LOGINそれが、怜央の言う「責任」だった。莉乃の心は、完全に折れた。金銭面で以前ほど気前よくしてくれなくても、せめて気持ちの面では埋め合わせてくれると思っていた。だが怜央は、これ以上ないほどきれいに自分を切り離し、直接会うことさえ避けようとしている。自分で看病すると言ってくれたなら、どれほど嬉しかっただろう。怜央は立ち上がった。「もう行く。お父さんに付き添ってもらえ」「行くの?行かないで……お願い」莉乃は涙をため、唇をへの字に曲げて怜央の手をつかんだ。手の甲には、まだ点滴の針が刺さっている。弱々しく、あまりにも哀れに見えた。邦彦もすぐ助け舟を出す。「怜央君、少しでいいから、そばにいてやってくれ。以前だって何度も一晩中付き添っただろう。莉乃は歩けなくなったばかりなんだ。君がいなければ、このショックに耐えられない」以前の怜央なら、その言葉を信じていただろう。だが先ほど、この男が弾んだ声を上げるのを聞いたばかりだった。今見せている苦しみが、本物とは思えなかった。怜央は疑いを抱き、言いなりになる気にはなれなかった。それに、ほかにやらなければならないことがある。莉乃の手をそっと外した。「莉乃、聞き分けてくれ。20年以上君を育ててきた父親がそばにいる。それなら、きっと耐えられる」怜央の視線が邦彦へ向いた。鼻は、先ほど殴られて大量に出血したせいで、真っ赤に腫れていた。それでも莉乃は諦めなかった。「怜央くん、変わってしまったのね。昔はこんな人じゃなかった。私が胃洗浄を受けただけでも、一晩中付き添ってくれたのに。今はもう歩けないのよ」また泣き始めた。「怜央くん、もう18年よ。18年前に出会ってから、毎朝目を覚ました時、一番会いたいのはあなただった。でも、あなたが私にくれる時間は、どんどん短くなった。毎日見ているのは、冷たい天井だけ。もう一晩だけ、そばにいて。あの時、私と結婚してくれなかったことは恨んでいないわ。お互いに事情があったもの。でも人生で一番つらい今だけは、あなたにいてほしい」莉乃の目から、大粒の涙が二つこぼれた。怜央にも罪悪感はあった。以前結婚を約束しながら果たさなかったことを持ち出されるたび、胸が痛んだ。莉乃は震える腕を伸ばし、怜央の腰にしがみついた。「怜央くん、そんな
そこへ看護師が通りかかった。扉の前に立ち続ければ怪しまれる。怜央はスマホをしまい、そのまま病室へ入った。姿を見るなり、邦彦はたちまち表情を変えた。悲痛な顔で涙を拭い始める。先ほどの会話は理解できなかったが、邦彦の言葉の響きははっきり覚えている。ほとんどそのまま再現できるはずだ。今は気づかないふりをし、何を話していたのか調べることにした。平静な顔で病床に近づき、わずかに身をかがめた。「莉乃」莉乃の頬には涙が残り、手術の失敗を信じられないように呆然としていた。怜央の声を聞くと、ゆっくり顔を向け、突然声を上げて泣き出した。「怜央くん、私の脚が……一番大切なものを失ってしまったの!」怜央はベッドの端に腰を下ろし、肩を軽く叩いた。「莉乃、強くなるんだ」莉乃の目から涙が次々とこぼれた。「脚を失ったのよ、怜央くん。もう歩けないの」「まだ若い。治る可能性はある。国内にも難しい病気を治療する名医は大勢いるし、鍼治療だって試せる。俺が探す」「治らないわ。外科医療が一番進んでいるここでも治せなかった。この先の人生は、もう終わりよ」莉乃は泣き続けた。怜央はしばらく考え、カードを1枚取り出して前に置いた。「少し金が入っている。気分が沈んだ時は、好きなものでも買えばいい」莉乃の泣き声が、ぴたりと止まった。すぐカードをつかむ。以前、怜央の意思に逆らい、薬まで使って一夜を共にしたあと、すべての家族カードを止められた。ようやく再び自由に使えるカードが手に入り、心が弾んだ。買い逃したバッグを、全部買い戻せる。実際には脚も治っている。悲しみなどなく、苦痛はすべて演技だった。邦彦が尋ねた。「いくらまで使える?」「1億円です。暗証番号は123456。俺からの、せめてもの気持ちです」莉乃の顔がたちまち曇った。たった1億円しかないとは思わなかった。以前なら服1着にも足りない額だ。邦彦も不満をあらわにした。「1億円だけか?怜央君、あまりにけちじゃないか」怜央にも少ないことは分かっていた。だが莉乃が御堂家の本邸で騒ぎを起こして以来、金の出入りはすべて宗一郎に監視されている。大金を動かすことはできず、このカードも助手の名義で作ったため、怜央とは結びつかないものだった。「額は気にしないでく
