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Sunnyの小説

全てを奪われた私が、復讐の共犯者と会社を壊すまで

全てを奪われた私が、復讐の共犯者と会社を壊すまで

溺愛スカッと甘々後悔復讐裏切り元カレ隠し身分独占欲
婚約発表のその日、 私は恋人と親友にすべてを奪われた。 三年付き合った恋人は、 私の成果で昇進しながら—— 隣に立っていたのは、私ではなく親友だった。 さらに私は、“関係を壊した側”として切り捨てられ、 地方の「あひるの支社」へと左遷される。 恋も、仕事も、居場所も失った。 ——けれど、それで終わりじゃない。 消されたはずの記録。 改ざんされたデータ。 そして、出張で東京に来ていた あひるの支社の代表・浅井拓真との出会い。 「それ、やっと気づいたんだ」 すべてを失った夜、私は“共犯者”を得る。 感情じゃない。 証拠で追い詰める。 奪われたのなら、取り返す。 これは、 会社と人生を懸けた復讐の物語。
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Chapter: 最終話:行ってきます
鍵を渡された日から、自然に。私と拓真は出発の準備をした。 早朝の羽田空港。まだ夜の名残を少しだけ残していた。高い天井。静かに響くアナウンス。行き交う人々の足音。大きなスーツケースを引く音が床を滑っていく。窓の外には何機もの飛行機が並び、その向こうの空はゆっくりと朝の色へ変わり始めていた。私は搭乗ゲート近くの椅子に座り、小さく息を吐く。手の中には搭乗券。足元にはスーツケース。そして隣には拓真がいる。それだけのことなのに、不思議な気持ちだった。少し前までの私は、こんな場所に座っている未来を想像できなかったから。婚約がなくなった日。すべてが終わったと思った。信じていたものが壊れて。積み上げてきた時間が消えて。頑張ってきた意味さえ分からなくなった。会社へ向かうだけで苦しかった朝もあった。未来を考えることが怖かった夜もあった。もう誰も好きになれないかもしれないと思ったこともある。あの頃の私は、自分がどこへ向かうのか分からなかった。だから今ここにいることが、少し不思議だった。「何考えてる」隣から低い声が落ちてくる。私は顔を上げた。拓真はペットボトルの水を片手に持ちながらこちらを見ていた。ラフなニットにジャケット。少し眠そうな顔。それなのに目元だけは柔らかい。会社では絶対に見せない表情だった。私は小さく笑う。「……不思議だなって思って」「何が」「こんな未来あると思ってなかったので」拓真は少しだけ黙った。それから窓の外へ視線を向ける。朝日に照らされた滑走路。ゆっくり動き始める飛行機。その景色を見ながら小さく笑った。「俺も」短い返事だった。でもそれが本音だと分かる。私たちはしばらく黙ったまま窓の外を見つめる。心地いい沈黙だった。何かを埋めるための会話はいらない。ただ隣にいるだけで安心できる。そんな関係になったことが、今でも少し信じられない。私はそっと肩を寄せた。すると拓真が何も言わず肩を抱く。自然だった。当たり前みたいに。気づけばその温度が私の帰る場所になっていた。アナウンスが流れる。ロサンゼルス行き搭乗開始の案内。周囲の人たちが立ち上がり始める。私は前を見た。これから両親に会う。拓真を紹介する。未来の話をする。少し緊張する。少し怖い。でも逃げたいとは思
最終更新日: 2026-06-03
Chapter: 第105話:未来の話
夜のリビングには、食後の穏やかな空気が流れていた。ダイニングテーブルの上には、食べ終わったテイクアウトの容器がいくつか並んでいる。飲みかけのワイングラス。半分だけ残ったサラダ。シンクでは食洗機の低い音が響いていた。仕事帰りに一緒に食事をして、ソファで少し話をする。そんな時間が最近の当たり前になっている。少し前の私なら信じられなかった。誰かと過ごす日常が、こんなにも心地いいなんて。私はソファに座りながらスマホを眺めた。通知欄には母からのメッセージ。未読が三件並んでいる。思わず小さく息を吐いた。その様子に気づいたのか、キッチンから拓真の声が飛んでくる。「何」コーヒーを淹れながら振り返る。私はスマホを持ち上げた。「母です」「ん?」「最近全然連絡返さないから、いつLA来るのって」その瞬間、拓真が少し笑った。