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第47話: 何も聞かずに、そばにいる人

Auteur: Sunny
last update Date de publication: 2026-08-12 07:22:28

翌朝。

港町は、昨日までの慌ただしさが嘘のように静かだった。

漁船がゆっくり沖へ向かい、海鳥が低く旋回している。

店の窓を開けると、潮の香りが店内へ流れ込んだ。

「おはようございます。」

「おはよう、エマ。」

奏はいつも通りカウンターで豆を挽いていた。

昨日のことには触れない。

誰と会ったのかも。

展示会場で何があったのかも。

何も聞かない。

それが、この三年間ずっと変わらない奏だった。

開店準備を終えた頃、フェスティバル事務局の担当者が店へやって来た。

「朝倉さん、おはようございます。」

「おはようございます。」

担当者は嬉しそうに資料を広げる。

「昨日でかなり話が進みました。神崎財団だけじゃなく、モロー財団も正式に前向きです。この町では過去最大規模になるかもしれません。」

エマは静かに微笑んだ。

「そうなんですね。」

「朝倉さんの企画も注目されそうですよ。」

その瞬間だけ、笑顔が固くなる。

お願いだから。

話を大きくしないでほしい。

「私の企画というほどではありません。」

穏やかに首を振る。

「子どもたちのお手伝いをするだけですの
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    玲の言葉は、こちらが逃げようとしても追いついてくる。自分の感情を認めてからは。隠す気さえない。奏は。ずっと逆だった。三年間。エマが話さないことには触れない。聞かれたくないことを察すれば、それ以上踏み込まない。困っていれば助けるのに。見返りを求めたこともなかった。その距離に。エマは甘えてきた。「最近さ」奏が、静かに続ける。「ちょっと思うところがあって」嫌な予感がした。「神崎さんのことですか?」先に聞くと。奏は少し驚いたあと、笑った。「やっぱり、そこは分かるんだ」「……何となく」「別に、あの人が嫌いなわけじゃないよ」奏はテーブルへ手をつき、少しだけ視線を落とした。「ちゃんとしてる人だと思う。エマに無理やり何かする人でもなさそうだし」一度。言葉を選ぶように黙る。「でも、エマがあの人を見る時だけ、ちょっと違うから」心臓が。嫌な音を立てた。「違う?」「うん」「そんなことは――」「分かってる」遮る声は、穏やかだった。「エマ自身が気づいてないこともあると思う」違う。気づいている。だから。困っている。玲を見ると。八年間押し込めてきたものが、簡単に動く。昔の玲を知っている自分と。今の玲に惹かれ始めている朝倉エマが。時々。自分の中で区別できなくなる。「神崎さんが来ると、警戒してる」奏が言う。「でも、本当に嫌な人を見る顔じゃない」エマは答えられなかった。奏は。そんなエマを見て。少しだけ笑った。「だから、ちょっと焦った」「……奏さん?」「俺、たぶんずっと」そこで。奏は言葉を止めた。エマの肩が、僅かに固くなったことに気づいたのかもしれない。その先を。言わなかった。代わりに。「いや」小さく息を吐く。「今日は言わない」エマは黙って奏を見る。その横顔に。初めて。三年間、見ないふりをしてきたものが、はっきりと見えた気がした。奏はエマの過去を聞かない。恋人がいるのかと尋ねたこともない。誰かを好きになるつもりはないのかと、踏み込んできたこともない。ただ。ずっと近くにいた。その優しさの意味を。エマは知らなかったわけではない。気づかないふりをしていただけだ。「とりあえず」奏がこちらを見る。いつもの穏やかな笑顔へ戻っている。「一回、飯行かない?」告白

