LOGINこの人生が不幸だなんて思いたくなかった。 これからは幸せになれるんだと信じたかった。 でも、それはただの願望だったのだろうか。 どこから掛け間違っていたのか分からない、運命のぼたん。 もしかしたら……最初から、間違っていたのかも知れない……。 (表紙やあらすじは後日再編集する可能性がありますレーティングは仮のものです。ストーリーの展開次第では、レーティングを引き下げるかもしれません。現時点では見切り発車で書き始めています。)
View Moreいつまでも黒いままのディスプレイ。
暗く重い雲から落ちる雨が、一つ、又一つと足下に小さな染みを作っていく。
残念ながら傘は携帯しておらず、時と共に大きさを増す水滴によって少しずつ全身が濡らされていく。徐々に重みを増して不快感を強めていくのは、今日のためにと選んだ衣服だ。張り付いた布地から感じた気持ち悪さに無意識に顔を歪めるのだが、すれ違う人は誰もこちらに気を止めることはしてくれない。
本当ならば、大きな声を上げて泣きたかった。
それでもそれを行動に起こすことが出来なかったのは、ちっぽけなプライドが邪魔をしたからだ。
みっともない。
そう思うと、無意識に笑いが込み上げてくる。
俯いた表情は前髪のせいで見られることは無かったが、頬を伝う涙は静かに流れ雨粒と混ざり合う。
悔しくて仕方が無かった。
何故? 何故? 何故? 何故!
そんな言葉だけがずっと頭の中をリフレインして止まらないほどに悔しくて仕方が無い。
何処で間違ってしまったのだろう。
もしかしたら……始めから間違っていたのかも知れない……。
◇
勿論それは彼女の片思いで、思いを寄せている相手に対し、一度も『好き』だと伝えたことはない。その理由は至って簡単で、その人にはお付き合いをしている相手が居たからだ。
報われない想いならば、わざわざ伝えて傷を深くする事も無い。元々己を主張することが苦手だった彼女は、募る思いに蓋をし、自らの心を騙して笑顔の仮面を被ることを選択する。それが例え己の心を傷つけることだとしても、何らかの形で傍に居られるのであればそれで構わないとすら思って居た。
そんな彼女の境遇に変化が起こったのは、想いを寄せていた相手が付き合っていた女性と別れた頃だ。
普段なら滅多に鳴ることの無いスマートフォン。終わらないコール音に唾を飲み込むと、意を決して電話を取る。
「もしもし」
着信の相手が誰なのかは既に分かっている。だからこそ緊張して上手く声を出すことが出来ない。暫くの沈黙。気まずい空気を破ったのは、電話の向こう側に居る相手の深い溜息だった。
『話したいことがある』
何度聞いても耳に馴染むことが無い低い声に、思わず肩が跳ねてしまう。
「な……なんでしょうか」
怯えるようにそう答えると、相手は再び溜息を吐いた後、ゆっくりとこう答えた。
『一度、こちらに戻ってきなさい』
突然の要求に頭の中に浮かぶ疑問符。普段は殆ど干渉してこない人が、一体何の用だろうと無意識に警戒してしまうが、相手は黙ったままこちらの返事を待っているだけ。
「何故ですか?」
仕方なくそう問いかけると、非常に歯切れの悪い言葉で相手はこう返す。
『電話では話しにくい。直接会って伝えたいのだが……』
出来ることならば、こちらは相手に会いたくない。だが、いくらそう願ったところで、彼女の主張が通ることなど一切無いことは、彼女自身も分かっている。
「……分かりました」
諦めたようにそう答えると、相手はこちらの都合を確認することなく、『迎えを寄越す』と一方的に電話を切ってしまった。
「…………」
ディスプレイには通話を終わらせるための赤い受話器のマーク。受話口から聞こえてくる通話切断音が、早く通話を終えろと催促しているようで気が滅入る。右手の人差し指で画面に触れると、役目を終えた電話に休みを与える。切り替わったディスプレイに映し出されたのは最近見かけた茶色の猫で、行きつけのカフェのテラス席でのんびりひなたぼっこをしているその子に、思わずシャッターを切ったものだ。人間の事など気にしていないような自由な雰囲気が結構気に入っていてゆっくりと指で猫を撫でる。
