All Chapters of 君が与えた愛、またの名を孤独: Chapter 1 - Chapter 10

14 Chapters

第1話

久我佳典(くが よしのり)を想い続けて十年、ようやく彼の恋人になることができた。彼の両親にも紹介され、結婚の日取りも決まって、もうすぐ彼の妻になれるはずだった。これで本当に幸せな永遠を手に入れられると思っていた。でも、神崎心遥(かんざき みはる)が再び現れたと知った時、その幻想は儚く散ってしまった。最初から分かっていたのだ。彼は私を愛していないということを。----------新聞社、編集長室。「結婚を控えているのに?本当に南国に一年間援助に行く気なの?」編集長が驚いたような顔で私を見つめる。その熱い視線から逃れるように目を逸らし、無理やり唇の端を上げて苦笑いを浮かべる。そしてこくりと頷いた。「茂野心晴(しげの こはる)さん、引き受けてくれて本当に助かるわ。最近、誰も行きたがらなくて困っていたの」編集長が私の肩を軽く叩き、約束するように言った。「一年後に戻ってきたら、必ず昇進と昇給を約束するから」彼女の声は弾んでいて、肩の荷が下りたような安堵感が滲んでいる。それとは対照的に、私の声は沈んで平坦で、いつもの情熱など微塵も感じられない。会社を出てわずか数歩歩いただけで、あの何もない部屋に戻ってきてしまった。二人で暮らしている新居なのに、結婚を控えた部屋らしい華やかさなど欠片もない。ソファに身を丸めて、私は時計をじっと見つめていた。この時間なら、佳典はもう帰宅しているはずなのに。いつもなら必ず電話をかけて、何時に帰るか聞いて、夕食の準備をするのに。でも今日は、もう三回も電話をかけてしまった。仕方なくLINEを開き、メッセージを打つ。文字を入力しては消し、消してはまた入力して。私の気持ちが重荷に感じられないか心配で。なんといっても自由奔放な佳典は、束縛されることを何より嫌うから。過去のやり取りを遡ってみると、最後の会話は三日も前。それ以降は私の一人芝居ばかり。ため息をついて、結局「いつ帰る?」と送信した。メッセージを送った途端、玄関のドアが開く音が聞こえた。帰宅した佳典は、ソファにいる私にまったく気づかない様子だった。どこか落ち込んだような足取りで部屋の奥へ向かっていく。もう十時を回っていて、電気も点けていなかったから、気づかなくて当然かもしれない。そ
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第2話

南国での援助活動の件は、友人や家族には伝えた。ただ一人、佳典にだけは話していない。どうせ彼は気にしないだろうし、言っても言わなくても同じことだと思ったから。翌朝、いつものようにカレンダーの昨日のページを破り取る。今日のページに色ペンで書かれた文字を見て、また胸が痛んだ。【佳典が約束してくれたキャンプの日!】この約束は、私が佳典のために1600万円の契約を取ってきたご褒美だった。佳典が私に約束してくれたことは、すべてカレンダーに書き込む癖がある。そうすることで日々に希望を感じられるから。そんな些細なことから、彼の愛情を集めようとしていたのかもしれない。まさかこのカレンダーが、私の別れのカウントダウンになるとは思わなかった。佳典と付き合うようになってから、いつも考えてしまう。もし心遥があんなに早く結婚していなかったら、今彼の隣にいるのは私じゃなかったかもしれない。当時、佳典の心遥への想いは誰もが知っていた。優秀な彼はいつも女子たちの注目の的だった。自由奔放で少しクールなところがあって、近づきがたい雰囲気もあったけれど。でも学校中の女子が知っていた。彼が心遥を好きだということを。最初、彼を追いかけようと決めた時は私も躊躇した。でも恋心は理性でコントロールできるものじゃない。私はもともと情熱的で外向的な性格だし。彼に優しくすることが、いつの間にか習慣になって、執着になっていた。卒業の日、私は佳典に告白するつもりだった。彼に会った時、彼の手にも花束があった。黒いヴェールに包まれた薔薇が、自由に咲き誇っている。佳典の心遥への愛情のように、奔放に。私は彼の後ろに立って、遠くから彼が心遥に告白するのを見ていた。彼の前にいる人が自分だったらと想像して……名状しがたい悲しみが押し寄せてきた。天が作った理想のカップルだから、きっと結ばれる。私には勝ち目がないと思った。でも心遥は淡く微笑んで、少し申し訳なさそうに言った。「ごめんなさい。もう婚約しているの。相手は資産家の御曹司で……このチャンスを逃したくないから」佳典はもともとプライドの高い人だった。少し迷った後、それでも花束を差し出した。「それなら、幸せになって」振り返った時、彼の瞳の奥に深い悲しみが刻まれている
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第3話

