Share

第2話

Author: ルカ
修二に軽い気持ちで近づく女性は数え切れないほどいた。だが夏美は、それらを脅威と感じたことは、一度もなかった。

唯一の例外が楚山純子(そやま じゅんこ)――朝も夜も修二と行動を共にし、ビジネスの戦場で肩を並べて戦ってきたその女だけは、夏美の心を乱した。

純子は修二の子を身ごもったことがあるのだ。

あの日、夏美が妊婦健診で病院を訪れた時。偶然、修二が純子を抱き寄せながら産婦人科から出てくるところを見てしまった。

彼女は何も言わず、ただ修二のあとをそっとつけていた。

修二がポケットからチョコレートを取り出して純子に食べさせるのを見た。

彼が視線を落とし、涙をこらえるように彼女の額にそっと口づけするのを見た。

そして、修二が純子をお姫様抱っこで車に乗せ、去っていくのを見た。

その瞬間、夏美の心は灰のように冷え切っていたが、それでも修二の口から何か説明が聞きたかった。たとえ、たった一言でも。

彼女は震える手でスマホを取り出した。

ピッ――

見知らぬ相手からメッセージが届く。

【私の赤ちゃんはもういない。これで満足?】

血まみれの写真が添付されていた。

夏美は画像を拡大して見つめ、笑いながら涙をこぼした。

――そういうことだったのか。

修二は頭の中で損得を天秤にかけた末、結局愛人に中絶させたのだ。

それこそ彼女が望んでいたはずなのに、どうしてこんなにも嬉しくないのだろう。

【藤田夏美、必ず報いが来るよ】

夏美の指が一瞬止まった。

思考が過去へと引き戻され、「報い」という言葉が頭の中でいつまでも消えなかった。

十八歳のとき、彼女は修二と駆け落ちし、見知らぬ街で十年間彼を支えてきた。自分はいったい、何を間違えたというのだろう。

修二は純子のアパートを出て家に戻ったときには、すでに深夜だった。

「夏美?」

返事はない。不安で胸が締めつけられる。

何を恐れているのか、自分でもわからないまま、勢いよく寝室のドアを開けた。

月明かりの中、ベッドに横たわる夏美の姿が目に入る。

その瞬間、胸の奥から安堵のため息がこぼれた。

修二は背後から夏美の腰を抱き寄せ、彼女の身体から漂うほのかな香りに包まれながら、規則正しい寝息を聞いているうちに心が穏やかになっていく。

彼女の腰をそっと撫でながら、自分自身に言い聞かせるように呟く。

「夏美、今日は急にトラブルがあって、プロジェクトでちょっと問題が起きたんだ。怒らないでくれる?」

「……うん」

夏美は、水のごとく冷たい月明かりを見つめながら、一晩中眠ることができなかった。

翌朝の朝食時、修二は三木屋の肉まんをひとつ手に取り、軽く息を吹きかけて夏美の唇の前に差し出した。

「夏美、お前の大好きな三木屋の肉まん、1時間も並んでやっと買えたんだ。食べてみて?」

夏美は豆乳を一口飲み込み、顔を上げずに言った。

「あなた、勘違いしてるわ。私は肉まんなんか食べないの」

修二の手が宙で止まり、顔色がさっと青ざめた。

夏美はまっすぐ彼を見つめる。

「楚山秘書が三木屋の肉まんが大好きだったわよね?」

純子の苗字を出され、修二の意識がぼんやりした。

手術室の前で、純子が涙ながらに子どもを残してほしいと懇願した光景が脳裏をよぎる。

あの瞬間、彼の心は揺らいだ。残そうかと一瞬思った。だが理性が感情を押しのけた。

自分は正しい選択をしたはずなのに、なぜ夏美はまだ許してくれないのか。

修二は手を引き、肉まんを口に押し込み、力任せに噛みしめた。

熱い肉まんの汁が口の中にあふれ、思わず身を震わせる。彼は箸をテーブルに叩きつけた。

「横山さん、この肉まんを捨ててくれ!夏美は妊娠しているんだから、何事も彼女の望む通りにしてあげなさい。いいね?」

修二は鞄を手に取り、むっとした様子で家を出た。

マンションの人工河のそばを通りかかると、もうすぐ出産を迎える妻の手を引いて散歩している夫婦の姿が目に入った。夫の方は時おり、優しく妻の大きなお腹を撫でている。

修二はふと、夏美が妊娠したばかりの頃、自分も同じように彼女を気遣っていたことを思い出した。

けれどその後はどうだっただろう。夏美の妊婦検診に付き添った回数など、数えるほどしかない。

言いようのない罪悪感が胸の奥に広がり、今の彼にはただ夏美に少しでも優しくしたい、その思いしかない……