「圧強いな」「母なんで」私もつられて笑う。昔から変わらない。気になったらすぐ連絡してくるし、返事がないと追撃もしてくる。けれどその笑いは途中で少しだけ止まった。LA。両親。拓真。頭の中でその言葉が自然につながる。以前なら考えられなかった。未来を想像すると、不安の方が先に来ていたから。でも今は違う。気づけば、その未来の中に拓真がいる。それが当たり前になり始めている。拓真は二人分のコーヒーを持って戻ってきた。隣に腰を下ろす。肩が軽く触れる。その距離が自然だった。「行く?」不意に落ちてきた声に私は顔を上げる。「……え?」「LA」低く穏やかな声。まるで来月どこかへ旅行に行くかを相談するみたいな口調だった。私は少しだけ目を瞬く。「……いいんですか」「何が」「その……」言葉を探す。少しだけ緊張した。「私の両親に会うの」部屋が静かになる。拓真はしばらく何も言わなかった。それからゆっくり目を細める。「愛海が嫌じゃないなら」低い声。真っ直ぐだった。「ちゃんと挨拶したい」胸の奥が熱くなる。重すぎない。でも軽くもない。その言葉にはちゃんと未来があった。私は少し笑う。「……じゃあ、そのうち行きましょうか」拓真も笑った。安心したように。嬉しそうに。「うん」短い返事だった。でも、その一文字だけで十分だった。しばらく沈黙が落ちる。居心地の悪い沈黙じゃない。
最終更新日: 2026-06-03
Chapter: 第104話:ここにいたい
夜のリビングは静かだった。テレビはついている。バラエティ番組らしい笑い声も流れている。けれど、二人ともほとんど見ていなかった。私は拓真の腕の中にいた。背中に回された腕。肩越しに伝わる体温。時折髪を撫でる指先。それだけで、不思議なくらい落ち着く。少し前までなら考えられなかった。誰かの腕の中で、こんなふうに安心する日が来るなんて。「今、めちゃくちゃ帰したくなくなった」耳元に落ちた声を思い出す。その言葉の余韻がまだ胸の奥に残っていた。私は小さく息を吐いた。すると頭の上から低い声が降ってくる。「愛海」「はい」拓真が少しだけ髪に顔を埋める。「今日、自分から帰りたくないって言った」どこか嬉しそうな声だった。私は思わず顔を熱くする。「……言いました」「うん」短い返事。でも、その一言だけで機嫌がいいのが分かる。少し前までの拓真なら、こんなことは隠していただろう。会社で見る彼はいつだって余裕があった。感情を見せない人だった。でも今は違う。私の前では驚くほど分かりやすい。「かなりやばい」「何がですか」そう聞くと、拓真が少し身体を離した。視線がぶつかる。近い。照明に照らされた瞳が柔らかく揺れている。「嬉しすぎる」真っ直ぐだった。飾りも冗談もない。ただの本音。その言葉に胸がぎゅっとなる。拓真は私の頬に手を添えた。親指がゆっくり肌を撫でる。優しいのに、妙に熱を持っている。私は無意識にその手へ頬を寄せた。すると拓真がふっと目を閉じる。まるで何かを耐えるみたいに。「……愛海」「え?」「最近、無自覚に煽るのやめて」思わず笑ってしまう。「煽ってません」「煽ってる」即答だった。その声が少し低い。私はまた笑う。すると拓真が腕を引き、私を引き寄せた。距離が縮まる。逃げられないほどじゃない。でも十分近い。「拓真」「ん?」「近いです」「知ってる」全然悪びれない。むしろ少し楽しそうだった。額にキスが落ちる。頬にも。鼻先にも。どれも優しくて、焦らすみたいにゆっくりだった。私は思わず目を閉じる。拓真が小さく笑った気配がした。「俺、ちゃんと待つって決めてるのに」「……」「愛海が近づいてくるから普通にしんどい」その声には困ったような響きが混じっていた。でも嫌そうじゃ
最終更新日: 2026-06-03
Chapter: 第103話:帰りたくない