この家で私の物と呼べるものは、驚くほど少なかった。まるでここは私の一時的な休憩所で、いつかは立ち去る場所のように。半分も埋まらないスーツケースを見て、胸が重くなる。一から築き上げてきた生活だから、普段は質素に暮らしている。でも佳典のためなら、いつも一番良い物を選んできた。彼が私のものだと証明したくて、必死だったから。ペアのマグカップに歯ブラシ、お揃いのパジャマ、クッション……でも結局「使いにくい」という理由で、すべてお蔵入りになった。大きなビニール袋を取り出して、ゴミ扱いされた品々を次々と詰め込む。私が去った後、この部屋には新しい女主人が住むかもしれない。私のセンスは元々よくないし。佳典のために部屋を片付けてあげる、と思うことにした。一通り整理を終えて、テーブルの上のほとんど手つかずの朝食に目が留まる。以前なら、もったいなくて冷蔵庫にしまって夕食にしていただろう。でも今日は迷った末、すべて捨てることにした。パンも、ベーコンも、コーヒーも好きじゃない。桜国人の胃を持つ私は、お粥や味噌汁が恋しい。でも佳典は「口の中に匂いが残る」と言う。だから朝食はずっと彼の好みに合わせてきた。彼に合わせるうちに、自分が何を好きだったかさえ忘れてしまった。今日は思い切ってすべて処分して、携帯で自分好みの朝食を注文する。そして食器を流しに運び、一番嫌いな皿洗いを始めた。同棲を始めた頃、食洗機を買いたいと佳典に相談したことがある。でも彼には潔癖症があって、「機械より手洗いの方が清潔」だと言い張った。私が洗剤アレルギーだということを、彼は忘れていた。水に触れた手がちくちくと痒くなり、視界がだんだんぼやけてくる。一粒の涙が情けなく頬を伝った。佳典にとって私は一体何なのだろう?暇つぶしの調味料?それとも生活のお手伝いさん?少なくとも、本当の恋人ではない。すべてを片付け終えて、ベランダのロッキングチェアに身を委ねた。肌に降り注ぐ陽光が、ほんの少しでも慰めをくれることを願いながら。携帯に通知が届く。開いてみると、心遥が久しぶりに更新したSNSだった。位置情報は東山。【日の出を見逃したなら、今度は運命の人を見逃さないで】添付された写真は彼女のセルフィー。右下の隅に、佳典
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第4話

