LOGIN結婚して八年目、ようやくクラウドの子どもを授かった。 六度目の体外受精、これが最後のチャンスだった。医者からは「もうこれ以上は体がもたない」と言われていた。 胸がいっぱいで、この嬉しい知らせを彼に伝えようとした。 だが結婚記念日の一週間前、匿名で送られてきた一枚の写真を受け取った。 写真には、彼が別の女の妊娠した腹に口づけをする姿が写っていた。 その女は、彼が幼い頃から共に育った幼なじみ。彼の家族も見守ってきた存在で、優しくて従順で、ご両親が理想の嫁だと褒めていた女。 一番滑稽なのは、彼の家族全員がその子どものことを知っていて、ただ私だけが何も知らされず笑いものにされていたという事実だった。 血を吐くように必死に支えてきたこの結婚は、結局彼らが仕組んだ優しいふりをした欺瞞に過ぎなかった。 もういい。 クラウドなんて、私はいらない。 私の子だけは、嘘にまみれた世界で産んでやるわけにはいかない。 別れを決め、八周年記念の日の航空券を予約した。 その日、彼は私をバラの海に連れて行ってくれるはずだった。 それは結婚前に彼が私に約束したことだった。私だけのために、バラの海をプレゼントすると。 けれど待っていたのは、薔薇園の前で妊娠した幼なじみと抱き合い、甘い口づけを交わす彼の姿だった。 私は背を向け、その場を去った。 すると彼は、狂ったように私を探し回った。 「行かないで、頼むよ!俺が悪かった。だから行かないで」 彼は世界で最も美しいバラをローズガーデンに植えた。 ようやく彼は、私との約束を思い出したらしい。 しかし、もう私には必要なかった。
View More半年後、私は相変わらず旅を続けていた。ただ、今度は私のそばに、一緒に旅をするが人増えていた。 途中で一度帰国し、クラウドと離婚した。 クラウドがどう考えたのかはわからないが、あの日の電話の後、彼は意外にも離婚に同意した。 それどころか、離婚協議書を修正し、財産の大部分を私に渡すことにしたのだ。 もらえるものはもらわなきゃ損だ、そんな気分で私はあっさり署名した。 久しぶりに会ったクラウドは以前よりずっと痩せていて、まるで骨と皮だけみたいに見えた。 彼の生活がとても荒んでいるのは一目で分かったが、それはもう私には無関係だった。 ただ、私の隣に立つセオドをクラウドが見た瞬間、その顔は凍りついた。 彼は悟ったのだ。私にはすでに新しい相手がいて、もう二度と彼に出番はないと。 彼はまだ必死に離婚を思い止まらせようと口を開きかけたが、セオドが前に出て彼を遮り、一言も私に話させなかった。 今回の帰国では、弟にも会いに行った。 弟がマペルを突き倒し、一度に二つの命を奪ったことで、最終的に故意殺人とされ刑務所に入れられたことは、もう知っていた。 面会室でガラス越しに弟が私を見た瞬間、彼は興奮してガラスに身を押し付けてきた。 私は受話器を取り上げ、電話口から聞こえてきたのは嗚咽まじりの声だった。 「姉さん……俺、間違ってた。罰はちゃんと受けてる。 許してほしいなんて言わない。ただ、これからも弟として認めてもらいたい。たまに会いに来てくれないか、姉さん」 幼い頃から私が育ててきた弟だ。クラウドに対したように冷酷にはなれない。 「私はずっと旅をしてる。でも……もし機会があれば、会いに来る」 離婚が成立すると、セオドは私以上に浮かれていた。 「アンジェリーナ!やっと離婚できたんだね!これで俺、正式に君を口説けるぞ!」 子供のように満面の笑みを浮かべるセオドにつられ、私も笑顔になってしまった。 さらに半年が経ち、私は少しずつセオドを受け入れ、心を開くようになった。 そんなある日、生理がいつまで経っても来ないことに気づいた。普段はきっちりしているのに。 信じたくない気持ちを押し殺しながら、妊娠検査薬を買った。 トイレから出てきた私の前に、一枚の手術同意書が差し出された。 「アンジェリーナ、君が気にし
ここから数か月間、私は一つの街に七日間だけ滞在して、すぐに次の街へと移動する暮らしを続けた。 クラウドの連絡はいつも一歩遅く、いつも私と行き違いになる。 けれどセオドだけは、毎回正確に私の次の行き先を突き止めてしまう。 そんな彼の存在にも、私はだんだん慣れていった。 そのうち、私の方から次に行きたい街のことをセオドに話すようになり、一緒に計画まで立てるようになった。 その間もクラウドは執拗に番号を変えて電話をかけてきて、私はうんざりしていた。ある日、仕方なく一本だけ出てみた。 電話越しのクラウドは心底驚いた様子だった。 「やっと電話出てくれた!話を……」 私は冷たく遮った。 「もう話すことなんてないわ。裁判所からの呼び出し状、もう届いてるはず。できるだけ早く離婚の手続きを済ませましょう」 クラウドの声は震えていた。 「離婚だけはやめよう、全部俺のせいだ」 「だから?私の二人の子供を生き返らせられる?マペルと寝た事実をなかったことにできる? 離婚以外、もう私に関わらないで。汚らわしい」 そう言って私は電話を切った。 顔を上げると、セオドがすぐそばに立っていた。 彼は何も聞いてないふりをしながら、手に取った一粒の手作りチョコを差し出す。 「ここのチョコ、有名なんだ。食べてみる?」 私はため息をついて、この話題を避けるのはやめた。 「セオド……私とクラウドのこと、もうネットで大騒ぎになってる。あなたも知ってるんでしょ。 私はもう若くないし、結婚歴もある。あなたは独身で、他にもっとたくさんの選択肢がある。私より若くてきれいな人なんて、いくらでも」 セオドは私の口に無理やりチョコを押し込み、そのほろ苦く濃厚な味が舌先へ広がった。 「でも、その中に君はいない。昔のことは全部もう過去だ。俺が結婚しなかったのは、好きな人が既に結婚していたからだよ。 でも素晴らしいことに、その好きな人が離婚したから、俺にはまた彼女を追うチャンスができたんだ」 胸の一番柔らかな場所に触れられ、鼻の奥がツンとした。 「アンジェリーナ……俺にチャンスをくれないか?」 私は揺れる気持ちを抱えつつ、どうしても先に確かめたいことがあった。 「その前に答えて。どうして私の次の行き先が分かるの?」
