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月明かりはあなたの瞳に沈んでいく

月明かりはあなたの瞳に沈んでいく

By:  流星Completed
Language: Japanese
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Synopsis

切ない恋

ドロドロ展開

病的

ひいき/自己中

クズ男

愛人

婚姻生活

不倫

10年前、私は成瀬風馬を救うために失明した。 10年後、彼は愛人と私を同じ別荘に住まわせ、夜の前半は私を寝かしつけ、後半は愛人と密会していた。私の息子まで、こっそり彼女を「ママ」と呼んでいた。 彼らは知らない。私の目はもう見えていること、そして、ここから消えようと画策していることを。

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第1話
「友里、交通事故を仕組んでくれない?死者は私でいい」花岡凛音(はなおか りおん)は親友に電話をかけ、かすれた声でそう切り出した。電話の向こうから、高橋友里(たかはし ゆり)の心配そうな声が聞こえた。「どうしたの?まさか風馬に何かされたの?」凛音は顔を上げた。成瀬風馬(なるせ ふうま)の浮気を知ったあの瞬間、涙はもうすべて乾ききっていた。10年ぶりに感じる陽光を見つめながら、彼女は呟いた。「もう、ここから消えたいの。頼れるのは、あなただけなんだ」友里は即答した。「半月後、うちの兄がちょうど隣町で契約の話があるの。そのとき、一緒に連れて行かせる」「うん」ちょうどそのとき、背後の寝室のドアが開いた。凛音は慌てて通話を切った。背後から、広い腕が彼女を抱きしめてきた。「ごめん、急に会社でトラブルがあって、次は必ず一緒に病院に行くから。それより、今日の診断結果は?佐藤先生、なんて言ってた?」風馬の言葉に、凛音の思考は朝の記憶へと引き戻される。十年前、凛音は風馬を助けるために事故に遭い、その代償として視力を失った。風馬は彼女の目を治すために、成瀬病院を立ち上げ、世界中の眼科専門医を高額で招き、数百億円もの資金を投じて視神経の再生治療に取り組んだ。それから十年間、凛音は毎週欠かさず病院での治療を続けてきた。521回、一度も奇跡は起こらなかった。本当は、もう諦めたかった。けれど、風馬が何度も彼女の前で膝をつき、泣いて頼んだ。やがて、彼らには子供も生まれ、風馬の説得には子供のためにという理由が加わった。「俺たちの子の顔、君もこの目で見たいって思わない?お願いだから」彼女の息子も、毎年の誕生日に「ママの目が見えるように」と願ってくれた。風馬への愛と、我が子の顔を一目見たいという執念それだけが、凛音を支えてきた。でも、ようやく視力が戻ったその日、彼女は期待に胸を膨らませて風馬の会社を訪ねた。そこで目にしたのは、見知らぬ女をデスクに押し倒し、欲望にまみれて絡み合う風馬の姿だった。男の荒い息遣いと女のあえぎ声が、冷たい氷水のように彼女の全身を打ち付けた。これが、風馬がどうしても参加しなければならない緊急会議だったのか。ドアのそばから机にかけて乱雑に散らばる衣類、床に落ちた書類、それらすべてが、ふたりがどれだ
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第2話
風馬はため息をついた。それが落胆なのか、それとも安堵なのか、自分でも分からないようだった。「大丈夫、君がこの先ずっと見えなくても、俺はずっと君を愛してるよ。明日また病院の眼科に20億円投資するよ。研究、もっと早く進めてもらうから。でも、今はご飯の時間だ。ちゃんと食べないとな。行こう」そう言って、風馬は凛音を抱き上げた。かつては甘く幸せだったその仕草も、今の凛音にはただただ気持ち悪いだけだった。体がこわばり、力が入る。ダイニングに着いた。「ママの隣がいい」大地がはしゃいだ声を上げた。だがその手は、まだ椅子の上に立ったまま、あの女の口元をナプキンで拭っていた。しかも、食卓では大地とその女が向かい合って座っている。