偽り夫婦の夫婦事情〜偽りの愛でも幸せになれますか?〜

偽り夫婦の夫婦事情〜偽りの愛でも幸せになれますか?〜

last updateLast Updated : 2026-04-15
By:  水沼早紀Completed
Language: Japanese
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「……なあ、お前俺の妻にならないか?」 「はい……?」 全ては彼のこの一言からはじまった。 「お前は俺の妻だ。死ぬまで愛してやるから、覚悟しろよ」 「……は、はい」 契約結婚から始まった私たちに、愛なんてものはあるのだろうか。 私たち夫婦には、愛なんてそこには存在するはずがなかった。 なかったはずだったんだ。   だけど私は、そんなあなたに一生愛されたいと思ってしまったんだ。 「棗さん、私はあなたが好きです」 「聖良、俺も聖良のことが好きだ」 これは決して交わることのない私たちが、契約結婚という名のしがらみから始まる恋だ。 この恋の結末は、きっと幸せなハッピーエンドだ。

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Chapter 1

第一話

浴室からシャワーの音が聞こえてくる。

森川拓海(もりかわ たくみ)がシャワーを浴びているのだ。

午前3時。

さっき帰宅したばかりだった。

森川知佳(もりかわ ちか)は浴室の扉の前に立っていた。話したいことがあったのだ。

これから相談しようとしていることを、彼が聞いてくれるだろうか。少し不安になった。

どう話しかけようかと迷っていると、中から妙な音が聞こえてきた。

耳を澄ませて、やっと理解した。拓海が一人でしていることの音だった……

荒い息づかいと押し殺したうめき声。胸を重いハンマーで叩かれたような衝撃が走った。苦しみが波のように押し寄せてくる。その痛みに息が詰まった。

今日は二人の結婚記念日で、結婚して5年が経つ。それなのに夫婦として一度も……

結局、自分で済ませることを選んでも、私には触れたくないということなのか?

彼の息づかいがさらに荒くなる中、限界まで我慢したような低い声で果てた。「結衣……」

この一言が、心を完全に砕いた。

頭の中で何かが音を立てて崩れ、すべてが粉々になった。

必死に口を押さえ、声を漏らさないよう振り返った瞬間、よろめいた。洗面台にぶつかって床に倒れてしまった。

「知佳?」中から拓海の声がした。まだ息が整わず、必死に抑えようとしているのが分かったが、呼吸は荒いままだった。

「あ……お手洗いに行こうと思って、シャワー中だなんて知らなくて……」苦しい言い訳をしながら、慌てて洗面台につかまって立ち上がろうとした。

でも焦れば焦るほど、みじめになっていく。床も洗面台も水で濡れていた。やっとの思いで立ち上がったとき、拓海が出てきた。白いバスローブを慌てて羽織って乱れていたが、腰の紐だけはしっかりと結ばれていた。

