LOGIN秋の連休は、私――高梨彩香(たかなし あやか)が借りている部屋で、みんなで食事をすることになった。 幼なじみの藤原圭介(ふじわら けいすけ)、成田嘉人(なりた よしと)、小野翔平(おの しょうへい)の3人が買ってきたのは、飲み物とお菓子だけ。神谷美羽(かみや みう)は、料理ができないと言った。 12品作るため、私は朝6時から午後までずっと台所に立ちっぱなしだった。 ようやく料理を全部テーブルに並べ終えたところで、美羽のスマホが鳴った。電話をかけてきたのは、美羽のルームメイトの吉川真由(よしかわ まゆ)だった。 「真由、連休なのに行くところがないんだって。ここに呼んでもいい?」 私は、5人座ればいっぱいになる小さなダイニングテーブルを見た。 けれど、私が何か言うより先に、嘉人が私の椅子を引いた。 「会社、何かあるかもって言ってたよな?だったらちょうどいいじゃん。先に行ってきたら?」 翔平も笑って口を挟んだ。 「どうせ毎日、自分で作ったもの食ってるんだし、今日くらい別にいいだろ」 美羽は慌てて手を振った。 「やっぱりいいよ。真由には自分で何か頼んでもらうから」 すると、3人はすぐに口をそろえた。 「もう下まで来てるんだろ?今さら追い返すわけにもいかないだろ」 付き合っている圭介が、適当に料理を少し取り分けて、私に差し出した。 「ほら、お前の分。夜、腹減ったら温めて食えよ。 そんな顔すんなって。傍から見たら、俺たちみんなでお前をいじめてるみたいだろ」 自分で買ったテーブルを囲み、私が新しくそろえた食器で食事をしている4人を見て、ようやく分かった。 美羽のルームメイトを帰すくらいなら、私に席を譲らせればいい――みんな、本気でそう思っているらしい。 私は圭介の鍵束に手を伸ばし、うちの合鍵だけを外した。 「今日はもう帰って」 ここは私の家だ。 出ていくべきなのは、私じゃない。
View More翌年の秋の連休には、南ヶ丘で借りた新しい部屋もすっかり片づいていた。同僚たちが引っ越し祝いに遊びに来ることになり、私は鍋の材料を前もって頼んでおいた。「飲み物、何か持ってく?」「好きなの持ってきてくれればいいよ」夜になると、みんなで野菜を洗ったり、食器を並べたりしながら準備を始めた。そこへ、部署に入ったばかりの後輩が遠慮がちに聞いてきた。「友達一人連れてきてもいいですか?あ、でも人数増えると大変ですよね。無理なら全然いいです」私は椅子の数を数えた。「大丈夫。まだ椅子あるから、取ってくるね」立ち上がろうとすると、近くにいた同僚が先に腰を上げた。「いいって。彩香は座ってて。俺取ってくるから」同僚が立ち上がったのを見て、ふと去年の連休を思い出した。あのときも、みんなで食卓を囲んでいるところに、急に一人増えた。でも今回は、一人増えても、私の席がなくなることはなかった。食事の途中、スマホを見ると、3人からそれぞれメッセージが届いていた。嘉人は仕事の都合で別の街に引っ越したらしい。翔平は、この連休に初めて自分で料理をして、鍋を焦がしかけたと書いていた。圭介からは、元気にしているかと一言だけ届いていた。私は返事をしなかった。その後のことは、共通の友人からたまに聞いた。美羽は少しずつ3人と疎遠になり、今は別の友達と過ごすことが増えたらしい。誰かと揉めたわけではない。ただ、前みたいに何かあれば誰かが何とかしてくれるわけでもなくなって、自然と離れていったようだった。圭介は結婚していない。嘉人と翔平も、昔みたいに「ずっとこのまま」なんて言わなくなったそうだ。今になって思えば、あの関係は私がずっと合わせていたからこそ、成り立っていたのかもしれない。食べ終わると、誰からともなく片づけが始まった。鍋に残っていた最後の一枚を、隣にいた同僚が私の取り皿に入れた。「最後の一枚、彩香食べなよ。今日ずっと準備してたんだし」思わず笑って、そのまま口に運んだ。少し煮すぎていたけれど、それでもおいしかった。これから先、同じ食卓を囲む人はきっと変わっていく。椅子が足りないことだってある。それでも、今日みたいに誰かが自然に立ち上がって、もう一脚持ってきてくれることもある。私はもう、誰かの都合で席
3か月後、担当していたプロジェクトの関係で、以前住んでいた街へ出張することになった。その日の仕事を終えてホテルに戻ると、入口の前に圭介が立っていた。どうやって私の出張を知ったのかは分からないが、今回は手土産もなく、帰ってこいとも言わなかった。「飯だけ付き合ってくれ。これで最後にするから」時間を確認してから、圭介と店へ向かった。圭介が予約していたのは、駅から少し離れた小さな店だった。案内された二人掛けの席に、向かい合って座った。料理が運ばれてくると、圭介が私の取り皿に料理を取り分けようとして、少しこぼした。慌てて紙ナプキンで拭いていた。「最近、料理するようになったんだ。鮭の南蛮漬けは、まだうまく作れないけど」私は何も言わなかった。圭介は苦笑して、手元に目を落とした。「前は、お前ができるんだから任せとけばいいって思ってた。でも自分でやるようになって、思ってたより大変なんだなって分かった。彩香、あの日、本当に追い出すつもりはなかったんだ」「分かってる」圭介が顔を上げた。「……分かってるのか?」「うん。本気で追い出すつもりじゃなかったのは分かってる。ただ、私の席がなくなっても、私なら気にしないと思ってたんでしょ」圭介はグラスを握ったまま黙った。