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第594話

Auteur: 青山米子
目の前の女を見ながら――先ほどまであれほど哀れっぽく自分に懇願していた女が、突如として豹変したその様を見ながら、言吾は思わず、乾いた笑いを漏らした。

昔の自分は、本当にどうかしていた。どれほど目が曇り、心が盲目だったのか。彼女のことを、いつまでも幼い頃の、あの弱々しくも心優しい妹なのだと、何の疑いもなく信じ込んでいた。

あんなに幼くして、自らの命の危険さえ顧みずに自分を救ってくれた人間が、どれだけ道を誤ろうと、根っからの悪人であるはずがないと。

何から何まで、彼女の言葉を信じていた。

自分は、本当に……

だが、優花の言ったことは間違ってはいない、と彼は思った。かつての過ち、そのすべてにおいて、最も罪深く、最も一葉を傷つけたのは、紛れもなく自分自身だ。死に値する人間がいるとすれば、それは自分なのだと。

たしかに、あの時の自分は、過去のトラウマに心を蝕まれ、優花の言葉を鵜呑みにし、一葉が彼女に薬を盛ったのだと、自分たちの出会いから何もかもが彼女の策略だったのだと信じ込んでいた。

しかし、そんなことは、彼女を傷つけていい正当な理由にはならない。

自分は、いかなる理由があろうとも、万死に値する罪を犯したのだ。

言吾は、まっすぐに優花を見据えた。「お前の言う通りだ。元凶は俺で、一番死ぬべき人間も俺だ。俺は、この先の一生をかけて、罪を償っていく」

「そしてお前は、お前の残りの人生をかけて、罪を償え。

安心しろ。刑期を終えて老人になってから、墓に入る場所もないなんて心配はしなくていい。昔、命を救ってもらった恩がある。お前が穏やかな晩年を過ごせるよう、そして、墓に入る場所くらいは、俺が用意してやる」

かつての命の恩は、今や、それだけの価値に成り下がった。

言吾はそう言い残すと、背を向けて歩き出した。

その冷酷で、一切の情けを含まぬ背中を見ながら、優花は悟った。この背中を見送ってしまえば、もう二度と、いかなる希望も残されてはいないという絶望的な事実を。その認識が、彼女を最後の狂気へと駆り立てた。言吾の心を抉れるだけ抉ってやろうと。

「……昔、命を救ってもらった恩、ですって?」優花は一瞬、間を置くと、けたたましい笑い声をあげた。「深水言吾、あんたって、本当に救いようのない馬鹿ね!何年も、何年も、私にいいように踊らされてたことにも気づかないで!」

「命の恩
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