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第526話

Author: こふまる
冬真の視線が夕月の顔に釘付けになり、口元に愉悦の笑みが浮かんだ。

「それなら君が、この火を消してくれるのか?」

夕月の一挙手一投足が、これほどまでに彼を魅了するとは。氷河のように冷え切っていた心臓から、今や灼熱の溶岩が噴き出している。

以前の夕月なら、決してこれほど逆らうことはなかった。

食事に誘えば快く応じ、気遣わしく料理を取り分け、海老の殻を剥き、彼の好物を丁寧に茶碗に盛ってくれた。

それが今では、同じテーブルに座ることさえ拒んでいる。

だが夕月の激しい反発を目の当たりにして、冬真の血管を駆け巡る血潮が煮えたぎり始めた。

自分は究極のマゾヒストなのかもしれない。夕月が刃を突き立てれば突き立てるほど、興奮が高まっていく。

夕月は携帯を取り出し、画面の時刻を確認すると、心の中で秒読みを始めた。

「こんな手口で、私を閉じ込められるとでも思っているの?」

もう彼女は、牢獄のような橘邸に身を置いて冬真が振り返ってくれるのを待ち続ける、あの頃の橘夫人ではない。

「ガンッ!」扉が勢いよく蹴破られ、黒いタイトな上着と迷彩のカーゴパンツに身を包んだ天野が、殺気立った様子で現れた。

天野の姿を認めると、夕月は迷わず出口へと向かう。

長身の天野がドアフレームに立ちはだかる様は、まさに聳え立つ山のようで、入口を完全に塞いでいる。彼の巨体が落とす影が個室内に伸び、圧倒的な威圧感を放っていた。

天野が眉根を寄せ、冬真のいる方角へと視線を向ける。喉の奥から軽蔑に満ちた笑い声が漏れた。

「懲りない男だな、橘冬真。橘博士に監禁されていた時のことは、もうお忘れか?」

天野がその暗黒の日々に触れた瞬間、まるで鋭利な刃で胸を切り裂かれたかのように、冬真の内なる汚濁が白日の下に晒された。

あの監禁された時間を忘れるなど、あり得ない。

真夜中に目覚めては、あの日々を何度も何度も反芻している。

「それで?お前も私を檻に閉じ込めるつもりか?」

冬真の唇に嘲笑が宿り、暗い瞳の奥底に僅かな期待の色が揺らめいている。

もし監禁されれば夕月と頻繁に会えるのなら、喜んで用意された檻の中に身を投じよう。

天野が鼻を鳴らす。「これ以上夕月に付きまとい、勝手気ままに生活を荒らすようなら、俺が代理で接近禁止令を申請してやる」

夕月が天野を促した。「行きましょう」

天野の内に宿る怒
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