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第5話

Auteur: 無限
佐藤社長は上着を掴むと、部下を連れて席を立った。

会場に残された面々は、困惑した表情で互いに見つめ合う。

汐里は周囲に頭を下げた。「皆さま、申し訳ありません。すぐに、神谷グループのほうで対処いたします」

会社に戻ると、すでに夜11時近かった。

汐里がデスクに着こうとした矢先、扉が開けられた。

玲を連れた陸が入ってくる。玲は目を赤く腫らし、唇を噛みしめながら陸の後ろに立っていた。

「汐里」陸の声は掠れていた。「玲はわざとじゃなくて、まだああいう席のことが分かっていなかっただけなんだ」

汐里は陸に視線を向ける。「謝るべき相手は、佐藤社長なんじゃないの?」

すると、玲が弾かれたように顔を上げ、震える声で言った。「自分にあんなことをやらせようとした人なんかに、絶対に謝りません!」

陸の顔が曇った。「玲、いい加減にしろ」

玲がぽろぽろと涙を流し、肩を震わせて泣きじゃくる。「陸くんがあんな場所に連れて行ったくせに、今さらうちが頭を下げろって言うの?」

陸が何か言う前に、汐里の秘書である小林美波(こばやし みなみ)が慌ただしく部屋に駆け込んできた。

「社長!佐藤社長が出資をやめるとおっしゃっています。これだと、資金繰りがまずいです」

陸はすぐに腰を上げ、汐里に視線を送る。「会議室に。会議だ」

まだ泣き続けている玲をちらりと見た陸だったが、それ以上彼女を構うことはしなかった。

会議は3時間にも及んだ。

汐里は冷静に対策を練っていたが、陸のほうはどこか上の空だった。

3度目の着信を受けた時、陸は声を抑えて電話に出た。「もしもし?」

電話の向こうからは、鼻を啜る玲の声が漏れてくる。

すると、陸は顔色をさっと変え、急いで立ち上がった。「汐里。急用ができたから、俺は先に行くよ」

汐里の返事すら待たずに、陸は上着を掴むと足早に去っていった。

会議室に数秒の沈黙が流れる。

プロジェクトリーダーが控えめに尋ねた。「汐里さん、代替案は……」

汐里は視線を戻し、ペンを手に取った。「続けるわ。データは明日の朝10時までに出して」

声はいたって冷静だったが、そのペンを握りしめる指の関節は、白くこわばっていた。

深夜2時、やっと一段落がついた。

すると、携帯が光る。陸からのメッセージだった。

【急な出張で出かけることになったから、しばらくは戻れない。体調に気をつけて】

汐里は画面を消し、返信はしなかった。

翌日、汐里は自宅に戻ると、自分の荷物をまとめた。

それからミルキーを抱き上げ、5年間暮らした家を出る。

新しい家は2年前に購入していて、窓からは川が見えた。

猫に餌をやった後、ソファに座り街の明かりをぼんやりと眺めていた。

携帯は静かなまま。

今までなら出張中で、どれだけ忙しくても、朝晩には必ず安否の連絡をくれたのに。

「着いた」とか「もう寝る」というものや、夜景の写真の時もあった。

だが今回は、3日経っても何一つ連絡がない。

その夜、汐里はあるインスタの投稿を見つけた。

海辺で撮られた写真。その中の陸はアロハシャツに身を包み、彼の隣では玲がココナッツジュースを飲んでいる。

別の写真では、二人が肩を寄せ合い、額をくっつけるようにして写っていた。

キャプション欄にはこう書かれていた。【やっぱり南表島の海に来ると、生き返る】

汐里はプロポーズされた日の夜を、ふと思い出した。あの時の彼もそこにいて、海を指差しながら自分にこう言ったっけ……

「汐里、これからは毎年二人でここに来ような」

だが、その約束が果たされることは一度もなかった。

愛の誓いなど、砂浜に書いた文字のように潮が満ちれば一瞬で消えてしまうもの。

汐里は画面を消し、携帯を机に伏せて置いた。

別に胸は痛まない。ただ、麻痺したように痺れるだけ。

汐里は足元の猫を抱き上げ、その温かな毛の中に顔を埋めた。

「もう私たちだけになっちゃった。これからは、ママが幸せにしてあげるからね」

1週間後、陸が戻ってきた。

汐里のオフィスにやってきた陸は、少し疲れた様子で紙袋を手に提げている。

「汐里、通りかかった店でこのスカーフを見かけて。お前に似合いそうだから買ってきたんだ」

汐里はそれを受け取り、中も見ずに横に置いた。「ありがとう」

「ここ最近、大変だっただろ?」陸が近づいてきて、汐里の頬に触れようとした。

だが、汐里はさりげなく身をかわす。陸は行き場を失った手を、何事もなかったかのように下ろした。

「今度、山にでも行ってゆっくりしないか?最近、無理しすぎみたいだからさ」

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