どうしてあなたを好きになってしまったんだろう

どうしてあなたを好きになってしまったんだろう

last updateLast Updated : 2025-07-05
By:  桜 こころ🌸Updated just now
Language: Japanese
goodnovel12goodnovel
Not enough ratings
36Chapters
2.0Kviews
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

愛したいのに、愛せない。傷つけ合った私たちが、もう一度愛し合える日まで 悲しい連鎖はとめどなく……。 佐原杏の初恋は悲しい恋となった。 大好きになった人。 それは決して好きになってはいけない人だった。 二人が悪いわけではない。 何かがねじ曲がってしまった二人の運命。 ある事件が二人の絆を引き裂く。 悲しい別れを選んだ二人。 それなのに、十年の年月を経て、運命はいたずらに微笑む。 二人は磁石のように引き合う。 どうしようもなく惹かれる……。 それは抗えるものではなかった。 過去が二人を覆いつくそうとしてくる。 その運命に抗い、二人はもう一度、向き合えることはできるのだろうか。

View More

Chapter 1

プロローグ

「星が、綺麗……」

 ため息交じりに、ぽつりとつぶやく。

 その声は、静かな夜の闇へと溶けていった。

 時刻は、夜の九時を少し過ぎたところ。

 ふと腕時計に目を落とすと、針は、Lとは逆の形を描いていた。

 仕事も佳境を迎え、最近は残業続きの日々。

 会社を出たのが夜八時前。

 駅まで歩き、電車に揺られ、最寄り駅からまた歩く。

 それほど遠くない自宅までの帰路が、いつもより長く感じられる。

 疲れた体をうんと伸ばしながら、何気なく空を見上げた。

 すると、珍しい星の瞬きが目に飛び込んできた。

 だから、思わず声が漏れてしまった。

 普段は、星なんて滅多に見ることができない。

 いや、見えていたとしても、きっと気づきもしないのだ。

 みんな、疲れたように俯いているか、スマホに夢中の人ばかりだから。

 そういえば――

 私の働く会社は、そのスマホにとって欠かせない精密機器を作っている。

 主に半導体を取り扱う大手企業だ。

 そこでOLとして働いている。

 とても忙しいけれど、仕事にやりがいを感じていた。

 私には三つ年の離れた弟、新(あらた)がいる。

 私が二十六歳で、新が二十三歳。

 彼にあまり苦労はさせたくない。そう思い、大手企業を選んだ。

 無事に就職はできたものの……想像以上に忙しく、毎日クタクタだった。

「姉さん!」

 聞き慣れた声に、顔を上げる。

 目の前には、元気よく手を振る新の姿。

 ニコニコと微笑みながら、こちらへ駆け寄ってくる。

 少し息を弾ませながら、私の前に立った。

「新、また迎えにきてくれたの?」

「うん、本当は駅まで行きたかったんだけど、ちょっと遅れちゃって、ごめんね」

「そんなの、いいのに。いつもありがとう」

 新は、来れる日は毎日のように、こうして私を迎えに来てくれる。

 『姉さんが心配なんだ』そう言って、譲らないのだ。

 しっかり者の弟で、ありがたいような、ちょっと心配なような……。

 私が微笑みかけると、新は嬉しそうに可愛らしい笑みを返してくれた。

 歩き出した私に、新が寄り添うように並ぶ。

 とても可愛い、私の弟――佐原(さはら)新。

 私たちは、ずっと二人だった。

 今も二人で暮らし、仲睦まじく生活している。

 かつては、養護施設でお世話になっていたこともあった。が、今はこうして自立できていることに、日々感謝している。

 そう、私たちには、もう両親がいない。

 母は、幼い頃に亡くなった。

 そして、父は――。

「姉さん? どうしたの?」

 新が心配そうに覗き込んできた。

 しまった。

 少し、考え込んでしまっていたらしい。

「ううん、なんでもない! ね、今日の晩御飯は何?」

 私は思考を打ち消すように、わざと明るく問いかけた。

「え? ……さあね、お楽しみだよ」

「何、それー」

 気持ちを悟られないように、できるだけ明るく振る舞う。

 過去を思うと、いまだに胸が疼く。

 新は心配症だから、これ以上、心配かけたくない。

