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第3話

Penulis: 春さがそう
紗季は道端でタクシーを捕まえ、待っている間に航空券を探して空港へ直行するつもりでいた。

ところがその時、主治医から電話がかかってきた。

「紗季さん、いつ国外で放射線療法を受けに行かれるつもりですか?」

薄暗い街灯の下、紗季は立ち尽くし、細い影を長く伸ばしていた。

うつむき、影を見つめながら答える。

「今、ちょうど空港へ向かうところです」

医師の声が一気に厳しくなった。

「駄目です!あなたは脳腫瘍を患っていますし、頭蓋内圧も正常な人とは違います。飛行機に乗れば予期せぬ事態が起こる危険が高いんです。圧力検査を受けなければなりません!」

紗季は息を呑んだ。

そんな……

今夜すべてを捨てて姿を消す覚悟を決めていたのに、すぐには行けないなんて。

医師は少し安堵したように続けた。

「とにかく明日、病院に来てください。飛行機に乗れる状態かどうか、俺がきちんと診断しますから」

電話が切れる頃、タクシーも到着していた。

運転手が窓を開けて尋ねた。

「お客様、乗りますか?」

紗季は少し考えてから答えた。

「お願いします、森の光ホテルまで」

彼女は隼人名義のホテルをあえて避け、そのホテルに宿泊した。部屋に入ると湯船に身を沈め、目を閉じてこれからのことを思案する。

飛行機が駄目なら船で行こう。時間はかかるが、景色を眺めながら三〜五日かけて向かうのも悪くない。

そう考えていた矢先、鼻がむずむずし始めた。

眠気に抗いながらうつむくと、浴槽の水面に赤い花が滲むように広がっていた。

慌てて鼻血を拭き取り、指で押さえてじっとしていた。しばらくしてから起き上がり、床に就いた。

スマホは沈黙したまま。

隼人は手紙を読んで、むしろ喜んでいるのかもしれない――自分が身を引いて、美琴に席を譲ったことを。

そんな思いのまま、紗季は眠りに落ちた。

目を覚まし、病院へ行く準備を整えていた時、突然スマホが鳴った。

画面には「担任・光」の名前が表示されていた。

それは、陽向の担任教師である高山光(たかやま ひかる)だった。

ためらいながら電話に出た。

「もしもし……光先生ですか?」

「紗季さん、すぐ学校にいらっしゃっていただけますか?陽向くんが同級生と喧嘩をして、相手の額に怪我をさせてしまったんです!今、相手のご両親が学校で説明を求めています」

光の声は切迫していた。

母親としての本能か、紗季の胸がぎゅっと締め付けられた。

「陽向は……怪我はしていませんか?」

「本人は怪我をしていません。ただ、どうしても謝ろうとせず、相手の保護者が大変怒っています」光の声には困惑がにじんでいた。

紗季は少し考え込んだ。

今日は平日、隼人はきっと仕事で手が離せない。

これまでも学校関係のことに動いてきたのは、いつも自分だった。

――どうせもう別れるのだから、最後くらい母親として陽向のために動こう。

学校で責められている子どもの姿を思うと、胸が痛む。

紗季は迷わず学校へ向かった。

車を降り、光の職員室へと足早に歩いていた。

「きっと今頃、孤立して心細がっているに違いない」――そう思うと、自然と歩みが速くなった。

だが入る前に、澄んだ涼やかな声が耳に飛び込んできた。

「陽向くんは決して自分から喧嘩を仕掛けたわけじゃありません。宿題をしていなくて先生に叱られて落ち込んでいた時に、あなたのお子さんが何度も『ご褒美をもらえなかった』とからかったから口論になったんです。これは陽向くんだけの責任ではないでしょう?渡辺さん、そう思いませんか?」