そんな彼の気持ちを知らぬまま、夏美は豆乳を手に取り、いつものように一口ずつ飲んでいた。修二が家を空けることにも、もう慣れている。

こうした張り詰めた空気のやりとりは、この一年、何度も繰り返されてきたのだ。

彼女がうっかり修二のオフィスに入り込み、純子が彼に三木屋の肉まんを食べさせている場面を目撃してからというもの、彼女は駄々をこね始めた。

修二は最初こそ否定し、弁明を重ねたが、やがて二人の間には冷たい沈黙だけが残った。信頼は音を立てて崩れ落ち、夏美は疲れ果て、ついに別れを切り出した。

だが修二は取り乱し、遊園地の観覧車の中で彼女に「結婚してほしい」と懇願した――

豆乳のほろ苦さが、夏美の口の中に広がった。彼女は立ち上がり、それを流しに捨てた。

振り向くと、修二がリビングに立ち尽くし、インスタントラーメンの袋を手にしていた。

目が星のように輝いて、「夏美、ラーメン作ったよ」と言う。

あの最も苦しかった数年、二人は地下室で寄り添い、一日に一度、インスタントラーメンを一つ分け合って食べた。

夏美が麺をすすり、修二はスープを飲んだ。

妊娠してからというもの、夏美は無性にジャンクな味が恋しくなったが、修二はいつも「体に悪い」と言っていた。

半熟卵をのせたインスタントラーメンを口に運ぶと、胸の奥が少し温かくなる。

「純子がチームを率いてアメリカに支社を立ち上げることになったんだ。六日後に出発するって」

二口目のラーメンがのどにつかえつかえ、飲み込むことも吐き出すこともできない。

「夏美、もう……仲直りしよう。これ以上、喧嘩はやめよう、な?」

夏美は黙ったまま、何も答えなかった。

修二はほっと息をつき、彼女の髪にキスをした。

「このあと一緒にマタニティフォトを撮りに行こう。俺の妻は、世界で一番きれいな妊婦だから」

夏美は箸を置き、修二が自分の食べ残したラーメンを豪快に食べるのを見つめた。

彼女はふと思った――もし私と楚山が、同時に消えてなくなると聞いたら、修二はどちらを引き止めようとするだろう?

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 十年追いかけた愛は嘘だった   第24話

    修二の澄んだ瞳の奥に、次第に怒りの炎が立ち上がっていった。彼は一歩一歩と迫り、夏美はもう後退する場所がない。彼は夏美の顎を掴み、貪るように唇を奪った。彼女を自分の体に溶かし込まんばかりの、荒々しい口づけだった。「夏美、一生愛するって言ったのはお前だろう。なぜ急に離れてしまったんだ?」彼は夏美の唇を噛み切り、温かい液体が口内に流れ込む。その瞬間、彼の中で何かが狂い始めた。「夏美、お前が欲しい。お前は俺の解毒剤のような存在だ。お前が必要なんだ……」修二は彼女のシャツを引き裂き、肩口に噛みつきながら、狂気のままに下へと進んでいく。「離して!修二、私が死ねば満足するの?」修二の動きは止まらず、彼は唇を離さぬまま、かすれた声で囁く。「夏美……抱かせて。それから一緒に死のう」パシンと彼の頬にビンタを食らわせた。「どうしてそんなことをするの?修二、私、妊娠しているの。お願い、私の子どもを傷つけないで、お願いだから……」修二の動きが一瞬止まった。彼は眉を深くひそめ、瞳の奥に悲しみが広がっていく。手が少しずつ夏美の首へと移り、締めつけ、さらに強く締めつける。「夏美、お前は俺を裏切ったな」彼の目は血走り、これまで見たことのないほどの凶暴さを帯びている。指先に力がこもり、彼は歯を食いしばって叫び出した。「お前は夏美じゃない。彼女が俺にこんなことをするはずがない。殺してやる!」夏美は彼の手をつかんだが、どうしても振りほどけず、声も出せない。視界がぼやけ、酸素が薄れていく。彼女は窓の外を見やった。外は既に暗くなり、彼女は苦しげに目を閉じ、もがくのをやめた。耳元では修二の怒りに満ちた声が響いていたが、次第に何も聞こえなくなり、まるで真空の世界に入り込んだかのようだった。――さようなら、修一。夏美が目を覚ましたのは病院のベッドの上だ。修一は彼女の傍で見守っており、彼女が目を開けた瞬間、それまでの疲労の色が一気に消え、代わりに涙があふれた。「夏美……よかった……お前を失うと思って、本当に怖かった」「赤ちゃんは?」夏美は自分が助かったことを悟り、思わず手を腹の上に当てた。「その子は無事だ。元気だよ」その言葉で、夏美の胸のつかえが、ようやくほぐれた。修一の話によれば、彼女が息