夜のリビングには、テレビの音が小さく流れていた。何の番組だったかは覚えていない。画面の中では誰かが話していて、時々笑い声も聞こえる。けれど私の意識はほとんどそちらへ向いていなかった。ソファの上で拓真の肩に身体を預ける。背中に回された腕。一定のリズムで髪を撫でる指先。その体温が心地よくて、気づけば肩の力が抜けていた。静かな時間だった。特別なことは何もしていない。出掛けるわけでもない。どこかへ行くわけでもない。ただ同じ部屋で過ごしているだけ。それなのに、不思議なくらい満たされていた。私はぼんやりと目を閉じる。すると頭の上から声が落ちてくる。「眠い?」低く穏やかな声。私は少し笑った。「……少しだけ」「寝る?」その言い方があまりにも自然で、思わず肩が揺れる。「拓真、最近甘やかしすぎです」すると隣から小さな笑い声が聞こえた。「今さら?」私は思わず顔を上げる。拓真はどこか楽しそうだった。「愛海、甘やかすとすぐ顔緩むから」「……」図星だった。悔しいけれど否定できない。拓真はそんな私を見て少しだけ目を細める。それから自然な仕草で頬にキスを落とした。触れるだけの軽いキス。けれどその優しさに胸が熱くなる。「……拓真」「ん?」「最近、幸せそうですよね」自分でも不思議な質問だった。でも聞いてみたくなった。すると拓真は少しだけ笑った。「幸せだから」迷いのない返事だった。当たり前のことを答えるみたいに。その声に嘘はなかった。私は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じる。拓真は少し視線を落とした。「こういうの好きなんだよな」「……こういうの?」「普通の恋人みたいなやつ」少し照れたように笑う。「家具見たり」「送り迎えしたり」「くだらないことで嫉妬されたり」最後だけ少し意地悪そうだった。私は思わず睨む。でも拓真は全然気にしていない。むしろ楽しそうだった。「全部好き」静かな声だった。飾り気もない。でも本音だと分かる。私はその横顔を見つめる。樹との恋も幸せだった。大切にされていた。愛されていたと思う。けれど今振り返ると、私はどこか受け身だった。相手が決める未来に乗っていた。相手の手を取って進んでいた。自分で選んでいるつもりでも、どこかで流されていた。でも今は違う。拓真
最終更新日: 2026-06-03
Chapter: 第102話:選びたい
夜のリビングには、テレビの音だけが静かに流れていた。バラエティ番組だったと思う。誰かが何かを話していて、時々笑い声も聞こえる。でも、その内容はほとんど頭に入ってこなかった。私はソファの端に座り、拓真の肩へそっと身体を預ける。隣から伝わる体温が心地いい。すると拓真が自然に手を伸ばし、私の髪を指で梳いた。ゆっくりと。優しく。髪を撫でるその仕草に、以前のような焦りはない。付き合い始めた頃の拓真は、もっと真っ直ぐだった。好きだと言う。会いたいと言う。抱きしめたいと言う。その気持ちを隠そうとしなかった。でも今は少し違う。私が何を考えているか。どんな顔をしているか。ちゃんと見ながら触れる。待ちながら触れる。大切なものを扱うみたいに。その優しさが胸に沁みた。「……」気づけば私は拓真のシャツの袖を指先で触っていた。すると頭上から声が落ちる。「何考えてる」低くて穏やかな声。私は少し笑った。「別に」「嘘」即答だった。しかも少し笑っている。最近の拓真はこういうところがある。私の嘘を見抜くのが上手い。隠そうとしても、大体ばれてしまう。私は小さく息を吐いた。それから視線を落としたまま口を開く。「……拓真って」「ん?」「最初から距離近かったですよね」拓真が少しだけ笑う気配がした。「まあ」短い返事。そして迷いなく続ける。「好きだったから」心臓が跳ねる。相変わらずだ。こんなことを照れもせずに言う。私は思わず視線を逸らした。樹もそうだった。最初から真っ直ぐだった。積極的だった。気づけば付き合っていた。婚約もそうだった。私は流れに乗っていた部分が大きかった。好きだった。もちろん本当に好きだった。でも今振り返ると、どこか受け身だった気がする。相手に選ばれて。相手に手を引かれて。気づけば未来へ進んでいた。恋愛とはそういうものだと思っていた。でも。今は違う。私はそっと拓真のシャツを掴む。拓真の身体が少しだけ動いた。視線がこちらへ向く。「愛海?」私は少しだけ唇を噛んだ。恥ずかしい。でも、言いたかった。「私」声が少し震える。「今まで、自分から恋愛したことなかったかもしれないです」部屋が静かになる。テレビの音だけが遠くなる。拓真は何も言わない。急かさない。た
最終更新日: 2026-06-03
Chapter: 第101話:過去