ドアノブを握る私の手に、自然と力が入った。最低限の礼儀を保ちながら、心遥の腕の中で力なく横たわる佳典を支え起こす。彼は薄目を開けて、私を押しのけようとした。口の中でぼそぼそと呟いている。「心遥……俺の彼女は心遥だから」心遥(みはる)、心晴(こはる)。確かに似ている。酔いが回って呂律が回らないだけだと、自分に言い聞かせた。「酔っぱらって。さあ、帰りましょう」佳典をしっかりと支えながら、心遥に丁寧に頭を下げる。「初めまして、茂野心晴です。彼の世話をしていただいて、ありがとうございました。お先に失礼します」さっきまで和やかに談笑していた同級生たちが、水を打ったように静まり返った。誰もが見物客のような目つきで、空気が氷点下まで冷え込んでいく。それぞれの息遣いまでが小さくなった。心遥がばつの悪そうに立ち上がる。「彼、酔いすぎちゃって。ちょうどあなたが来てくれて良かった」「佳典ね、酔うといつもこうなの。ヨーグルトを飲むと酔い覚ましになるから、もう注文してあるの。すぐ届くと思う」私は頷いて、小さくお礼を言った。まるで彼女こそが佳典の恋人で、私はただの不適格な付き添いみたいだった。佳典を連れて帰ろうとしたが、彼の体重は重すぎて一人では支えきれない。昔の同級生が駆け寄って、倒れそうになった彼を支えてくれた。「茂野、ちょうど来てくれたんだし、久我も急いで帰る必要ないだろ?もうちょっと飲まない?」「飲む!今日は絶対におまえらより飲んでやる!」佳典が私の支えを振り払って、テーブルの酒瓶に手を伸ばそうとする。よろけて、私まで引きずり込まれそうになった。幸い心遥が手を貸してくれて事なきを得た。私は濃いお茶を注いで、佳典に差し出した。「これを飲んで。酔い覚ましになるから」しかし彼は何も考えずにそれを払いのけた。もみ合いになり、熱湯が私の服にかかって激しく熱かった。心遥がすかさずお茶を受け取る。子供をあやすような口調で、「佳典、お茶よ。飲んだら楽になるから」佳典は彼女に向かって馬鹿みたいに笑いかけながら、湯呑みを受け取って一気に飲み干した。私はまるで余計な存在で、屈辱を味わいに呼ばれたようなものだった。一杯の濃茶で、佳典もだいぶしっかりしてきた。さっきの醜態を思い出したのか、心遥
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第5話

佳典が委員長に向かって怒鳴っていた。顔は怒りで紅潮している。「俺はお前を助けようとしてるんだ!」委員長が一歩前に出て、佳典と視線を合わせる。その瞳にも怒りが宿っていた。「お前はいつも我慢して、堪え忍んで……好きなら本人に言えよ?今のままじゃ何なんだ?俺だったら、お前みたいに意気地なしにはならない。彼女はもう離婚したんだろ?諦めきれないなら追いかけろよ!一人を逃がして、もう一人まで傷つけるなんて最低だ。お前が神崎を何年も好きでいるのは、みんな知ってる。お前が彼女を忘れられないことも。茂野だって本気でお前を愛してるんだ。もしお前の本当の気持ちが神崎にあるって知ったら、きっと身を引くはずだ!」佳典の怒りが急速に冷めていく。まるで冷水を浴びせられたように。振り返ってタバコに火をつけた。深く煙を吸い込む。薄い煙の向こうで、低い声が響く。「俺のことに口出しするな」佳典が振り返ると、後ろに立つ私に気づいた。反射的に、私は踵を返そうとする。でも佳典に遮られた。「すまない。今夜は……取り乱してしまった」少し迷った後、彼が付け加える。「俺と心遥は友達だ。誤解しないでくれ」私はただ淡く微笑んで見せた。軽く頷く。もう彼らの関係なんてどうでもよかった。恋愛感情でも、断ち切れない過去でも。どうせ私は去るのだから。残された数日間、自分に少しでも尊厳を残しておきたかった。酒席に戻ると、佳典はさらに激しく酒を呷っていた。止めることはせず、私はできる範囲で彼の世話を焼いた。何度か乾杯を重ねて、ようやく解散となったふらつく佳典を支えながら、タクシーを呼ぼうと手を上げた時。声をかけられた。振り返ると、心遥が携帯を差し出している。画面にはQRコードが表示されていた。「連絡先交換、構いませんか?」迷ったが、礼儀として携帯を取り出してコードを読み取る。友達追加が完了すると、心遥が私のプロフィール画像を見つめた。「ああ、これってあなただったのね」彼女の瞳が何もかも見透かしているようで、背筋が寒くなった。罪悪感に駆られて、急いでその場を離れたくなる。佳典を車に押し込んで帰路についた。家に戻ってからも、心遥の言葉が頭から離れない。そこに、メッセージが届いた。【お疲れさま。実は
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第6話