  • 十年追いかけた愛は嘘だった   第23話

    「そうか、孫が生まれるのか。これ以上ない朗報だな。だが残念なことに、白野グループが彼に残せるものは、もうあまり多くない……」隆一の顔には喜色が浮かんでいたが、次の瞬間にはまた暗い影が差した。隆一が入院している間に、浜辺市の情勢は一変していた。修二の運は驚くほど良かった。彼が引き受けていた公共事業の案件が、何の前触れもなく突然中止となり、その結果、巨額の補償金を手に入れたのだ。その金で借金を完済しただけでなく、さらに莫大な利益を得た。今では白野グループのメインプロジェクトの大半を修二が奪い取り、堂々と「白野グループを自分のものにする」と宣言している。白野グループはかつてない危機に陥っている。夏美は胸の奥に深い罪悪感を抱いている。もし自分がいなければ、白野グループがこんな状況に追い込まれることはなかったのではないかと。咳き込みが止まらない隆一を見つめ、彼女の胸は焦りでいっぱいだ。そんな中、落ち着き払っているのは修一だけだ。夏美は心の中で一つの決意を固めた。検診を終え、特に異常はなかった夏美を、修一は自宅へと連れ帰った。自宅の門前で、運転手が急ブレーキを踏む。修一は素早く夏美をかばった。「どうした?」「修二様が……」言い終わらぬうちに、修二が車の窓をノックしてきた。修一がドアを開け、出ようとしたとき、夏美が彼の手を握り、不安げに見上げる。「大丈夫、俺を傷つける度胸など、あいつはないさ」修一は彼女の頭を軽く撫で、外へ出た。「夏美を返せ。そうすれば、俺たちは海崎市へ戻り、浜辺市からも手を引く」修二は深く煙を吸い込み、足元で煙草の火を踏み消しながら、修一を脅すように言い放った。「寝言は寝てから言え」修一は素早く拳を繰り出したが、空を切った。修二が彼の腕をねじり、顔面に一撃を叩き込む。「じゃあ、遠慮なく力づくでやらせてもらうぜ!」さらに拳を振り上げようとしたその瞬間――「やめて!」夏美が車のドアにもたれ、叫び声を上げた。顔は真っ青だったが、瞳だけは強い光を宿していた。「修二、あなたと海崎市へ帰るわ」「夏美!」夏美はまっすぐ修二の車へ歩み寄り、ドアを開けて視線を逸らさずに乗り込んだ。修二は修一を放し、勝ち誇ったように笑う。「兄さん、悪いな。夏美は俺を選んだ

  • 十年追いかけた愛は嘘だった   第22話

    修一は一瞬、動きを止めた。そして夏美の方を向き、「夏美、聞いてくれ。俺はお前を騙してなんかいない」と言った。修二が数枚の写真を投げるように差し出した。写真の中の女性は病室のベッドに横たわり、顔色は青白い。ベッドの上に置かれた手術同意書の署名欄には、はっきりと修一の名前が記されていた。普通、このような書類に署名できるのは、患者本人以外、家族か法定代理人だけだ。夏美は修一を信じているが、心の奥にどうしても疑念が湧き上がる。修二は腫れあがった顔のまま、夏美の手を取ってその場を離れようとした。だが夏美はきっぱりとその手を振りほどき、その場に立ち尽くした。「これは私と夫の問題。他人が口を出すことじゃないわ。たとえ夫に昔、恋人がいたとしても不思議じゃない。それは結婚前の話。少なくとも、結婚してから女を囲って私を傷けるような真似はしていないわ、誰かさんと違ってね」夏美は言い終えるや否や、くるりと背を向けて歩き出した。夫を庇うのは妻として当然のことだが、だからといって怒っていないわけではなかった。修一は無言で彼女の後を追う。一方、彼の秘書は修二を近づけまいと前に立ちはだかっていた。「夏美、違うんだ。誤解しないでくれ」「一分間だけあげる。説明して」結婚した以上、彼を信じたい。だからこそ、ちゃんと本人の口から聞きたかった。修一は黙ってスマホを取り出し、その女性本人に電話をかけた。女性はその場で事情を説明した。修一は友人に過ぎず、彼女が海外で手術を受ける際、保証人の署名がどうしても必要で、修一が代わりに書いたという。今では彼女も結婚し、幸せな家庭を築いている。「夏美、俺は嘘なんてついてない。まさかこのことをあいつが利用するとは思わなかったんだ」夏美の胸のつかえが、少し和らいだ。突然、秘書が緊張した面持ちで駆け寄り、修一の耳元で何かを囁いた。修一は口元をわずかに引きつらせ、修二の方をじっと見据える。「公共事業の案件ならあいつにやらせろ。自滅したいなら、好きにさせればいい。このままいけば、最後に得をするのは白野グループだ」修二の一件があったため、夏美はもう慈善活動を続ける気になれず、修一と共にその夜のうちに浜辺市へ戻った。家に上がったとたん、一つのカップが飛んできて、修一の足元で砕け散る。「お前、いっ

