Short
結婚式前日、私は新郎を別の男に替えた

結婚式前日、私は新郎を別の男に替えた

By:  べつにCompleted
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
12Chapters
20views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

結婚式を目前に控えたある日、ブライダルプランナーと会った。 「藤崎様、タキシードは新郎様の採寸に合わせてご用意しております。本当にサイズを変更してよろしいですか?」 私はうなずいた。 「はい。新郎が替わったので」 2日後には、私・藤崎琴葉(ふじさき ことは)と黒川遼(くろかわ りょう)の結婚式が予定されていた。 式場を決めたのも、招待状をデザインしたのも、ウェディングドレスとタキシードを選んだのも、すべて私一人だった。 遼にも一緒に考えてほしいと頼むたび、彼はうんざりしたように言った。 「知ってるだろ。俺、そういう演出とか好きじゃないんだ。そんな細かいことで、いちいち俺を呼ばないでくれ」 ところが昨日、彼のパソコンから、昔のプロポーズを撮影した動画を見つけた。 5時間に及ぶ映像のうち、4時間は遼が会場を念入りに飾りつける様子だった。 残りの1時間、彼は用意したすべてを興奮気味に相手へ見せて回り、最後にひざまずいて言った。 「美羽、俺と結婚してくれ」 美羽――相沢美羽(あいざわ みう)。 遼からは、幼い頃からの友人だと聞かされていた。 今では私の親友でもあり、結婚式ではブライズメイドを務めてもらうはずだった。 新しいサイズを伝え、運ばれていくタキシードを見送っていると、なぜか涙が止まらなくなった。 プランナーは驚き、慌ててティッシュを差し出した。 「藤崎様、どうなさいました?」 私は涙を拭った。 「何でもありません。式に間に合うよう、できるだけ早く直してください」

