10年前、私は成瀬風馬を救うために失明した。 10年後、彼は愛人と私を同じ別荘に住まわせ、夜の前半は私を寝かしつけ、後半は愛人と密会していた。私の息子まで、こっそり彼女を「ママ」と呼んでいた。 彼らは知らない。私の目はもう見えていること、そして、ここから消えようと画策していることを。
View More孝之は、凛音の額に寄った眉間の皺をそっと指でなぞった。「それなら、式を延期しようか。俺が一緒に帰国するよ」凛音は首を横に振った。「いいの。私っていう希望があるからこそ、風馬はまだ踏ん張れる。けどもし私が行ったら、もう思い残すことはないって、そのまま逝ってしまうかもしれないから」二週間後、海辺の教会で、ふたりは結婚式を挙げた。柔らかく流れるピアノの旋律の中、凛音はついに夢を叶えた。自分の手でデザインしたウェディングドレスに身を包み、赤い絨毯の上をゆっくりと、最愛の人のもとへ歩んでいく。指輪をはめた瞬間、孝之の目に涙が溢れた。長年の片想いが、ついに現実になった。「凛音、俺と結婚してくれてありがとう。夢が、叶ったよ」泣きながら、凛音は彼の首に腕を回した。「ありがとう、もう一度家族をくれて」神父と親しい人々の見守るなか、ふたりは誓いの言葉を交わし、静かに唇を重ねた。その頃、風馬の病室では、心電図モニターが突然、鋭く耳障りな音を立て始めた。「ピピピ」医師と看護師が懸命に処置を試みたが、その命を救うことは叶わなかった。画面の波形はついに一直線となった。父は脳梗塞で寝たきりのまま。これで成瀬家の柱は、あっという間に崩れ落ちた。残されたのは、母親と視力を失った大地だけだった。葬儀の日、凛音と孝之も参列した。二人は少し離れた場所に立ち、静かに弔いと埋葬、お墓の建立を見守っていた。多くの参列者が三礼して去っていき、最後まで残ったのは大地だけだった。彼は風に鼻をくすぐられたように空気の匂いを嗅ぎ、そっと口を開いた。「ママ、来てくれたの?」暗がりから出てきた凛音は、そっと彼を抱きしめた。墓碑の写真を見ると、風馬の遺言だったのか、それとも成瀬家の偶然の選択か、そこには18歳の風馬の姿が刻まれていた。彼女の記憶の奥深くに残る、あの頃最も彼女を愛していた少年が、学校のガジュマルの木の下で無邪気に笑っていた写真だった。「凛音、俺は一生君を大事にする。絶対に裏切らない。もし嘘をついたら、雷に打たれて死んでも構わない!」その瞬間、凛音の中にあった風馬への愛も憎しみも、すべて煙のように消えていった。さっきまで参列していた人々と同じように、彼は、もう彼女の人生の通りすがりに過ぎなかったのだ。凛音は、腕の中の苦しむ大地に視線を落とし
風馬と大地が帰国した。だが、空港に到着するや否や、すぐさまマスコミに囲まれてしまった。「成瀬社長、あなたが西口さんに無理やり関係を迫ったという告発について、どうお考えですか?」「成瀬家はお金でこの件を解決しようとしているのですか?」「以前、西口さんはずっとあなたの婚約者として振る舞っていましたが、いまだに結婚式を挙げていないのは、元妻の凛音さんが原因なのでは?」次から次へと浴びせられる質問に、風馬はさすがに呆気に取られた。数日間海外に行っていただけなのに、夕子はまた何をしでかしたんだ!彼は同行していたボディーガードに指示して人混みをかき分け、車に乗り込むとすぐさま弁護士に連絡を取った。「俺がいない間に、一体何があった?」「子どもを手にかけてからというもの、西口さんの精神状態はずっと不安定で、西口家のご両親が現れて、喜んで別れの慰謝料として1億を受け取って、彼女を実家に連れ戻しました。ところが、しばらくして彼女はまた勝手に戻ってきて、ネットにある音声をアップしたんです。車の中であなたと関係を持った時の録音で内容から判断すると、あなたが彼女を無理やりという風に聞こえてしまうんです」風馬はスマホを握りしめた。まさか最初から夕子は自分を陥れるために仕組んでいたのか?あの時、彼女の方から誘惑してきたくせに、彼が抱き寄せた時には、口では嫌がるそぶりを見せていたが、それも拒むふりの演技かと思っていた。まさか、彼を陥れる証拠にされるとは。「夕子は、今どういうつもりなんだ?」「直接話したいそうです。あなたが提示する条件に満足すれば、それで手を引きます。納得できなければ、警察に行くって」そして、またもや風馬と夕子の名前が並んでトレンド入りした。前回の私生児の騒動が落ち着かないうちに、今度はまた新たな騒動が起きた。ふたりがカフェで話し合っていた最中に、夕子がどこからかナイフを取り出し、いきなり風馬に向かって刺した。幸いにも、その場に居合わせた客がとっさに取り押さえてくれたおかげで、風馬は命を取り留めたが、それでも背中は血で染まった。病院に運ばれた彼は、危篤通知を三度も出され、十時間にも及ぶ緊急手術の末、ようやく命を繋ぎとめた。だが、大量の失血により、彼は昏睡状態に陥ってしまった。依然として予断を許さない状況だった。夕