 そう。

 あの、悲しい恋を――思い出してしまうから……。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters

Comments

No Comments
36 Chapters
プロローグ
「星が、綺麗……」 ため息交じりに、ぽつりとつぶやく。 その声は、静かな夜の闇へと溶けていった。 時刻は、夜の九時を少し過ぎたところ。  ふと腕時計に目を落とすと、針は、Lとは逆の形を描いていた。 仕事も佳境を迎え、最近は残業続きの日々。  会社を出たのが夜八時前。  駅まで歩き、電車に揺られ、最寄り駅からまた歩く。 それほど遠くない自宅までの帰路が、いつもより長く感じられる。 疲れた体をうんと伸ばしながら、何気なく空を見上げた。  すると、珍しい星の瞬きが目に飛び込んできた。 だから、思わず声が漏れてしまった。 普段は、星なんて滅多に見ることができない。  いや、見えていたとしても、きっと気づきもしないのだ。 みんな、疲れたように俯いているか、スマホに夢中の人ばかりだから。 そういえば――  私の働く会社は、そのスマホにとって欠かせない精密機器を作っている。  主に半導体を取り扱う大手企業だ。 そこでOLとして働いている。  とても忙しいけれど、仕事にやりがいを感じていた。 私には三つ年の離れた弟、新(あらた)がいる。  私が二十六歳で、新が二十三歳。 彼にあまり苦労はさせたくない。そう思い、大手企業を選んだ。 無事に就職はできたものの……想像以上に忙しく、毎日クタクタだった。「姉さん!」 聞き慣れた声に、顔を上げる。  目の前には、元気よく手を振る新の姿。 ニコニコと微笑みながら、こちらへ駆け寄ってくる。 少し息を弾ませながら、私の前に立った。「新、また迎えにきてくれたの?」「うん、本当は駅まで行きたかったんだけど、ちょっと遅れちゃって、ごめんね」「そんなの、いいのに。いつもありがとう」 新は、来れる日は毎日のように、こうして私を迎えに来てくれる。  『姉さんが心配なんだ』そう言って、譲らないのだ。 しっかり者の弟で、ありがたいような、ちょっと心配なような……。 私が微笑みかけると、新は嬉しそうに可愛らしい笑みを返してくれた。  歩き出した私に、新が寄り添うように並ぶ。 とても可愛い、私の弟――佐原(さはら)新。  私たちは、ずっと二人だった。  今も二人で暮らし、仲睦まじく生活している。 かつては、養護施設でお世話になっていたこともあった。が、今はこうして自立できていることに、日々
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more
第一話 あの日、動き出した運命
【二〇一五年 杏】 少しだけ、話を過去に戻そう。 あれは私、佐原杏(あん)が十六歳、高校一年生の頃のことだった。「父さん、起きて! 遅刻しちゃうよ!」 布団の中でぽかんと口を開け、眠りこけている父に、私は思い切りダイブした。「うっ!」 私の重みに驚いて、父が目を覚ます。  眠たそうに目を擦りながら、父は私を見て優しく笑った。「ああ、おはよう、杏」 私は父のこの笑顔が大好きだった。  優しくて、見ていると心がぽかぽかする。 次に、隣でのんきに寝ている弟の頬を軽く叩いた。「う~ん……何?」「何? じゃないでしょ、早く起きて」 芋虫みたいに体を丸めてもぞもぞ動くだけで、起きる気配のない弟、新。  イラッとした私は、布団を勢いよく剥ぎ取ってやった。「さ、寒いよ~。姉ちゃん、何すんだよ」 新は不機嫌そうに眉を寄せ、私を睨む。  私も負けじと睨み返した。「ふーん、そんな態度取るんだ。じゃあ朝ごはん抜きね」「えっ!? わかったよ……起きるよ」 観念したように、新はゆっくりと起き上がり、布団を片付け始める。  その様子を横目で見つめていた私は、勝った、とばかりに胸を張った。 そんな私たちを見ていた父が笑う。「杏の料理が食べられないのは困るもんなあ」 のんびり笑う父を私がギロッと睨むと、父は慌てて着替え始めた。「もう、本当に子どもなんだから」 私は二人を見つめながら大げさにため息をついた。  そして、朝食の準備をするため、急いで台所へと向かった。 「ごちそうさまでした」 空になった食器を前に、父と新が手を合わせる。 二人とも綺麗に完食。  いつも気持ちよく食べてくれるので、作った私も気分がいい。「さ、お母さんに挨拶して」 出かける支度を手早く済ませ、私たちは仏壇の前に集まった。 仏壇には、小さな写真が飾られている。  写真には、笑顔の美しい女性が写っていた――私の母だ。 母は、私が幼い頃に亡くなった。  とても優しくて、綺麗な人だった。  思い出せる記憶もほとんどなかったが、母が私たちに深い愛情を与えてくれていたことだけはわかる。 愛というのは、目に見えなくても確かにそこに存在していて――  人の心にずっと残り続けるものだと思うから。 私と新、そして父の心には、これからもずっと母の愛は生き続ける。「