  • 十年追いかけた愛は嘘だった   第21話

    修一は助かった。入院していた二日間、夏美は休みもせず、付きっきりで看病していた。「これはまさに怪我の功名だな。入院した甲斐があった!」修一は心の底から嬉しそうに笑った。夏美が自分に心を寄せ始めたことを、彼はもう分かっていた。修一が退院した後、高須県の小さな町にある宿で、二人は結ばれた。部屋のドアを閉めたとたん、二人は待ち切れずに唇を重ね、火が付いたように燃え上がった。夜が白み始める頃、二人は初めての夜を過ごした場所があまりにも味気ないことに気づき、わずかな悔いを覚えた。「ごめんな、夏美。俺たちの初めてなのに、こんな場所で……」修一は夏美の頬を優しく撫でながら、その手は次第に、彼女の体をなぞるように動き始めた。「でも、俺、ずっと我慢してきたんだ。もう限界で……」夏美は疲れ果てて目も開けられず、唇を尖らせて彼を責める。「修一、彼女なんていなかったって言ってたくせに……どうしてそんなに上手なの……?」修一はぐいっと身を翻して彼女を押し倒すと、その眼差しにふと、抑えきれぬ欲望の色が戻った。「二人きりの時、俺のこと……なんて呼ぶんだっけ?」夏美は修一の言葉を思い出し、顔が一気に耳の先まで真っ赤になった。彼女は唇をぎゅっと噛みしめ、声も出せずに俯く。修一は笑みを浮かべ、腰を動かす。夏美はたまらず懇願する。「やめてよ……修一兄さん……」「そう、もう一度呼んで……夏美」夏美は至福の時に、窓ガラス越しに、ゆっくりと昇る朝日を目にした。夜は明け、ぬくもりが訪れる。二人は宿に三日間滞在したのち、山間の小学校へ向かった。子どもたちに文房具やスポーツ用具を届け、寄付を行い、特別授業や交流活動を実施する――それらの一連の活動を終えたのは、一週間後のことだ。彼らは高須県を離れ、奥谷県に入る。目的地の小学校に着いたその瞬間、夏美は、一番会いたくない人物を目にした。修二――彼女にとって逃れられない宿命のようなものだ。「夏美、迎えに来たよ。一緒に海崎市へ帰ろう」修二の瞳は興奮で涙に濡れ、周囲の視線など気にも留めず、勢いよく夏美を強く抱きしめた。声を震わせながら言う。「今すぐ籍を入れよう。もう誰にも邪魔させない。誓うよ、もう二度とお前を裏切ったりはしないって……」夏美は彼をぐいと押しのけ、数歩