「……可愛い」
偶然にも出来の良い画角で取れた力作は、先ほどの嫌な気持ちを少しだけ軽減してくれる。漸く少しだけ。張っていた気を緩めて呼吸が出来る感覚。しかしそれもつかの間で、端末に設定していた省エネモードが容赦なく、その画面を真っ黒に染めてしまった。
「あ」
容赦ない切り替えはまるで、先ほど通話を行っていた相手のようだ。
「……はぁ」
気持ちを切り替えるべく頭を左右に振ると、顔を上げて空を見上げる。太陽の位置はまだ随分と高い。肌にまとわりつく熱気に、じんわりと汗が浮かんだ。
海亜の元に迎えが来たのは、電話があってから五時間後のことだ。
メッセージが届いたことを知らせる通知。ディスプレイに映し出された一文に、バッグを持って階下に下りる。エントランスを抜けマンションを出ると、圧倒的な存在感を放つ黒塗りの高級車が一台。傍らには真っ黒なスーツに身を包んだ老年の男性が待期し、彼女の存在に気がつくと軽く会釈をして高級車へと誘った。
「お嬢様、どうぞ」
「ありがとうございます」
開かれたのは重厚感のあるドアだ。滑り込ませるように後部座席に乗り込むと、手触りの良い革張りのシートへと静かに腰を下ろす。直ぐに閉じられた扉は、容赦なく車内と向こう側の世界を切り離し、即座に居心地の悪さが彼女に寄り添う。運転席に乗り込んだ男性がエンジンを掛けると、車はゆっくりと走り出した。
まるで作られた映像のように流れて行くのは外の景色だ。楽しそうに笑う学生の姿を羨ましげに見つめ浮かべた笑みは、どこかしら悲しげなもので。
「最近はどのようにお過ごしでしょうか?」
社交辞令のような問いかけに、「いつも通りです」とだけ答えて口を閉ざす。
「偶にはこちらにもお顔をお出し下さい」
その台詞は男性本人の気持ちから出たものなのだろうか。
「用事が無いのでそれは難しいです」
口から出たものは小さな拒絶を示す言葉で、お願いだから放っておいて欲しいという細やかな抵抗だった。
「そんなことは仰らないで下さい」
男性は困ったように眉を下げると、彼の使える主の思いを代弁するかのように言葉を続ける。
「旦那様も、お嬢様が帰ってくることを心待ちにしておりますよ」
その言葉を聞いた瞬間、海亜の表情が固まる。
「お嬢様?」
「……そんなわけ……ないじゃない……」
別に彼を責めるつもりはない。この男性にとって使えるべき主は海亜の父親で、海亜自身ではないのだから当然、彼女の好まない言葉を返すのは仕方の無い話。ただ、いくら頭で理解していたとしても、心がそれを受け入れるかというとそうではなく、どうしても納得できない憤りを感じてしまうのも事実なのだ。
「お父様は、私の事なんて興味ないから」
記憶の中に残る思い出では、幼い頃は、父親とそれなりに仲が良かったことを覚えている。それなのに今では互いの距離はどこまでも遠い。そうなってしまった理由は彼女が小学校の頃、母親が病気で他界したことだ。それが擦れ違いの始まりで、時間の経過と共に彼らの繋がりは薄れていってしまった。
「必要が無ければ連絡すらしてこない相手なんて、父親じゃないと思います」
静かに瞼を伏せると、今は亡き大切だった人のことを思い出す。惜しみない愛情を与えてくれた大好きな人。海亜は母親のことをとても慕っていた。だからこそ、この世界から母親が居なくなったこと告げる父親が、幼い海亜には許せなかった。故人を偲ぶ時間すら与えてくれない彼に対して抱く憤り。売り言葉に買い言葉で起こった喧嘩は落としどころを見つけられないまま、未だに微妙な関係を継続させ改善する気配を見せない。
「それに、あの人は私よりも、新しい家族の方が大事なんですよね?」
自分だけが異質。本来ならば幸せなはずの家族という空間に、いつ頃から『他人』が入り込んだ事も気に入らない。母を失って悲しみに暮れていた海亜にとって、時間を空けずに父親が再婚をしたという事実が受け入れがたく、小さな痼りだったはずの蟠りは更に大きな隔たりとなって二人の繋がりを引き裂いていく。
「そんなことはありませんよ」
慣れた手つきでハンドルを操る男は静かに言葉を紡ぐ。
