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第849話

Author: 青ノ序
「手紙も読んでくれてないじゃないか」そう言う弘幸の声には、どうしても諦めきれない執着が滲んでいた。

綾は少し黙り込んだあと、淡々と言った。「読んだところで結果は一緒よ。なら、開ける必要もないでしょう」

弘幸はうつむき、指先にぐっと力を込めた。立てた爪がチョコレートの箱に食い込み、表面に深い傷跡を刻みつける。

「青木のせいか?」彼はもう一度そう尋ねた。

綾と健吾の距離が縮まっていくのを見るたび、弘幸はあの二人を引き合わせるんじゃなかったと、後悔ばかりを募らせていた。

自分の方が先に綾と知り合っていたのに、今や彼女の傍らにいるのは健吾だ。

「青木くんといるのは、あなたが考えているような理由じゃないの」

綾は少し言葉を止め、どう伝えるべきか考えていた。

「彼とは純粋にいいお友達よ。お互い気持ちよくいられるすごくいい関係なの。それに彼は沢山助けてくれるけど、それで何か条件や見返りを求められることは一度もなかった。私が困るようなことを彼は絶対にしないの」

そう言い切ったあと、綾自身が少しハッとした。

本人に伝えるわけではないけれど、健吾への想いを口にしたのは、これが初めてだっ
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    「手紙も読んでくれてないじゃないか」そう言う弘幸の声には、どうしても諦めきれない執着が滲んでいた。綾は少し黙り込んだあと、淡々と言った。「読んだところで結果は一緒よ。なら、開ける必要もないでしょう」弘幸はうつむき、指先にぐっと力を込めた。立てた爪がチョコレートの箱に食い込み、表面に深い傷跡を刻みつける。「青木のせいか?」彼はもう一度そう尋ねた。綾と健吾の距離が縮まっていくのを見るたび、弘幸はあの二人を引き合わせるんじゃなかったと、後悔ばかりを募らせていた。自分の方が先に綾と知り合っていたのに、今や彼女の傍らにいるのは健吾だ。「青木くんといるのは、あなたが考えているような理由じゃないの」綾は少し言葉を止め、どう伝えるべきか考えていた。「彼とは純粋にいいお友達よ。お互い気持ちよくいられるすごくいい関係なの。それに彼は沢山助けてくれるけど、それで何か条件や見返りを求められることは一度もなかった。私が困るようなことを彼は絶対にしないの」そう言い切ったあと、綾自身が少しハッとした。本人に伝えるわけではないけれど、健吾への想いを口にしたのは、これが初めてだったからだ。そう言われ、弘幸は長い間黙り込んだ。ようやく、低く呟くように言った。「分かったよ」「じゃあね」綾は自分のカバンを手に取ると、教室をあとにした。夕暮れ時、人気のなくなった廊下は、差し込む夕陽で橙色に染まっていた。階段のところまで歩いていくと、健吾が手すりに背を預けて佇んでいた。淡い金色の光がその身体の周りにぼんやりとした光の輪を落とし、まるで絵画のように幻想的だった。彼は手元に牛乳の紙パックを持っていて、彼女が近づくと差し出した。まぶしさに目がくらみ、綾は思わず息を呑んだ。「ずっと、ここで待っててくれたの?」彼女は受け取り、一口飲んだ。「迎えの車が遅れてきたんだ。ちょうどいいし、帰ろうぜ」そう言って健吾が先を歩き始めると、綾はストローをくわえ、その後ろをついて行った。こうして、二人の影が学校の外へと長く伸び、一つに重なっていた。車に乗り込むと、マイバッハの座席には新調された毛布が置いてあった。健吾はそれを綾の膝にかけてやった。「新品だ。寒いなら使え」「ありがとう」綾がそっと毛布に触れると、ふんわりと柔らかく、そ

