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第3話

Author: 匿名
「今、依子が戻ってきた。正直、お前から今すぐ逃げ出したい。これで満足か?」

怒りで目尻を赤くしながら、秀夫は歯を食いしばるように言い放つ。

耳元で、ぶわっと轟音が鳴った。心の奥で、最後の支えが崩れ落ちる。

――十分すぎるほど、残酷で、痛い言葉だった。

「マスター。攻略対象の好感度が継続的に低下しています。ここは一度、折れてみませんか?」

焦ったシステムの声が響く。

けれど、もう遅い。心は、すでに灰になっていた。

私は無意識に数歩下がり、ぎこちない笑みを浮かべる。

「……わかった。

都合のいいときでいい。離婚届、用意して」

それだけ言い残し、私は振り返らずに病室を出た。

自分でも驚くほど、決然とした態度だったのだろうか、一瞬、彼の顔に動揺が走ったのが見えた。

――でも、もうどうでもいい。期待もしない。

帰り道、胸にじわりと悲しみが込み上げる。私たちは、どうしてここまで来てしまったのだろう。

確かに、あの頃は。お互いを、大切に思っていたはずなのに。

依子は、秀夫にとっては大事な初恋相手。そして、私の攻略における最大の障害だった。

システムが任務を提示した時点で、彼と依子はすでに恋人同士だった。難易度が高いのも、当然だった。

……

最初に彼と出会ったのは、高校の頃。

一目惚れだった。攻略対象だから、ではない。秀夫は、ただ純粋に優秀で、魅力的だった。

近づくために、あらゆる手を尽くした。ようやく親友という位置にたどり着いたが、それ以上、彼の心には踏み込めなかった。

一方依子は、彼の幼なじみ。幼少期から、人生のすべてを共有してきた存在だ。

だが、高校三年生の最も大事な時期に、彼女は何も告げず、海外へ去った。

その出来事が原因で、秀夫は大学受験に失敗し、浪人した。

深く傷ついた彼の隙に、私は寄り添い、執拗に側に居続けた。一緒にいれば、いつか愛してくれる。そう、信じていた。

そしてついに、彼は私と付き合うことを選んだ。

プロポーズが成功したその日、好感度は一気に最大値へ到達した。

本来なら、私はそのままこの世界を離れられた。けれど――彼が用意してくれた婚約指輪を見た瞬間、私は離脱の権利を捨て、彼と生きる道を選んだ。

新たな攻略任務が始まり、失敗時の罰は「消去」から「記憶喪失」に変更された。

結婚後の数年間、私たちは互いを尊重し合い、誰もが羨む模範夫婦だった。

このまま、続いていくのだと信じていた。

――依子が、帰国するまでは。

そこから、すべてが変わった。

温もりは消え、今や彼は、依子のために私と離婚しようとしている。

ようやく、理解した。どれだけ穏やかな年月を過ごしても、彼は一度も、私を愛していなかった。

本当に、一度も。

……

秀夫の離婚は、本気だった。

すぐに弁護士を立て、協議書を作成し、噂は瞬く間に広がった。

友人も親戚も、真偽を確かめる電話をかけてくる。同情の視線が、痛いほど突き刺さる。

財産分与の内容は、婚前の取り決め通り、八割が彼のもの。

異論はなかった。

不利な条項ばかりでも、私は黙って署名した。

「朱」の字を書き終えた瞬間、胸が激しく締めつけられる。

歯を食いしばり、最後まで、名前を書き切った。

書類を受け取った秀夫は、信じられないほど、幸せそうに笑った。

視界が滲む。心が、無数の蟻に食い荒らされるように苦しい。

立っていられず、机に突っ伏し、拳で胸を叩いて、ようやく耐えた。

――これは、警告だ。

システムが、私にやめろと告げている。この書類が成立すれば、私は罰を受ける。

だが、彼は冷たく言い放つ。

「光悦、何を演じてる。同情でも引きたいのか?俺は、まったく興味ない」

苦肉の策だと決めつけ、彼は私を急かし、車へ連れて行った。

役所へ直行し、番号札を取る。彼の隣に腰を下ろす。

私は服を指さし、結婚式の日と同じだと、覚えているか尋ねた。

彼は、ちらりと視線を上げただけ。

「覚えてない。

何年も前のデザインだろ。捨てればいい」

そう言って、わざわざ別の椅子へ移動した。

――彼にとって古いのは、服だけじゃない。私自身だ。

私は黙り、番号が呼ばれるのを待った。

手続きは、わずか十五分。離婚証明を受け取り、建物を出る。彼は、わざと足早に先を行く。私を、早く振り切りたかったのだ。

「体調悪いのに、来るなんて。風に当たったらどうする」

車の前で、彼は信じられないほど優しい顔をしていた。

助手席の依子は、もう取り繕う気もなく、勝者の笑みを私に向ける。

車は走り去り、その場に残されたのは、私一人。

――婚姻関係、法的に無効。

任務失敗。

システムが記憶消去を開始する直前、問いかける。

「本当に、もう一度試さないですか?」

私は、首を横に振った。

長い苦しみが、終わる。そう思うと、不思議と気持ちは軽かった。

「マスター。罰則がすぐに始まります。ご準備ください」

どこか悔しさを滲ませた声。

私は目を閉じ、自嘲を飲み込んで答えた。

「……わかった」

記憶を失う方法など、いくつも想像していた。だが、こんなにも――単純で、乱暴なものだとは、思っていなかった。

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