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第159話

Author: 玉酒
美穂の眉がわずかに寄った。

今や二人は互いに相手の弱みを握っている。

だが、彼女は和彦がどう思おうと気にしていなかった。

膠着した空気の中、遠くからコツコツと靴音が近づいてきた。

すぐ背後で、女性の柔らかくも驚いた声が響いた。「水村さん、これはどうしたんです?この人たちは一体?」

美穂は顔を横に向け、美羽のわざとらしい心配そうな視線を受け止めた。

視線の端に映った旭昆は、つい先ほどまでの陰険さをすっかり消し去り、今は無垢な表情を浮かべている。さらにポケットからサングラスを取り出してかけ、鼻梁を指先で軽く押し上げる仕草は、どこまでも不良じみて気怠げだった。

――秦家の三兄妹、なかなか面白い。

美穂はふとそんな感想を抱いた。

この三人はそれぞれの母から生まれた。

唯一、美羽だけが政夫の正式な妻の子。

残る莉々と旭昆の母親は愛人で、一人は元妻を殺害してのし上がった疑惑があり、もう一人に至っては素性すら不明だ。

「秦さん、いいところに来たわ」美穂は軽く笑みを浮かべ、視線を美羽と旭昆の間に滑らせた。「こちらの秦家の御曹司は、ただ少し私と話したいことがあるようで」

「秦家の御曹司?」美羽は怪訝そうにサングラスの男を見やった。「最近の京市に、秦家の御曹司なんて聞いたことがないけど?」

この姓は彼女にとってあまりに敏感だ。自身も秦姓である以上、疑心は避けられない。

旭昆は口元に笑みを浮かべつつも、声色を冷ややかに落とした。「水村さん、冗談を。俺はただの一般人にすぎない。『御曹司』だなんて呼ばれる立場ではないさ」

わざと「一般人」を強調するその言葉には、明確な警告が含まれていた。美羽に正体を悟らせたくないのだ。

「一般人が、こんな大勢引き連れて人を待ち伏せする?」美穂は旭昆の側に立つ禿げた男を顎で示し、声を和らげながらも棘を隠さず続けた。「それよりひとつ聞きたい。――秦さん、SRテクノロジーの新プロジェクトをご存知?」

その反応を見逃さぬよう、美穂はじっと彼を観察した。

案の定、SRテクノロジーの名を出された途端、旭昆は顔をそらし、無意識に鼻を触った。

美穂の瞳が暗く沈んだ。

「水村さんのおっしゃること、さっぱり分からないよ」旭昆は無垢を装った声で言った。

「そう?」美穂は唇の端を上げ、余計な言葉を費やさず美羽へと顔を向けた。「秦さんはご存
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