風馬と大地は、目の前の光景に心が引き裂かれる思いだった。やっとのことで凛音の行方を突き止め、花を買って駆けつけたのに、目にしたのは想像もしていなかったシーンだった。風馬はステージへ駆け上がり、祈るような目で凛音を見つめる。「受けないでくれないか?俺が悪かった。夕子とは完全に縁を切ったし、あの子ももういない。もう俺たちの間を邪魔するものなんて何もない。長年愛し合ってきたんだ。しかも、子どもまでいるんだよ。お願いだ、もう一度だけチャンスをくれないか?」孝之は凛音の前に立ちはだかり、風馬に拳を振るって地面に叩き伏せた。彼はしゃがみ込み、風馬の襟元をつかむ。「この前の殴られ方じゃ足りなかったか?凛音は今、俺の婚約者だ。くだらない妄言を吐き続けるなら、成瀬家といえども容赦しない」前回、風馬は孝之の存在すら知らなかった。しかし今回は違う。すべてを準備した上で、孝之の警備をかいくぐって凛音の前に現れたのだ。入口から十数名のボディーガードが押し入ってきて、孝之のボディーガードたちとにらみ合う。会場の他の人々は巻き込まれるのを恐れ、隅に身を隠していた。風馬は再び片膝をつき、凛音に向き直る。「凛音、俺はどうしようもないほど最低だった。でも、夕子はただの憂さ晴らしの相手だった。俺が愛していたのは最初から最後まで、君だけなんだ」彼は幼い頃から凛音しか見てこなかった。彼女のために、どれだけ多くの女性の想いを断ってきたか数えきれない。けれど、あの日どうしてあんなことになったのか自分でも分からない。ただ、凛音よりも積極的な夕子の誘惑に、抗えなかった。しかも、彼女が初めてだったこともあって、自分でも信じられないほど甘やかしてしまい、関係を断てず、彼女を凛音の家にまで住まわせてしまった。凛音が一生目が見えないままなら、愛する人と結ばれながら、より情熱的な肉体も楽しめる。そんな醜い妄想さえ抱いていた。だから夕子の子を産ませた。でも、彼女は欲をかきすぎて、凛音の前に出てきてしまった。まさか、本当に奇跡が起きて、凛音の目が見えるようになるなんて思ってもみなかった。今さらどれだけ後悔しても、取り戻せない。ただ凛音の許しを乞うしかない。風馬の言葉に、孝之の怒りが再び燃え上がる。凛音は慌てて彼の手を掴み、振り返って風馬を見る。「そうね、長年愛し合ってきた。
一週間の待機期間を経て、すべての審査結果が出揃い、実行委員会からは全ての参加者に対して最終授賞式への招待が届いた。凛音は鏡の前でドレスの裾を整えていた。そこへ孝之が現れ、彼女の首にそっとパールのネックレスをかけてあげた。「すごく似合ってる、気に入った?」そう言って彼は彼女の頬にキスを落とし、優しい眼差しで見つめた。凛音は手を伸ばして、自然光の中でほのかに輝く真珠に触れる。そして彼の胸元に身を寄せながら振り返り、正面から向き合った。「今日、一緒に来てくれない?もし私が受賞したら、あなたにもそばにいてほしいの」孝之はため息をつき、彼女を抱きしめながら申し訳なさそうに言った。「ごめん、俺も一緒に行きたいけど、今日はどうしても外せない予定があるんだ」凛音は目を伏せた。「うん、わかった。仕事、頑張ってね」孝之と友里は、凛音を乗せた車が見えなくなるまで見送った。友里は確信を持ったように言った。「義姉さん、絶対浮気疑ってるよ。今にも泣きそうだったじゃん」孝之は彼女の頭を軽く叩いた。「俺がそんなクズに見えるか?さっさと行くぞ、遅れる」授賞式の会場、凛音は一人で席に座っていた。頭の中では、孝之の「どうしても外せない予定」が何なのか、ぐるぐると思考が巡っていた。ふと、隣の人に軽く肩を突かれ、ようやく我に返る。壇上では司会者が先ほどの発言をもう一度繰り返していた。「花岡様、本大会で見事一位を獲得されました。どうぞステージへお上がりください」巨大スクリーンには彼女のデザイン作品が映し出され、有名なラグジュアリーブランドの社長がプレゼンターとして壇上に立っていた。凛音は感極まり、立ち上がる。トロフィーを高く掲げた彼女は、ライトに照らされて、まるで輝く星のようだった。「審査員の皆さま、本当にありがとうございます。そして、もう一人感謝したい人がいます。本当は今日ここにいてほしかったけど、聞いてくれていると信じています。なお、今回の賞金はすべて、世界の視覚障害児支援団体に寄付いたします。少しでも多くの子どもたちに、光を取り戻すチャンスを……」感謝の言葉を述べ終え、凛音がステージを降りようとしたその時、司会者が彼女を呼び止めた。「花岡様、ちょっとお待ちください。あそこにいらっしゃるのは、先ほど残念ながら会場に来られなかったという