  • 十年追いかけた愛は嘘だった   第20話

    最初の訪問先は、両親が交通事故に遭った場所でもある高須県の山間部の小学校。大雨の日、両親は道路に飛び出してきた野良猫を避けようとしてハンドルを切り損ね、車はそのまま崖下へと転落した。夏美は崖の下に、両親を供養するための墓を建てた。彼女は修一の腕に手を添えながら、その墓に向って両親に報告し始めた。「お父さん、お母さん……彼、白野叔父さんの息子さんなの。前に会ったことあるよね。お母さん、彼……お母さんに似て、私の話を全部覚えててくれる人。それに、私への気持ちを何年もずっと、大切にしまっていてくれた人なの。お母さんがよく言ってたよね。人は言葉じゃなくて、行動で見なさいって。私、ほんとに運がよかった。私を誰よりも大切にしてくれる人に巡り会えたんだ。……もう、心配しないで。きっと、とっても幸せになるからね」修一は夏美を抱き寄せ、彼女を自分の肩にそっともたれさせた。「お義父さん、お義母さん、安心して夏美を私に任せてください。何よりも大切にし、必ず幸せにしてみせます」……帰り道、二人は突然の豪雨に見舞われた。車を停めた場所まではまだ距離があり、安全を考えて二人は近くの洞窟に駆け込み、雨宿りすることにした。雨に濡れた夏美は、山風に吹かれて小刻みに震えていた。修一は上着を脱ぎ、彼女の体にそっと掛けた。雨はいっそう激しさを増し、洞窟の中はひんやりと湿っていた。夏美が震える声で呟く。「修一……このまま、ここで死んじゃうかな?」「ご両親の前で誓ったばかりなのに、もう神様からの試練が訪れたなんてね。でも大丈夫、俺は怖くないし、お前のことをちゃんと守るから」夏美は少し心配そうに言う。「両親が亡くなってから……『子供の頃は親を不幸にし、大人になったら夫を不幸にする』って、陰口を叩かれたことがあるの。それ、当たったりしないよね」修一はまるで気にも留めないような目で彼女を見た。「もちろん、当たらないさ」「でも、どうやら私、人を不幸にするだけじゃなく、自分まで不幸にするタイプみたい。ほら、水、もう踝まできてる」夏美は無理に笑みを作った。彼女がうつむいた瞬間、修一は首にかけていた仏像のペンダントを外し、彼女の首にそっとかけた。「留学中に、このペンダントを通りすがりの奴に奪われたことがあるんだ。取り返そうとして腹を三回も刺

  • 十年追いかけた愛は嘘だった   第19話

    翌日、新居へ向かう車中、修一の心はずっとざわついていた。夏美の好みが、まだよくわからないのだ。「気になるところがあったら、遠慮なく言ってくれ。家具でも、壁の色でも……家自体がダメなら、別のを探そう」夏美は振り返り、彼の目の下のクマに気づいて、心配そうに聞く。「昨夜、眠れてないの?」整備された道路を車が走り、小さくガタンと揺れた。修一は自然に夏美の後頭部を庇うように手を添え、そのまま後部座席に身を預けた。悪戯っぽく笑いながら言う。「寝るなんて退屈だろ?べったりくっついてくる子猫みたいなお前が、俺の胸に潜り込んでくるんだ。そりゃあ、心がくすぐったくなるさ」夏美は恥ずかしそうに顔を赤らめた。そして玄関の扉を押し開けた瞬間、夏美は五分もの間、ただ立ち尽くしていた。水色の壁一面を、夏美の写真が何枚もバランスよく飾られていた。リビングにはテレビはなく、中心には建築模型のジオラマが置かれ、設計用の道具が一式揃っている。外の庭はきちんと手入れされているが、その脇には木材の板が山積みになっている。「……部屋が汚れるとか、気にしないの?」夏美の胸に、ふと切なさが込み上げた。修二と一緒にいた頃は、建築を学ぶことは、何か後ろめたいことのようにさえ感じていた。それが、修一となら違う。彼は家全体の空間をすべて使って、彼女が思いのままに創造できる場を整えてくれた。修一は両手をポケットに突っ込み、軽く首を傾げて問い返す。「家にソファやテレビ、それからテーブルを置かなきゃいけないって決まりはないだろ?俺たちの家は、お前が決めればいいんだよ」夏美の目頭が熱くなった。次に口を開いたとき、その声には少し甘えるような響きがあった。「じゃあ、食事と睡眠はどうするの?このまま床に座る?」修一は真面目な顔でからかうように言う。「食事の時は床に座ってもいいけど、寝る時はちゃんとベッドだな。安心しろ、うちのベッドは丈夫だから」夏美は顔を真っ赤にし、逃げるように庭へ出ると、模型用の資材を手に取り、その扱い方に没頭し始めた。修一はポケットに手を入れたまま、窓ごしに彼女の作業に打ち込む姿を、じっと見つめていた。ほどなくして、夏美が腹を押さえて身をかがめた。「夏美!」胸がざわめき、慌てて駆け寄ると、修一は夏美の腰を抱きかか

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status