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第418話

Author: こふまる
悠斗は呆然と夕月を見つめていた。夕月は星来の体を縛る紐を必死に切ろうとしている。この紐が切れなければ、星来がロッカーから脱出することは不可能だった。

星来もまた咳き込み始めた。夕月は急いで自分の上着を脱ぎ、水筒に残っていた水を全て衣服にかけた。

濡れた上着を星来の頭に巻きつけ、口と鼻を覆う。

上着が星来の顔の半分を覆い、黒く澄んだ瞳だけが露わになった。その目には恐怖の色が浮かび、必死に紐を解こうとする夕月を見つめていた。

「夕月さん、そろそろ避難準備だ!」

夕月のスマホはスピーカーモードになっていて、涼の焦りを帯びた声が響いた。

二階の部屋には監視カメラがなく、涼は車の中でノートパソコンを前に座り、画面に映るのは二階廊下の監視映像だけだった。

夕月と悠斗の会話だけが頼りで、彼はそれを通して夕月の状況を把握しようとしていた。

夕月との通話を続けながら、涼の長い指がキーボードの上を素早く動いていた。

監視システムの本体は無事だったが、二階の映像記録が突然消えたのは、誰かが記録保存をオフにする設定をしたからだった。

しかし監視チップにはバックドアがあり、直近一時間の映像がバックアップとして一時保存されていた。

パソコンの冷たい光が涼の整った顔を照らし、彼の瞳に暗い光が宿る。

彼は自分が仕掛けたクローラープログラムが講堂内の監視映像をパソコンに取り込むのを待っていた。

そのとき、涼のスマホから夕月の声が聞こえた。

「星来くんが閉じ込められているわ。桐嶋さん、先に悠斗を講堂から誘導して!」

夕月が話しているとき、空気中に漂う煙に喉をやられ、咳き込み始めた。

空気中の一酸化炭素濃度はすでに危険な水準に達していた。彼らがこの環境に長くいることはできない。

「すぐに応援を呼ぶ!お前は悠斗くんを連れて先に出ろ!」

涼の声が響き渡る。夕月は歯を食いしばり、ロープをつかむ指が白くなるほど力を入れていた。

「星来くんを置いていくなんてできないわ!」

できないのではなく、できないのだ。星来をここに残し、悠斗を連れて逃げ出すなど、彼女の良心が許さなかった。

「ここで待っていれば、すぐに誰かが助けに来るから」などと星来に言えるわけがなかった。

夕月は立ち上がり、窓を開けた。空気の流れを作り、少しでも時間を稼ぐために。

「ママ、どうして星来くんのことま
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