金曜日の夜の空気は少し冷たかった。ショールームを出ると、昼間の賑わいが嘘みたいに落ち着いていて。駐車場へ続く通路には柔らかな照明だけが並んでいる。隣を歩く拓真は、さっき圭吾に散々からかわれたことなんて気にしていないみたいだった。車のキーを指先で回しながら歩いている。その横顔を見ていると、また胸の奥がざわついた。「……」拓真がちらりとこちらを見る。「何」「別に」即答する。すると拓真が少し笑った。「嘘」その言い方に少しむっとする。だって仕方ない。さっきから頭の中が落ち着かないのだ。大学時代。海外時代。来る者拒まず。モデルが寄ってきていた。圭吾が笑いながら話していた言葉が、何度も頭の中を巡る。知らない拓真。私が会うずっと前の時間。当たり前なのに。なぜか少しだけ胸が痛かった。車に乗り込む。ドアが閉まる音。エンジンがかかる音。静かな車内に、夜の街の光が流れていく。しばらく黙っていたけれど、結局我慢できなかった。「……昔」窓の外を見たまま呟く。「かなり遊んでたんですか」数秒の沈黙。そのあと、隣で小さな笑い声がした。「何その聞き方」「だって」私は視線を戻さない。「森さん、普通に言ってましたし」拓真はハンドルを握ったまま苦笑した。「圭吾の話、八割盛られてるぞ」「じゃあ二割は本当なんですね」「そこ食いつく?」少し笑っている。その余裕が悔しい。すると拓真は観念したみたいに息を吐いた。「まあ、モテたのは事実」胸がちくりと痛む。「二十代は普通に遊んでたし」否定しない。変に誤魔化さない。だから余計に想像してしまう。海外の街。華やかなパーティー。綺麗な人たち。今の拓真からは想像できない世界。「……」窓ガラスに映る自分の顔が少し不機嫌そうで、嫌になる。すると信号で車が止まった。静かな車内。その瞬間、拓真が片手を伸ばしてきた。私の手を掴む。大きくて温かい手。そのまま親指が指先をゆっくり撫でた。まるで機嫌を取るみたいに。「……」心臓が跳ねる。「そんなに気になる?」低い声。からかうようでいて、ちゃんと私を見ている。私は少しだけ唇を尖らせた。「だって」言葉を探しながら続ける。「拓真って、絶対モテるじゃないですか」その瞬間。拓真が吹き出した。本当に可笑し
最終更新日: 2026-06-03
愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました

愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました

溺愛ハッピーエンドスカッと後悔離婚医者ヒーロー
四回目の結婚記念日。 それは、綾香にとって「離婚を決意した日」になった。 医師としてのキャリアを捨て、夫・優の“期限付きの契約結婚”に尽くしてきた四年間。 初恋の相手である愛人・咲子を優先されても、「あと半年で終わる結婚だから」と、自分に言い聞かせて耐えてきた。 ——けれど、四年目の結婚記念日に愛人を家へ連れ帰られた瞬間、綾香の心は限界を迎える。 そんな綾香の前に現れたのは、学会で出会った開業医・綾瀬隼人。 仕事も、住む場所も、人生の再スタートも。 隼人に背中を押され、綾香は少しずつ“妻”ではなく、“自分”を取り戻し始める。 これは、人生を奪われた女が、自分を取り戻し、本当の愛に出会う物語。
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Chapter: 第89話 契約者は私
父と会った翌々日、不動産会社から本審査通過の連絡が来た。昼休みの終わり際だった。スマホの画面に表示された文字を見た瞬間、胸の奥が小さく跳ねる。『保証会社および貸主審査が承認となりました』承認。その二文字を、しばらく見つめた。自分の名前で部屋を借りる。東郷家を出て、白松家にも戻らず、一人で暮らす。それが、急に現実になった気がした。嬉しいはずだった。ほっとするはずだった。けれど、画面を握る指先は少し冷たかった。本当に、私はあの家を出る。優が帰ってくる音を待たなくていい。咲子の存在を、リビングの空気ごと飲み込まなくていい。誰かの妻として、役割だけを果たす夜を終わらせられる。そう思うのに。心のどこかが、静かに怯えていた。終わることは、自由になることだ。でも、自由になることは、もう誰のせいにもできなくなることでもある。その重さを、私はまだうまく持てない。午後の診察後、不動産会社から契約に関する追加の確認が届いた。現住所の確認。契約開始日の調整。鍵の受け取り。初期費用の振込期限。契約書の事前確認。