その時、隣の病床からすすり泣きが聞こえた。「パパ、やめて……」二人が振り返ると、細く小柄な莉乃が病床の上で身体を丸めていた。目を開けた顔は涙で濡れ、弱々しい声で言う。「パパ、怜央くんを責めないで。わざとじゃないの」目を背けたくなるほど痛々しい姿だった。邦彦はそばのティッシュを取り、血の出た鼻を押さえた。その表情も、ひどく苦しそうに見える。怜央はうつむいた。「すみません。少し取り乱しました。外で気持ちを落ち着かせてきます」背を向け、そのまま病室を出た。莉乃が何度呼んでも、まるで聞こえていないようだった。怜央の姿が消えると、邦彦は故郷の方言で、下品な罵り言葉を吐き始めた。 その顔つきは次第に険しくなり、今にも誰かに襲いかかりそうなほど凶悪なものに変わっていった。「あの女、いったいどんな手を使ったんだ。怜央君はあの尻軽女と結婚してから、お前にどんどん冷たくなった」怒りで首筋をこわばらせながら続けた。「あの女さえいなければ、とっくにお前が御堂夫人だった。大学時代、怜央君はお前の願いなら、ほとんど何でも聞いたじゃないか」莉乃はうなずいた。「パパ、この世に紗和さんなんていなくて、私だけだったらよかったのに」鼻の奥がつんと痛んだ。莉乃は紗和が妬ましくてたまらない。特に大学時代、紗和は何をしても人目を引いた。莉乃より数年早く入学し、早くから学内一の美女として知られるようになり、その評判は卒業するまで揺らぐことがなかった。一方の莉乃は、在学中、一度もその座に選ばれなかった。それどころか、「第二の紗和」とまで呼ばれていた。紗和が卒業したあとでさえ、学内一の美女といえば、毎年のように彼女の名前が挙がるほどだった。本来なら学内の男子学生からもてはやされるはずだった地位を、紗和に奪われたと思っている。その後、紗和が怜央と結婚すると、莉乃の嫉妬はさらに強くなった。まるで、自分がずっと目をつけていた獲物を、横からさらわれたような気分だった。紗和のような女に、御堂夫人の座はふさわしくない。そこに座るべきなのは、自分だけだ。怜央が出てから少し時間がたつと、邦彦は方言のまま声を潜めた。「あの教授を買収するのに大金を使ったが、ばれないだろうな?」「大丈夫よ、パパ。絶対に問題ないわ。もと
「怜央君!莉乃の手術が失敗した!」電話に出ると、邦彦のひどく悲痛な声が聞こえた。同時に、ハーバート教授から謝罪のメッセージも届いた。【12時間の予定だった手術は18時間かかり、先ほど終了しました。感染の影響で、神経の状態が芳しくありません。損傷があまりに重く、今後歩けるまで回復しない可能性があります】画面を読みながら、邦彦のすすり泣きを聞いた。「怜央君、早く莉乃に会いに来てくれ。君がいなければ、こんなショックには耐えられない」怜央は長く黙り込んだあと、ようやく尋ねた。「もう、治らないんですか」邦彦は小さな声で「ああ」と答えた。怜央は結局、何よりも優先していた紗和の捜索を中断した。本当なら飛行機で別の国へ向かい、必ず紗和を見つけ、治療と回復に付き添うつもりだった。だが今は、紗和より莉乃のほうが自分を必要としているように思えた。ちょうど近くまで来ていたこともあり、予定を変え、運転手に病院に入るよう命じた。胸には、わずかな罪悪感もあった。ダイソンを呼べなければ、本当に手術が成功しないとは思わなかった。自分なりに全力を尽くしたつもりではいた。法外な報酬を提示して懇願したのに、ダイソンが原則を曲げず、紗和が再び歩けるようになるまでは、ほかの患者を手術しないとまで言った。結局のところ、莉乃を連れてこなかったのは、彼女の怪我を甘く見ていたからだ。もし歩けなくなるのが紗和だったなら、どんな犠牲を払ってでも、銃を突きつけてでも医師を連れてきただろう。自分の軽視が、これほど深刻な結果を招いた。莉乃がこの先ずっと車椅子で暮らすのなら、あまりにも残酷だ。何より、莉乃は無実で、この件の被害者なのだと、怜央はまだ信じていた。紗和は莉乃こそすべての元凶だと思っている。だが怜央には、今回のことはあくまで子ども自身が仕返しをしただけに思えた。何も悪くない莉乃が、そのせいでここまでひどい目に遭わされるのは、あまりにも理不尽だった。病室へ入ると、邦彦が目を真っ赤にして詰め寄った。「怜央君、莉乃を必ず治すと約束しただろう!それなのに、この子はもう歩けない。これからどう生きていけばいいんだ!」紗和が行方をくらまして以来、怜央は昼夜を問わず捜し続け、心身ともに疲れ果てていた。紗和の怪我をきっかけに夫婦関係を