「転んだのか?俺が手伝うよ」彼女を抱き上げようとした。

痛みで涙が溢れそうになったが、それでも彼の手を振り払った。そして意地を張って、「大丈夫、一人でできるから」と言った。

そして再び滑りそうになりながら、足を引きずって寝室へと逃げ帰った。

「逃げる」という表現は決して大げさではない。

拓海と結婚したこの5年間、知佳はずっと逃げ続けていた。

外の世界から逃げ、周囲の視線から逃げ、そして拓海の憐憫の視線からも逃げていた――拓海の妻が足の不自由な人だなんて。

足の不自由な人が、端正で事業も成功している拓海と釣り合うはずがない。

でも彼女にも以前は健康で美しい脚があったのに……

拓海もすぐに出てきて、やさしい口調で心配そうに尋ねた。「痛くないか?見せてくれ」

「大丈夫」知佳は布団を引き寄せ、自分のみじめさと一緒に布団の中に身を隠した。

「本当に大丈夫か?」彼は本当に心配していた。

「うん」彼女は背中を向けて、強くうなずいた。

「じゃあもう寝るか?お手洗いに行きたかったんじゃなかったのか?」

「もう行きたくない。寝ましょうか?」知佳は小さく言った。

「わかった。そうそう、今日は俺たちの記念日だから、君にプレゼントを買ったんだ。明日開けて、気に入るかどうか見てくれ」

「うん」知佳は答えた。プレゼントはベッドサイドに置かれており、もう見ていた。ただ、開けなくても中身がわかる。

毎年同じ大きさの箱で、中には全く同じ時計が入っている。

知佳の引き出しには、誕生日プレゼントと合わせて、すでに9個の同じ時計が眠っており、これが10個目だった。

会話はそこで途切れ、彼は電気を消して横になった。空気中にボディソープの湿った香りが漂っていた。でもベッドの沈み込みをほとんど感じなかった。2メートルの大きなベッドで、彼女がこちら側に寝て、彼は向こう側の端に横になっている。二人の間にはまだ3人が寝られるほどの距離があった。

二人とも結衣という名前を口にすることはなく、ましてや彼が浴室でしていたことについても触れなかった。まるで、何も起こらなかったかのように。

知佳は固まったまま仰向けに横たわり、ただ目の奥がヒリヒリと痛むのを感じていた。

結衣、立花結衣(たちばな ゆい)は彼の大学の同級生で、初恋であり、憧れの人だった。

大学卒業のとき、結衣は海外に行き、二人は別れた。拓海は一時期立ち直れず、毎日酒に溺れていた。

知佳と拓海は中学の同級生だった。

中学時代からひそかに彼を好きだった。

その頃、拓海は学校一のイケメンで、クールな優等生だった。一方知佳は芸術系の生徒だった。美しくはあったが、美しい女の子は大勢いた。成績がすべてだった学生生活において、芸術系の生徒はそれほど目立たず、偏見を持たれることさえあった。

だから、それは彼女だけの片思いで、いつか彼の前に立てる日が来るなんて思ったこともなかった。

芸術大学のダンス学科を卒業して夏休みに実家に帰っていた時、落ち込んでいる拓海と再会するまでは。

その夜も拓海は酔っぱらっており、ふらふらと歩いていた。横断歩道を渡るとき信号を見ておらず、一台の車がブレーキも間に合わず突っ込んできた。彼を突き飛ばしたのは彼女だった。心配で彼の後をついていた知佳が、彼を押しのけて自分が車にはねられたのだった。

知佳はダンス専攻で、大学院への推薦も決まっていた。

しかし、この交通事故で、足は不自由になった。

もう二度と踊ることができなくなった。

その後、拓海は酒をやめ、知佳と結婚した。

知佳に対して罪悪感を抱き続け、感謝し続け、優しい言葉をかけ続けた。でも同時に冷淡で水のように冷たく、そしてたくさんのプレゼントをくれ、たくさんのお金をくれた。

ただ一つだけ、愛してはくれなかった。

知佳は、時間がすべてを癒してくれると思っていたし、時間がすべてを薄れさせてくれるとも思っていた。

しかし想像もしなかったのは、5年が過ぎても、彼は「結衣」という名前をこれほど深く心に刻んでいるということだった。さらには、自分で処理するときでさえ、呟いているのはその名前だということだった。

結局は私があまりにも愚かで世間知らずだったのだ……

一睡もできず、スマホの中のそのメールを、この夜100回は見返した。

海外のある大学からの大学院入学許可通知で、今夜彼と相談するつもりだったこと――私が海外の大学院に行くことは可能かどうか?

しかし今となっては、拓海と相談する必要はなさそうだった。

5年間の結婚生活、数え切れない眠れぬ夜。それがついにこの瞬間から終わりに向かって歩み始めるのだ。

拓海が起きたとき、知佳はまだ寝たふりをしていた。外で家政婦の中村さんと話している声が聞こえた。「今夜は接待があるから、彼女には待たずに休むよう伝えて」

言い終えると、彼はまた部屋に戻ってきて様子を見た。知佳は布団をかぶっており、涙で枕が濡れていた。

普段拓海が会社に行くときは、知佳が彼の着る服をコーディネートして脇に置いておき、彼はそれを着るだけだった。

しかし今日はそれをしなかった。

拓海は自分でクローゼットに行って着替え、会社に向かった。

知佳はそのとき目を開け、ただ目がひどく腫れぼったいのを感じた。

スマホのアラームが鳴った。

それは自分で設定した時間で、起きて英語を読む時間だった。

結婚後の知佳は、足のことで9割の時間を家に閉じこもっていた。もう外出することはない。一日の時間を区切って、それぞれに何かすることを見つけて時間を潰すしかなかった。