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more
第二話 再会、回りだした歯車
【二〇二五年 杏】 二十六歳になった私は、大手企業に勤めるごく普通のOLとして忙しい毎日を送っていた。 その日も朝から会社は慌ただしく――「はい、こちら佐原です。……はい、確認して折り返します!」 次々にかかってくる発注の電話に追われ、私は慌ただしくメモを取る。  フロア中に電話の音や話し声が響き渡り、あちこちで人が忙しなく動き回っていた。 その間を、私は書類の山を抱え、小走りに駆け抜けていく。 積み上げた書類がずり落ちそうになり、慌てて持ち直そうとしたその時だった。「きゃーっ!」 甲高い女性の悲鳴が突然響いた。  思わず足を止めた私は、声のした方向へ視線を向ける。 何が起きたのだろう。 好奇心と不安が入り混じる。 気づけば、私の足は、吸い寄せられるようにそちらへと踏み出していた。  私の部署からほど近い、廊下の一角。  そこに人だかりが出来ていた。 私はゆっくりと近づいていく。  すると、その人だかりの中心から怒声が飛んだ。「てめえら、何見てやがる!」「きゃっ!」「押さえろ!」 人並が動き、少しの隙間ができた。  私は静かに近づいてそっと覗き込む。 そこには、信じられない光景が広がっていた。 数人の男性社員が、暴れる男を取り押さえようとしている。  まるで映画のワンシーンのようだ。「何が起きてるの……?」 呆然としていると、どよめきが起こった。  人だかりが突然乱れ、中にいた人たちが床に倒れ込んだ。 人々がそれぞれ逃げ惑う中、三人の男性たちが一人の男を押さえ込んだ。「うぅっ……くそっ!」 男の手からナイフが床に落ち、乾いた音が響く。 私は息を呑んだ。  刃物……!?「おい、警察はまだか!?」「さっき呼んだから、もうすぐ着くはずだ!」 周囲がざわめき、騒ぎを聞きつけた社員がさらに集まってきた。 男は既に取り押さえられ、観念したように力なく地面に伏していた。 私はほっと胸を撫で下ろした。  すると、ふと手元の書類のことを思い出す。 ここにいても、私に何ができるわけでもないし……。 そう思った私は、そそくさと仕事へと戻ることにした。 しかし、仕事をしている私の頭の中は、先程の事件のことでいっぱいだった。 集中できない。  いったい、どうなったんだろう。 私の意識と視線は、廊下のほ
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more
第三話 始まりの季節、惹かれ合う心
【二〇一五年 杏】 あれは、私が十六歳の時のこと。 また話はそこへ戻る。  あの朝、私は校門の前で佇むあなたを見た。 そこからすべてが始まった。  月ヶ瀬(つきがせ)修司(しゅうじ)に出会ったのは、十年前の春のこと。 修司は転校生だった。 あの時、校門の前にいた彼が、まさか今日から私のクラスメイトになるなんて思いもしなかった。 高校に進学してから、まだ一か月。  クラスにはまだ馴染めていない子もいる。そんな中、さらに転校生が加わるというのだから、教室は騒然としていた。 ガラガラと教室の扉が開き、先生に連れられて修司が入ってくる。  その瞬間、私は息をのんだ。 あの人だ。 黒髪を少し無造作に流した端正な顔立ち。  凛とした佇まいと、どこか物憂げな雰囲気。 私は瞬きするのも忘れ、彼を見つめる。 その視線に気づいたのか、修司がこちらに視線を向けた。 ――目が合う。 トクン……鼓動が跳ねる。 彼がふっと笑う。  私は恥ずかしくて急いで視線を逸らした。 ドクンドクン……。 まだ私の心臓は激しい音を奏でていた。 転校生の登場に、クラスはさらにざわめき出す。  