書類の一部には、現在の配偶者情報や現住所の説明が必要になる箇所があった。優の名前を出さずに進めることもできる。けれど、離婚前である以上、説明が必要な場面はどうしても残る。少し迷ったあと、私は優に連絡を入れた。『部屋の審査が通りました』『契約の件で、現住所と離婚前の状況確認が必要になりそうです』送信してから、胸が少し重くなる。頼っているわけではない。手続きだ。そう自分に言い聞かせる。けれど、優からの返信はすぐに来た。『おめでとう』『必要なら契約書の確認はする』『現住所や婚姻関係の説明が必要なら、俺が同席した方が早いと思う』その文面は、驚くほど落ち着いていた。責める言葉も、引き止める言葉もない。ただ、必要なことを引き受けると言っている。優らしい。そう思った。仕事の時の優は、いつもそうだった。状況を整理し、必要な資料を確認し、相手が困らないように先回りする。丁寧で、正確で、無駄がない。その能力を、私はずっと見てきた。なのに、その丁寧さが私に向けられることは少なかった。今になって、ようやく向けられている。そのことが、嬉しいより先に、苦しかった。数日後、不動産屋で優と待ち合わせた。優は私
最終更新日: 2026-06-22
Chapter: 第88話 深追いしない人
綾瀬先生は、私の机の上に置かれていた書類を軽く指で押さえた。『これは午後でいい』『昼、食べて』『そのあと十五分休んでから戻って』『大丈夫です』反射的に答えた。綾瀬先生は、少しだけ目を細める。『大丈夫かどうかを聞いてるんじゃないよ』彼は静かに言った。『院長として、休憩取ってって言ってる』その線引きに、少しだけ息が詰まる。個人的に踏み込まない。でも、仕事上必要なことは見過ごさない。優しさを、私が逃げ道にしすぎない形に変えてくれている。それがありがたくて、同じくらい苦しかった。『……分かりました』小さく答えると、綾瀬先生は頷いた。何かを言うか迷っているように見えた。言えば踏み込みすぎる。言わなければ、見捨てたようになる。その間で、彼が少しだけ迷っているのが分かった。その表情に、胸が痛んだ。私が突き放したせいで、この人にそんな顔をさせている。そう思ったのに、今の私は、それでも手を伸ばせなかった。やがて綾瀬先生は、少しだけ声を柔らかくした。『話したくないなら、話さなくていい』『八つ当たりしてもいい』私は顔を上げた。綾瀬先生は笑っていなかった。いつもの軽さもなかった。でも、怒ってもいなかった。『でも、自分を雑に扱うのはやめて』『心配だから』その一言は、思ったより深く入ってきた。心配だから。ただ、それだけ。理由を聞かない。それなのに、私が今、自分を少し乱暴に扱おうとしていることだけは見逃さない。私は何も言えなかった。言葉を返したら、涙が出そうだった。綾瀬先生は、それにも気づいたのだと思う。ほんの少しだけ視線を外した。私が泣かないで済むように。見ているのに、見ないふりをしてくれている。『何か食べて。無理ならスープだけでもいい』『……はい』『午後の一件目まで、こっちで調整する』『そこまでしなくても』『するよ』あまりにも普通に言われて、私は言葉を失った。綾瀬先生はそれ以上、何も言わなかった。ただ、私が立ち上がるのを待っていた。立ち上がれ、と急かすわけではない。でも、座ったままでいることを許すわけでもない。その距離の取り方が、今の私には不思議だった。踏み込まない。けれど、放っておかない。優しさを押しつけない。けれど、私が自分を壊す方向へ進もうとすれば、静かに止める。それ
最終更新日: 2026-06-21
Chapter: 第87話 期待が消えた朝
翌朝。目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。眠った気がしなかった。夢を見たような気もするし、何も見なかった気もする。ただ、身体の奥だけが重かった。ベッドの中で、しばらく天井を見つめる。昨日の父の声が、まだ耳に残っていた。『では、次の話だが』あの一言が、何度も頭の中で繰り返される。離婚する。四年続いた結婚が終わる。私は、それを報告しに行った。それなのに父は、私の痛みを見るより先に、次の配置を考えていた。驚きはなかった。父ならそうする。父はそういう人だ。何度もそう思った。けれど、知っていることと、傷つかないことは違う。昨日、優にそう言ったばかりなのに。