スマホを手に取ってアラームを止め、それからさまざまなアプリを目的もなく見始めた。

頭の中はぼんやりと混乱していて、何も頭に入らなかった。

それが、ある動画アプリで突然一つの動画を見つけるまでは。

画面の中の人があまりにも見覚えがある……

もう一度アカウント名を見ると――結衣CC。

このおすすめ機能は……

投稿時間は、昨夜だった。

知佳が動画をタップすると、すぐに賑やかな音楽が響き、それから誰かが叫んでいる声が聞こえた。「いち、に、さん、結衣おかえり!乾杯!」

この声は、なんと拓海だった。

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第一話
✱ ✱ ✱  「新郎、あなたはやめるときも、すこやかなるときも。新婦聖良(きよら)を愛しぬくことを誓いますか?」  「はい。誓います」「新婦、あなたはやめるときも、すこやかなるときも、新郎棗(なつめ)を愛し抜くことを誓いますか?」「……はい。誓います」「それでは、誓いのキスを」タキシード姿の彼が、目の前で私のヴェールを取り、顔を近付けていく。 そして私たちの家族、棗さんの家族、みんなの前で永遠の愛を誓った。だけどこの結婚式でお互いに誓ったこの愛は。……そこには愛なんて存在しない。 偽りだらけでウソばかりを重ねている。 そう、私たちの結婚は偽りなのだ。 ウソがにじみ出た、偽りの結婚。偽りの夫婦を、私たちは演じているのだ。 全然、幸せな結婚なんかではない。では、なぜこんなことになったのか……?それは遡ること三ヶ月前のことだ。偽り結婚をすることになった夫、棗(なつめ)との出会いは突然だった。私はもともと地元では有名なホテル【ホテル・トクラ】で、コンシェルジュとして働いていた。 働き始めてから二年弱だった。コンシェルジュとしての仕事の働き方が大好きで、この仕事ならずっと働いていられるかもしれないと、そう思っていた矢先のことだった。「ねぇ!聖良(きよら!)」 同期である村岡(むらおか)静音(しずね)が突然大声を出して私の所に駆け寄ってきた。 「静音? どうしたの?」「ねぇ、大変だよ!!」 「えっ、何が大変なの?」 「う、うちのホテルが……。うちのホテルが、あの鷺ノ宮(さぎのみや)グループに、買収されるんだって……!」……え? え……? う、ウソ……!?「ええ!? それ本当なの……!?」「間違いないよ!さっき鷺ノ宮(さぎのみや)グループの社長が来て、そう話してたんだからっ!」えっ、ウソでしょ……。買収って……。「えっ、じゃあ、私たちは……どうなるの?」「それが……」次の瞬間に出た静音(しずね)の言葉は、あまりにも衝撃的で……。「私たち、このホテル解雇されるんだって……。次の鷺ノ宮グループからコンシェルジュを引っ張ってくるらしいの。……私たちは、要らないってことみたい」「そんな……そんなのひどくない?」私たちは、このホテルから追い出されることがそれと同時に決まった。咄嗟に言い渡された解雇。 そんなの信じられ
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第二話
「……あの?」え、誰? どうして私の名前を知ってるの?私は、今はコンシェルジュじゃない。 名札がないから、名前を知られるものが何も無いはずなのに……どうして?「聞こえなかったのか? お前が波音(なみね)聖良(きよら)か、と聞いているんだ」   目の前にいるその男性は、もう一度そう言った。「えっ……。あ、はい。 私が、波音聖良ですけど……」恐る恐る名前を口にすると。彼は私の前に腰掛けて、一言こう言った。「……なあ。お前、俺と結婚しないか?」「……はい?」頭の中に繰り返されるのは、結婚というニ文字。えっ、えっ……結婚?!待って待って!どういうこと……?え? い、今なんて……?頭の中をグルグル思考回路が回っていくけど、訳が分からなくて戸惑うばかりだ。チラつく結婚という言葉のニ文字だけが、私の頭の中をぐるぐるとかけ巡る。「仕方ない。もう一度だけ言う。……波音聖良、俺と結婚しないか?」「……はいっ!?」け、け、結婚……!? な、な、なんで結婚……!?