Masuk激昂していた隆彦はふと足を止め、わずかに張り詰めた表情を和らげた。「……まあいい。これだけの日数が経っても向こうに動きがないということは、佐久間光一もあの女のことを、そこまで本気で囲っていたわけではないのだろう。だがお前、よく聞いておけ。こんな馬鹿な真似はこれが最後だ。これ以降、佐久間に関わることには一切首を突っ込むな!今の組織は警察にマークされ、シノギのクラブも賭場も立て続けに潰された。存亡の正念場なんだ。お前が余計な火種を持ち込めば、この苦しい状況がさらに悪化するんだぞ!」晟は腹の中では納得していなかったが、今は父親の怒りを鎮めるために、おとなしくうなずくしかなかった。そのとき、隆彦の秘書が血相を変えて部屋へ飛び込んできた。「た、大変です!お客様が……!」隆彦は苛立たしげに一蹴した。「今日は誰の相手をする気分でもない。適当にあしらって帰らせろ!」秘書は滝のような冷や汗を流しながら絞り出した。「そ、それが……追い返せるような相手では……佐久間グループの社長、佐久間光一様です!」それを聞いた瞬間、隆彦父子は揃って顔面からさあっと血の気を失った。「何だと!?」オリエント・ユニオンと佐久間グループの間で、最も激しく血で血を洗う抗争が起きていた時期でさえ、光一が単身でこちらの本拠地に乗り込んでくるような真似は一度たりともなかった。佐久間家は表の世界の絶対的な権力者。こちらは日陰を歩く裏社会の人間だ。光一のような誇り高い男が、そんな薄汚れた自分たちとまともに向き合うはずがない――隆彦はずっとそう高を括っていた。隆彦の老獪な顔が、複雑な緊張でピシリと張り詰めた。「あの佐久間が、わざわざ自分から俺たちのシマにやって来るとはな。ちょうど俺も、溜まった怒りのぶつけどころがなくてイラついていたところだ!」晟は今にも飛び出していきそうな勢いで息巻いたが、父親に強引に止められた。「お前は大人しく引っ込んでいろ!俺が戻るまでここに黙って座っていろ!」隆彦は鋭く目を細めた。「俺が一人で出ていく」高城家の本拠地である屋敷の、豪奢を極めた応接室。光一は冷厳な漆黒のスーツを纏い、ゆったりと長い脚を組み、深紅のビロードソファに深く腰掛けていた。伏せられた長い睫毛の下、その端整な表情からは一切の感情が読み取れない。その両脇には
「何だと?佐久間家の娘の方からお前に近づいてきたというのか!?」隆彦は、老いてからようやく授かったこの一人息子を誰よりも溺愛してはいたが、その頭脳は常に冷徹だった。この箸にも棒にもかからない出来損ないが、オリエント・ユニオンの御曹司という金看板をぶら下げていなければ、まともな女が振り向くはずもない。隆彦は鼻でせせら笑った。「どの口がそんな寝言をほざく。俺の前で見え透いた嘘をついて、恥ずかしくないのか。この俺がお前を叩き直せないとでも思っているのか!」「本当なんだってば!」晟がこの世で唯一恐れているのは、この冷酷な父親だけだった。またあの硬いステッキで打ち据えられてはたまらない。父親の手元をがっちりと押さえ込みながら、必死に言い募った。「あの夜……俺はナイトシェードでいつもの仲間と飲んでたんだ。そしたらそこに、あの女が突然一人で現れてさ……俺に『取引をしたい』って持ちかけてきたんだよ」隆彦は、単なる夜遊びでは済まないキナ臭さを感じ取り、厳しく先を促した。「どんな取引だ?隠さず早く言え!」「あいつは、俺の素性を知ってた。佐久間光一と深い因縁があることまでな……それで、佐久間にデカいお返しができる絶好のチャンスをやる、って言ってきたんだ」晟は恐怖でごくりと唾を飲んだ。「あの女は言ったんだ。佐久間には致命的な弱点があるって。長年、自分のすぐそばに置いている女護衛だ。そいつを潰すだけで、佐久間に痛烈な一撃を食らわせられる、ってな。だから俺はあの夜、あいつと組んで一芝居打ったんだ。佐久間をわざと店に誘い込み、あの生意気な女護衛を人質に取って、自分の妹と交換させるようにうまく仕向けたのさ……」隆彦は、この愚かな息子の底の浅さを知り尽くしていた。呆れたように冷笑する。「たったそれだけの理由で、大人しく罠に乗ったのか?裏でまだ何か、都合のいい条件を約束されたんだろう」晟は気まずそうに顔を伏せた。「それと……作戦がうまくいったら、報酬として六億払うって。オーシティのカジノの借金に充てていいって言われて……」それを聞いた瞬間、隆彦はカッと熱くなった額に手を当て、目の前が真っ暗になる思いだった。オリエント・ユニオンが国内で抱えていたシノギは、ここ数年の警察の執拗な摘発によってほぼ壊滅状態に追い込まれていた。海外事業のお