今度は自分に向けて、同じ言葉を思うことになるなんて。私は枕元のスマホを見た。通知はいくつか来ていた。みかからの短いメッセージ。優からの確認。不動産会社からの連絡。そして、綾瀬先生からは何も来ていなかった。それに、少しだけほっとする。同時に、ほんの少し寂しくなる。勝手だと思った。誰にも踏み込まれたくない。でも、誰にも気づかれないのは寂しい。自分の感情があまりにも面倒で、私はスマホを伏せた。もう、何かを期待することに疲れていた。父に期待した。優に期待した。結婚に期待した。自分が我慢すれば、いつか何かが変わるのではないかと期待した。その期待は、ひとつずつ静かに消えていった。消えるたびに、私は少しずつ楽になると思っていた。でも、違った。期待が消えた場所には、自由だけが残るわけではない。ただ、何も信じなくていい代わりに、何にも寄りかかれない静けさが残る。その静けさが、今朝は少しだけ怖かった。私はゆっくり身体を起こした。今日は仕事へ行く。離婚の手続きも、部屋のことも、父とのことも、全部終わったわけではない。それでも、仕事へ行く。自分の生活を立て直すと言った。父の判断には預けないと言った。なら、まずは今日を崩さずに過ごさなければいけない。誰かに泣きつく前に。誰かの優しさに逃げる前に。私は、自分の足で立つ練習をしなければいけない。そう思うと、胸の奥が少し冷えた。でも、その冷たさが今は必要だった。クリニックに着く頃には、いつもの顔を作れていたと思う。受付のスタッフに挨拶をして、更衣室で白衣に着替え、午前の予定を確認する。動けば、少し
最終更新日: 2026-06-21
Chapter: 第86話 父ではなかった人
その目に、苛立ちはない。心配もない。ただ、次の返答を待つ人の目だった。『私は今回』私は、ゆっくり口を開いた。『白松家の役に、一度は立てたと思っています』父の目が、ほんの少しだけ細くなった。『それはどういう意味だ』『言葉通りです』私は膝の上で指を重ねる。『東郷家との結婚も』『今回の案件に関わる立場も』『必要だった役割は、できる範囲で果たしたと思っています』父は黙っていた。その沈黙は、私の言葉を受け止めている沈黙ではなかった。ただ、次にどこを修正すべきかを考えている沈黙に見えた。私は続ける。『だから、しばらくは自分で自身のキャリアを立て直すことに時間を使わせてください』『次の縁談は、今は受けません』言い終えたあと、心臓が静かに鳴っているのが分かった。大きな反抗ではない。声を荒げたわけでもない。父を責めたわけでもない。それなのに、私にとっては、今までで一番はっきりした拒絶だった。父はしばらく私を見ていた。『離婚直後は、判断が乱れる』静かな声だった。『感情的になる必要はない』『次の話を進めることは、お前にとっても悪いことではない』ほら。やっぱり、そう来る。私は心の中で小さく笑った。父は、私が傷ついたことを見ない。私の言葉の中にある疲れも、諦めも、失望も見ない。ただ、判断が乱れていると捉える。それは父にとって、とても自然な整理なのだろう。『はい』私は頷いた。父の眉がわずかに動く。『分かっています』『離婚直後の判断が安定しないことも』『白松家の立場があることも』『私が完全に自由に動ける人間ではなかったことも』言葉を選ぶ。責めない。怒らない。通じない相手に感情をぶつけても、また自分が削られるだけだ。『だからこそ』『これ以上は、父の判断に預けません』初めて、父の表情が少しだけ変わった。ほんの少し。他人なら気づかないくらい。でも、私には分かった。父は今、私の言葉を予想外のものとして受け取った。『綾香』低い声。名前を呼ばれた瞬間、身体が反射的に強張る。昔からそうだった。父に名前を呼ばれる時は、何かを正される時だった。姿勢。言葉遣い。進路。交友関係。私はいつも、父の声に合わせて自分を整えてきた。でも、今日は違う。私は静かに父を見返した。『しばらくは、仕事に
最終更新日: 2026-06-21
Chapter: 第85話 父と私