「お前、驚きすぎじゃないか?」「い、いや、だって! あなたがいきなり、結婚だなんて言うから……!」   待って待って? そもそも私、この人のこと知らないんだけど……!えっ、私ってもしかして……知らない相手にプロポーズされたってこと?え、結婚ってなに……? 待って、意味が分からないっ!「お前は俺のことを知らないかもしれないけど、俺はお前のことを知っていた」「えっ?」そんな発言をされたら、ますます混乱するに決まっている。 なんで突然、そんなことを言われるのかすら、私には分からないのだから。「……お前。いや、波音聖良さん」「は、はい」なぜかその瞳に見つめられるだけで、ドキドキしてしまう。「聖良、俺と結婚してほしい。 俺の妻として、鷺ノ宮グループに来てほしい」「……え?」えっ、待って。今なんて言ったの? 今聞き間違いでなければ……鷺ノ宮グループと聞こえたような気がしたんだけど……?「ええっ!?」さ、鷺ノ宮グループって……! まさかこの人、鷺ノ宮グループの……!?「む、無理ですっ!」「はっ?」そんなの無理に決まってる……!「さ、鷺ノ宮グループに関わる人、私はみんなキライです! 私はあなたたちに解雇されたんですよ!?……良くそんなことが言えますね」この人、どうかし
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第三話
目の前にいるその人は私の腕をぐっと掴むと、そのまま唇を塞いで強引にキスをしてきた。「ちょ、ちょっと……。何するのっ!?」な、なんでキスなんてするの……!「これが俺の妻になる君への、愛の誓いだ。 まだ何か文句でも?」「………っ、最低っ!」こうして私は、鷺ノ宮グループの御曹司、鷺ノ宮棗(さぎのみやなつめ)と愛のない、偽りの結婚することとなった。✱ ✱ ✱「棗さん、おかえりなさい」 「ただいま、聖良」「カバン、預かります」「ありがとう」帰宅した棗さんからカバンを受け取った私は、リビングにカバンを置いた。そしてふと目にする、私たちの結婚式の写真。 白いドレスに身に纏った私と、タキシード姿の棗さんが、二人で微笑んでいる。だけどその笑顔だって偽物なんだ。 だって私たちは、偽りの夫婦だ。これはウソで固められた、偽りの結婚生活なのだから……。こんな生活を、誰が望んだのだろうか……。その写真に映っている笑顔も、全部ウソで固められている。「……聖良」「はい。……んっ」棗さんはなぜか、愛のない結婚をした私に、毎日キスをしてくれる。 どうしてキスをするのかなんて、分からない。だけど夫婦となった今、それを拒むことさえ私は許されない。 私は鷺ノ宮グループに、支配されているのだから。そんなことをしたら、この結婚をした意味がない。 あわよくば彼の子供をいつか産んで、跡取りを残すことだって、彼はきっと考えているだろう。棗さんは私よりも五歳年上だ。 結婚した以上、私は棗さんの言うことに逆らえる訳はないのだ。   「聖良、何を考えている?」「……いえ、別に。 夕飯に、しましょうか」「ああ」棗さんがいつも私に対してそう言うんだ。 何を考えているかなんて、絶対に教えてあげない。そんなこと教えたら、私は鷺ノ宮グループから去ることになってしまうだろうから。 そんなことは絶対に出来ない。この結婚だって、棗さんが私の父を説得してくれたから出来ただけで、私一人だけなら絶対に説得はムリだった。結局私は、彼と結婚してもコンシェルジュに戻ることはなかった。 コンシェルジュに戻りたいというよりも、こんなにもいい環境を与えてもらって申し訳ないくらいだし。主婦ではないけど、そのまま家のことに尽力を尽くそうと思った。 仕事のことを忘れて、家事に集中しようっている。 
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第四話