「旦那様は、お嬢様のことを誰よりも大切になさっております」
「そんな嘘はやめてください!!」
この会話も一体何度目だろうか。
「冗談で言っている訳ではございません」
もういい加減察して欲しい。そんな思いから運転席に座る男性を睨み付けると、バックミラー越しに目が合ってしまった。
「旦那様はただ、不器用なだけでございますよ」
小さな鏡の中の世界でこちらを見る彼の瞳はどこかしら悲しそうなものだ。それでも海亜は気付かないふりをして、毎度繰り返される定例句のような台詞に聞きたくないと耳を塞ぎ顔を背けると、それ以降は一切会話の無いまま目的地までのドライブは続く。
国道から高速道路に入り、二つ目のインターチェンジで下りる。四車線の道を暫く走行した後、一本ずつ減っていく道路。黒塗りの高級車はやがて、私有地である広い土地へと吸い込まれていき、重厚な鍛鉄造りの門扉が開かれると格式のある洋風の建物が視界に入った。
「…………」
記憶に残る懐かしい外観。確かに懐かしいと感じるのに、同時に思い出の中の映像と少しだけ異なる違和感を感じさせられ気分が悪くなる。
「着きましたよ」
先に降りた男性が扉を開くと、再び車内の空間と外の世界が繋がり、この状況から逃げられないという現実を突きつけられ表情が暗くなった。
「分かっています」
すらりと長い白い足が車外に出され、低めのヒールの底が地面に触れる。
「僭越ながら、エスコートさせていただきます」
差し出されたのは白い手袋を嵌めた形の良い手。
「ありがとうございます」
それに手を添え身体を持ち上げると、自らの足で立ち目の前に聳える建物へと視線を向ける。
「帰ってきたくなんて無かったのに」
かつて、この建物は海亜の住む家だったものだ。あの頃は真新しい白い壁が眩しく、大好きな青い屋根に手を叩いて喜んだものだ。今でも丁寧に管理されている庭に様々な植物があるのだが、彼女の好んでいた花は以前より大分減っていることが苛立たしい。
「気持ち悪い」
手入れをしているのはきっと、父親が再婚した後妻なのだろう。元々母の場所だった所が少しずつ他人に浸食され、思い出を上書きするかのように奪われてしまっていることが気に入らない。
「薔薇は嫌い」
そんな悪態を吐いてしまうのは、何一つ願いが叶わない理不尽さを嘆くためだった。
「こんな庭、全部潰してしまえば良いのに」
例えどんなに美しく見せられたとしても、所詮張りぼての虚栄。本物には叶わない安っぽい美しさに吐き気を覚える程、彼女はこの状況を嫌悪してやまない。
「奥様は、お嬢様が考えているような悪人ではありませんよ」
そんな海亜を諭すかのように男性は柔らかい口調でそう告げると、建物の内側へと誘うべく重厚な扉を開ける。
「どうぞ」
しん、と静まりかえったホールは少しだけ薄暗い。エントランスに立ちゆっくりと視線を動かすと、天井につり下がっている大きなシャンデリアが淡い光を放ち煌めいている。一歩足を踏み出すと、耳障りな足音が辺りに響いた。
情けない。みっともない。 でも、それ以上に嬉しくて仕方ない。 強い力を込めれば直ぐにでも折れてしまいそうなほど細い腕なのに、とても強く大きく感じる安心感。忘れていた温もりに縋るように身を預ければ、水琴がそれに応えるようにして海亜の頬を撫でた。「大丈夫よ。あなたのことは、私が守ってあげるわ」 意識しなければ聞こえない程の小さな音。それは海亜の耳に届くこと無く、空気に混ざり静かに消えていった。◆ どれくらいの時間が経ったのだろうか。「…………あれぇ?」 間の抜けたような声が耳に届いたことで引き戻された現実。慌てて身を起こし水琴と距離を取ると、直ぐ隣に座る星奈が不思議そうに首を傾げながらこちらを見ている事に気が付き驚いてしまう。「海亜さん、泣いてる?」「え? いや、その……」 泣いていない。と、言うには群れた頬を誤魔化す事が難しい状況。見られたくないと顔を逸らすのに、お酒が入り酔っている星奈は遠慮を知らず、感じた疑問を追求しようと距離を詰めてくる。「もしかして、お母さんに泣かされちゃった?」 自らの言葉に勝手に納得をしてしまったのだろうか。