彼らが凛音にあの女と同じ側に座れと言うはずもなかった。すべては出来レースだ。彼らは決められた配役を、凛音の目の前で演じているだけ。あの女はバスローブ姿で風馬の隣に座り、まるでこの家の女主人のような顔をしていた。風馬は凛音のためにステーキを切り、エビの殻を剥き、大地は凛音のために水を注ぐ。すべてがかつてと同じ日常のように見えた。ただ違っていたのは、今の凛音には、その女の目に宿る嫉妬がはっきり見えたこと。凛音は口に運んだ食事が砂のように味気なく感じた。風馬が自分のためにエビの殻を剥くその手は、今朝、他の女の体を撫でていた。吐き気がこみ上げる。凛音が席を立とうとした瞬間、その女は堂々と風馬の手をバスローブの中に引き入れた。風馬は一瞬抵抗しようとしたが、彼女の手に押さえつけられ、そのまま彼女の動きに合わせて手を動かされた。ついには、その女の手が離れても、風馬の手は動こうとしなかった。猛烈な嫌悪感が凛音を襲った。もう抑えきれないテーブルに手をつき、彼女は激しく嘔吐した。大地が急いでティッシュを取りに走り、風馬が背中をさすろうと手を伸ばしてきた。だが、その手が今まで何をしていたかを思い出すと、凛音はぱっと手を払いのけ、冷たい声で一言放った。「汚い」風馬は意味が分からない様子で、傷ついたように眉をひそめた。「俺、エビ剥いてた手だぞ?本当に大丈夫か?病院に連れていく」凛音は彼を押しのけるようにして立ち上がった。「平気」彼女は寝室に戻り、シャワーを浴びた。湯気が立ち上り、鏡の中にぼんやりと
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第3話
浴室から出ると、風馬がソファに座って彼女を待っていた。彼はすぐに凛音を抱き上げ、布団の中へ押し込むようにして強く抱きしめた。「凛音、今日どうした?病院で何かあった?何でも俺に話して。俺が君の支えになるよ」彼女は、風馬が佐藤(さとう)先生に電話でもしたら厄介だと考え、適当に誤魔化した。「大丈夫。多分、ちょっと寝不足なだけ」ちょうどそのとき、風馬のスマホが鳴った。風馬は凛音に隠すこともなく、画面を開いた。「夕子ちゃん」と登録された人物から、写真が送られてきた。猫コスチュームを着た女がベッドに跪き、上目遣いでカメラを見つめる。【寝室でご主人様をお待ちしてます】風馬は呼吸を止めたまま、思わず口元を緩めて返信した。【凛音を寝かしつけたら行くよ】【今すぐがいいな。彼女は見えないから、一人じゃ階段降りられない。私、会いたくてたまらないの】風馬はスマホの画面を消し、凛音の額にキスを落とした。「会社で急ぎの用事が入った。書斎に行ってくるから、先に寝てて。待たなくていいよ」そう言い残して、そそくさと部屋を出て行った。ベッドに取り残された凛音は、真っ白な天井をじっと見つめていた。きっと風馬の心の奥底では、彼女の目はもう治らないと、どこかで諦めているのだろう。ここまで好き放題に振る舞い、何の遠慮もない。凛音は静かにベッドを出て、階段を降りる。一階には誰もおらず、右手の寝室から、男女の戯れ合う声が漏れていた。「夕子(ゆうこ)、誰の許しを得てこんなことを?凛音がまだ寝てないのに、よくも俺を誘ったな」「ちゃんと来たじゃない」ドアはわずかに開いていた。凛音はその隙間から、ベッドの上で絡み合うふたりを見た。部屋全体がおしゃれでピンク色に装飾されており、少なくとも1年以上前から使われているようだった。つまり、彼女が信じていた幸せな三人家族には、とうの昔に愛人の存在がいたのだ。風馬は、正妻と愛人を同じ屋敷に住まわせていた。前半夜は凛音と過ごし、夜更けには階下の自分の部屋へ戻り、夕子と抱き合う。なんと刺激的なことだろう。凛音は口を押さえ、心の悲鳴が漏れないようにした。しかし、振り返ると、夜勤の家政婦と鉢合わせた。「奥様?なんでここに?」寝室のドアが開き、風馬が、乱れた服装のまま飛び出してきた。その後ろからは夕子が彼
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第4話
