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第233話

Author: かおる
清子はその言葉に、顔が一瞬にして紅潮したり青ざめたりし、あたふたと言い訳を始めた。

「葛西先生、誤解です......わ、私、お昼を食べてなくて......ただ雅臣と一緒に食事に行きたかっただけなんです」

葛西先生は容赦なく言い放つ。

「一時間だけ時間をやる。

一時間以内に戻らなければ、その分遅らせて帰ることになる。

二時間戻らなければ、二倍だ」

雅臣は眉をひそめた。

「葛西先生、その条件は厳しすぎでは」

「規律なくして形は作れん。

おまえも会社の社長だろう。

社員の遅刻や早退を許すか?」

雅臣は答えた。

「しかし、彼女は社員ではない」

葛西先生は冷笑した。

「わしは不治の病を治そうとしているんだ。

金も取らずに、ただ雑務を数日手伝えと言っているだけだ。

それすらできないなら、命を惜しんでいないということだ。

そんな者に、全力で救う価値があるか?」

雅臣は言葉を失った。

清子は胸に息がつかえて、思わずこのいかさま師をその場で罵りたい衝動に駆られた。

――この老人はわざと自分を困らせている。

だが、ここで牙をむけば、自分の嘘がすべて露見してしまう。

きっとこれは星の仕業だ。

この女と手を組んで、自分を陥れようとしているに違いない。

そう思うと、星への憎しみがさらに深まった。

雅臣は清子を見て問う。

「清子、俺と一緒に検査に行くか、それともここに残るか」

彼も愚かではない。

彼女の傷など大したことがないと分かっていた。

包帯すら不要、病院に行くまでもない。

すでに傷は塞がっているのだ。

清子はこの機会に抜け出すつもりだったが、葛西先生の言葉で動けなくなった。

半日も過ごしたというのに、今帰れば一日分延長になる。

計算に合わない。

彼女は無理に笑みを作り、答えた。

「いいえ、雅臣。

あなたは仕事に戻って。

私は大丈夫だから」

雅臣は時計を見やり、まだ会議が控えていることを思い出した。

ここに長居する暇はなかった。

彼女の言葉にうなずき、

「分かった。

では会議に戻る」

そう言い残して、背を向け去って行った。

清子が振り返ると、星が彼女を見ていた。

唇には嘲るような笑み。

その目は「あなたなんて大したことない」と語っていた。

清子は無意識に唇を噛みしめる。

――雅臣は、私が昼を食べ
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Comments (1)
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Remi Kumano
今1番楽しみにしているお話です。
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