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    教室へ戻ると、玲はちょうど子どもたちの作品の紹介を受け終えたところだった。壁際には、乾燥を待つ水彩画が何枚も並んでいる。小林さんが一枚ずつ説明していたらしく、玲は最後の画用紙から視線を上げたところだった。「浜中さん、戻られたんですね」「ああ。そうだ、小林さん」浜中さんは先ほど分けておいたオイルスティックを取り出した。「これ、一つ教室にどうかと思って」小林さんが受け取るより先に。玲の目が、その画材へ向いた。「珍しいですね」声はいつもと変わらない。けれど、エマは反射的に足を止めた。「海外の知り合いにもらったんだけどね。僕じゃどうしようもないから」浜中さんは笑いながら小林さんへ手渡す。「へえ……」小林さんは太いスティックを手の中で転がした。「クレヨンではなさそうですね」「僕も最初そう思った」会話が自然に小林さんへ移る。今なら離れられる。エマは机の上に散らばった子どもたちの画用紙へ目を向けた。「私、こちらを片づけておきますね」そう言って、その場から離れようとした時だった。「浜中さんは、エマさんに使い方でも聞いていたんですか?」玲が、ごく自然に尋ねた。足が止まりそうになる。けれど。エマはそのまま一枚目の画用紙を手に取った。「いいえ」振り返り、穏やかに笑う。「私も見たことのない画材でしたので。教室へ寄付するのがいいのでは、とお話ししていただけです」嘘は。綺麗に出た。浜中さんが一瞬だけエマを見る。けれど、すぐに。「ああ、そうそう」いつもの調子で頷いた。「エマさんなら知ってるかなと思ったんだけどね」それ以上は言わない。約束どおりだった。「浜中さん、たまにこういう、みんながよく分からないものを持ってくるんですよ」小林さんが苦笑する。「でも、せっかくなので僕の方で使い方を調べておきます。子どもたちでも使えるものなら面白そうですし」「お願いします」エマは内心で息をついた。「そうですか」玲だけが。表情を変えなかった。視線がオイルスティックからエマへ移る。ほんの数秒。それから。「念のため、大きめのキャンバスもいくつか用意しておきましょうか」「キャンバスですか?」小林さんが聞き返す。「はい」玲は穏やかに答えた。「子どもたちが大きなものを描きたくなるかもしれませんし」そして。こち

  • 八年前に死んだ私と再会した彼が、今度こそ私を手放さない   第80話:安心して

    あの小さなスケッチ。名前さえ入れていない。十五分ほど、二人で並んで描いただけの猫。「お礼としては釣り合ってません」「僕にとっては釣り合ってる」「浜中さん」「気に入ってるんだよ、あれ」あまりにも朗らかに言われるから。強く断るのも馬鹿らしくなってくる。エマはもう一度、箱の中を見た。懐かしい。指が。身体が。使い方を覚えている。「……本当に使わないんですか」「僕が使ったら、たぶん画材に謝らないといけない」思わず笑ってしまった。「それなら……ありがとうございます」「決まり」浜中さんは満足そうに頷いた。「あとでエマさんの倉庫の前に運んでおくよ」「自分で運びます」「重いよ」確かに。顔料やメディウムまで含めれば、かなりの重量になる。「どうせ、あそこは誰も通らないでしょう。前に置いておくから、あとで中へ入れておけばいい」エマは少し迷ってから、頭を下げた。「ありがとうございます」「うん」浜中さんは箱を覗き込み、その中から一本だけ取り出した。「でも、一つくらい教室にも置いておこうかな」エマは太いオイルスティックを見る。子どもが使えば面白い線は出るだろう。けれど、普通のクレヨンとは扱いも保存方法も違う。「それでしたら、小林さんに珍しい画材としてお渡ししてはどうでしょうか」「ああ、それがいいね」絵画教室のオーナーである小林なら、子どもたちに使わせるか、教材として保管するかも判断できる。浜中は納得したように一本を別へ分けた。「じゃあ、小林さんに説明しておくよ」「お願いします」エマはほっとして答えた。自分が説明すれば。また余計なことまで話してしまいそうだった。***二人は再び教室へ戻るため、建物の外階段を上った。鉄製の階段は日差しを受けて熱を持ち、足元から乾いた音が響く。浜中さんが先を歩き。エマが、その少し後ろをついていく。数段上ったところで。ふと思い出した。「あ、でも浜中さん」「ん?」浜中さんが振り返る。「さっきの画材のことなんですけど」「うん」エマは少しだけ声を落とした。「私が使い方を知っていることは、触れないでください」浜中は数秒。エマを見た。どうして、と聞かれるかと思った。けれど。やはり、この人は聞かなかった。「ああ」何か納得したように頷く。「なんとなくエマさ

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