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第6話

Author: 宗正安奈
鞭が空気を切り裂き、鋭い音を立てた。

次の瞬間、依織の背中へ激痛が走り、傷口から血がにじんだ。口には布を詰められ、叫ぶことさえできない。声にできない苦しみは逃げ場を失い、全身へ広がっていった。

息をつく間もなく、次の鞭が振り下ろされる。

乾いた音が何度も響き、閉ざされた部屋の中で不気味に反響した。

依織は床へ体を丸め、耐えきれない痛みに震えた。やがて口元の布が緩むと、どうにか顔を上げ、かすれた声を絞り出した。

「こんなこと……許されるはずがない……」

誰も耳を貸さない。床へ落ちた血の匂いが、よどんだ空気と混じり合っていた。

暴行は途切れることなく続き、意識は次第に遠のいていく。気を失いかけるたび、冷たい水を浴びせられ、無理やり目を覚まされた。

依織は意識をつなぎ止めるため、心の中で数を数え続けた。

999。

そこまで数えたところで、もう次の数字は浮かばなかった。

絶望にのみ込まれそうになっても、歯を食いしばって耐えるしかない。父が待っている。ここで死ぬわけにはいかなかった。

やがて男たちは手を止め、床で小さく丸まった依織を足先で小突きながら笑った。

「久世社長の言ったとおりだ。金のためなら、どんな苦しみにも耐える女らしい」

「奥様、これからはよく覚えておくんだな。逆らわず、言われたとおりにしていればいい」

依織は返事もせず、静かに目を閉じた。

これで終わると思ったとき、再び扉が開いた。今度は数人の女性が入り、依織を取り囲んだ。

「久世さん、騒ぎを起こしたらどうなるのか、よく分からせるようにと命じられています。悪く思わないでくださいね」

熱湯や熱を持った器具まで使われ、依織は生きていることさえ恨みたくなるほどの痛みに襲われた。

床をつかんだ指へ力を込めすぎ、爪の何枚かが割れた。

壁の時計は、とっくに約束の3時間を過ぎている。それでも、誰も依織を解放しに来なかった。

依織は自嘲するように口元をゆがめた。

――どうして、まだ暁人の言葉を信じたのだろう。

空が白み始め、水をかけても反応しなくなった頃、ようやく暴行は終わり、依織は病院へ運ばれた。

再び意識が戻ったとき、近くで看護師2人が小声で話しているのが聞こえた。

「聞いた?久世社長、白石さんを助けるために、意識の戻らない義父まで連れてきたそうよ」

「聞いたわ。白石さんと血液型が合うからって、担当医が『緊急時の特例』で採血すると言い張っているそうね」

依織の全身が凍りついた。看護師の言葉が、雷のように胸の中で響く。

傷だらけの体を無理に起こし、制止する看護師を振り切って点滴を抜くと、病室を飛び出した。

寧々の病室へたどり着くと、暁人が医師へ採血を急がせているところだった。

依織はその足元へひざまずき、両腕で強くすがりついた。

「お願い、暁人。やめて。お父さんは何年も意識不明のままなの。体の機能も弱っているし、血を抜いたら本当に死んでしまう!お願い……私には、もうお父さんしかいないの!」

暁人は依織を見下ろした。全身に刻まれたひどい傷へ視線を止め、一瞬だけ胸を痛めたような色を浮かべる。

だが、「父しかいない」という言葉を聞いた途端、その目は冷たくなり、抑えきれない怒りがにじんだ。

「寧々が大出血したのは、お前のせいだ。お前の父親が助けるのは当然だろう」

暁人は視線をそらし、護衛を呼んで依織を引き離した。そのまま病室へ入り、医師へ命じる。

「始めろ」

「やめて!」

依織は泣きながら頼み続けたが、護衛に両腕を押さえられ、廊下へひざまずかされた。尊厳も力も、何も残っていない。

絶望、恐怖、悲しみ、怒り。あまりにも多くの感情が胸を塞ぎ、依織は激しく咳き込んだ。口の中へ血の味が広がり、そのまま床へ倒れた。

次に目を覚ましたとき、依織は自分の病室へ戻されていた。父を捜しに行こうと起き上がった彼女を、医師が止めた。

「久世さん、残念ですが、お父様は臓器不全で亡くなられました。長年意識が戻らない状態で、ここまで生きてこられたこと自体が奇跡です。どうか、あまりご自分を責めないでください」

雷に打たれたようだった。

依織は胸を強く押さえ、声を失った。口を開いても息さえ漏れず、涙も1滴も出ない。

人は本当に耐えられないほど苦しむと、泣くことさえできなくなるのだ。

医師を押しのけ、裸足のまま、抜け殻のように霊安室まで歩いた。

白い布をめくり、父の顔を見た瞬間、ようやく自分がすべてを失ったのだと分かった。

依織はその場へひざまずき、声を上げて泣いた。

「お父さん……ごめんなさい。私が間違った人を愛したせいで、お父さんまで死なせてしまった……!」

2日後、依織は退院した。

たったひとりで父の葬儀を終えたその日、弁護士から、8年前に預けていた離婚届が受理されたとの連絡が入った。

久世姓を捨て、彼女は8年ぶりに神崎依織(かんざき いおり)へ戻った。

けれど、もう新しい人生を始める力は残っていなかった。

依織は海辺へ向かい、何も思い残すことがないかのように、防波堤から身を投げた。

その体は、果てしなく広がる暗い海へ沈んでいった。

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