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第72話

Author: 青山米子
そして前回、彼女は本当にいくつかのことを忘れてしまったと話していた。

まるで一筋の光明を見つけたかのように、言吾は大きく歩を進めて再び一葉の両肩を強く掴んだ。「一葉、君は本当に記憶を失ったんだろう?」

記憶喪失で夫である自分を忘れ、最愛の人のことを忘れたからこそ、あれほど断固として離婚を望んだのだ。

自分と優花のホテル密会のニュースを見ても平然としていられるし、むしろ潔白証明に協力しようとまで言えるのだ。

一葉は眉をひそめた。なぜ突然このような質問をするのか理解できない。

これまで記憶喪失だと何度説明しても信じようとしなかった彼が、今になって記憶を失ったと言ってほしがるような態度を見せる理由も分からない。

知りたくもなかった。確実に離婚を成立させること――それが一葉の願いのすべてだった。「記憶喪失なんかじゃない。あの時はただの演技よ。あんたがもう少しでも私を大切にしてくれるかどうか試したかっただけ。でも結果は、あんたは私の生死なんてどうでもよくて、ただ優花に謝れってことばかり。

それに私と優花が溺れた時、彼女を助けて私を見殺しにしようとした。あの瞬間、完全に諦めがついたの」

一葉の言葉を聞いた瞬間、言吾の顔が見るも痛ましいほど青ざめた。

何かを言おうとするように口を動かしたが、結局何も発することなく、踵を返して立ち去った。

彼がどんな気持ちでいようと一葉には関係ない。今は自分の財産を守ることが最優先だった。去り行く彼の背中に向かって声を張り上げる。「危機管理は迅速にやることよ!」

錯覚かもしれないが、言吾の足取りが一瞬よろめいたように見えた。

自分の資産に関わることだ。言吾がどう考えていようと、彼が去った後も一葉はネット上の世論を注視し続けた。

株価が下がり始めれば、彼がどんな思惑を抱いていようとも、一葉は必ず手を打って株価を支えるつもりだった。

離婚の際に計算した金額——一円たりとも減らすわけにはいかない。

一葉は当初、言吾がいくら面子を潰されたくなくても、これまで優花との関係を否定し続けてきた手前、今回のホテル密会騒動という事態を受けて、最終的には自分の提案した危機管理方法を選ぶだろうと踏んでいた。

ところが……

言吾の対応は予想より迅速だった。彼は数々の証拠を持ち出し、前夜優花との間に何も起こらなかったことを直接的に立証してみ
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