まだあんなに若いのに、彼女の心が枯れ果ててほしくなかった。誰かを愛する力まで、あの男への絶望と一緒に失ってほしくなかった。だが彼女は、北川翔吾という男と出会えた。この時期にあの男が現れたことは、彩葉にとって単なる頼もしい支えになっただけでなく、人生そのものの救いになったのだと、樹は確信していた。「先輩、理屈は全部、痛いほど分かってるの。こんなに長い間、自分に何度も言い聞かせ続けてきたわ。会社のトップとして現実を冷酷に受け入れよう、情に流されず大局のために考えようって」彩葉はカップを両手でぎゅっと包み込みながら、胸が張り裂けそうな表情を浮かべた。「でも、やっぱり心が痛むの。今の世の中がこんなに厳しいのに、ターナルテックを去っていく人たちのその先の人生は、一体どうなってしまうんだろうって……先輩、もし母がまだ生きていたら、誰も切り捨てずに、もっとうまく全員を守り抜く方法を見つけてくれたと思うわ。やっぱり私は、どこまでいっても母の足元にも及ばないな……」「そんなことはないよ。彩葉と志乃さんは、生きている時代も、会社を取り巻く環境もまるで違う。単純に比べるものじゃない。君はきっと、これからいろんな痛みを乗り越えて、志乃さんよりもずっと大きくて強い人間になる」樹は、自分を責める彼女を根気よく、優しく慰め続けた。「会社が無事に立て直せて業績が上向けば、今回退職してもらった人たちの中で、どうしてもここへ戻りたいと思っている人がいれば、その時にまた君から声をかけてあげればいいじゃないか」先輩の温かく前向きな言葉に、彩葉の胸の中で固く結ばれていたわだかまりが、少しずつゆっくりとほぐれていった。一緒に短い昼食を取った後、病院にいる夢から彩葉に電話が入った。「夢ちゃん、瑠璃子さんの様子はどう?少しでも目を覚ました!?」彩葉はすがるように聞いた。「いいえ、まだです……でも代表、どうかあまりご心配なさらないでください。先ほど森田先生が直接数値を診てくださいましたが、身体的な回復はとても順調だそうです」「森田先生は、いつ頃目が覚めるか、何かおっしゃっていた?」「それが、先生にもこればかりは何とも言えないそうで……」彩葉は不安げに樹と目を合わせて、深くため息をついた。「分かったわ。今夜、仕事が終わったら私も病院へ行くから」……一
高橋は一瞬ハッとして動きを止めると、すぐさまデスクの上の資料を手に取って、素早くめくり始めた。しばらくして、彼の口の端にひどく陰険な笑みが浮かんだ。一枚の個人資料をすっと抜き出すと、孝俊の目の前に置いた。「社長。この人物が、私たちの計画に大いにお役に立てるかもしれません」「ん?なんとなく見覚えがあるな」孝俊は、その資料に貼付された、無表情でどこか陰鬱な顔つきの社員写真をじっと眺めた。「確か、厄介なうつ病持ちの奴じゃないか?工場の製造ラインで突然倒れて、機械に指を落とした、あのどん臭い男か」「よくお覚えでいらっしゃいますね。あんな底辺の目立たない人間のことまで記憶されているとは」高橋はすかさずおだてて持ち上げた。孝俊はその写真に苛立たしげに拳を叩きつけた。「俺の記憶力がいいんじゃない。あの男の図々しい妻が、退院後にわざわざ会社を訴えてきやがったから嫌でも覚えてるんだ。一生分の治療費を払えだの何だのと喚き散らしてな。結局、労災認定されてこっちが大金をむしり取られる羽目になった!思い出すだけでも腹の虫が収まらん。あんな使えないクズ、とっくの昔にクビにしておくべきだったんだ!」孝俊は、自分から金と権力を奪おうとする人間しか記憶に留めない男だった。高橋は蛇のように目を光らせた。「この男の背景ですが、裏で調べたところ家庭事情が相当に厳しいようでして。