それからの数日間は、凛音が真実を知った日と、何もかもが同じだった。三人で外出して、帰ってきたら、彼女に隠れて、静かに家族ごっこを演じる。夜になると、風馬は決まって階下に降りて夕子と体を重ね、明け方には何事もなかったかのように彼女の元へ戻ってくる。凛音は黙って、その茶番を見守った。それからは、必要がない限り、二階の寝室から出なくなった。そして、また診療の日がやってきた。朝、目覚めると風馬はいつものようにキスをくれ、凛音を支えながら階下へ降りて朝食を取った。その時だった。いつもルールを守り、絶対に口を挟まない夕子が、突然、えずき始めた。風馬と大地の顔色が変わった。風馬はとっさに夕子の口元を覆おうとし、大地は心配そうに彼女を見つめながら、口パクで訊いた。「夕子おばさん、どうしたの?」凛音は、慌てふためく父子の姿を見ながら、あえて問いかける。「どうしたの?」「家政婦が、急に吐いちゃって」風馬はとっさにそう答えた。そして信ぴょう性を持たせるために、空中に向かって家政婦を罵り始めた。そのとき凛音は見た。風馬が家政婦と呼んだ瞬間、夕子の目に嫉妬と悔しさがよぎったのを。朝食は慌ただしく終わり、三人は夕子の部屋へ入っていった。中で何を話していたのかはわからない。だが、突然、大地が小さく「やったー」と叫び声をあげ、すぐに静かになった。誰かに聞かれたくないというように。しばらくして三人が出てきた。大地は真っ先に凛音の頬にキスした。「ママ、幼稚園に行ってくるね」風馬も彼女の前でしゃがみ込んだ。「今日も会社に行く。凛音と離れるのが寂しいよ」もし凛音が本当に見えていなければ、彼の声音だけで信じてしまったかもしれない。優しく口元にキスを落とし、「子どもみたいな人ね」と笑ったかもしれない。「今日は診察日よ。前に次は必ず一緒に行くって、約束したわよね?」風馬の表情を見れば、彼が完全にその約束を忘れているのがわかった。日付も。そして約束も。「あっ、思い出した。今日は幼稚園で保護者会があるんだった」大地もすぐに額を叩き、「パパが行かなきゃダメなんだよね」と続ける。「そうだそうだ、すっかり忘れてたよ」見事な演技を披露する父子を見て、凛音は微笑んだ。「いいわよ。行ってらっしゃい」ふたりが出かけてすぐ、凛音
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第5話
風馬は凛音が、生気を失っていることに気づいた。以前の彼女は、目が見えないにも関わらず、庭でコーヒーを飲むのが日課だった。「自然を感じたいの」と言ってた。大地と一緒に積み木で遊んだり、テレビのニュースに耳を傾けたり、時には家政婦の手を借りて、彼らのために料理までしてくれた。そんな彼女は明るく、自由だった。けれど今の彼女は、食事以外はずっと二階の寝室に閉じこもり、窓の前に座って、ただ空を見つめているだけ。まるで、もうすぐ枯れてしまう花のように、色も香りも、何一つ残っていない。風馬は突然変わった彼女の様子に、胸中で慌てふためいた。「凛音最近、なんだか変だよ。もしかして、この前も診療に付き添えなかったから、怒ってるのか?次は絶対、一緒に行くから。約束するよ。だから、無視しないでお願いだよ」最後の言葉には、かすかに涙がにじんでいた。そんなに彼女を失うのが怖いなら、なぜ他の女をそばに置く?なぜ、あの女と同じ家で、しかも堂々と暮らしている?ついさっきまで夕子の部屋にいたくせに。唇の端には、まだ口紅の痕が残っている。彼女の目が見えないからって、好き放題にしていいと思ってるの?その目は、誰のために失ったと思ってるの?凛音は手を上げた。風馬はいつものように、彼女の手を自分の頬に導いた。指先で、彼の顔をなぞる。愛したあの少年の面影は、確かにそこに残っていた。少しだけ、大人びて、落ち着いた顔立ちになった。でも心は、もう変わってしまった。もう、あのとき命を懸けてでも守ろうとした人じゃない。その時外から、ドン、ドン、ドンと音がした。空には花火が打ち上がり、川面を色に染めていた。遠くから、聞こえてきた。芝生の上で、大地が夕子の耳元に叫ぶ。「見て、見て!これはパパが夕子おばさんのために用意したんだよ!妹が生まれるお祝いだって」凛音は、かすかに笑みを浮かべながらつぶやいた。「外で花火が上がってるの?久しぶりに、見たかったな」風馬は優しく微笑みながら言った。「君の目が治ったら、三日三晩、花火を上げ続けるよ。思う存分見られるように、ね?凛音、君は絶対、自分を諦めないで。俺も、大地も、ずっと君のそばにいるから」彼は彼女を抱きしめ、優しく囁いた。風馬は凛音が診療の結果が悪かったから落ち込んでると思ってる。でも