私は優を見る。『...何を?』聞くのは、正直少し怖い。それでも、知りたい気持ちを止められなかった。『白松先生の考え方を』『自分がどういう立場なのかを』『この結婚に、恋愛を求めていないことを』優はそこで一度息を止めた。『だから、咲子を手放さなくても』『綾香は最初から納得しているんだと』『都合よく、そう思った』その言葉は、謝罪に近かった。でも、謝られるよりも先に、私はその言葉を受け取ってしまった。都合よく。本当に、その通りだと思った。優は私を騙したのではない。私が傷つかないと思ったのでもない。私が傷つくことも、諦めることも、全部込みで受け入れていると決めつけた。その方が、優にとって都合がよかったから。咲子さんを手放さなくていい。私に深入りしなくていい。父の言葉を理由にできる。全部、綺麗に収まる。私は、その収まりのいい場所に置かれていた。『優』名前を呼ぶと、優の肩がかすかに動いた。『理解していることと』『傷つかないことは違うよ』優は何も言えなかった。私は続けた。『私は、分かってた』『お父さんがどういう人かも』『この結婚が普通じゃないことも』『咲子さんがいることも』言葉にするたび、胸の奥が少しずつ冷えていく。『でも』『それでも、少しだけ期待してた』優の目が揺れる。『優にも』『お父さんにも』言った瞬間、もう終わったのだと思った。優への期待は、少しずつ削れていった。でも父への期待は、もっと見えにくい場所に残っていた。父は厳しい。父は冷たい。父は私を家の一部として見る。それでも、どこかで父なのだと信じたかった。でも今日、その小さな期待まで、静かに消えた。私は契約書をそっと閉じた。『父に報告するね』優が顔を上げる。『離婚の時期が決まったこと』『私の口から言う』『綾香』優の声に、制止の気配が混ざる。私は首を横に振った。『大丈夫』『お父さんがどういう人かは、私が一番知ってる』そう言いながら、全然大丈夫ではないことも分かっていた。でも、もう誰かに代わってもらうことではなかった。父に、私は終わりを報告する。白松家の役割を一つ終えたことを。そして、できることなら。もう次の役割には、戻らないために。 ***父に連絡を入れたのは、翌日の昼だった。本当は、少し時間
最終更新日: 2026-06-21
Chapter: 第84話 契約書の外側
優がクリアファイルを開く音は、とても静かだった。それなのに、その小さな音が胸の奥にまで響いた気がした。白い紙の束。整えられた文字。ページの端に貼られた薄い付箋。優らしいと思った。大事な書類を雑に扱わない。必要な場所には印をつける。誰が見ても分かるように、順番を揃えておく。そういう丁寧さを、私は知っている。弁護士としての優は、きっと信頼される人なのだと思う。依頼人の話を聞き、条項を整理し、リスクを見落とさない。感情に流されず、必要なものを淡々と積み上げる。その丁寧さが、今は少しだけ残酷に見えた。私たちの結婚も、こんなふうに整えられていたのだ。紙の上では。誰かに説明できる形では。外から見て、問題がないように。優は一枚目を私の方へ向けた。『これが、婚前契約書の写し』私は視線を落とす。婚姻期間。生活費。居住に関する取り決め。離婚時の財産分与。守秘義務。どれも、乱暴な内容ではなかった。むしろ、きちんとしている。私が不利になりすぎないようにも見える。生活費の額も、住居も、離婚後の扱いも、形式としては整っていた。だからこそ、苦しかった。これだけ見れば、誰かは言うかもしれない。十分守られているじゃないか、と。納得して結んだ契約なのだろう、と。何が不満なのか、と。私はその言葉を想像して、胸の奥が静かに冷えていくのを感じた。『書面上は』優が言った。『綾香を守る形にしてある』『うん』『白松先生も、そこはかなり細かく見ていた』『生活費の額も、離婚後に不利にならない条件も』『外から見たら、かなり綾香側に配慮した契約だと思う』私は小さく頷いた。父ならそうするだろう。雑なことはしない。感情的なこともしない。誰かに非難されるような隙は作らない。父は、そういう人だ。人を傷つける時ですら、正しい形を残す。『でも』優の声が少し低くなった。『書面には残ってない話がある』私は顔を上げなかった。上げられなかった。知りたくない、と思った。でも、もう逃げられない。『白松先生は』優が言葉を選ぶように、少し間を置いた。『政界にいる人間は、家族の素養も素行も管理する必要があると言っていた』胸の奥が、静かに沈む。驚きはなかった。父なら言う。そう思った。あの人は、家族を家族としてだけ見ない。家
最終更新日: 2026-06-20
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