夕子は呆然としたまま、腕の中の子供を見つめていた。最後にこの子が泣いたのはいつだっただろう。最後に何かを食べさせたのは、いつだった?まさか、自分の手でこの子を窒息死させたのでは……?夕子は子供の死体を強く抱きしめ、顔を上げて風馬と大地を見た。すると、彼らの表情に一瞬、ほくそ笑むような色が浮かんだのを見逃さなかった。風馬は上から目線で言い放った。「これで完全に終わりにしよう。前に約束した1億円に加えて、別荘を一つやる。これで、今後二度と俺の前に現れるな」夕子は冷酷な父子を見つめ、この境遇に陥った全ての原因は彼らにあると確信した。今の彼女にあったのは憎しみだけ。1億円?普通の人なら一生暮らせる金額かもしれない。だが、風馬に贅沢を覚えさせられた彼女にとっては雀の涙だ。風馬が彼女に贈ってきたバッグやアクセサリーは、どれも何千万円単位だった。1億円なんて、到底足りない!何より、長年富裕層の生活に慣れた身で、今更働くなんて無理だ。その程度の収入では満足できるはずもない。なら、また別の金持ちを見つけて養ってもらうしかない。でも、彼女と風馬の関係はすでに世間に知れ渡っていて、誰も彼女なんか相手にしない。どこの奥さんも、悪名高い女を夫のそばに置くなんて絶対に許さない。だから、彼を手放すわけにはいかない。風馬から離れたら、生きていけないのだ。彼を掴んで離さないこと。風馬だけが、彼女に望む贅沢な暮らしを与えてくれる唯一の存在なのだ。彼女は命がけで子供を産み、子供を使って結婚を迫った。それもすべて、風馬に結婚を承諾させるため。でも今自分の手で、最も大切な子供を、成瀬家へ上り詰めるための唯一の方法を壊してしまった。夕子は完全に壊れていた。子供の死体を抱いたまま、成瀬グループのビルの前で、泣き笑いを繰り返していた。その頃、風馬と大地は、再びF国へ向かう飛行機に乗っていた。すべての厄介事は片付いた。あとは、凛音の許しを得るだけだった。一方、F国。凛音は孝之と友里の支えのもと、自身のファッションブランドを立ち上げた。大胆なカラーリングと独創的なデザインは、彼女の最初の作品から話題を呼び、世界的なファッションコンテストの主催者の目に留まった。彼らは凛音にオファーを出し、今回のコンテストへの参加を要請してきた。招待状を手にした
彼女は大金をかけて、子どもと風馬の親子鑑定を密かに行い、さらに友人に依頼してライブ配信用の機材を届けさせた。産後で身体はボロボロ、顔色も悪かったが、それでも彼女は精一杯、哀れで儚げな姿を作り上げた。すべての準備が整うと、夕子はカメラを自分の腫れぼったく蒼白な顔に向け、震える指でDNA鑑定書を掲げ、涙をこぼしながら話し始めた。「皆さん、私は成瀬グループ社長、成瀬風馬の婚約者、西口夕子(にしぐち ゆうこ)です。今日の配信は、私たちの子どものために正義を訴えるためのものです」彼女は赤ん坊をカメラの前に抱き上げ、嗚咽混じりに語った。「この子は生まれてまだ一週間も経っていません。それなのに、彼の父親は認知しようとしないんです。こちらが風馬とのDNA鑑定書。親子一致率は99.99%です。彼が私にプロポーズしたから、君だけを愛してるって言ったから、私は彼の子を産んだのに、今じゃ認めないどころか、この子を床に叩きつけようとまでしたんです」配信を見ていたネットユーザーの多くは最初彼女が誰か分からなかったが、やがて半年前に他人の婚姻を破壊した不倫相手だと気付き、厚かましくも婚約者を名乗る態度に激怒した。ネット上では夕子を「不倫女」と罵る声が殺到する中、「どんな事情があっても子供だけは無罪だ」と擁護する意見もちらほら見られた。【不倫女の子どもなんてただの私生児、一緒に地獄へ落ちろ】【いや、女も悪いけど、男も最低じゃないか?ゴミ同士でお似合いだよ!そしてその子供もな】【子ども使って金むしろうとしてるだけでしょ】【まぁでも、子どもは無関係だよな……】バラバラなコメントが飛び交ったが、夕子は全く気にしなかった。彼女の狙いはすでに果たされたのだ。さらに話を続けようとしたその時、ライブ配信が突然途切れた。廊下から誰かが駆けてくる足音が響き、病室のドアが勢いよく開かれた。風馬が現れた瞬間、赤ん坊を抱いた夕子は、勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。「風馬、私は今でもあなたを愛してる。本気であんたの妻になりたいと思ってるの」だが、風馬は冷たい目でその計算尽くされた女を見下ろした。愛だのなんだの、所詮は金目当てだろう。彼の胸に広がったのは、底のない虚しさだった。この世界で、自分を本当に愛してくれたのは凛音ただ一人。だが、その彼女を自分は失っ
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