自己紹介を済ませた修司は、空いていた席に腰を下ろした。 こうして、修司はクラスの一員となった。  授業が終わると、すぐに修司のまわりには人が集まった。「どこから来たの?」「趣味は?」「部活は入るの?」 転校生への通過儀礼というか、恒例行事というか。  いつの時代も、転校生というものは質問攻めにされるものだ。 私は、その輪の外から彼を眺めていた。  本当は私も話しかけたかった。 でも、そんな勇気もなく……。 彼の姿を見ているだけでも、こんなに胸がざわめくのに。 話しかけるなんて。 まあ、外見もイケてるし、人当たりもいい。  笑顔が素敵だし……モテるんだろうなあ。 結局、私は話しかけることができず、ただ遠くから見つめることしかできなかった。 しかし、そんな私にも幸運の女神が微笑んだ。 放課後。  いつものように、一人で帰り道を歩いていた。 今日の夕飯は何にしようかな、なんて考えながら。「ねえ、一緒に帰ろう」 突然、背後から声をかけられ、振り返る。 そこにいたのは——月ヶ瀬修司。 にっこりと微笑む修司を目の前に、私は呆然と立ち尽くした。
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more
第四話 夕暮れ、公園……そして君
【二〇一五年 杏】 近所にある小さな公園。  遊具はブランコと滑り台、それに鉄棒くらいしかなく、端のほうには小さな砂場がある。 公園の中央にそびえる大きな木からは、少し気の早いセミの鳴き声が響いていた。 日が暮れても、まだ熱のこもった空気が肌にまとわりつく。  遊具の影が長く伸び、夏の訪れを告げている。 どこにでもあるような公園。 だけど、私にとっては特別な場所だった。 母との数少ない思い出が残る場所――。 幼い頃、母と弟の新と三人で、よくここで遊んだ。  ブランコを押してくれた母の優しい手の温もりも、穏やかに見守る眼差しも、今でも覚えている。 そんな思い出に浸っていると、ふいに修司の声が聞こえた。「どうしたの? ぼーっとして」「え? ううん、何でもない……ただ、ちょっとお母さんのことを思い出してた」「お母さん?」 私はブランコの近くの鉄柵に腰を下ろした。  目を細め、母の面影を探すように空を見上げる。 修司も隣に座り、静かに耳を傾けてくれた。「お母さんね、私が小さい頃に亡くなったの。体が弱かったみたい。  思い出もそんなにないし、はっきりとは覚えていないんだけど……たまに、すごく寂しくなることがある」「……うん」 修司は私を見つめ、深く頷いた。「でも、お父さんと新がいるから、私は幸せ。  二人のこと、大好きだし、守ってあげたいって思う」 地面に視線を落としながら、自然と笑みがこぼれる。  それは嘘偽りのない、本心だった。「杏の家族は、きっと愛に溢れてるんだろうな。  お母さんも、お父さんも、新くんも、みんな優しい人なんだろうなって想像できるよ。  ね、いつか会わせてよ」 彼の無邪気な笑顔とその気持ちが嬉しくて、私は微笑んだ。「ふふっ、そうだね。また今度ね」「うん!」 二人で笑い合う。 ああ……なんだかいいな。こういうの。  大好きな人に、大好きな家族のことを知ってもらえるのは、嬉しい。「あ、それで、修司は何を悩んでるの?」 ふと、本題を思い出した。  彼の話を聞くために、公園に来たんだった。「う、ん……」 先ほどまで笑っていた修司の表情が、一瞬で沈む。  俯き、黙り込んでしまう。 私はそんな彼を見つめながら、ただ静かに待った。 二人の間を生ぬるい風が通り過ぎていく。 しばらくする
last updateLast Updated : 2025-05-22
Read more
第五話 奪われた日常、交差する運命①
【二〇二五年 杏】 私は墓地へと足を運んでいた。 ここは田舎町の霊園墓地。  小高い山の中腹に広がるその場所は、静寂に包まれ、どこか懐かしい気配をまとっている。 最寄り駅から遠く、バスに揺られて一時間。  そこからさらに三十分ほど歩かなければならない。 途中には急勾配の山道が続く。  最初は舗装された道を歩くものの、途中からは石畳の階段が延々と続いている。 七月の陽射しは容赦なく降り注ぎ、肌を焼く。 額ににじんだ汗が、やがて顎を伝い滴り落ちた。  ただでさえ暑く、汗ばむ季節。  こんなに運動すれば、当然か。と苦笑しながら手の甲で汗を拭う。 ふと、ある人物の顔が脳裏をよぎった。  