「……聖良?どうした? 風呂入らないのか?」「いえ。 お風呂入ってきます」   私は着替えを持ってバスルームへと向かった。 服を脱いでシャワーを浴びて湯船に浸かると、とても気持ちいい。   この大きなお風呂に入っている時は、すごく癒やされた。 入浴剤を入れていいニオイのお風呂に入る時が、今一番の幸せだ。正直、あの人の妻になるなんて、私には荷が重過ぎる。……だけど妻になった以上、私はあの人のことを愛していかなければならない気がしていた。いつかあの人のことを、私は本気で愛していくのだろうか……。本当にそんな日が、くるのだろうか……。結婚してから二ヶ月が経ったけど、私たちの生活は何も変わらない。 それに、自分からアクションを起こすつもりなんてない。「ああ、もう……」考えたら考えただけ、分からなくなる。 そうやって私の頭を悩ませるのは、彼のことを全然知らないからだ。愛し合って結婚した人たちは訳が違うのだ。 私たちの間に愛なんてものは存在しないのだ。    お風呂に一時間くらい入ってからパジャマに着替えて寝室に行くと、棗さんは私のことを待っていたかのように、こっちに来いと手招きした。「聖良、こっちに来い」「……はい」言われた通り、棗さんの隣に腰掛けた。 すると棗さんは、私を後ろからギュッと抱きしめる。ズシッとベッドに重みが加わる。「……棗、さん?」「聖良。お前は何を考えているんだ?」そして一言、抱きしめたままそう言った。「……何をって?」「俺には分からない。 お前が何を考えているのか」 私だって、棗さんが何を考えているのか分からない。「……私にも、あなたのことが分かりません。 それは私たち、同じですよね」「俺はお前のことを理解したいと思っている。 それは本当だ」「……なぜ、ですか?」 私たちは偽りの夫婦。そこには愛なんてないのに、それなのになぜ、知る必要があるのだろうか……。「お前が俺の妻だからだ」だったら……私は知りたい。「……教えてください。なぜ私を、棗さんの妻に選んだんですか?」「それを知って、どうするんだ?」絶対に教えてくれない、私を妻にした理由を。 どんな理由であれ、私には知る権利があるのに。 それなのに、全然教えてくれない。    棗さん、あなたはずるい。 どうしてそうやってはぐらかそうとするの
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第五話
そして迎えた当日。私たちは荷造りしたキャリーバッグを持って韓国へと向かった。韓国へは一週間滞在の予定だ。予約したホテルは、同じく韓国にも企業を持つ鷺ノ宮グループの傘下にあるホテルだ。高級ホテルのスイートルームを予約したと、棗さんが言っていた。「夕来(ゆうらい)社長、お久しぶりです」「棗くん、久しぶりだね?何年ぶりだろうね?」「本当ですね。……あ、紹介します。私の妻の聖良です」「始めまして。鷺ノ宮聖良と申します。よろしくお願い致します」「よろしくお願いします。聖、良さん。 韓国で化粧品メーカー部門の担当をしている夕来(ゆうらい)と申します」「……よろしくお願い致します」この人が夕来社長……。韓国で化粧品メーカーを立ち上げた日本人で、今ではその化粧品が日本でも売れている。 CMも有名な女優さんがアンバサダー務めるほど、今人気の化粧品ブランドだ。私も愛用している化粧品だ。 まさかそのブランドを持つ社長さんとお会いできるなんて……夢見たい。「妻が、夕来社長が手がけている化粧品を愛用しているんです」「ほお? それは嬉しいね?ありがとう、聖良さん」「い、いえ!滅相もございません……」夕来社長、いい人そうだな……。さすが女性の化粧品ブランドを立ち上げた人だ。「早速だが、打ち合わせしてもいいかい?棗くん」「はい。よろしくお願いします」    打ち合わせなら、私は必要ないかな……。「……あの、私はホテルにチェックインしておきますね?」「ああ。よろしく頼むよ」   「……はい」私はキャリーバッグを持ってタクシーを呼び、ホテルにチェックインした。そのまま荷物をコンシェルジュに運んでもらい、一旦一休もうとバルコニーに出た。「……うわ、キレイ」バルコニーからの眺めは最高だった。 この景色はきっと、棗さんが連れてきてくれたおかげで、見れたものなんだと思う。感謝しないとな……。ありがとう、棗さん。韓国なんて初めてで、正直不安だった。 だけど棗さんが日本人のコンシェルジュを付けてくれていたらしく、日本語で話せるからそこはよかった。「戻ったぞ、聖良」「おかえりなさい。棗さん」   棗さんが戻ってきたのは、その後ニ時間後のことだった。きっと打ち合わせが長引いたんだと思う。「……えっ?」   「聖良、待たせて悪かった」突然棗さん