母親は長年寝たきりの要介護状態で、妻は無職。おまけに子供はまだ手のかかる乳飲み子です。一家の稼ぎ手は、この男ただ一人。しかも自身は重度のうつを抱えている……そういう崖っぷちの人間を、このタイミングで無情にも解雇したら……一体、どうなると思いますか?」「そりゃ、完全に絶望して爆発するしかないだろうな。運良く再就職できれば多少は気も紛れるだろうが、できなければ世の中のすべてを恨んで、何をしでかすか分からんぞ」「でしたら、どこにも再就職できないように、私たちが裏から手を回して『仕向けて』やればいいのです」高橋はじっとりとした、悪意に満ちた笑みを浮かべた。「あの男は、しょせん替えのきくライン作業員です。北都で氷室グループ系列以外の工場や会社なら、社長の絶大なネットワークでお声がけ一つされれば、すぐに話は通ります。社長が一言おっしゃるだけで、あんな虫ケラの居場所など、この街か
「冗談じゃない!今の不景気がどれだけ厳しいか分かっているのか?この時期に大規模なリストラを強行するなんて、死人を出す気か!」「まったくだ!新しい代表が就任して、あの巨大なブライトトレイル・ベンチャーズからの出資も決まったんだ。これから会社は良くなる一方だと思っていたのに――まさか、こんな理不尽なことになるとは!」「氷室彩葉の奴、本当に血も涙もないな!」「そうだ!俺たちがこのターナルテックで、泥水をすする思いで何年働いてきたと思ってるんだ。一番苦しかった時期でさえ、社長はリストラなんて非情な真似はしなかったぞ。それがあの小娘がトップに座った途端、これか!一体自分を何様だと思っているんだ!」「どうやらあの件には、ブライトトレイルの北川社長も裏で深く関わっているらしいが……」「ああ、なるほどそういうことか。氷室彩葉が若くして代表の椅子にふんぞり返れたのも、結局は北川社長に体で取り入ったおかげか。なら、パトロンの威光を笠に着てこんな横暴を働くのも納得だ」社員たちの不満が濁流のように噴き出し、どす黒い陰口が飛び交う。すべてが彩葉一人を糾弾する声だった。彼らの口から出る言葉は、時間が経つにつれてどんどん汚く、呪詛のように悪意に満ちていった。そして、この騒動のもう一人の当事者である孝俊は、巧妙にも体調不良を口実に会議を欠席し、彩葉一人を完全に矢面に立たせていたのだ。最も憎まれる役回りを彼女一人に押し付け、社内中から怨念の集中砲火を浴びるように仕向けておいて、自分は安全な場所からのんびりと高みの見物を決め込む。そして社員たちにかつての自分の「温情」を改めて見直させる――なんとも陰湿で周到な策だった。孝俊は高橋と一緒に、社長室のモニターで会議室の防犯カメラの映像を眺めながら、幹部たちが青筋を立てて彩葉を嘲り、罵る様子を見て、下劣な笑いを漏らしていた。「ははは、ざまあみろ!身の程知らずが出しゃばった結果がこれだ。会社をまとめる力量もないくせに。志乃が腹を痛めて産んだ子だとはいえ、あの有能さとは天と地ほどの差がある。滑稽で笑えるな!」孝俊は、両足を無造作に執務デスクの上に投げ出し、最近手に入れたばかりの株式譲渡書を弄びながら言った。「まったく、おっしゃる通りですわ」高橋は、モニターの中で怒りに沸き立つ幹部たちを眺めながら、したり顔で
「お嬢様!ずっとご心配しておりました。お加減はいかがですか!」知生は、矢も盾もたまらず身を乗り出して尋ねた。次の瞬間、豪華な天蓋付きベッドに横たわる澪の姿が目に飛び込んできた。透き通るような白い肌、しなやかな体のライン――ネグリジェの胸元のレースは意図的に際どい位置まで引き下げられており、男の想像をかき立てる谷間が、ほの暗い間接照明の中でちらりと見え隠れしている。惜しむらくは、彼女の体型が少々華奢すぎて、懸命に寄せてようやく谷間ができる程度であったことだが、それでも、密かな恋心を持て余したこの純朴な若者を翻弄するには、十分すぎるほどの破壊力があった。「私は……もう大丈夫よ。心配してくれてありがとう、知生」澪は、今にも倒れそうな様子で力を振り絞って身を起こした。知生は大急ぎでベッドに駆け寄り、壊れ物を扱うようにそっとその可憐な体を支えた。