紗季は驚きに立ち尽くした。

中に入ると、呼吸が乱れる。

そこにいたのは美琴だった。

淡い色のロングドレスに白いリボンで髪を半束ね、その後ろ姿だけで優雅さと柔らかさが滲み出ていた。

隼人は黒のスーツ姿で、美琴の隣に立っていた。

そして、紗季が心血を注いで育てた息子・陽向は、美琴の手にしっかりと寄り添っていた。

まるで三人で幸せな家族のように。

相手の保護者も美琴の言葉に気を静め、これ以上の追及をやめた。

美琴は優しく微笑み、陽向の頭を撫でる。

「陽向くん、正弘くんに謝ろうね。いい子だから」

陽向は唇を尖らせたが、素直に歩み寄って頭を下げた。

双方が和解し、場の空気は安堵に包まれる。

見守っていた教師たちも一斉に息をつき、美琴を称賛の眼差しで見つめた。

「黒川奥さん、子育てがお上手ですね。さっきまであんなに謝ろうとしなかった陽向くんが、あなたの一言で素直に謝るなんて」

隼人の表情が一瞬固まり、眉をひそめる。

「彼女は――」

だが渡辺正弘(わたなべ まさひろ)の父親が割り込むように笑った。

「隼人さん、こんな奥さんがいて幸せですね。うちの嫁なんか恐ろしくて……本当にお似合いです。末永くお幸せに」

隼人の瞳に不快の色が走り、はっきりと言い切った。

「彼女は陽向の母親ではありません」

美琴の笑顔がわずかに引きつり、陽向を抱き寄せた。

すると陽向が声を張り上げた。

「美琴さんは僕のママじゃなくても、本当のママよりずっといい!」

その場の空気が一気に張り詰めた。

隼人の目が暗く光り、鋭く陽向を睨みつけた。

遠くから見ていた紗季の胸に、再び重苦しさと眩暈が襲ってきた。

思わずドア枠に手をかけ、力なくその光景を見つめた。

――まるで自分は、養分を失い病に冒された花。枯れ落ちる寸前の花。

家族だと思っていた人たちは、皆、美琴という薔薇のもとへ集まっていく。

その時、陽向がふと振り返り、彼女を見つけた。

「ママ!」

叫ぶなり、美琴の手を振りほどいて駆け出してきた。

隼人も紗季に気づき、迷わず歩み寄った。

一瞬、その光景に戸惑った。

だが次の瞬間、陽向が紗季の服をぐいと掴み、怒りをぶつけた。

「全部ママのせいだ!昨日なんで宿題やれって言ってくれなかったんだよ!ママのせいで僕、ご褒美もらえなかったし、正弘にからかわれて喧嘩になったんだ!全部ママのせいだ!」

陽向が掴んだかと思うと、逆に突き飛ばした。

小さな体でも意外に力は強い。

体調の悪い紗季はよろめき、倒れそうになる。

その時、しっかりと支える腕に抱き留められた。

温かい胸に包まれ、顔を上げる。

隼人が険しい表情で陽向を睨みつけ、低く叱責した。

「ママに謝れ!誰がそんな無礼を許した!宿題は自分でやるものだ。お前はもう十分大きいだろう!」

家ではいつも陽向に厳格なしつけをする隼人だった。

陽向は父の怒りに怯え、体を震わせて目を真っ赤にし、唇を尖らせたまま黙り込んだ。

紗季は体を立て直し、隼人をそっと押し返した。

隼人はすぐに異変を察し、不安げに彼女を見つめた。

「大丈夫か?」

紗季は首を振った。

隼人は紗季の手を握りしめ、落ち着かせるように言い放つ。「陽向、謝れ!」

陽向はビクリと震えた。

その後ろで、美琴の目がかすかに揺れ、視線は隼人と紗季の絡み合った手に注がれた。一瞬だけ目を伏せ、すぐに笑みを浮かべて近づいてくる。

「隼人、そんなに大声を出さないで。子どもは先生に叱られ、喧嘩までして気持ちが不安定なの。少しくらい反抗的でも仕方ないじゃない?紗季さんも気にしていないわよね?」

紗季は顔を上げ、美琴と視線を交わした。

近づくと、美琴の体からほのかな柑橘の香りが漂った。

昨夜、隼人の体から感じたのと同じ香り。

紗季の胸が震え、思わず隼人の手を振り払った。

美琴はにっこりと目を細め、気にも留めない様子で続けた。

「隼人、私と陽向くんのお母さんが初めて顔を合わせるのよ。紹介してくれない?」

隼人の表情が固まった。
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