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第六話
「結構うまそうだな?」「はい。そうですね」「よし、冷める前に食べよう、聖良」    「はい」私たちは向き合って、ルームサービスでの食事を取ることにした。韓国料理が苦手な私は、棗さんの計らいで日本料理を頼んでくれていたようだった。何もそこまでしなくてもいいのにって思う反面、気を使ってくれてるのだと知って少し嬉しかった。「いただきます」運ばれてきた料理はどれも美味しくて、私の作る料理よりも美味しく感じた。 あまり本当はそんなこと思わない方がいいのだと思うけど……。「美味しいですね、棗さん」「そうだな。……でも聖良の作る料理の方が、俺は好きだけど」「……え?」どうして棗さんがそんなことを言うのか、分からなかった。 私の料理を美味しいと言ってくれたことは、何度もあるけど……。まさかそんなことを言ってもらえるなんて……思ってもみなかった。「聖良の作る料理のほうが、俺は好みだ」   「……そんな。ムリに言わなくてもいいですよ、そんなこと」「ムリにじゃない。本心だ」    「……え?」本心? 今そう言われたような気がした。私の聞き間違い?それとも……。「俺は本当に、そう思ってる。 もちろん聖良のことも、大事にしたいと思っている」「棗……さん」   「君は俺に嫌われていると、そう思われるのも仕方ない。 俺たちは恋愛して、結婚した訳じゃないからな。……だけどお前は、俺の妻だ。 妻を大事にしたいと思うのは、当たり前のことだろう?」「……棗さん」棗さんのその言葉は、私に重くのしかかった。 そして私の瞳とその鼓動を揺らす。「聖良。俺はお前を、ずっと大事にしたいと思っている。……厳しくなることもあるかもしれない。それでも俺は、夫としてお前のそばにいたいと思ってる」「……ありがとうございます」それがもし棗さんの本心なのなら、とても嬉しい。 だけど……。どこか複雑だった。そう言われて嬉しいはずなのに。心のどこかがチクリと針が刺さったように痛いのはきっと……。私たちが偽りの夫婦だからだ。 ちゃんと分かりたいたい、そう思うこともあるけど……。結局私たちは、愛のない偽りの結婚をした偽物の夫婦だってことだ。……その事実は、どこからどう見ても変えられない。バカだなと思うけど、どうやってもその気持ちは消せない。 ううん、消すことができない
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第七話
「聖良、こっちへ来い。一緒に寝よう」「……はい」     その日の夜、私は棗さんの腕に抱かれながら眠りについた。棗さんの腕の中は逞しくて、温かいんだなと思った。でもそんなことを言うのは恥ずかしいから、棗さんには内緒だけど。その日から私は棗さんへの想いが、少しずつだけど変わっていくことを、自分の中で自覚し始めようとしていた。 ✱ ✱ ✱韓国に来てからちょうど今日で一週間が経った。 この一週間、私は棗さんのそばにいて思ったことがあった。それは彼が本当に、とても仕事に熱心な人だということだった。彼の仕事に対する姿勢はとても素敵だと思ったし、鷺ノ宮グループの御曹司なんて、所詮上辺だけだと思っていたけど。   彼は本当に仕事に対する姿勢が素敵な人だった。 そして韓国に来て夕来社長と打ち合わせをしていても、話を聞く姿勢もとても素敵だった。仕事にちゃんと向き合っている人だということが分かったただけでも、進歩かな?「聖良、忘れ物はないか?」「はい」「よし、じゃあ帰ろう。……日本に」   「……はい」   一週間の韓国出張が終わり、私たちは日本に帰る準備をした。 この一週間本当にあっという間で、新しい事業を開拓するという棗さんの夢を現実に向けて、走り出したばかりだ。だけど棗さんがやりたいことを実現出来るのは、私は妻として嬉しい。 だからこそ、応援したいとも思う。