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第6話
そのとき、凛音はやっと気づいた。今日、風馬と大地が彼女を連れて来たのは夕子の誕生日パーティーだった。しかも、風馬の両親も友人も、全員そこにいた。記憶にある顔が、ひとつ残らず夕子の周りに集まり、笑い合い、祝っている。これが、風馬の言っていた「君を元気づけたい」なのか?彼女は父子にスピーカーの近くへ案内され、水とケーキを渡された。「凛音、ちょっとここで座ってて。大地と挨拶してくる」そのまま、風馬は夕子の前に片膝をつき、彼女の膨らんだお腹にキスを落とした。大地も跳ねるように彼女に向かって叫んでいた。「ママ!」風馬の友人たちは、興奮して言った。「義姉さん」そして、風馬は凛音の方をちらりと見てから、人差し指を口元に当て、彼らに合図を送った。「静かにしろよ。凛音に聞かれたらどうする」かつて、彼女が風馬を助けて怪我をしたとき、一週間寝ずに看病してくれた風馬の母親は、今やこう言った。「何をそんなに恐れてるの?聞かれたって関係ないでしょ。あの女は目が見えないんだから、あんたなしでどこに行けるっていうのよ。夕子のお腹にはうちの孫がいるんだから」友人たちも笑いながら続けた。「そうそう、俺たちみたいな身分なら、女が何人いるのは当たり前。お前は一人だけだし、凛音に誠意見せてるだろ」風馬は顔をしかめ、真剣な表情で言った。「俺の妻、成瀬家の奥様は凛音だけだ。このことは絶対に外に漏らすな」「わかった、わかった。俺たち、口は堅いから。だいたい、お前がずっと凛音さんを屋敷に閉じ込めてるから、俺たちも話す機会なんてないしな」彼らは、彼女がスピーカーの近くに座っているから聞こえないと思っている。だが、盲目として生きた十年の中で、彼女の耳は常人以上に敏感になっていた。凛音は黙って、そのやり取りを聞いていた。もうすぐだ。あと少しで、ここから抜け出せる。まさか夕子が風馬と大地が目を離した隙に、直接自分に向かってくるとは、凛音は予想もしていなかった。「凛音、私が誰か分かる?今日の朝、風馬は私のベッドから出てきたばっかり。今、あなたはその風馬が心を込めて開いてくれた私の誕生日パーティーに参加してるのよ。義父母たちは私をお嫁さんって呼んでくれるし、あなたが産んだあの子も、さっき私のことママって呼んだ。私たちはもうすぐ2年一緒にいるの。1年前には、もう
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第7話
翌朝、大地が甘えるように凛音の胸に飛び込んできた。「ママ、幼稚園で研修旅行があるんだって。保護者の同伴が必要なんだけど、パパと一緒に行ってもいい?」これが、夕子の言っていた補償なのだろうか。凛音は腕の中の息子を見下ろした。彼は無邪気に話しかけながら、こっそり夕子に向かって変顔をしている。話し終えると、大地は親しげに彼女の頬に顔を擦りつけてきた。凛音は彼の顔を両手で優しくなぞる。この子が、自分の息子だ。口元こそ父親に似ているが、その他はすべて彼女にそっくりだった。もし風馬の浮気が刺激を求めた結果だとしたらでは、大地はどうして?彼女は何も見えなかった。だからこそ、産婦人科医の説明一つひとつに耳を澄まし、どんな顔をして生まれてくるのかを想像していた。見えない分、妊娠中は誰よりも慎重にならざるを得なかった。万一の事故を避けるため、凛音は尊厳さえ捨て、トイレに行くときですら付き添いをつけていた。あらゆることを我慢して、十ヶ月かけてようやく産んだ子が、自分の目の前で愛人を「ママ」と呼ぶなんて。もし彼の顔が自分に似ていなければ、誰かと取り違えられたのではと疑っていただろう。