Mag-log in愛したいのに、愛せない。傷つけ合った私たちが、もう一度愛し合える日まで 悲しい連鎖はとめどなく……。 佐原杏の初恋は悲しい恋となった。 大好きになった人。 それは決して好きになってはいけない人だった。 二人が悪いわけではない。 何かがねじ曲がってしまった二人の運命。 ある事件が二人の絆を引き裂く。 悲しい別れを選んだ二人。 それなのに、十年の年月を経て、運命はいたずらに微笑む。 二人は磁石のように引き合う。 どうしようもなく惹かれる……。 それは抗えるものではなかった。 過去が二人を覆いつくそうとしてくる。 その運命に抗い、二人はもう一度、向き合えることはできるのだろうか。
view more「星が、綺麗……」
ため息交じりに、ぽつりとつぶやく。
その声は、静かな夜の闇へと溶けていった。
時刻は、夜の九時を少し過ぎたところ。
ふと腕時計に目を落とすと、針は、Lとは逆の形を描いていた。仕事も佳境を迎え、最近は残業続きの日々。
会社を出たのが夜八時前。 駅まで歩き、電車に揺られ、最寄り駅からまた歩く。それほど遠くない自宅までの帰路が、いつもより長く感じられる。
疲れた体をうんと伸ばしながら、何気なく空を見上げた。
すると、珍しい星の瞬きが目に飛び込んできた。だから、思わず声が漏れてしまった。
普段は、星なんて滅多に見ることができない。
いや、見えていたとしても、きっと気づきもしないのだ。みんな、疲れたように俯いているか、スマホに夢中の人ばかりだから。
そういえば――
私の働く会社は、そのスマホにとって欠かせない精密機器を作っている。 主に半導体を取り扱う大手企業だ。そこでOLとして働いている。
とても忙しいけれど、仕事にやりがいを感じていた。私には三つ年の離れた弟、新(あらた)がいる。
私が二十六歳で、新が二十三歳。彼にあまり苦労はさせたくない。そう思い、大手企業を選んだ。
無事に就職はできたものの……想像以上に忙しく、毎日クタクタだった。
「姉さん!」
聞き慣れた声に、顔を上げる。
目の前には、元気よく手を振る新の姿。ニコニコと微笑みながら、こちらへ駆け寄ってくる。
少し息を弾ませながら、私の前に立った。
「新、また迎えにきてくれたの?」
「うん、本当は駅まで行きたかったんだけど、ちょっと遅れちゃって、ごめんね」
「そんなの、いいのに。いつもありがとう」
新は、来れる日は毎日のように、こうして私を迎えに来てくれる。
『姉さんが心配なんだ』そう言って、譲らないのだ。しっかり者の弟で、ありがたいような、ちょっと心配なような……。
私が微笑みかけると、新は嬉しそうに可愛らしい笑みを返してくれた。
歩き出した私に、新が寄り添うように並ぶ。とても可愛い、私の弟――佐原(さはら)新。
私たちは、ずっと二人だった。 今も二人で暮らし、仲睦まじく生活している。かつては、養護施設でお世話になっていたこともあった。が、今はこうして自立できていることに、日々感謝している。
そう、私たちには、もう両親がいない。
母は、幼い頃に亡くなった。
そして、父は――。「姉さん? どうしたの?」
新が心配そうに覗き込んできた。
しまった。
少し、考え込んでしまっていたらしい。「ううん、なんでもない! ね、今日の晩御飯は何?」
私は思考を打ち消すように、わざと明るく問いかけた。
「え? ……さあね、お楽しみだよ」
「何、それー」
気持ちを悟られないように、できるだけ明るく振る舞う。
過去を思うと、いまだに胸が疼く。
新は心配症だから、これ以上、心配かけたくない。
そう。あの、悲しい恋を――思い出してしまうから……。