見当違いの正義感で己の意見を正当かさせようと動く星奈は、鋭い視線で母親である水琴の事を睨み付ける。「な、何を言ってるの! 星奈!」 当然、その言葉を真っ向から否定するのは水琴だ。「私が海亜ちゃんを泣かせたなんて誤解よ!」 そんな事実は存在しない。相必死に訴えるのだが、いまいち噛み合わない会話は平行線を辿るばかり。「でも、お母さん。海亜さんは泣いてるじゃない。誤解って言っても説得力なんて無いわよ」 何があったのかの経緯を知らない星奈からしてみれば、今ある結果だけが全てである。星奈の言葉通り、海亜の目は赤く腫れ、ずっと潤んだ状態のまま。時折啜る鼻の音も手伝い、全ての要素が彼女が泣いていることを指し示しているのだから、勘違いするなというのが無理な話である。 このままでは、水琴の立場は益々悪くなってしまうだろう。それだけは何としても回避したいと。水琴の名誉の為に動いた海亜が慌てて口に出だす言葉。「私が泣いてしまったのは、水琴さんから私のお母さんの話を聞いたからなのよ!」一瞬だけ固まった空気。何とも言えない気不味さが場を満たす。「どういう……こと……?」何を言われたか分からず面食らった星奈が見せ
「考えてみれば、あの頃からあなたは昴のことを好きで居てくれたのよね」 改めてそう言われると、恥ずかしくてむず痒いと感じ真っ赤に染まる海亜の顔。 水琴が言うとおり、海亜の初恋は昴だ。それは彼女自身もしっかり自覚している。 仕事の付き合いで一条家の人間と初めて顔を合わせた時、海亜が真っ先に興味を持ったのが歳が近い幼馴染みの存在だった。 あの頃の一条に居た子供は二人の息子のみだったのだが、上の昇はと言うと既に学校に通っており歳が離れていることもあって、少しばかり距離を感じる事が多かった。そのため、彼に対しては兄のような存在以上の印象を持ったことがない。 逆に、昴に対してはというと、友達よりも少しだけ近い距離。初対面の相手に人見知りをしてしまう海亜に対しても始めからフランクに話しかけ、彼女の手を取り率先して行動を起こす。紳士的な態度と少年特有の活発さはとても輝いて見え、無意識に抱くのは強い憧れで。それが大きくなるにつれ、昴に対して少しずつ別の感情を覚え始める。そうやって幾度となく互いの時間を共有していくと、段々、兄以上の存在として意識をすることも多くなった。始めは気が付かなかった小さな小さな感情の芽。いつしかそれは、淡い恋心へと緩やかに育っていく。「海亜ちゃんはよく、慈乃さんにこう言っていたのよ。大きくなったら絶対に、昴と結婚するのって」「え!?」「昴も満更でもなかったみたいでね。いつの間にか二人とも、左手の薬指にお花で作ったお揃いの指輪をはめていたりしてね」「あっ……」「それどうしたの? って聞いたら昴ったら、海亜ちゃんに作って貰ったのって嬉しそうにはしゃいじゃって。海亜ちゃんのは僕が作ったんだってほっぺたにキスなんかしちゃって。二人ともとっても可愛かったわ」 小さなカップルが見せたのは将来のヴィジョン。それが今、確かに現実のものとなった。それを喜んでいるのは自分だけだと思い込んでいたのは海亜の勘違いで、どうやら水琴も海亜と家族になれたことを嬉しいと感じてくれていたらしい。「それを見たときに思ったわ。将来、絶対に海亜ちゃんを昴のお嫁さんに欲しいって。だから慈乃さんにお願いしたのよ。大人になったら海亜ちゃんを私の娘として迎えてもいいかしらってね」 水琴はすっかり過去の記憶を辿ることに夢中になってしまっている。ただ、海亜にしてみたら自分の