初夏のあの日―― 告白されたのも、ちょうどこんな暑い日だった。 「はぁ……」 思わずため息が漏れる。 どうして今になって、こんなにも鮮明に思い出してしまうんだろう。 いや、わかっている。  昨日、彼に会ってしまったからだ。 会社で起きた事件。  捜査のために刑事がやってきた。 その刑事が、修司だった。 十年ぶりの再会。 驚いていたのは、彼も同じだった。  動揺を隠しながら、それでも自然に話しかけてこようとする修司。 連絡先を聞かれそうな雰囲気になり、私はとっさに「忙しいから」と言い訳をして、その場を離れた。 だって、困る。  せっかく最近は思い出すことも減ってきていたというのに……。 これ以上、かき乱されたくなかった。  道端に咲く草花に視線を落としながら、ゆっくりと歩を進める。 緑に囲まれたこの場所は、どこか心を落ち着かせてくれる。  墓地がこんなふうに自然の中にあるのは、悪くない。 故人も、訪れる者も、静かに癒されていくような気がした。  やがて、視界が開ける。
last updateLast Updated : 2025-05-24
Read more
第五話 奪われた日常、交差する運命②
【二〇一五年 杏】「え! 父さんが殺人容疑で捕まった!?」 その知らせは、私と修司が付き合い始めて三か月が過ぎた頃に届いた。 夕食の準備をしていた私は、驚きのあまり手に持っていた皿を落としてしまう。 ガシャン。 鋭い音が台所に響き渡った。「うん、警察の人から連絡があって……そう言われたんだ」 電話を受け取った新は、信じられないというように目を丸くして私を見つめていた。「どういうこと!? 何かの間違いだよね!?」「わからない」 新は小さく首を振った。  私たちは混乱していた。 いったい何がどうなって、父は捕まったのか。 理解しようとすればするほど、現実が遠ざかるような気がした。  だって、父さんはそんなことをする人じゃない。 いつも優しく、周りのことを気遣い、人のことばかり考えるような人だった。 その父さんが――殺人の容疑者? そんなこと、あるわけない。 気がつくと、私は駆け出していた。  考えるよりも先に体が動いた。 全身が熱く、心臓が痛いほどに脈打つ。 無我夢中で走った。  行き先は、警察署。 しかし――「申し訳ありませんが、現在、取り調べ中ですのでお引き取りください」 受付の警察官は、冷たくそう告げた。  それ以上の説明もなく、私は門前払いされる。「そんな……! 会わせてください! 私、娘なんです!」 どれだけ懇願しても、警察官は首を振るばかりだった。 取り調べ中だから。  決まりだから。  その一点張り。 私は何もできないまま、途方に暮れ、家へ戻るしかなかった。  家の玄関を開けた瞬間、新が駆け寄ってきた。「お姉ちゃん!」 不安そうな瞳。  心細さを隠しきれない表情。 私は必死に、動揺を押し殺し、新の頭をそっと
last updateLast Updated : 2025-05-27
Read more
第六話 罪の影に消えた真実①
【二〇一五年 杏】 父が犯したとされる罪は、殺人だった。 事件が起こったのは白昼のこと。  人気のない暗い路地で、一人の男性が激しく暴行され、命を奪われたという。 そして、その現場にいたのが父だった。 目撃者の証言によれば、その場には被害者と父、二人しかいなかったらしい。  そして、なぜか父はすぐに罪を認めた。 警察に発見され、逮捕されるまでの間も一切の抵抗を見せず、取り調べでも何ひとつ語ろうとしなかったという。「おまえがやったんだな?」という問いに、父はただ一言、「はい」とだけ答えたらしい。 被害者はすぐに病院へ搬送されたが、その時にはすでに息を引き取っていた。  死因は、暴行による内臓破裂。 そんなこと、信じられるわけがない。 あの優しい父さんが、誰かを殴り続けた?  人を殺した?  絶対に、ありえない。 何よりおかしいのは、父の態度だった。 なぜ、否定しないの?  なぜ、自分がやっていない罪を受け入れるの? 頑なに口を閉ざし、動機すら語らないままの父。 これはきっと何か裏がある――私はそう確信していた。  それなのに、警察はあっさりと父が犯人だと認めた。  なぜ、もっと調べようとしないの? もしかしたら警察は、真犯人について何か知っているのかもしれない。  あるいは、故意に何かを隠しているのかも。 そんな考えが、頭から離れなかった。 もちろん、すべては私の憶測にすぎない。 けれど、一つだけ確信していることがある。 ――父さんはやっていない。 ならば、真犯人は必ずいる。  それから私は、毎日のように事件について調べた。 事件現場の近くで聞き込みをし、情報を持っていそうな人がいると聞けば、すぐに会いに行った。 だが、誰も真相など知らなかった。  皆、同じことしか言わない。