店を出ると、空気がひんやりとしていた。 ふと見上げれば、白い粒がちらちらと舞っている。 ……雪だ。 街灯の光を反射して、空から静かにこぼれる雪が、まるで宝石みたいに輝いている。 私と修司は肩を並べて歩き出す。 気づけば、彼がそっと歩幅を合わせてくれていて―― なにげない優しさが、また胸の奥をあたためてくれる。 街のにぎわいから少し離れた道は、人も車も少なくて、 静けさの中で、私たちの足音だけが小さく響いていた。 そのとき、修司の手が私の手にそっと触れる。 ……そのまま、ぎゅっと握られた。「寒くない?」 小さく問いかけながら笑顔を向ける修司に、少しドギマギする。 いつまで経っても、こうして触れられるだけで、胸が騒ぐ。「ううん。全然。……すごく、あったかい」 そう答えながら、今の幸せをそっと噛みしめる。 その手の温もりも、こうして隣にいれることも、全部が夢みたいで。「……ねえ、修司」「ん?」「ずっとね、クリスマスって苦手だった。 怖かったの。思い出すのが……」 声が少しかすれて、私は空を見上げる。 舞い降りる雪の向こうに、あの頃の自分がぼんやりと浮かんだ。「でも、今はもう、大丈夫。 だって……修司と一緒にいられるから」 私がそう言って笑うと、 修司は何も言わず、ただ私を見ていた。 そして、ゆっくりとあたたかな微笑みを浮かべる。 その笑顔はとても幸せそうで、私の心をそっと包み込んでいった。 私がふと立ち止まると、修司も同じように足を止めた。 ゆっくりと見つめ合い――そのまま、ふたりの距離が自然と縮まっていく。 そのとき。「……姉さん?」 突然、背後から聞き覚えのある声がした。 驚いて振り返ると、そこには見慣れたコート姿の青年が立っていた。 新だった。 両手に買い物袋を提げて、こっちをぽかんと見つめている。 ふと我に返ったように、急いでこちらへ歩み寄ってきた。「あ、新? どうしてここに……」 そう問いかけると、新は不機嫌そうな顔になって、早口でまくし立てる。「これから、家に行こうと思ってたんだよ。ケーキもチキンも買ってさ!」 買い物袋を私の目の前に突き付けながら、新がふんっと鼻息を荒くする。 その声にも、少しだけ棘が混じっているような気が
駅前のイルミネーションを離れ、静かな通りを歩く。 やがて、修司が予約してくれたレストランが見えてきた。 賑やかな街から少し離れた、落ち着いた雰囲気の店だった。 あたたかな光に包まれた店内に足を踏み入れると、ふんわりと香ばしい香りが鼻をくすぐる。 ふと見渡せば、きらびやかなクリスマスの装飾が、空間を華やかに彩っていた。 案内された席に着き、私たちは向かい合って座った。 店内には控えめなジャズが静かに流れていて、 それは、どこか懐かしいクリスマスソングのアレンジのようにも聞こえた。 私はメニューに目を落としながら、気を紛らわせようとするが、どうにも落ち着かない。 さっきからずっと流れている、あの曲―― 耳馴染みのあるクリスマスソング。 この曲を聴くたびに、胸の奥が締めつけられ、心に影を落とす。「……この曲」 ぽつりと、無意識に口をついて出た。 修司がこちらを見る。 私は視線を落としたまま、言葉を続ける。「十年前のクリスマス……真実を知った日も、たしかこの曲が流れてた。 あのときは、本当につらくて、ただ苦しくて……」 語尾がかすれ、喉の奥がきゅっと締まる。言葉がそれ以上、出てこなかった。 修司はすぐには何も言わなかった。 でも、黙って私の言葉を待ってくれているのが分かる。 彼だって思うところはたくさんあるはず。 でも決して私の言葉を遮ることはない。いつも、そう。 そのあたたかな心と優しさに、私はどれだけ救われてきたんだろう。「修司の顔が浮かんで、そして父の顔が浮かんで。 心はぐちゃぐちゃで……。もうどうしていいのかわからなかった。 苦しくて、切なくて、涙が止まらなかった。 でも、それでも、あなたのことが愛おしくて……」 その瞬間、胸の奥にしまったはずの傷が、またぶり返したかのように痛んだ。 決して忘れることのできない、記憶。 それでも―