その言葉から分かる事とは、水琴も一条の家にとっては他人に近い立ち位置にあると言うこと。「結局の所、嫁に来た人間というものは、血の繋がった家族にはなり得ないのよね」「お義母さん……?」「だって、育ってきた環境が異なるでしょう? 価値観や常識というものは、周りの環境で変わっていくものよ。よく見てご覧なさい」 息子や孫たちから持ち上げられて上機嫌となった喜代子は、すっかり自分の話に夢中なようだ。先程までの不機嫌は何処へやら。上機嫌に語る自分語りは実に饒舌で、今までの苦労や人生観を事細かく言葉にし相手に伝えることで悦に浸る。それを冷ややかに見ている者が居ることなど彼女はきっと気が付かないだろう。「一条の家の人間には、喜代子さんという君主の言葉が絶対なの。勿論、それが悪いと言うことでは無いわ。でも、私たちのように外部から来た人間にとって喜代子さんの考え方は、全てが素直に受け入れられるようなものではないのよ」「……それは……何となく理解出来る気がします」「ええ」 この場に居る人間のうち、酒で気分が高揚しているのは亨や昇、昴といった男性陣と星奈の四人。彼等は耳障りの良い言葉に酔い、場の空気に流されるように喜代子の言葉に耳を傾けている。そこに冷静さは皆無で、まるで精神を支配されているかのように絶対的君主の言葉を信じて疑わない。「子供……ああ……。お祖母さんの場合は曾孫になるんだったわね。あの人があなたたちの子供を早く抱きたいと思うのは、実に自然なことだとは思うわ。海亜さんには悪いんだけれど、私だって、あなたたちの子供を楽しみにしている一人には違いないの。でもね、子供を作る事を催促したって、それが思った通りの結果に繋がる訳ではない事も理解しているつもりよ。私だって、昇を妊娠するまで色々と苦労はしたし、お婆さまに結構言われて、悔しくて泣いたことも多いの」 隣に座る義母の顔に浮かぶ疲れに、彼女の言葉が決して嘘ではないと感じ取る。海亜が引きこもるようになってから薄れてしまった付き合いのせいで、一度真っ新になった関係性。今は姑と嫁の立場になったのだが、この三年間、彼女とどう向き合えば良いのかが分からず考えがまとまることは無かった。それでもこの姑は不甲斐ない嫁に寄り添おうと手を差し伸べてくれる。きっかけはあまり気分の良い話では無かったが、こうやって理解してくれる人が居る
「今度来るときは、良い報告が出来る様に心がけますから」 体裁を保つ為に呈示した、叶うかどうかも分からない口約束。昴はいつになったら、このことについて真剣に向き合ってくれるのだろう。そんな不安が頭を過ぎる。 幾ら互いに納得して決めたこととは言え、それに関して他人に口を出されることを好ましいと思っている訳では決して無い。会う度に繰り返される催促は、常に此方のペースを掻き乱すだけ。それを回避しようと気持ちが焦れば焦るほど、必死さが表に立ち大きくなっていく温度差。今でも肌を重ねる事は度々あるが、新婚の時に比べて頻度は確かに減っている。だからこそ余計に耳の痛いこの話題が、海亜は本当に嫌で仕方が無い。 初年度は期待に応えたいと純粋に思っていた。二年目になるとその期待に押しつぶされそうになり辛さを覚える。そして三年目。相手からしてみたら純粋に孫の誕生を切望しているだけなのかも知れない。それでも、海亜にとってはこの話題を持ち出される度に憂鬱になり、余計に義理の祖母の事が苦手になってしまう。「昇はまだ結婚する気配はないし、星奈も学生だ」 優雅にお茶を啜りながら零した喜代子の言葉。そこに含まれる棘は、いつでも海亜の心を深く抉り続けている。「まぁ、早いところ昇が良い嫁さんを見つけてくれるなら、私もここまで言いやしないんだがねぇ」 突然話題の矛先を向けられたことで昇はグラスを傾けていた手を止める。「え? 俺?」 まさか自分に飛び火するとは思っていなかったのだろうか。「何でいきなり俺の話が出るんだよ」 のんびりと楽しく酒を楽しむつもりだった昇だが、自分の名前が挙がると顔を引き攣らせて苦い笑みを浮かべる。「本来ならば、お前の方が昴よりも先に結婚すべきだろう?」 年功序列とでも言いたいのだろうか。あくまでこれは喜代子の意見であって、昇の人生を定めるものではない。「そのことなら、もう随分前に話合って納得してくれたじゃないか」「ふん」 昇が家ではなく夢を追うことと選択したとき、頑固な祖母と正面から衝突することが多かった。「あの時はあの時。私は一切納得はしていないよ」 家に縛られ敷かれたレール。長男という肩書きの重さは昇にとって息苦しく逃げたしたい足枷のようなもので、優等生を演じていたことに限界を感じた瞬間、遅れてやってきた反抗期という形で爆発を起こした。『俺は