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第2話

Auteur: 如子
瑠奈は一人で長い間リビングに座っていた。夜になってようやく車椅子を押し、書斎の前まで移動して、ドアを軽くノックした。

修は電話を慌ただしく切って出てきた。

「瑠奈の誕生日、俺、勘違いしてたみたい。ちょうどもうすぐ結婚三周年の記念日だし、一緒にお祝いしない?君の行きたい場所なら、どこでも付き合うよ」

瑠奈は彼を一瞥し、静かに口を開いた。

「スイスに行きたいの。初雪が見たい」

その言葉を聞いて、修の目にかすかな驚きがよぎった。

「初雪?一ヶ月もすれば京ヶ原にも雪が降ると思うよ。家でお祝いしよう?瑠奈の足は不自由だし、そんな遠くまで行くのは大変だよ」

瑠奈は首を横に振った。めったにないことだが、彼の提案をはっきりと拒絶した。

彼女の命は、もう15日しか残されていなかった。一ヶ月後なんて、とても待てない。

彼女がそれほど強く望んでいるのを見て、修もそれ以上は何も言わず、素直にクリスマス当日のスイス行きの航空券を予約した。

瑠奈にはわかっていた。彼がきっと承諾してくれることは。

それは他でもない、彼の日記に何度も書かれていたからだ。

彼が陽菜とのデートから帰ってくるたびに、罪悪感に苛まれて、どうにかして彼女に償おうとする。

瑠奈はスマホを取り出し、時計のアプリを開いて、新しいカウントダウンを設定した。

タイトルは、

終わりのカウントダウン。

チケットを取り終えた修は、優しい笑顔を浮かべながら彼女を見た。その声には、どこか甘やかすような響きがあった。

「クリスマスのスイス行き、ちゃんと予約したよ」

瑠奈は彼の視線が自分の手元を通り過ぎ、何かを見たようでいて、結局そのまま何も気づかず目を逸らすのを感じながら、そっとうなずいた。

彼女の了承に安心したのか、修はそのままバスルームへと向かった。

その背中を見送りながら、瑠奈はふっと笑みを浮かべた。

昔なら、彼は彼女が何をしていてもすぐにそばに来て、首を突っ込み、あれこれ聞いて注意を引こうとした。

でも今は、スマホの画面に大きく表示された「終わりのカウントダウン」を彼の目が確かに通り過ぎたのに、何一つ気づかなかった。

やっぱり、もう愛されていないんだ。

お互い、見ているだけで疲れるようになったなら、それはそれで悪くない。

あともう少し。あと15日、我慢すればいい。

すべての痛みが、終わるのだから。

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