冬は暗くなるのも早い。 もうすっかり夜の雰囲気に染まった空間を、ツリーの灯りだけが優しく照らしていた。 大きなクリスマスツリーを見上げながら、冷たくなった手にそっと息をかける。「……修司、まだかなあ」 昨日、突然修司からデートに誘われた。 クリスマスイブを、特別な場所で一緒に過ごそう――そんな言葉とともに。 彼なりに気を遣ってくれているのかもしれない。 クリスマス。 それは、私にとって、辛くて悲しい思い出。 胸を刺すような痛みが甦る、そんな日。 父の冤罪をきせた相手が、修司の兄・雅也だと知った、あの冬。 修司のことを、もう愛さないと決めた、あの日。 それが、クリスマスだった。 だから毎年この日が来るたび、 胸が疼いて、心の中が闇でそっと満たされていくような感覚に襲われる。 けれど、今年は。 どうやら、少し違うみたいだ。 どこからともなく流れてくる軽快な音楽。 街を照らすきらびやかなイルミネーション。 そして、目の前でそびえる大きなクリスマスツリー。 行き交う人々に目をやれば、恋人たちが幸せそうな顔で通り過ぎていく。 ……ふふっ。私たちも、あんなふうに見えるのかな? なんて思いながら、寒さで震える指先を、そっと握りしめた。 そのとき。 人混みの向こうに、見覚えのある姿が現れる。 黒いコートの裾を揺らしながら、まっすぐにこちらへ歩いてくる人影。 胸が、ときめく。 ――修司だ。 いつまで経っても、まだ慣れない。 彼を見れば胸が躍り、心が逸る、この感じ。 やがて修司が、私の目の前に立った。 少し息を整えながら、優しく微笑みかけてくる。 寒さのせいか、頬がほんのりと赤くて……なんだか、可愛い。「ごめん、待たせた?」 優しい声に、自然と表情が緩む。 い
【二〇二五年 杏】 修司はあの出来事の後、一度は警察を辞めようとしていた。 でも、署長さんが強く引き留めてくれて、今は新のいる生活安全課に異動して、警察官を続けている。 もちろん、私も賛成だった。 「杏が言うなら……」 なんて、誤魔化していたけれど――きっと心のどこかで続けたかったんだと思う。 今では、新とペアを組んで現場を回っている。 最初は気まずそうだった二人も、今ではすっかり打ち解けたようで、互いの愚痴を私にこぼし合ってくる。 この前「兄弟みたいだね」と言ったら、二人揃って怒られた。 やっぱり、仲良いんだと思う。 二人並んで玄関を出て、マンションの前で向かい合う。「いってきます、いってらっしゃい」 私が手を振ると、修司も笑って応える。「ああ……あ、ちょっと」 急に何かに気づいたように、彼が私に近づいてくる。「髪にゴミが……」「あ、ほんと? ありがとう」 じっとして彼の手を待っていると、ふいに唇を奪われた。「ちょ、何するのよ!」 慌てて後ずさった私の背中に、誰かがぶつかる。「わあっ、ご、ごめんなさい!」 振り返ると、そこにいたのは――新だった。「何してんの?」 ジト目で見下ろす新。「あ、新……?」「ちょっと姉さんの顔が見たくて来たんだけど……最悪のタイミングだったかもね」 そう言って、新が修司を睨む。「へっ、わざとだ」「な、なにそれっ!?」 私の絶叫をよそに、新が深いため息をついた。「ね、姉さん、こんな奴やめて、僕とまた暮らそうよ」「えぇ……?」「こら! 何言ってんだ、このませガキ!」 修司が新と私の間に割って入る。「姉さんは僕といた方が幸せなんだよ。僕は、まだ二人のこと認めてないから」「別に、お前に認めてもらわなくてもいいんだけど」 二人の火花がバチバチと飛び散る。 これはマズい。「はいはいっ、そこまで! いい加減にしなさーいっ!!」 私の声が響いたその瞬間。 青く澄みわたる十二月の空から、ふわりと雪が舞い落ちる。 白い小さな粒たちが、静かに私たちを包みこんだ。 ――空の向こうで、父が笑っている気がした。 今年のクリスマスは、きっといい日になる。 そんな予感がした。
Rebyu