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第446話

Author: かおる
星はそう言い残し、病室を後にした。

数日後、奏を陥れようとした一家は警察に逮捕された。

警察は奏の潔白を証明し、世間に向けて「子どもは奏のものではなく、女側が独断で機関の職員を買収したものだ」と説明した。

これでようやく、奏を巡る騒動は決着を見た。

星が事前に彩香へ根回しをしていたおかげで、新しいスタジオはすぐに稼働を始めた。

凛もすでに曲の練習に取りかかっている。

その日、星が凛と音楽会の段取りについて話していると、勇から電話がかかってきた。

「お前のオリジナル楽譜を清子の会場まで届けろ。

今日、彼女はその曲を演奏するんだ」

今の勇は、清子の半ばマネージャーのような存在だ。

もともと放蕩息子で、会社の仕事にはまったく身が入らなかったが、清子のコンサートが迫ってきたため、つきっきりで手伝っているのだ。

星は冷ややかに答えた。

「住所を送って」

数秒後、勇から住所が送られてきた。

「送ったぞ。

遅れるんじゃない。

今日は大事な舞台だからな。

清子の演奏に支障が出たら、ただじゃおかないぞ。

俺は雅臣みたいに甘くないからな」

送られてきた住所はクルーズ船だった。

どうやら今日の清子の舞台は、そこで行われるらしい。

だが星は知っている。

清子はまだ自分の曲を練習していない。

今日の演奏で披露できるはずもない。

つまり勇が彼女を呼んだのは、単に「清子はこれほど順風満帆に舞台を用意されている」と見せつけるためだろう。

彩香は勇の企みを警戒し、わざわざ裏を取ってきてくれた。

「調べたんだけど、今日の公演は上流階級向けで、海外の大物たちまで招かれているみたい。

それに......」

彼女は言葉を区切り、星の表情を窺った。

「今回の音楽会は、ワーナー先生が主催しているの。

あの人にしか、これほどの財界人を動かす力はない。

どうやら本格的に清子を育てるつもりらしいわ」

清子がワーナー先生の弟子になったばかりで、もう上流社会を前に演奏できるとは、それだけで彼女への重視が分かる。

さらに清子には雅臣と勇の後押しがあり、そこにワーナー先生の強力な資源が加わる。

彼女の出発点はあまりにも高い。

星の才能と実力がどれほど優れていても、短期間で追い越すのは容易ではない。

普通の家庭で育った子どもと、裕福な家で徹底的に養成された
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