last updateLast Updated : 2025-05-29
Read more
第六話 罪の影に消えた真実②
【二〇一五年 杏】 私はすぐに新のことが心配になり、急いで帰ろうとした。 すると、途中で誰かに呼び止められた。「杏!」 それは、愛しい人の声――。 振り返ると、顔を曇らせた修司が静かにこちらを見つめていた。  あの噂のことは、きっともう耳に入っているのだろう。 ゆっくりと近づいてくる修司の目を、私は正面から見ることができなかった。「杏……俺」「私、急ぐから」 怖かった。  彼が、私のことをどう思っているのか、その答えを知るのが。 それに……今は、立ち止まっていられない。  新のもとへ、行かなくちゃ。 想いを振り切るように、私は彼に背を向け走り去った。  新の通う中学に行こうかとも思ったが、家へと向かうことにした。 きっと、もう帰っているはずだと思った。  新だって、あんな針のむしろにいられるわけがない。  玄関を開けて部屋に入ると、すぐに新の姿が目に入った。  隅のほうで、膝を抱えてうずくまっている。 その姿を見た瞬間、胸が締めつけられる。 私は駆け寄り、衝動的に新を抱きしめた。「おねえ、ちゃん……」 か細い声がこぼれた。  きっと新も、学校でひどい目に遭わされたのだろう。「新……大丈夫だよ。姉ちゃんがついてるから」「うん……」 私は新の頭を撫でながら、力強く微笑んだ。 新が少しでも落ち着くように、そのままずっと抱きしめ続けた。  やがて、新が涙に濡れた瞳で私を見上げてくる。  その瞳をしっかりと受け止めるように、私は微笑み返した。「もう学校、行かなくていいよ……。  父さんが無実だって証明されるまで、新は好きに過ごして。  でも、なるべく人に会わないで。それだけは約束して」 私が言うと、新はしばらく黙ってから、小さく
last updateLast Updated : 2025-05-31
Read more
第七話 過去に繋がる声、断ち切れない想い①
【二〇二五年 杏】 父の墓前に手を合わせ、目を閉じる。  心の奥に沈めていたはずの、あの日の記憶が静かに浮かび上がってきた。「姉さん!」 突然の声に振り返る。 そこには、弟の新の姿があった。 肩を大きく揺らしながら、こちらに向かって駆け寄ってくる。  目の前に立った新は、額にうっすらと汗をにじませていた。「新……あなたも来たの? どうせなら、一緒に来ればよかったね」 そう言って微笑みかけるが、新の表情はどこか曇っていた。  荒い呼吸を整えながら、何か言いたげに、私の顔をじっと見つめている。 どうしたのかと思い、問いかけようとした。 その瞬間、新が先に口を開いた。「あの人に――会った?」 ざあっと、二人の間を風が通り過ぎていった。 初夏だというのに、なぜか冷たく感じる。  いや、本当に冷たかったわけではなく、私がそう感じただけなのかもしれない。「あの人、って?」 ほほ笑みを崩さぬように問い返すと、新は少しだけ口の端を上げた。「わかってるくせに。姉さんの昔の恋人、月ヶ瀬修司だよ」 月ヶ瀬修司―― その名前を聞いただけで、鼓動が跳ね、胸の奥が痛む。 忘れたくても、決して忘れられない。  名前も、声も、仕草も、すべてが私の心を捉え、今も離さすことはない。「……知ってたんだ。そっか、同じ警察官だもんね。情報は入ってくるよね」 平静を装いながらそう答える。 私の会社で起きた事件のことは、新も知っているのだろう。  その事件を担当した人物のことも。 そして、私たちが出会ったということも、きっとわかっているのだ。 新は父の事件のこともあり、警察官になった。  もう二度と、私たちのような人を生み出さないためにと。 けれど、私は思う。 もしかして、新はいまだに……あの事件を追い続けているのだろうか。
last updateLast Updated : 2025-06-03
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status