ようやく凛音の沈黙に気づいた大地が、彼女を見上げた。「ママ?」風馬も横から口を挟む。「自らの足で各地を旅行したほうがいい。幼稚園の行事で他の親子も参加するから、君が目が不自由じゃなかったら、一緒に行きたかったんだけど」彼らは凛音が拒めない理由をうまく選んでいる。風馬はもう自信たっぷりに秘書にチケットの手配を指示している。いわゆる「意見を聞く」など、単なる知らせに過ぎなかった。凛音は旅行先を見た。それは、視力を失う前にずっと憧れていたヨーロッパの町だった。「いいわ、行ってきて」出発前、風馬は家中の家政婦たちを集め、凛音の世話について一つ一つ細かく指示した。「寝る前に、必ず水を枕元に置いて。夜に喉が渇かないようにね。毎日、庭を一緒に歩かせて。運動になるから。ブルーベリーは必ず食べさせて。フォークを使わせると危ないから」風馬はまるで百億円規模の契約を交わすかのように、30分もかけて細かく指示を出し続けた。最後に彼は凛音に軽くキスをした。「俺と大地、行ってくる。何かあったらすぐ連絡して。すぐに戻るから。研修が終わったら、すぐ
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第8話
今日は病院での診察日、そして彼女が、この家を去ると決めた日でもあった。凛音が身支度を整えて階段を下りると、ちょうど風馬が扉を開けて入ってくるところだった。背後には大地と夕子の姿も見える。風馬が必ず診療に付き添うことはわかっていた。このところの彼女の異変が、彼を不安にさせていたのだろう。「凛音、俺たち帰ってきたぞ」風馬は彼女を抱き上げてリビングでくるくる回ろうとしたが、凛音に押し返された。彼女の顔には、彼らの帰宅を喜ぶような色は一切なかった。風馬は不安げに声をかける。「凛音?」「ママ」大地が建築模型を彼女の手に押しつけてきた。「これ、お土産だ。触ってみて、気に入るかな?」凛音はそれを無造作に脇へ置き、冷たい声で返す。「病院に行く時間だから。話は帰ってから」風馬はすぐさま彼女を抱き寄せた。「俺も一緒に行くよ」大地も足にしがみついてきた。「僕も行く!なんだか久しぶりにママと一緒にいられる気がする」車に乗る直前、凛音は振り返って、別荘を最後に一瞥した。風馬が心配そうに問う。「どうかした?」彼女は首を振る。「ううん、なんでもないわ」ただ、10年過ごした家を最後に目に焼きつけておきたかっただけ。成瀬病院は市外の海辺近くにある。車は広い道を走り抜けていく。大地が無邪気に笑う。「パパ、ママの診察に間に合うように、急いで帰ってきたんだよ」凛音は窓の外に視線を向けたまま、ふと口を開く。「幼稚園の研修旅行じゃなかったの?そんなに早く帰れるの?」その一言で、大地はハッとし、口をつぐんだ。風馬は彼女の手を握りながら言う。「そう、早めに切り上げたんだ。君との約束は必ず守るって決めてるから」彼はかつて、永遠に愛すると言っていた。裏切ることは絶対にないと、誓っていた。あまりに多くの約束をして、きっと忘れてしまったのだろう。凛音は何も返さなかった。車内は重い沈黙に包まれた。突然、風馬のスマホが鳴り響いた。彼は見もせずに切った。だが相手は諦めず、十数回もかけ続けてきた。凛音が淡々と言う。「出なさいよ。会社の急ぎの用かもしれないわ」風馬は窓を下げ、大きな騒音が車内に流れ込んだ。電話の相手が何を言ったのか、彼の表情が一変し、運転手に怒鳴りつけた。「止めろ!今すぐ」車が急ブ
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第9話