しばらくして、ぽつりと聞いた。「……もう一回、やり直せない?」「無理」「まだ美羽のこと気にしてるのか?」「違う。美羽のことじゃない」圭介は黙って私を見た。「私なら最後は折れるって、ずっとそう思ってたでしょ。もうそれが嫌だったの。美羽じゃなくても、きっと同じだったよ。誰かが我慢しなきゃいけなくなったら、また私に譲らせてたでしょ」圭介はそれ以上何も言わなかった。食事が終わり、席を立とうとしたとき、圭介が小さな箱を差し出し、その場でふたを開けた。中には指輪が入っていた。「これ、本当は連休のときに渡すつもりだった」私は箱を押し返した。「あの日、ひとり増えただけで、私の席はなくなったよね。今さら指輪をもらっても、もう遅いよ」圭介はうつむいたまましばらく黙っていたが、やがて涙をこぼした。私は何も言わなかった。これまで私が泣くたび、圭介はいつも考えすぎだと言うだけだった。だから今さら、私から慰める気にはなれなかった。店を出
圭介が帰ったあと、今度は嘉人と翔平が南ヶ丘まで来た。二人は会社には来ず、カフェで話せないかと連絡してきた。私が人前で揉めるのを嫌うことくらいは、まだ覚えていたらしい。席に着くと、嘉人が封筒を一つテーブルに置いた。中には、昔の写真が何枚も入っていた。圭介と嘉人と翔平、それに私。前はどの写真にも、当たり前のように私が写っていた。美羽と知り合ってからは、それが少しずつ減っていた。「写真整理してて、やっと気づいた」嘉人は写真に目を落としたまま言った。「前は、どの写真にもお前が写ってたんだよな」翔平も写真に目を落としたまま続けた。「でもそのうち、店の予約も写真撮るのも荷物持つのも、全部お前に任せるようになってた。いつも一緒にいるんだから、写真に写ってるかどうかなんて大したことじゃないって、勝手に思ってた」「私が写ってなくても、大したことじゃないって?」二人とも黙り込んだ。嘉人はしばらくして、冷めたコーヒーに口をつけた。「……悪かった。あの日、椅子どかしたのも、本気で追い出すつもりだったわけじゃない。お前なら、あれくらい気にしないと思ってた」「うん。前は、それくらいならって流してた」嘉人の表情がわずかに明るくなった。「だから、だんだん何しても許されるって思うようになったんでしょ」その表情が、また曇った。「美羽とはもう話した。これから集まるときも、呼ばないようにする」思わず笑ってしまった。「やっぱり、まだ分かってないんだね。私が離れたのは、美羽が来たからじゃないよ。美羽が来て、やっと気づいただけ。私って、ずっとこんな扱いだったんだって」嘉人がすぐに言い返した。「そんなことないって。俺たちにとって、お前のほうがずっと大事だった」「だったら、なんでいつも我慢するのは私だったの?」嘉人は言葉に詰まり、そのまま黙り込んだ。ちょうどそのとき店員がお冷を足しに来て、会話が途切れた。しばらくして席を立とうとすると、嘉人がポケットから鍵を取り出し、テーブルに置いた。「これ、前の部屋の鍵。圭介の分も一緒に持ってきた」「もう使わないから、そっちで処分して」少しして、翔平がぽつりと聞いた。「……もう、前みたいには戻れない?」「うん。もう戻れない」口にしても、思っていたほど
南ヶ丘で働き始めて一週間ほどした頃、何の連絡もなく圭介が突然やって来た。仕事を終えて会社を出ると、入口の前に圭介が立っていた。一瞬、誰だか分からなかった。いつも身なりには気を遣う人なのに、その日はシャツもしわだらけで、目もひどく充血していた。手には保冷バッグを提げていた。「鮭の南蛮漬け、持ってきた」差し出された保冷バッグは受け取らなかった。「誰が作ったの?」「うちの母さん」「そう。じゃあ、お礼言っといて」私はそのまま歩き出したが、圭介もすぐについてきた。「彩香、ちょっと待って。ちゃんと話そう」「まだ仕事あるから」「電話にも出ないし、連絡も返さない。前はこんなふうに俺たちを避けたりしなかっただろ」私は足を止めた。「私、あなたたちの世話係じゃないんだけど」「そんなふうに思ってない」「じゃあ聞くけど、連休のあの日、食材を買ったのは誰?」圭介は黙った。「私だよね。料理したのは?」「それは……」「自分の家なのに出ていけって言われたのは?」圭介は何も言わなかった。「適当に料理を取り分けて、夜は自分で温めて食べろって言ったのは誰?」少し間を置いて、圭介が答えた。「……俺」それから視線を落とした。「ごめん……」圭介が自分から謝ったのは、これが初めてだった。けれど、もう遅かった。圭介が手を伸ばしてきたが、私はその手を避けた。「彩香、美羽にはもう出ていってもらった。部屋も元に戻した。お前が南ヶ丘にいるなら、俺も異動願い出す。駄目なら会社辞めてもいい」「やめて」私は遮った。「仕事まで辞めないで。あとになって、私のために辞めたとか言われても困る。後悔したら、また私のせいにするでしょ」圭介は焦ったように声を荒らげた。「じゃあ、どうすればいいんだよ。俺が変わればいいんだろ。それでも駄目なのか?」「私のために変わろうとしなくていいよ」私は圭介を見た。「今まで私がやってきたことを、ずっと当たり前だと思ってたんでしょ。私がいなくなって、不便になっただけじゃない?」圭介は何も言えなくなった。そのとき、会社の中から同僚が小走りで出てきた。「彩香、企画通ったって。課長がみんなに奢るらしいけど、行く?」「行く」すると圭介がすぐに口を挟んだ。