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第5話

作者: ルカ
修二がそっと家に戻ったとき、空はすでにうっすらと白み始めていた。

朝の光が夏美の体をやわらかく包み、その姿をいっそう穏やかに見せていた。修二は吸い寄せられるように、そっと彼女のそばへ歩み寄った。

ふと、かすかな血の匂いが漂ってきて、彼の眉がぴくりと動いた。

かつて純子を中絶手術に連れて行ったときにも、あのときと同じ匂いがしていた。

修二の視線は夏美の腹部へと落ち、震える手がそっと布団の中へ伸びていく。

「触らないで」

夏美は身じろぎもせず、目を閉じたまま冷たく言い放った。

修二の手は空中で止まり、気まずさを隠すように口元を歪める。

「お前の検診に立ち会えなかったのは、怒って当然だ。誓うよ、これからは絶対に欠かさない」

夏美の目尻から、涙がひとしずくぽろりとこぼれた。枕に滲む。嗚咽を押し殺しながら、彼女はかすかな声で答える。

「もう次はないの」

修二の胸は再び締めつけられるように高鳴り、震える声で問いかける。

「赤ちゃん……大丈夫なのか……?」

夏美はまぶたをわずかに上げ、彼を一瞥すると、枕元のテーブルに置かれたエコー写真に視線を移した。

修二はその紙を慌てて手に取り、数秒間食い入るように見つめたあと、顔をほころばせた。

「赤ちゃん、お前にそっくりだ。顔立ちが整ってて、近い将来、きっと女の子たちを夢中にさせるだろう。夏美……」

「もう疲れた」

夏美の下腹部に鈍い痛みが走り、長くこのままでいれば修二に異変に気づかれてしまうのではと恐れた。

「修二、城南区の羊羹が食べたいの」

「わかった、すぐ買ってくる」

修二の沈んでいた心は一瞬で晴れ渡った。

昨夜、純子は薬を盛られ、医者が来る前に、彼女は修二を何度も誘ったのだ。

彼は本当は拒むつもりだった。だが、純子の妖艶な眼差しを前にすると抗えず、そのまま流れに身を任せてしまった。

家に帰る道中、修二はいくつもの言い訳を考え続けていた。夏美にすべてを説明する――たとえ罵られ、殴られようとも、彼はそれを受け入れる覚悟でいた。

ところが、夏美は泣きもせず、怒りもせず、何も尋ねなかった。ただ従順に微笑む姿が、かえって彼の胸を締めつけた。

列に並び、ようやく羊羹を手にした瞬間、修二の中に欲心が芽生えた。

妻も、愛人も、どちらも手放したくない――

否定できないのだ。彼は純子の肌のぬくもりに、そして男をとりこにするあの官能の技に、心のどこかで未練を抱えている。

もう少しだけ、このままでいよう。

うまく隠し通せば、夏美には決して知られないはずだ。

修二は知らなかった。彼が家を出てわずか十分も経たぬうちに、純子が家を訪ねてきたことを。

「藤田さん、ちょっとお届け物を持ってきたの」

純子はドレスをまとい、わざと首筋のキスマークを隠さずに見せつけた。それは、昨夜修二がどれほど激しく求めたかを、夏美に思い知らせるためだ。

夏美は紙袋を受け取り、険しい表情のまま扉を閉めようとした。

「何が入っているのか、気にならないの?」

純子は身を滑らせるように中へ入り、勝手に袋の中身を取り出して夏美の手に押しつけた。

軽く笑いながら言う。「修二、せっかちだからね。ベッドの上に置き忘れたのよ」

唇の端に笑みを浮かべ、視線を一瞬もそらさず、じっと夏美の顔を見つめる。

「仕方ないわよ。修二、私の手をネクタイで縛って、頭上に持ち上げて、強く――」

パシンという鋭い音が響いた。

夏美は勢いよく純子の頬を打ち、歯を食いしばって罵った。

「この下衆女!本妻の前に平気で姿を現すなんて、どんな面の皮の厚さよ!修二に今すぐすべて話してやろうか!」

純子は満足げに微笑んだ。夏美を怒らせること、それこそが彼女の狙いだった。

「修二はまだ独身よ。何が起こるか分かったものじゃない。私もあなたも、所詮は彼の女の一人。あなただけが『本妻』気取る権利なんて、どこにもないわ」

夏美は視線の端で監視カメラの赤いランプが点いたのを捉え、正常に作動しているのを確かめると、再び手を振り上げた。

純子はその手首を掴み、わずかに力を込める。

夏美の体はその勢いで後ろへ倒れ、腹をソファの縁にぶつけたあと、冷たい床に倒れ込んだ。

純子は一瞬たじろいだが、修二の自分への偏愛を思い出し、唇を歪めて吐き捨てる。

「修二はもうあなたを愛してないのよ。そんなに縋りついて、何の意味があるの?

あなたにプロポーズした観覧車の中で、彼は私を抱いたのよ。それでも少しも気にならないの?」

夏美は腹を押さえたまま、沈黙し続けた。

純子はしゃがみ込み、挑発するような声で言う。

「あなたって、結局お腹の子を盾にして、修二を縛りつけてるだけじゃない。残念だけどね、その子、短命みたいよ」

夏美は怒鳴った。「何を馬鹿なこと言ってるの!?」

「あの子の十年分の寿命をもらって、私の亡き子の供養に充ててるのよ」純子は口元を押さえ、花が揺らめくように、うっとりと、そして気味悪く笑った。

夏美は堪忍袋の緒が切れ、手にしていたネクタイを素早く純子の首に巻きつけ、力いっぱい締め上げた。

この一年分の悔しさ、屈辱、憎しみが、すべて手に込められる力を増していく。

さらに、さらに強く――

純子の顔が真っ赤に染まったとき、ようやく夏美は我に返り、ネクタイが手から零れ落ちた。

純子は夏美を突き放すと、数度、荒い息を整えて、慌ただしく立ち上がり部屋を出ていった。

そしてドアの前で振り返り、捨て台詞を吐くように言った。

「あんたの子が死産になっても構わないわ。私がいるんだもの。修二はね、私にも子どもを産んでほしいって、そう言ってるんだから」

夏美は、純子が逃げるように背を向けて去っていく姿をただ見つめていた。心の中は、打ち寄せる波が引いた後の湖面のように、音もなく静まり返っている。

ああ、楚山純子って、ほんとうに愚かな人。

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