異端を清めよ。神の名のもとに。私は肩をすくめた。「……聞こえる」「詠唱だ」ルシフェルの声は静かだ。「森の縁で、祈りを固定している」「ねえ、ルシフェル」私は立ち上がって、同じ高さに目線を合わせた。「あなたに
last update最終更新日 : 2025-10-15
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祈りの果て ―神討ちの詠唱―
鐘が、空の色を変えていく。王都の屋根の上で響きが重なり、夜はひび割れた硝子みたいに震えた。大聖堂の床に、長い影が伸びる。ステンドグラスの色が揺れ、祈る唇が同じ呼吸を刻む。司祭の白衣が波のように揺れて、低い声が中央に落ちた。「……神の名に、光を。正しさを。――討て」石と光のあいだで、誰かが小さく息を呑む。外の空に、薄い環がひとつ、目を開いた。回廊の端で、若い騎士が立ち止まる。リオンは額に手を当て、目を閉じる。耳の奥で、唱和が金属に変わった。「……これ、祈りって、言えるのか」声は風に混ざって消えた。彼はマントの留め具を握り直し、振り返らなかった。*森は、音を忘れかけていた。葉の上の露が重たく、枝の間に淡い赤がかかる。空の高みに、見慣れない輪――白い、冷たい、遠い。「上」私は指先で示す。喉の奥に、知らない味がする。木の根に背を預けていたルシフェルが、ゆっくり顔を上げた。蒼い瞳が、輪の縁をなぞる。焦点は合っているのに、どこも見ていないような目。「……呼んでいる。いや、こしらえてる」声が浅い。「“殺すため”の形を」私は息を吸う。葉の匂いの奥に、鉄が混ざる。「止められないの?」彼は首を横に振るでもなく、肩の力を抜いた。「もう……道が、できた。昨夜、あの……」言葉は途中でほどけて、指先が掌の花を探した。「涙のこと?」私は、手のひらの赤い花を見せる。小さく、呼吸で揺れる。ルシフェルは、視線だけで頷いた。「届いてしまう。遠い声まで。……嬉しいのか、怖いのか、わからない」上空の輪が、ひと息で広がる。森の影が薄くなり、苔が白く光る。遠くで、鐘の音がまた一つ。風は吹いていないのに、葉が逆向きに撫でられる。「くる」彼の声が硬くなる。「痛む前に、済ませたい」「戦うの?」自分でも驚くほど、声が静かだった。「……守るだけ」ルシフェルは立ち上がり、片手を空へ。もう片手を地へ。その仕草で、森が止まった。鳥の羽ばたきが宙でほどけ、露が落ちる途中で忘れられる。音が無くなる。私の鼓動だけが、近い。「ここまで」彼の声は低いけれど、端がやさしい。「この地に生きる命を先に――」言葉の続きは、空の輪に飲まれた。白が濃く、夜の皮膚がめくれる。光の糸が数千本、雨みたいに降りてきて、森に触れようとして――止まった。空間が、指
last update最終更新日 : 2025-10-17
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