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第317話

Author: 夜月 アヤメ
松本若子は思わず光莉の袖を引っ張り、力強く首を振りながら口の形で「彼にいつ空いてるか聞いて、待ってあげて」と伝えた。

光莉は若子の熱意に少し驚き、軽く咳払いをして、手に持っていた煙草を灰皿に押し付けた。「じゃあ、いつなら空いてるの?ずっと忙しいなんてことはないでしょ?」

しかし、修の返答は冷たかった。「俺はずっと予定が詰まってる。会う時間はない」

その無情な拒絶に、光莉の眉がわずかに寄り、胸に鋭い痛みが走った。彼女の息子が、自分と食事をする気がないのが明白で、母親として心が締め付けられるようだった。

若子が何か言う前に、光莉はもう少しだけ努力してみようと思った。「本当に少しも空いてないの?せめて30分だけでも時間を取れない?」

「悪いが、無理だ」と修は素っ気なく答えた。

光莉は手の中のスマホを握りしめ、苦笑を浮かべた。「分かったわ。忙しいなら仕方ない。じゃあ邪魔しないでおくわ」

その瞬間、松本若子は光莉の手からスマホを奪い取り、電話の向こうの修に向かって強い声で呼びかけた。「修!」

修はその懐かしい声を聞いて驚き、「若子......お前なのか?」と返してきた。

「そうよ、私よ」と若子は言い、さらに続けた。「今、私はあなたのお母さんのところにいるの」

「どうしてお前がそこに?」

「どうでもいいでしょ、そこにいる理由なんて」若子は冷静に言い返し、「お母さんがあなたを食事に誘ったのに、どうして断るの?」と追及した。

「俺には時間がないんだ」

「嘘ばっかり!」若子は真剣な口調で言った。「桜井雅子と過ごす時間はあるし、無駄な喧嘩をする時間もある。半端な理由で人を引っ張り回す時間も、私を夜中に家に連れ戻す時間もあるのに、お母さんと食事する時間だけがないって言うつもり?」

伊藤光莉は松本若子を驚いた目で見つめ、その表情には信じられないという色が浮かんでいた。

まさか、若子がこんなに豪胆な一面を見せるとは思わなかったのだ。

若子が藤沢修を叱りつける様子は、まるで親が子供を躾けるかのようだった。

その修も、若子の勢いに気圧されたようで、しばらく言葉を失っていた。

堂々たるSKグループの総裁である彼が、まさか自分の元妻に叱られ、言い返せずにいるとは。

「何黙ってるの?」若子は眉をひそめて、「何か言いなさいよ」と促した。

「そんなに、俺と彼女に一緒
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