「聖良、どうだった?韓国は」「……すごいです。美人な方がたくさんいらっしゃいまたし。 それに、夕来社長ともお会い出来たので……もう満足です」「それはよかった。……飛行機の時間があるから、そろそろ出ようか」「……はい」   私たちは荷物を持って空港へと向かった。 日本に帰ってから、その足で私たちは一度鷺ノ宮グループの本社へと向かった。鷺ノ宮グループの社長に会うためだ。確か社長と会うのは結婚式以来だった気がする。なぜだか、すごく緊張してしまう。日本に着いたのは午後四時半すぎだった。 本社へ着くと、社長は来客中のようで、ロビーで待つことになった。「……聖良」「はい。何でしょうか」「聖良は何も話さなくてもいいからな?」「え?……でも」   本当に何も話さなくていいのかな……。 「大丈夫、話さなくてもいい。俺が話すから大丈夫だ」「……分かりました」鷺ノ宮社長に
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第八話
「……棗、さん?」意外だった。まさか棗さんがそんなことを言うなんて……。信じられなかった。 ウソみたいだと、何回思っただろうか。「そうか。よかったな。お前もようやく一人の男としての幸せを掴んだのだな」「はい。……言っておきますが、俺は社長、あなたみたいにはなりませんから」私には、棗さんが社長に対してなぜそんなことを言うのか分からなかった。あの言葉は、一体どういう意味なんだろう……。「そうか」「俺は結婚式で、あなたと、そして聖良の両親に誓いました。 聖良のことだけを、一生愛すると」そう話す棗さんの表情はまさに真剣そのもので……目が離せなくなりそうだった。「なので俺は、あなたみたいには絶対にならない」「……本当に、口だけは達者になったもんだな」「俺はあなたと同じことを、妻にはしたくないだけです」社長と同じこと……? どういう意味、なのだろうか。「……そうか。 ところで棗、新事業を始める予定なんだったな?」「はい。化粧品ブランドの夕来社長と提携することに決めました」「そうか。……まあ、頑張りなさい」   棗さんは社長に向かって「言われなくても、頑張るつもりですよ」と言葉を返していく。「資金が必要になったら、言ってくれ。 手を貸してやる」「はい。ありがとうございます」「新事業のことについては、私が後で会見で伝える。お前も同席しなさい」「……分かりました」社長は要件を伝え終えると、私たち向かって「帰ってきて早々、呼び出して悪かったね。 明日はゆっくり休みなさい。……聖良さんも、棗のサポート、一週間ご苦労だったね」と労ってくれた。「……いえ。私は鷺ノ宮家の妻として、当然のことをしただけです。 お気になさらないでください」棗さんは私が何を言うのかと、ドキドキしながらきっと聞いていただろう。だけど偽りの結婚した夫婦だけど、夫婦円満に見せることは私にだって出来る。 それくらいの覚悟は、私にもある。余計な心配をかけたくないという気持ちは、私にだってあるから。 だから余計な心配をかけないように、見せることは出来る。それも私の妻としての役目だと思っている。 夫のサポートは、妻の役目であるから。 多分、きっとそう。 「本当に頼もしいね、聖良さんは。これからも棗のことを、よろしく頼むよ」「はい」「では、俺たちはこれで失礼致します」
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第九話
✱ ✱ ✱「聖良、行ってくるよ」「はい。行ってらっしゃい、棗さん」私は今日も棗さんを玄関から送り出す。「今日の夜は取引先との会食があるから、夕飯は作らなくていい」「……はい。分かりました」今日も帰り遅いのかな、棗さん。「もし帰りが遅くなるようなら、また連絡する。先に寝ててくれても構わないから」「はい。分かりました」「じゃあ行ってくる」  「行ってらっしゃい」  棗さんは私の唇に軽めのキスをすると、カバンを持って仕事へと出かけた。私は棗さんを見送ると、洗濯を始める。 洗濯かごに入っている洗濯物を見て、私はいつも思うんだ。彼が着ているシャツなどは、全て高級品のものだ。 