心遥を送る時、私は後部座席に身を縮めていた。「助手席の方がナビしやすいでしょ?」佳典のその一言に、私の居場所はあっけなく決まってしまった。半開きの窓から忍び込む風が、額にかかった髪を無造作に舞い散らす。この瞬間、車から飛び降りてしまいたい衝動に駆られた。数日後──心遥が佳典の会社で働き始めたという知らせが届いた。二人の息の合い方は、私たちが起業に向けて奔走していた頃よりもずっと自然で、見ていて胸が締め付けられる。最初のうちは心遥から電話がかかってきていた。「久我社長が飲みすぎちゃって……迎えに来てもらえる?」やがてそれも変わり、彼女が直接佳典を家まで送り届けるようになった。でも今夜は違った。時計の針が深夜を指しているのに、佳典への電話は何度鳴らしても応答がない。約二時間後──心遥からのLINEが画面に踊った。【久我社長、お客さんとの飲み会で潰れちゃって……心晴さんもう寝てるかなって思ったから、今夜はうちに泊めることにしたよ】あまりにも自然な口調で、私こそが佳典の正式な恋人だということを忘れそうになる。その夜、眠りは浅く途切れがちだった。夢から夢へと彷徨い続ける。内容は朝になると霧のように消え去っていたが、夢の中でも声を殺して泣いていたことだけは覚えている。ヒステリックに、胸が裂けるほど激しく。目覚めた時、頬に涙の跡が冷たく残っていた。正午の陽射しが部屋を満たしている。牛乳をグラスに注ぎながら、壁のカウントダウンカレンダーに目をやる。残り日数が一桁になっていた。佳典が帰ってきた時、その顔には深い疲労の色が浮かんでいた。私の姿を見つけて、少し驚いたような表情を見せる。「今日は会社に行かないのか?」「ええ、職場から数日間の休暇をもらったの」私は何気なく答えた。正直なところ、こんなに憔悴した彼を見ていると、やはり胸が痛む。手に持っていた牛乳のコップを差し出した。「お酒を飲んだ後は、牛乳が胃に優しいから」いつもなら受け取って飲み干してくれるのに、今日は手を伸ばそうともしない。私は無言でコップを握る手を引っ込めた。佳典は部屋に入って清潔なシャツに着替えると、ソファに腰を下ろした途端、心遥から電話がかかってきた。片手でボタンを留めるのに手間取り、スピーカーボタン
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第7話

私が捕まってしまったせいで、まず誰か一人が救出に向かわなければ、次のステップに進めない。周りからため息混じりの声が漏れる。まるで私が足手まといになったかのように。佳典はNPCに囲まれた私を見詰め、次に背後の心遥に視線を移した。心遥の手を握っていた指が、ぎこちなく離れていく。「彼女を救うペナルティは何だ?」NPCが答える。「再び鬼花嫁にキスをして、魔力を発動させ、捕らわれた者を解放してもらう必要があります」今度はみんなも、私が佳典の恋人だということを思い出したようだった。しかし、ゲームのルールには逆らえない。佳典は心遥を振り返り、少し躊躇した。私を救わなければ、私は一人で暗い部屋に閉じ込められる。彼が心遥の耳元で何かささやいた。そして、心遥の唇に軽く触れる。心遥は恥ずかしそうに俯いた。甘えるような声で弁解する。「私たち、小さい頃からままごとをして遊んでたの。それに、心晴さんを助けるためだから……」心遥は私のもとに駆け寄り、私の手を取って、どうやって許しを得ようかと考えているようだった。先に口を開いたのは佳典だった。「君が一人で怖い思いをするのが心配だったから……」私は何と言えばいいのかわからなかった。彼を責めるべきだろうか?私が暗い部屋で一人怖がるのを心配して、別の女性にキスをして私を救い出したことを?それとも、私のことなど構わず、せめて私たちの最後の尊厳を守るべきだったと責めるべきか?小さくため息をついた。結局、これだけ多くの人の前では、最低限の体裁は保たなければならない。「ただのゲームでしょう?本気にするわけないじゃない」残りのゲームは、ただ集団の後ろをついて歩くだけだった。心が重く沈んでいるせいか、薄気味悪い演出にも動じなくなっていた。密室から出た後、心遥はまだあのキスの余韻に浸っているようで、佳典の肩を軽く叩いた。「家に帰ったら、心晴さんにちゃんと説明してよね。まるで私たちの間に何かあるみたいじゃない」同僚たちも疲れ果てたのか、心遥は一人でタクシーに乗って帰っていった。みんなを見送った後、佳典はようやく私に視線を向けた。「お腹空いただろう?君の大好きなあのレストランに行こうか」佳典の表情には謝罪の色が浮かんでいる。先ほどの軽率な行為への償
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第8話