風馬はバックミラーに映る凛音の姿を見つめていた。どんどん遠ざかっていく小さな背中に、得体の知れない不安が胸に押し寄せてくる。「戻れ、引き返せ!」そんな声が、心の中で激しく叫んでいた。風馬は首を振って、その声を振り払おうとする。電話の向こうでは、夕子が突然腹痛を訴え、すでに出血しているという。仕方ない。凛音にはほんの少しの間だけ、道端で待っていてもらう。何も起こるはずがない。不安を押し殺そうとしたが、胸の奥に重い石を抱え込んだような感覚が消えない。正面からトラックが近づいてくる。この時間帯に、こんな道を走るなんて一瞬そう思ったものの、風馬は深く考えず、アクセルを踏み込み、病院へと急いだ。風馬と大地が病院に着いた頃、夕子はベッドに寝転がりながらスマホをいじっていた。二人の姿を見て、甘えるような声を上げる。「あなた、喉が渇いたの、お水、飲みたいな」風馬は眉をひそめた。「変な呼び方はやめろ」声は厳しかったが、結局立ち上がってコップを手に取る。「ポットに水がないな。看護師に頼んでくる」大地がすぐに手を挙げた。「パパは夕子おばさんについてて。僕が水を汲んでくるよ」風馬はコップを渡すと、「それじゃ、俺は医者に状況を聞いてくる」と言った。そしてスマホをソファに放り投げて病室を出た。夕子が背後から叫んだ。「愛してるわ」ドアが閉まる瞬間、ソファの上のスマホが振動し、画面が光った。夕子は起き上がり、風馬のスマホを取った。運転手からの電話だった。夕子は電話に出ると、相手は慌てた様子で言った。「社長、指定された場所に奥様の姿が見当たりません。ただ、近くで交通事故が……」その言葉を聞き終える前に、夕子は遮った。「見つからないならそれでいいわ。風馬は今、私のそばにいるのよ。そんな些細なことに構ってる暇はないの」そのまま、通話を切った。交通事故だって?死んでくれればちょうどいい。どんな手を使おうと、成瀬家の奥様は私よ!そう思った瞬間、彼女は風馬のスマホをオフにし、再びベッドに体を沈めた。やがて病室の扉が開き、風馬と大地が医師を伴って戻ってきた。「奥さんの体に問題はありません。胎児も正常に育っています。着床期に起きる出血は、生理的によくあることですので、過度な心配は無用ですよ」診察が終わり、退院の
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第10話
「上に行ってみる。最近、ママはずっと寝室にいるから」そう言って、大地は階段を駆け上がっていった。しかし、ものの一分もしないうちに戻ってきた。「寝室にいなかった」慌てて駆けつけた家政婦たちも、凛音が帰ってきたのを見ていないと言う。風馬が抑えていた不安が再び膨れ上がり、思わずスマホを取り出して凛音に電話をかけようとしたが気づけば、いつの間にか電源が落ちていた。「探せ」スマホが起動するのを待ちながら、風馬は皆に別荘の部屋を一つ一つ調べさせた。「凛音……凛音……」風馬は何度も彼女の名前を呼び続けた。不安は胸の奥でどんどん膨らんでいく。あのまま一人で道路脇に残すべきじゃなかった。彼女は何も見えないのに、もし事故にでも遭ったらどうする?スマホのロゴが表示されてからの数秒が、彼には何年にも感じられた。彼は凛音に繰り返し電話をかけても、誰も出ない。運転手に連絡しようとしたそのとき、別荘の玄関が突然ノックされた。風馬の目がぱっと輝いた。「凛音……」ドアを開けると、制服姿の警察官が二人立っていた。「失礼します。成瀬さんですね。奥様の凛音さんが、浜海通りで交通事故に遭い亡くなられました。何度もお電話しましたが、ずっと電源が入っておらず、直接こちらに伺いました」信じられない風馬は数歩後ずさり、雷に打たれたように呆然と立ち尽くした。立っていることすら難しかった。警察の言葉が終わるのを待たず、彼は走って車庫に向かい、車を発進させた。あり得ない、絶対に間違いだ。凛音が死ぬはずがない!たった10分間、路肩で待たせただけだ。たった10分だ。風馬は現実をどうしても受け入れられなかった。大地も後部座席で泣き叫びながらついてきた。その声に風馬は苛立ち、怒鳴った。「うるさい!」彼は信号を無視して車を飛ばし、凛音を置いてきたあの場所に着くと、そこには医療スタッフと警察が数人、静かに立っていた。誰もが沈痛な面持ちだった。風馬が目にしたのは、見る影もない遺体。生前、何度も轢かれたようで、あまりに多くの血が流れていた。突然、空から土砂降りの雨が降り始めた。「申し訳ありません、成瀬さん。この道路の監視カメラは不具合で事故の瞬間を記録できておらず、加害者もそのまま逃走しました。彼女が所持していた身分証で身元が
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