下手に洗ってヨレたりなどしないか、いつも不安になってしまう。私のとは別に洗うことにしているけど、洗った後でしっかりとアイロンを掛けてあげて型を整えてるけど、クリーニングの方がいいのかな……? なんて考えてる私って……完全に主婦みたい。 て、あれ? 私は主婦、なんだよね?良く分からない。 大好きだったコンシェルジュの仕事がなくなって、偽りで棗さんと結婚して、今はこんな主婦の道に進んでいる。私の人生って、今なんて言えば良いのかな。 最初はホテルを解雇されて行く宛もなくなり、愛のない結婚を迫られて、どん底に突き落とされた気分だった。だけど今は、どうなんだろうか。 棗さんと結婚したことで私の生活は大きく変わった。 だけどそれ私ににとって、プラスなことなのか、マイナスなことなのかさえわからなくなる。もう結婚してもう二ヶ月も経っているというのに、私がこの道を選択したことは間違いではないと、そう思いたい。だけど初対面の男性と交際もせずに、偽りの愛で結婚しましたなんて、そんなのは都合のいい話でしかない。しかも鷺ノ宮グループの御曹司と、仕事しかなかった平凡な生活を送っていた私とではまるで違う。正反対な二人が結婚するなんて……普通ならあり得ないことだし、どう見ても私たちが釣り合う訳がないんだ。でもそんなことを考えるなんて、思ってもいけない。 妻になった以上、そんなことを考えるなんておこがましいくらいだ。だけどなぜ棗さんが、私を結婚相手にしたのかはずっと分からないままだ。 その理由を聞いても、教えてくれないし。結婚した理由を妻にも言えないなんて、そんなのおかしすぎると思
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第十話
「ただいま」   「おかえりなさい、棗さん」   棗さんを玄関で出迎えると、棗さんは私に「聖良?まだ起きていたのか? 先に寝てていいと言ったのに」と言ってくる。「……いえ。 お仕事で忙しい棗さんよりも先に寝るなんて、おこがましいですから」棗さんにそう話すけど、棗さんは私の頭をぽんと撫でると「何を言っている。お前も毎日、家のことをやってくれているだろう? 家でも家事で忙しいのは、お前も一緒だ」と言葉をくれた。「……ありがとうございます」棗さんはそうやって優しい言葉を時々くれるけど、その言葉だって私が妻だから言ってるに違いないと、心のどこかでは思っていた。私が妻だから、優しい言葉をかけてくれる。 例え偽りの夫婦でも、妻だから。優しくしておこうとか、思われてたりしてないだろうか……。なんて色々と考えてしまう。私の悪い癖だ。すぐマイナスなことを考えてしまう。出来ることなら、今すごく聞きたいことがある。 棗さんに。   私と結婚して、幸せなのかどうか。 ずっと聞きたいと思っていた。だけど怖くて、そんなこと聞く勇気がないのが私なのだ。 私は臆病だ……。「聖良?どうした?」「え? あ、いえ……。なんでもないです」そんなこと、聞ける訳がない……。「そうか。……シャワーを浴びてくる。先に寝室に行ってててくれ」「はい。分かりました」私は先に寝室に行き、ベッドに入った。 そしてスマホを開き、猫の動画を見ていた。最近猫の動画を見るのにハマっていて、とても可愛いネコたちに癒やしをもらっている。疲れた体と心を癒やしてくれるネコちゃんたちは本当に可愛いな〜。ネコはほしいと思うけど、飼うのって大変だから、見ているだけで充分だ。ずっと可愛いお気に入りのネコたちを見ていた時、お風呂から上がった棗さんが寝室に入ってきた。「お待たせ、聖良。……ん?何を見てるんだ?」「ネコの動画です。 ネコが好きなので」「そうなのか。……もしかしてネコ、飼いたいのか?」不思議そうに棗さんは聞いてきた。「いえ! 飼うのは大変なので……。見てるだけで充分です」「そっか。……聖良がネコが好きだったなんて、知らなかったよ」「……そういえば、言ってませんでしたね」ネコが好きなことを特に言ってなかったことに、この時初めて気付いた。「俺はまた一つ、聖良のことを知れてよか
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