看護師は、もう一度首を横に振った。「分かりません。ただ、訪ねてきた方に渡してほしいと、手紙を残されています」怜央の目が明るくなった。やはり紗和が自分を完全に無視するはずはない。きっと転院先が書かれている。「早く、渡してください」看護師が封筒を探し出して手渡すと、怜央はすぐ開いた。以前、紗和は何通もラブレターを書いてくれた。同じような封筒を受け取っても、開きさえしなかったことがある。だが今は、待ちきれないように便箋を取り出した。書かれていたのは、わずか2行だった。【御堂怜央。私たちの夫婦関係は、もう終わった。これからは、生きようが死のうが、お互い何の関係もない】怜央は便箋を見つめたまま、凍りついた。涙だけが、一粒ずつこぼれ落ちる。離婚協議書なら、まだ話し合いの途中であり、同意しない権利も残されている。だが、これは違った。紗和からの一方的な宣告だった。もう夫婦としての情はなく、自分の人生に二度と口を出してほしくないと告げている。怜央の心は、後悔に押し潰された。絶叫したかと思うと、あまりの苦痛に意識を失った。驚いた看護師が当直医を呼び、救命処置を行った。目を覚ました怜央は、すぐ子どものように泣き始めた。皺だらけになった手紙を、強く握りしめていた。生きようが死のうが、お互い何の関係もない。文字を追うたび、胸の奥を抉られる。紗和は本当に、自分を捨てたのだ。これほどの痛みを感じるとは、思っていなかった。邦彦に騙され、利用されなければ、あれほど残酷に医師を譲れと迫ることもなかった。今になって、自分が紗和にどれほど卑劣なことをしたか気づいた。あの時の紗和は身体を傷つけられ、未来への不安におびえていた。夫である自分は、そばを離れず、一緒に苦難を乗り越えるべきだった。手術を受けられるよう支え、両脚が元どおりになるまで看病しなければならなかった。それなのに、責め続け、傷つけ続けた。最も助けを必要としている時に見捨てただけでなく、治療まで受けさせまいとした。紗和の怪我をきっかけに、夫婦の関係を修復できるかもしれなかった。だが、その唯一の機会を自分で潰した。8年の愛を、自ら終わらせたのだ。後悔で気が狂いそうだった。わざとではなかった。こんなことになるとは思わなかった
ボディガードは、電話の向こうから受けた返事を伝えた。「望月さん、まずは手術に専念するようにとのことです。時期が来れば、必ずお会いになるそうです」紗和の目に失望がよぎったが、すぐ平静を取り戻した。そして、少し頼みにくそうに別の願いを口にした。「誰にも見つからない病院へ移ることはできますか。今すぐここを離れたいんです。これ以上、あの人につきまとわれたくない。九条会長に手配をお願いできますか?」あの人とは、怜央のことだった。ダイソン医師を連れ出せなかった怜央が、仕返しや嫌がらせに戻ってくるのではないかと心配だった。過去の情など一切顧みず、何を頼んでも医師を奪おうとした姿が、あまりにも恐ろしかった。また戻ってきて、さらに過激な手段に出るかもしれない。九条会長の助けで予定どおり手術を受けられることにはなった。だが術後も、細心の注意を払わなければならない期間が続く。怜央や莉乃に回復を邪魔されたくなかった。身体が弱っている今、本当に怖かった。手術の結果や、再び立てるようになるまでの時間に影響するものは、何一つ近づけたくない。思いついたのは、怜央が決して見つけられない場所へ、すぐ移ることだった。ボディガードは紗和の気持ちを理解しているようだった。征臣に再び電話をかけたあと、答えた。「承知しました。今は邪魔が入らない環境が必要だと、会長もお考えです。こちらのプライベートジェットで、会長所有の城へお連れします。居場所が外へ漏れることはありません。医療チームも全員同行し、最善の看護をいたします。どうかご安心ください」紗和の胸の奥が熱くなった。会ったことさえない相手でも、今の自分がどれほど弱く、邪魔されてはいけない状態かを理解してくれる。それなのに怜央は、莉乃のためなら何もかも押し通し、紗和の心を傷つけ続けた。その夜、プライベートジェットが紗和を迎えに来た。彼女は別の国へ渡り、完全に回復するまで治療を受けることになる。*莉乃の病状を邦彦が誇張していたと知るや、怜央は彼女をその場に残し、休む間もなく紗和のいる病院へ引き返した。しかし怜央の車が病院へ入った時には、紗和を乗せたプライベートジェットはすでに空高く飛び立っていた。機内では、フルーツもフラワーティーもアロマの香りも、ソファの硬さも、空気の湿度ま