彼女の細い首元に痛々しく貼られた真っ白な包帯を見て、知生は胸が張り裂けそうな顔をした。「……傷口は、まだ痛みますか?」澪は弱々しく、いじらしく首を振った。「こうして優しく気にかけてくれているんだもの。どんなに痛くても……痛くなんかないわ」その健気な言葉に、知生の目頭が熱くなった。澪はいまにも泣き崩れそうな顔で、潤んだ瞳を彼に向けた。「お父さんもお母さんも会社のことで忙しくて、お兄ちゃんは毎日小山さんのそばにべったり。今の私を心から気にかけてくれる人なんて、もうこの広い世界に誰もいないの。誰にも必要とされていない気がして、私……」知生はこらえきれず、大きな手で彼女の華奢な肩を力強く包み込んだ。「誰も必要としていないなんて、そんなこと絶対にありません!僕がいます!お嬢様、僕は絶対にお嬢様のそばを離れません。どんなことがあっても、決してあなたを裏切りません。お嬢様のためなら、この命に代えても何でもします!」澪は込み上げる嫌悪感をかろうじて笑顔の下に押し込め、そのまま額を彼の広い肩にこてんと預けた。「今回、あの憎い小山瑠璃子のお腹の厄介者を始末できたのは、知生が私に力を貸してくれたおかげよ。あなたが、お兄ちゃんと高城晟との血みどろの因縁を教えてくれて、あの夜のあいつの正確な居場所まで調べてくれていなかったら、こんなに完璧にうまくはいかなかったわ」その恐ろしい言葉を聞いた瞬間、知生の心
それでも、返事はやはりない。こんなに長文を打つのが面倒になり、蒼真はボイスメッセージを送った。「明日、おばあさんが海外の療養から帰ってくる。ようやく体調が良くなったんだから、本宅に来て顔を見せろ」しばらくして、携帯がプルプル震えた。【りょ】……りょ?蒼真はこの短い返答を睨みつけ、重苦しい息苦しさが胸を突き上げ、もう少しで携帯を握り潰しそうになった。この女、本当にいい度胸だ。まともな返事すらよこさないとは!一方、彩葉が立て続けに電話を切ったのは、蒼真が何を言いたいか火を見るより明らかだったからだ。どうせ非難して、文句を言って、ドロドロの感情をぶちまけて、雫を褒
スポーツカーが遠ざかっていく。彩葉はずっと氷室グループのビルを見つめていた。二年間奮闘し、努力と汗を注いだあの場所を。もう見えなくなって、ようやく目を伏せて視線を戻した。「彩葉、これあげる」樹は前方を見つめたまま、左手でハンドルを握り、右手でフェラーリの鍵を差し出す。「先日、海外にいてプレゼントを渡せなかったから。誕生日おめでとう」彩葉が澄んだアーモンド色の瞳を見開く。「高すぎるわ。受け取れないよ先輩」「なんで?僕はむしろ、これでも君には釣り合わないと思ってるくらいだ」樹の涼やかな目が、優しく誠実に彼女を見つめる。「ただ、これでも君は断るだろうと予想してたから、これ以上
くすくすと忍び笑いがあちこちで起こる。しかし彩葉は顔色一つ変えず、背筋をぴんと伸ばしたまま前へと歩を進めた。噂なんかで彼女は打ち砕かれない。噂の方が地面に落ちて粉々に砕け散るだけだ。その時、彩葉は少し離れたところで、夢が一生懸命展示車を拭いているのを見つけ、思わず瞳を見開いた。「夢!」夢は腰も背中も痛くなるほど疲れていて、ふらふらと立ち上がると、早足で近づいてくる彩葉の姿を見て、喜びいっぱいに声を上げた。「彩葉さん……」彩葉は冷水で真っ赤にかじかんだ彼女の手を握り、驚いて尋ねた。「どうしてここで車を拭いてるの?」「それは……あのイカれた女に拭けって言われて…
悦子は声を落とした。「何か手を使って、交通事故でも、妨害でもいいから、氷室彩葉を足止めして、空港に時間通りに着けないようにして」今日のような重要な日に、彩葉が遅刻すれば、祖母と母は必ず彼女に不満を持つだろう。あのお呼びでない女の氷室家での地位はもっと低くなる!「はい、奥様、すぐに手配します!」高速道路にて。運転中の彩葉は突然何かおかしいと感じ、急いで目を上げた──彼女はバックミラーの中で、黒いセダンが突然スピードを上げ、一瞬で彼女と並走するのを見た!彩葉がアクセルを床まで踏み込もうとした時、そのセダンはこの時、命知らずにも彼女の側面に突っ込んできた!でも、彼女は