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君が与えた愛、またの名を孤独
君が与えた愛、またの名を孤独
Author: 楚里ちゃん

第1話

Author: 楚里ちゃん
久我佳典(くが よしのり)を想い続けて十年、ようやく彼の恋人になることができた。

彼の両親にも紹介され、結婚の日取りも決まって、もうすぐ彼の妻になれるはずだった。

これで本当に幸せな永遠を手に入れられると思っていた。

でも、神崎心遥(かんざき みはる)が再び現れたと知った時、その幻想は儚く散ってしまった。

最初から分かっていたのだ。彼は私を愛していないということを。

----------

新聞社、編集長室。

「結婚を控えているのに?本当に南国に一年間援助に行く気なの?」

編集長が驚いたような顔で私を見つめる。

その熱い視線から逃れるように目を逸らし、無理やり唇の端を上げて苦笑いを浮かべる。そしてこくりと頷いた。

「茂野心晴(しげの こはる)さん、引き受けてくれて本当に助かるわ。最近、誰も行きたがらなくて困っていたの」

編集長が私の肩を軽く叩き、約束するように言った。

「一年後に戻ってきたら、必ず昇進と昇給を約束するから」

彼女の声は弾んでいて、肩の荷が下りたような安堵感が滲んでいる。

それとは対照的に、私の声は沈んで平坦で、いつもの情熱など微塵も感じられない。

会社を出てわずか数歩歩いただけで、あの何もない部屋に戻ってきてしまった。

二人で暮らしている新居なのに、結婚を控えた部屋らしい華やかさなど欠片もない。

ソファに身を丸めて、私は時計をじっと見つめていた。

この時間なら、佳典はもう帰宅しているはずなのに。

いつもなら必ず電話をかけて、何時に帰るか聞いて、夕食の準備をするのに。

でも今日は、もう三回も電話をかけてしまった。

仕方なくLINEを開き、メッセージを打つ。

文字を入力しては消し、消してはまた入力して。私の気持ちが重荷に感じられないか心配で。

なんといっても自由奔放な佳典は、束縛されることを何より嫌うから。

過去のやり取りを遡ってみると、最後の会話は三日も前。

それ以降は私の一人芝居ばかり。

ため息をついて、結局「いつ帰る?」と送信した。

メッセージを送った途端、玄関のドアが開く音が聞こえた。

帰宅した佳典は、ソファにいる私にまったく気づかない様子だった。

どこか落ち込んだような足取りで部屋の奥へ向かっていく。

もう十時を回っていて、電気も点けていなかったから、気づかなくて当然かもしれない。

そう自分に言い聞かせた。

「お帰りなさい。今日は遅かったのね。

電話したけど、出なかったから」

私の声には棘があった。

佳典が一瞬きょとんとして、適当な理由をつぶやく。「会議があって、気づかなかった」

空気中に、かすかな酒の匂いが漂っていた。

言いかけた言葉を飲み込む。結局何も言えずじまい。

バスルームから聞こえるシャワーの音が、一滴一滴、私の胸に響いた。

言葉にできない孤独感だった。

彼の携帯電話がローテーブルの上に無造作に置かれている。

画面が明滅を繰り返していた。何度も何度も。

LINEの通知で「M」と登録された相手から、立て続けにメッセージが届いている。

散々迷った末、私は佳典の何年も変わらないパスコードを入力した。

Mとの会話画面を開く。

【佳典、ありがとう】

【今夜は連絡するべきじゃなかった。もう連絡しないから】

だから今夜、佳典の機嫌が悪かったのか……

アイコンに目を向けると、可愛らしい白いウサギが表示されている。

昔、佳典の初恋の人もこのアイコンを使っていた。もうずいぶん前のことだけれど。

それに、あの女性はとっくに結婚したはず。

私は心の中で祈った。佳典の初恋の人、神崎心遥でないことを。

でもタイムラインを開いた瞬間、すべてが明らかになった。

やっぱり女の勘は当たるものなのね。

バスルームのシャワー音が小さくなった。

慌てて平静を装い、携帯電話を元の場所に戻す。

佳典がバスタオルを腰に巻いて現れた。濡れた髪から雫が滴り落ちている。

湯気のせいなのか、彼の瞳が赤く潤んでいた。

私はティッシュを一枚取って差し出した。

「何かあったの?」

彼はちらりと私を見て、背中を向けた。

「友達が離婚したんだ。少し飲んできた」

私の胸がどきりと跳ねる。

さらりと言った彼の言葉に、かすかな悲しみが滲んでいるのを見逃さなかった。

心遥が結婚した時、佳典は泥酔していた。

ずっと彼女の名前を呟いていた。

私は彼のそばで慰め、世話をした。

心遥はもう結婚したのだから、佳典との間に続きなんてあるはずがないと思っていた。

長年追い続けた憧れの人にやっと近づけるチャンスだと、内心喜んでいたほどだった。

その後も佳典は私の好意を拒み続けたけれど。

でも私は挫けなかった。

諦めずに続ければ、石だって温まると信じていたから。

一ヶ月後、佳典は私の告白を受け入れてくれた。

その時、彼の友人が冗談交じりに言ったものだった。

「茂野は神崎に感謝しなきゃな」

心遥が早く結婚してくれたおかげで、佳典は彼女を忘れようとして私と付き合うことにしたのだと。

当時の私は、それをただの冗談だと思っていた。

理由がどうあれ、結果オーライ。私は大きな一歩を踏み出せたのだから。

佳典と付き合ったこの数年間、彼はいつも私に対してどこか冷めていた。

普通のカップルがするようなことを、彼は私とはしなかった。

私がねだりにねだって、やっと頬にそっとキスをしてくれる程度。

人目のない時だけ、短い時間だけ手を繋いでくれる。

夜、一緒に寝ていても、私が寝返りを打って彼を抱きしめようとすると、決まって「暑い」と言い訳をした。

「君は寝相が悪いから」と、布団も別々にされた。

今思えば、私なんてどうでもよかったのかもしれない。

また携帯電話が鳴る。視界の端で、Mからのメッセージだと分かった。

佳典がメッセージを読む時の表情を、さりげなく観察する。

明らかに彼の瞳に光が宿っていた。

口元にも自然と微笑みが浮かんでいる。

その夜、私はなかなか眠れずにいた。鏡の前に立ち、静かに自分の顔を見つめた。

二十代らしい生き生きとした表情ではなく、まるで人生に疲れ果てたような、諦めにも似た影が浮かんでいる。

無理やり苦笑いを浮かべて、鏡の中の自分に問いかけた。

「最初から分かっていたでしょう。彼はあなたを愛してなんかいないって、そうじゃない?」

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