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第 4 話

作者: 柏璇
児童病院・救急外来。

「どうしたの?」彩乃は息を切らしながら駆け込んだ。

「陽翔が誤ってマンゴーを口にして、アレルギー反応を起こしたんだ」蒼司の声には焦りが滲んでいた。

彩乃は胸が締めつけられる。

「アレルギー?私、ちゃんと食べられない物は全部書いて渡したでしょう?注意しなかったの?」

真理が慌てて頭を下げる。

「私のせいよ。陽翔が少しマンゴーを食べたくらいでこんなことになるなんて思わなかった。本当にごめんなさい……」

「真理も悪気があったわけじゃない」蒼司はかばうように言った。「それに、君が書いた紙はなくなってしまったし、そもそも書き漏れがあったんじゃないか?」

「書き漏れ?」彩乃の怒りが一気に込み上げる。

子どもが口にできないものは彼女が一番よく分かっている。渡す前にも何度も確認したのだ。どうして書き漏れるはずがある?

しかも、それをなくしたのはそっちだ。

その時、蒼司がふと鼻をひくつかせた。

「……酒の匂いがするな。子どもがこんな状態なのに、酒を飲んでたのか?」

彩乃は怒りに震える。「子どもを連れ出したのはそっちでしょう。なのに私を」

「彩乃!」

蒼司の目は鋭く、冷たく光った。

「今君がやるべきなのは子どもの様子を見に行くことで、責任を押しつけ合うことじゃない。継母は所詮継母だな!」

胸の奥で何かがはっきりと裂けた音がした。

この言葉が蒼司の口から出るなんて。

彩乃は自分が二人の子を完璧に育ててきたと言うつもりはない。

けれど、心血を注ぎ、何よりも子どもたちの幸せを願ってきたのだ。

それを、真理をかばうためにこうして突き放すなんて。

自分のことは、ただの出来の悪い継母だと思っているの?

やり場のない悔しさと息苦しさが胸にたまる。

「陽翔君の保護者の方、こちらへ」病院スタッフの呼びかけに、三人は同時に診察室へ入った。

主治医は五十代ほどの女性医師だった。

「どなたが保護者ですか?」

「私たちです!」真理はすかさず蒼司の腕を引き、前に出る。その表情は愛情深い母親そのもの。

彩乃は二人の後ろに立ち、ただ子どもの様子を聞くことだけを願っていた。

医師は険しい表情で言った。

「もう六歳ですよ?何が食べられて何が食べられないのか、分かっていないんですか? アレルギーを軽く見てはいけません。命に関わることもあるんです。今日はまだ食べた量が少なかったからよかったものの、もっと多ければ間に合わなかったかもしれません」

真理は再び謝る。「私の不注意です……」

「あなたもですよ、お母さん」医師は容赦なく言った。

真理は困ったように視線を揺らし、「……私は小さい頃から一緒にいなかったので、アレルギーのことは知らなかったんです。それに、この子たちってよくアレルギーを起こすんです。育った環境のせいじゃないですか?」