私が家を出て最初の一か月、昔から憧れていた海辺の街へ向かい、心身を癒やすことにした。 そこで偶然、大学時代の先輩――セオドに再会した。 知らない土地で、流産のあとの体もまだ弱っていた私にとって、その一か月彼の助けはとても大きかった。 けれど私は感情に敏感だった。セオドの瞳に、友情だけではない想いが宿っていることを感じ取った瞬間、別れを告げて次の街に向かった。 クラウドがネットに出した謝罪は、見なくても耳に入ってくる。 深刻そうな態度に、一部の人は「浮気にも事情がある」と擁護の声を上げた。 まして普段の彼が私に優しかったことを理由に、「アンジェリーナは彼を許すべきだ」と語る人も少なくなかった。 でも、クラウドの裏切りを知った時点で、私に戻る選択肢はなかった。 二つ目の都市では半月ほど滞在した。だが気候が合わないこともあり、また移ることを決めた。 出発前日、買い物に出かけた時―― 「アンジェリーナ」 振り向くと、そこにセオドが立っていた。 「アンジェリーナ、本気なんだ。学生の頃に言ったこと、あれは今でも変わらない」 彼に想いを告げられたのは学生時代のことだ。 だが当時の私は勉強やアルバイト、そして弟の世話で忙しく、恋愛に気を向ける余裕など微塵もなかった。 呆然とする私に、セオドは言葉を重ねる。 「すぐに答えを出さなくていい。時間はかかってもいいさ。その間、君の生活を邪魔するつもりはない」 私は首を振った。 「でも、私はもうすぐこの街を離れるの。次はどこに留まるかも分からないし、いつ出ていくかも分からない」 セオドは柔らかく笑い、言った。 「大丈夫さ。次の街でもきっと会える。信じて」 その時はただの口から出まかせに思えた。 「そうね、じゃあ次の街でね」 そう言って彼をすり抜け、その場を去った。 その晩、私がこの街にいる写真がネットに流れた。クラウドも見たに違いない。 案の定、彼のアカウントから一行の投稿があった。 「待っててくれ」 私は気にせず眠りにつき、翌朝には飛行機で次の街へと向かった。 クラウドが駆けつけた頃には、もう私は別の都市に到着していた。 その翌日、不思議なことにまたもセオドと街中で鉢合わせた。 「どうして……?」と疑問に思ったけれど、彼
クラウドの呼吸はどんどん荒くなり、怒りを必死に押し殺していた。 もし今、電話の相手がアンジェリーナで、この会話を聞いてしまったら……彼女はどんな気持ちになるだろうか。 「マペル、死にたいのか!」 受話器の向こうが一瞬静まり返り、数秒経ってからマペルが震える声で答えた。 「クラウド……違うの、誤解よ。聞いて、説明するから」 クラウドはそれ以上聞く気もなく、電話を切った。 彼はもうマペルを絶対に許さないと心に決める。 その時、屋敷の前に車が停まり、アンジェリーナの弟が勢いよく飛び出してきた。 彼はクラウドの胸ぐらを掴み、感情をむき出しにして問いただす。 「姉ちゃんはどこだ!なんで連絡がつかないんだ!」 クラウドはふいに笑い出した。 「もういないよ。俺のことも、お前のことも、いらなくなったんだ」 「ふざけるな!姉ちゃんが俺を見捨てるわけないだろ!」 クラウドはすべての事情を弟に話した。 弟の顔色はみるみる強張り、やがて動揺に飲み込まれていく。 「でも、俺は姉ちゃんのためを思って!この何年間、姉ちゃんはずっと体外受精をしていて、体もどんどん悪くなっていった。お前のお母さんからのプレッシャーもすごくて、耐えきれなくなるんじゃないかって心配だったんだ。だからマペルのことを知った時も、姉ちゃんには言わなかった。マペルの子を養子に迎えれば、少しは楽になるんじゃないかって思ったんだ」クラウドは鼻で笑った。 「結局、俺たちみんな『アンジェリーナのため』だと自分に言い訳してたんだ。でも彼女自身が望んでたかどうかなんて、誰も考えてなかっただろ。 だから捨てられたんだ。今の状況は、全部その報いだ」 弟の脳裏に、あの日の光景が蘇った。 アンジェリーナが去る直前、車の中から彼に向けてくれた最後の一瞥。 あり得ない。子供のころからずっと守ってくれた姉ちゃんが、自分を見放すはずがない。 きっと全てマペルのせいだ。姉ちゃんは怒っているだけで、本当に自分を捨てたわけじゃない。 そんな妄執に支配され、弟の思考に狂気が芽生えた。 ちょうどその時、慌てた様子のマペルが駆けつけてきた。 弟は彼女の膨らんだ腹部にじっと視線を落とし、マペルは思わず身を強張らせた。 しかし弟はいつも通り優しげに振る舞い、気遣う
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