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    寝る前、綾のスマホに健吾からメッセージが届いた。【来週の週末も東都フェンシング館に行かない?】綾は迷わず【行く】と返信した。続けてさらにこう送った。【フェンシングを習いたいと思って。これからは青木くんが私の先生になってね】健吾は素晴らしい先生だ。彼の指導があれば、上達もきっと早いはず。もし彼が教えるのを渋るなら、和子や湊には内緒で東都フェンシング館の他のコーチを探せばいい。そう思っていた矢先、健吾から【分かった】と簡潔な返事が届いた。綾はスマホを胸元に抱き寄せ、トキメキを感じていた。自分の体の中で不思議な変化が起きている気がした。体が急に成長したとか強くなったわけじゃない。縮こまっていた自分が、少しずつほどけていく感覚だ。まるでアニメの主人公が覚醒する瞬間のような、そんな進化だ。臆病だった自分。劣等感に縛られていた自分。廊下では誰かにぶつかるのを恐れ、俯いて縮こまって歩くことしかできなかった自分――その心の中に今、ほんの少しだけ、今までになかった何かが静かに芽生え始めていた。それはまるで、ずっと土の中でじっと待ち続け、ようやく芽を出したばかりの小さな草のようだった。月曜日に学校に行くと、綾の机には深青色の包装紙に銀のリボンがかかったチョコレートが置かれていた。その隣には、ハートのシールが貼られた水色の封筒。ありきたりな恋愛小説を読んでいれば、これの意味するところなんて明白だ。綾が眉間にしわを寄せて教室内を見渡すと、隣の女子生徒が小声で前方のある方向を指さした。視線の先には、期待に満ちた目をした弘幸の姿があった。すべてを察した綾は、即座に目を逸らした。封筒には「中野綾様」という文字。この筆跡には見覚えがある。間違いなく弘幸のものだ。綾は封筒とチョコレートを机の引き出しに入れ、平静を装って授業の準備を始めた。弘幸から初めて告白された時、伝えるべきことはすべて伝えていた。今さら贈り物や手紙を渡されても、もう一度、断るしかないのだ。1限目の授業の後、弘幸は何度か振り返ってこちらを見てきた。休み時間に教室の後ろから出るときにも、わざとらしく綾の机の前で歩みを緩めていた。だけど、綾は手紙を開こうともしなかったし、中身にも興味はなかった。一日中、弘幸はしきりに視界に入ろうと必死だったが

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    ロッカールームで服に着替えたあと、綾は湊のところへ向かった。通りすがりに健吾と目が合うと、小さく頷いてみせた。「湊、お誕生日おめでとう!」綾は背伸びをして、メダルを湊の首にかけてあげた。湊は大袈裟な仕草で胸を叩いた。「最高の誕生日だよ、思い残すことはないね」そんな彼を綾はチラッと見て言った。「もう、大げさなんだから、言いすぎよ!」だが、湊は朗らかに笑い、「さあ、帰ろうか」と促した。綾も頷いた。競技もそこそこ終わっているわけだし、学校に残ってもやることがないから。車に乗り込むと、綾はすぐに健吾にメッセージを送った。【今から帰るよ。また明日!】健吾は返信した。【最高の泳ぎだった。よくやったな】それを見て綾は表情を綻ばせて返信した。【青木くんこそ、お疲れ様!】彼女が水泳で1位になり、健吾もフェンシングで1位を取った。二人はこれで立派に肩を並べられたはず。これでもう、自分は相応しくないなんていう人はいないだろ。夕方になって家に帰ると、ドアを開けた瞬間に甘いバターとパンの香りが漂ってきた。和子がエプロン姿のまま、台所から顔を出した。「お帰り!手を洗って。ケーキを用意してあるの」普段ならまだ帰宅していないはずの和子が、わざわざ手料理まで作ってくれている。何か特別な日だったかと不安になった綾は、湊の袖を引いて尋ねた。「湊、今日は何の日?」湊はいたずらっぽく笑った。「ケーキを見れば分かるさ」するとダイニングテーブルに置かれたケーキに飾られた、チョコレートプレートに「祝・優勝」の文字が書かれてあった。綾は目を丸くして自分の顔を指さした。「これ、私のために?」湊は楽しそうに笑う。「うちで今日、水泳の金メダルを獲ったのはお前しかいないだろう?」綾はなんだか照れくさいような、嬉しいような気持ちになった。ただ学校の体育祭で競技に参加しただけなのに。和子が早めに帰宅して料理を作り、わざわざケーキまで注文してくれたなんて。綾は湊の方を見て聞いた。「もしかして、あなたがおばあさんに教えたの?」「おばあさんはそんなに疎くないさ、家族のこととなると驚くほど耳が早いんだ」湊が台所を手伝いに向かうと、幸子がもう綾をダイニングテーブルに座らせていた。「主役は座ってないと。さあゆっくりしててね」ろうそくに火

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