それはまるで、彩乃の育て方に責任があると言っているようだった。

医師は淡々と答える。

「アレルゲンが多いのは、環境や遺伝など色々な要因があります。ただ、一番影響するのは母親の妊娠中の食生活です」

真理はわずかに顔を下に向ける。

妊娠中、家の状況が激変しでメンタルも不安定になり、食事にも気を遣わず、酒まで口にしていたあの頃を思い出したのだろう。

医師は察し、さらに尋ねた。

「離婚されているんですか?じゃあ、誰が育てているんです?」

蒼司の視線が彩乃に向けられる。

彩乃は一歩前に出て、「……私が子どもたちの継母です」

「アレルギーのことは存じてましたか?」医師が問う。

「知っていました。実母が連れて出かけるので、注意事項を書いて渡しました。でも、その紙は失くされたんです」

蒼司の眉がわずかに寄る。

彩乃に真理を責めさせたくないのだろう。

だが、彩乃は構わず医師に尋ねた。

「子どもは大丈夫ですか? 吐いたり、熱は出ていませんか?」

その真剣な様子に、医師はすぐ分かった。

この継母は本気で子どもを大切にしている。

一方で、実母はここまで一言も症状を聞こうとしない。

医師は彩乃を手招きし、点滴や入院の必要性を説明した後、「数日観察して問題なければ退院できます」と伝えた。

「ありがとうございます」彩乃は深く息をつく。

そして医師は二人を睨むように言い放った。

「子どもをきちんと見られないなら、無理に連れ出さないように。育児は決して簡単なことではありません」

真理は顔を赤らめ、泣きそうになりながら病室を出ていった。

病室へ向かう途中、真理は自嘲気味に言った。

「私、母親失格だね。私の不注意で……」

蒼司はすぐ否定した。「君のせいじゃない。何にアレルギーがあるか、知らなかっただけだろう。大事にはならなかったし」

病室に入ると、彩乃が陽翔を見ようとしたが、真理が先にベッドへ近寄った。

二人は両側に立ち、陽翔を見守る。あの光景は本当に和やかで温かかった。

蒼司は小さな手を握り、「陽翔、パパが悪かった。これからはもっと気をつける。ごめんな」

陽翔は唇を尖らせ、真理の存在に不満げで、何も答えない。本当は彩乃にそばにいてほしいのだ。

その様子を見た彩乃は若葉を連れて病室を出た。

廊下の椅子に座ると、若葉が首に腕を回し、「ママ、悲しまないで。パパがいなくても、私がいるから」

彩乃は胸の奥がさらに痛んだ。

「……ママは大丈夫よ」

病室では、真理が穏やかに微笑んでいた。

「よく息子は母親に似るって言うけど、陽翔の目、私そっくりでしょ。若葉の性格も……まるで私みたい」

蒼司は若い頃の真理を思い出す。

恐れ知らずで、真っ直ぐだったあの頃。

「確かに似てる」

真理は少し目を伏せた。

「でも、昔のアルバムは全部なくなっちゃった」

破産し、家も手放し、慌ただしく逃げるように去った日々。何も残せなかった。

「また撮ればいいさ」

真理は涙を浮かべ、「妊娠したばかりの頃、あなたが作ってくれた天ぷら、美味しかったな……」

「……まだ食べたい?」

「もういいわ。昔のことだから」真理は鼻をすすり、立ち上がったが、すぐにベッドの足元にぶつかった。

「真理!」蒼司は慌てて支える。

「平気よ……ただ、体力がなくて。栄養不足が長引いたせいかも」

「無理するな。送っていく」

「いいの。今日は慎太郎たちと食事の約束があるでしょう?私のせいで行けなくなるなんて嫌よ。顔だけ出して、帰りに洗面道具を取ってきてくれる?」

昔の真理は明るく笑顔を絶やさず、彼の友達たちとも打ち解けていたものだが、今では……

蒼司は「じゃあ、ちょっと行ってくる」と応じた。

「ええ」

廊下に出ると、蒼司は若葉を抱く彩乃に言う。

「昼間、慎太郎たちと食事の約束をしていて、人も多いし欠席するのも気が引ける。すぐ戻るから」

彩乃は、それがただの伝達だと分かっているので、軽くうなずくだけだった。

蒼司が去ると、彩乃は若葉を連れて病室へ戻る。

父親がいなくなった途端、陽翔は真理を睨み、「ママがいるから、あなたは出てって」

真理は唇を震わせながらも、「陽翔、ママは心配なのよ」と声をかける。

陽翔が何か言い返そうとした瞬間、彩乃がそっと遮った。

「……陽翔、休みなさい」

やがて病室は静まり返り、若葉は彩乃の腕に身を預けた。

真理はスマホを握り、何度も振動を確認している。

「用事があるならやってきていいよ。弟のそばにいなくても大丈夫です」若葉が言った。

6歳の子どもたちは、まだ「実の親かどうか」という意識からくる関係を理解していない。

ただ、自分たちを育ててくれたのが「母親」だという事実だけを知っている。

だからこそ、今の幸せな生活と大好きな母親が脅かされていると感じれば、突如現れた真理に強く拒否反応を示すのだ。

真理は優しい笑みを作る。

「違うの、パパからのメッセージよ。洗面道具をお願いしたの」

そう言って、わざわざ画面を若葉に見せた。

その瞬間、彩乃の心は冷たく揺れた。

目に映ったのは、蒼司の細やかな気遣い。けれど、それは自分に向けられたものではない。

ほどなく真理が頬を少し赤らめて言った。

「ごめんなさい彩乃、蒼司には分からない私物もあるから、自分で取りに行くわ。すぐ戻るから、それまでお願いね」
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