View More

Chapter 1

第1話

ドレスショップを出た私は、遼と暮らしていた部屋へ戻った。

玄関を開けると、彼がしゃがみ込み、靴擦れ防止用のパッドを手慣れた様子でハイヒールのかかとに貼っていた。

淡いピンクの細いヒール。サイズは23.5センチだった。

23センチの私の靴ではない。

私の視線に気づいた遼は、靴を箱に戻してきちんと置くと、何でもないことのように言った。

「ブライズメイド用に美羽が買った靴、うちに届いたんだ。あいつ、新しい靴を履くとすぐ靴擦れするから、貼っておこうと思って」

「そう」

それだけ答え、靴を履き替えて部屋へ入った。

リビングへ行くと、ローテーブルの上にケーキが置いてあった。

「さっき店の前を通って、ケーキが食べたいって言ってたのを思い出したから買ってきた」

遼は歩み寄り、気を利かせたつもりなのか、ケーキを私の前へ押し出した。

「私、食べられない」

「え?」

「チョコレートアレルギーだから」

彼は一瞬固まった。

「悪い。忘れてた」

美羽が新しい靴で靴擦れすることは覚えているのに、私がチョコレートを食べられないことは忘れている。

何も言わない私を見て、遼は話題を変えた。

「今日の午後、どこに行ってたんだ?電話しても出なかっただろ」

「ドレスショップ」

「また何か問題でもあったのか?」

「違う。今のままじゃ合わないから、タキシードのサイズを直してもらったの」

遼は何の疑問も抱かなかった。

「俺は何でもいいよ。だいたい合ってれば」

「何でもいい」「だいたいでいい」——遼が私にいちばんよく口にする言葉だった。

招待状の文面を確認してほしいと言えば、「何でもいい」

プチギフトの箱を選んでほしいと言えば、「琴葉の好きなほうでいい」

式ではダブルとシングル、どちらのタキシードを着たいかと聞けば、「どれも同じだろ」

結局、相談に乗ってくれたのは美羽だった。

彼女はカタログを手に、笑顔で言った。

「遼はダブルが嫌いなの。老けて見えるって。シングルがいいよ。あの人にはそれがいちばん似合うから」

そのときの私は、遼をよく知る彼女なら準備を手伝ってもらえると、むしろ感謝していた。

今になって思えば、もうすぐ妻になる私が、夫の好みを別の女から教えてもらっていたのだ。

やがて遼の電話が鳴った。次に目を向けたときには、彼は23.5センチの靴を持って出ていくところだった。

どこへ行くのか、私は聞かなかった。

書斎へ入り、自分の荷物を片づけ始めた。

引き出しには、パスポートや契約書、数冊の本と、結婚式の進行表が入っていた。

びっしり書き込まれた進行表は、すべて私一人の筆跡で埋まっていた。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
12 Chapters
第1話
ドレスショップを出た私は、遼と暮らしていた部屋へ戻った。玄関を開けると、彼がしゃがみ込み、靴擦れ防止用のパッドを手慣れた様子でハイヒールのかかとに貼っていた。淡いピンクの細いヒール。サイズは23.5センチだった。23センチの私の靴ではない。私の視線に気づいた遼は、靴を箱に戻してきちんと置くと、何でもないことのように言った。「ブライズメイド用に美羽が買った靴、うちに届いたんだ。あいつ、新しい靴を履くとすぐ靴擦れするから、貼っておこうと思って」「そう」それだけ答え、靴を履き替えて部屋へ入った。リビングへ行くと、ローテーブルの上にケーキが置いてあった。「さっき店の前を通って、ケーキが食べたいって言ってたのを思い出したから買ってきた」遼は歩み寄り、気を利かせたつもりなのか、ケーキを私の前へ押し出した。「私、食べられない」「え?」「チョコレートアレルギーだから」彼は一瞬固まった。「悪い。忘れてた」美羽が新しい靴で靴擦れすることは覚えているのに、私がチョコレートを食べられないことは忘れている。何も言わない私を見て、遼は話題を変えた。「今日の午後、どこに行ってたんだ?電話しても出なかっただろ」「ドレスショップ」「また何か問題でもあったのか?」「違う。今のままじゃ合わないから、タキシードのサイズを直してもらったの」遼は何の疑問も抱かなかった。「俺は何でもいいよ。だいたい合ってれば」「何でもいい」「だいたいでいい」——遼が私にいちばんよく口にする言葉だった。招待状の文面を確認してほしいと言えば、「何でもいい」プチギフトの箱を選んでほしいと言えば、「琴葉の好きなほうでいい」式ではダブルとシングル、どちらのタキシードを着たいかと聞けば、「どれも同じだろ」結局、相談に乗ってくれたのは美羽だった。彼女はカタログを手に、笑顔で言った。「遼はダブルが嫌いなの。老けて見えるって。シングルがいいよ。あの人にはそれがいちばん似合うから」そのときの私は、遼をよく知る彼女なら準備を手伝ってもらえると、むしろ感謝していた。今になって思えば、もうすぐ妻になる私が、夫の好みを別の女から教えてもらっていたのだ。やがて遼の電話が鳴った。次に目を向けたときには、彼は23.5センチの靴を持
Read more
第2話