その後数日間、佳典は蒸発でもしたかのように姿を消した。電話をかけても出ず、LINEを送っても既読すらつかない。彼の会社の同僚からまで安否を問われる始末だった。佳典と共に消えたのは、心遥も同じだった。少し考えてから、もっともらしい理由を答えた。二人とも出張に出ているのだと。この期間、一人暮らしの生活にもすっかり慣れてしまった。毎日昼まで寝て、食事を摂ることさえ億劫になっている。手持ち無沙汰を紛らわせるため、新聞社から依頼された原稿を何本か引き受けた。深夜になってようやく、自分にまだ恋人がいたことを思い出すような日々だった。心遥のSNSは途切れることなく更新されている。佳典の姿が時折、さりげなく彼女のカメラに映り込んでいた。今夜の投稿にはこうあった。【骨折は百日かかるって言うし、豚足スープが飲みたい】特に気にも留めずスクロールして通り過ぎた。翌日の明け方、キッチンから音がするのに気づいた。重いまぶたをこじ開けると、佳典がシャツの袖をまくり上げ、エプロンを身につけて豚足と格闘している姿が見えた。包丁が骨に当たる音が響いて、地震でも起きたのかと錯覚するほどだった。「何をしてるの?」佳典の目は血走っており、ここ数日まともに休んでいないのは明らかだった。髪はぼさぼさで、顎には無精髭が伸び放題になっている。ひどく疲れ切った様子だった。「彼女が豚足スープを飲みたがってるんだ。何軒も店を予約して試してもらったけど、どれも口に合わないと言うから……だから自分で作ってみようと思って」もし私が他人だったなら、きっと二人の愛情に感動していただろう。佳典が私のために料理を作ってくれたことなど、片手で数えるほどしかない。肉を扱う時の手のぬめりを、彼は何より嫌っていたはずなのに。つまり、できないのではなく、やりたくなかっただけなのだ。その後の日々は矢のように過ぎていった。気がつけば残り三日となっていた。家にこもりきりで退屈したので、友人に別れの挨拶をしに行こうと思った。親友の二宮想美(にみや そみ)の家で、私はポテトチップスを抱えてソファにくるまっていた。「心晴ちゃん、本当に南国に行く気なの?あんな大変で過酷な場所、暑いのが一番苦手なくせに。みんな虫がすごく多いって言ってるよ
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第9話

私は佳典を深く見つめた。これが最後になるかもしれないと伝えたかった。もう二度と戻らないと告白したかった。あなたが本当に愛する人と、幸せな人生を歩んでほしいと願っていると言いたかった。口を開こうとした瞬間、佳典の携帯が鳴り響いた。着信表示を見ると、心遥の名前が光っている。彼は眉間にしわを寄せ、迷った末に通話ボタンを押した。「どうした?」……「分かった。すぐに戻る」佳典は申し訳なさそうな表情で私を見つめ、携帯を握りしめて落ち着かない様子で口を開いた。「ごめん、心晴。誕生日は今度必ず埋め合わせするから。心遥の足の具合が悪くて、一人じゃ動けないんだ。急いで戻らないと」「分かった」私は素っ気なく答えた。心が死ぬというのは、きっとこういうことなのだろう。これほど悔しい瞬間でも、もうどうでもよく感じてしまう。私の冷たい反応を見て、佳典は内心怒っているのだと勘違いしたようだった。慌てて付け加える。「明後日、明後日には心遥が退院するから、必ず君のそばにいる。そうそう、君が前に食べたがっていたスイーツの店があったよね。明後日、絶対に買ってくるから」ドアの閉まる音と共に、佳典はまた去っていった。テーブルの上のケーキを見つめたまま、私は動けずにいた。彼と過ごしてきたこれまでの年月で、実は一番嫌いだったのは記念日だった。正確に言うなら、記念日が怖かった。失望するのが怖かったから。他の女の子の誕生日には、恋人がプレゼントやサプライズを用意してくれる。少なくとも一緒にいてくれる。でも私は?前回の誕生日は、重要な会議があると言われた。その前は日付を間違えたと言い、後で必ず埋め合わせすると約束された。さらにその前は起業したばかりでお金もなく、生活のために会社で残業すると決められた。……結局いつも、私は一人きりだった。今回も例外ではなかったということだ。壁にかかったカレンダーが示す残り一日を見つめる。再びがらんとした部屋を見回した。もう私の物は何一つ残っていない。以前、佳典はいつも言っていた。無駄な物を買うのはやめろと。例えばソファの上のぬいぐるみ。冷蔵庫に貼ったステッカー。私はただ、家というものは無意味な物を置く場所だと思っていた。そうす
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第10話

ベッドに身を横たえ、一日の疲れを解いていく。布団からほのかに香る柔軟剤の匂い——その香りが、またしても佳典のことを思い出させた。小さくため息をつく。そろそろ新しい柔軟剤に変える時期かもしれない。夜の帳が降りた頃、部屋のドアがノックされた。開けてみると、翔が湯気の立つ小鍋を手に立っていた。「新入りさん、これ、僕がずっと大事にとっておいた逸品なんです。今日は君のために特別に」覗き込むと、何か珍しいものかと思いきや——ぐたぐたに煮えたインスタントラーメンだった。少し肩を落とす。佳典が家にいない時、私の食事といえばいつもインスタントラーメン。まさかここに来ても、またラーメンとは。私の表情を見取った翔が、茶化すように言う。「これはシーフード味の特上品ですよ!ほら、新鮮さを味わってみて。特大伊勢海老でダシを取ったんですから!」私は横に身をずらして彼を招き入れた。テーブルを囲んで、二人であぐらをかく。一人暮らしの彼は食器の用意もしていない。だから私たちは鍋から直接、一口ずつ麺をすすった。翔は食べたそうにしながらも、遠慮がちに私に譲ろうとする。数口食べた後は、じっと私が食べる様子を見つめていた。その様子がおかしくて、つい笑ってしまう。「もうお腹いっぱい」鍋を押し戻すと、翔は何度か辞退の素振りを見せてから、鍋を抱えて勢いよく食べ始めた。人が美味しそうに食べている姿を見るのも、こんなに幸せな気持ちになるものなのか。「君が南国に来た理由って何?こんなところ、普通は誰も来たがらないよ」翔は麺をずるずると啜りながら、顔も上げずに話題を振ってきた。「まあ、人生経験ってやつかな」私はさらりと答えてみせる。「本当に?人生経験?信じないなあ。上司に目を付けられたとか、誰かの機嫌を損ねたとか」目を細めて、私の心の奥底を見透かそうとするような視線を向けてくる。その視線から逃れるように、私は目を伏せた。「人として一番大切なのは誠実さだよ。これから運命を共にする二人なんだから、お互い正直になろうよ」翔は追及の手を緩めない。もういいか。話したところで別に失うものもない。私は観念した。「うん、恋人と別れたの。気分転換したくて」「やっぱりね。普通の人がこんなところに来るわけないもん」
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