新郎の会場入り、両家への挨拶、ゲストの席順、ブライズメイドとグルームズマンの名簿……遼の名前が書かれているのは、たった一か所だけだった。新郎――黒川遼。私はしばらく見つめたあと、ペンでその名を消した。そして隣に、別の名前を書き込んだ。久世湊(くぜ みなと)。ペン先が紙をなぞる音は、かすかだった。けれど、その瞬間、不思議なほど心が静まった。ふと、遼にプロポーズされた日のことを思い出した。二人で家で食事をしていたとき、彼は指輪の箱を私の前へ押し出した。「俺たちも、そろそろいい年だろ。結婚するか?」長いこと呆然としたあと、私は尋ねた。「それって、プロポーズ?」彼は笑った。「今さらそんなこと、気にする仲でもないだろ」あのときの私は唇を結び、演出など大切ではないと自分に言い聞かせた。遼はそういう人なのだ。情熱的でも、ロマンチックでもなく、愛を言葉にするのが苦手なだけ。だから装花も、会場の飾りつけも、ドレスもタキシードも、私一人で選んだ。昨日、彼が大切に保存していたあの動画を見るまでは。5時間の映像のうち、4時間は遼が会場を丹念に飾りつける姿だった。残りの1時間、彼は準備したすべてを美羽へ嬉しそうに披露し、ひざまずいて言った。「美羽、これから言うこと、一晩中練習したんだ。指輪も3回作り直した。それでも、まだ足りない気がしてる。受け入れてくれるなら、俺は一生、お前だけのものになる。断られても、お前には幸せでいてほしい」そこで初めて知った。遼にも、これほど真剣に、不器用に、壊れ物を扱うように誰かを愛した過去があったのだ。プロポーズの言葉を何度も練習し、指輪を3回も作り直すほどに。断られる前から、相手が傷つかないよう逃げ道まで用意するほどに。もともと冷淡な人だったわけでも、演出が嫌いだったわけでもない。ただ、私をそこまで愛していなかっただけだ。そのとき、スマホが震えた。遼からのメッセージだった。【琴葉、明日の夜、結婚前に仲間で食事しようって話になった。美羽も来る】……翌日の夜、遼が迎えに来た。助手席に乗ると、センターコンソールの収納にミントタブレットが入っているのが見えた。私はミント味が苦手で、遼もそれを知っていた。それでも、彼の車からこの菓子が
Read more
第3話
部屋中に笑い声が広がった。遼はグラスを持ったまま美羽を見ていたが、言葉は私へ向けた。「美羽はいつもああいう言い方なんだ。気にするなよ」「分かってる」私がうなずくと、遼は一瞬意外そうな顔をしたあと、満足げに笑った。酒が進むにつれ、場はますます盛り上がった。酔った友人の一人が、遼の肩を叩いて笑った。「遼も、とうとう結婚か」別の一人が続けた。「そうだよな。昔、美羽にプロポーズしたときなんて、今回の式よりずっと――」言い終わらないうちに、部屋がしんと静まり返った。遼はグラスを置き、目を険しくした。口を滑らせた友人も酔いが半分醒めたようで、気まずそうに私を見た。「琴葉さん、そういうつもりじゃ……」皆の反応を見て、私はようやく悟った。遼が美羽にプロポーズしたことは、彼の仲間も共通の友人も知っていた。知らなかったのは、私だけだった。私は席を立った。遼も慌てて立ち上がり、声を潜めた。「どこへ行く?」「お手洗い」そう答えて、個室を出た。静かな化粧室へ入ると、美羽もあとからついてきた。彼女の目は赤く潤んでいた。「琴葉、ごめんね。プロポーズのこと、わざと隠してたわけじゃないの」「じゃあ、どうして教えてくれなかったの?」「誤解されたくなかったから。琴葉は私のいちばん大切な友達だもの。嫌なら、ブライズメイドは辞退する」いかにも自分が身を引くような、聞こえのいい言葉だった。けれど、私にはただ白々しく思えた。遼から誰より盛大なプロポーズを受けたことを知りながら、私の結婚式でブライズメイドを務めようとしていたのだ。そして事実が知られた途端、「嫌なら辞退する」と言う。そこへ遼が入ってきた。美羽が泣いているのを見るなり、彼は眉をひそめて私を見た。「琴葉、俺と美羽のことはもう過去だ。いつまでも蒸し返すなよ」「過去?大切に保存していたプロポーズの動画も?」遼の顔色が一変した。「俺のものを勝手に見たのか?」急に、何もかもがどうでもよくなった。この状況で、彼が真っ先にしたのは説明でも謝罪でもなく、私を責めることだった。数秒黙り込んだあと、遼は眉間を揉んだ。「こうなると思ったから、言わなかったんだ」「こうなるって?」「やきもちを焼いて、機嫌を悪く
Read more
第4話
結婚式当日の午前11時半。メイクを終えた私は、カメラマンの指示に従って記念写真を撮っていた。隣には、ブライズメイド用のドレスが掛かったままだった。美羽は来ていなかった。11時40分、遼のグルームズマンを務める佐伯拓海(さえき たくみ)が扉をノックして入ってきた。どこか気まずそうな顔をしている。「琴葉さん……」「どうしたの?」拓海は頭をかいた。「美羽が今朝、胃の具合を悪くして……遼が病院へ連れていきました」室内が静まり返った。拓海は慌てて説明を加えた。「でも、式が始まるまでには絶対に戻ると言ってました。間に合わせるって」鏡の中の自分を見つめた。隙のないメイクに、鮮やかな口紅。「何時頃、病院へ?」「たぶん……9時過ぎです」9時過ぎ。その頃には、私はもうメイクを始めていた。新郎だって、とっくに支度を整え、会場へ向かっているはずの時間だった。スマホが鳴った。遼からだった。電話に出ると、受話口から彼の声が聞こえた。「琴葉、美羽の具合が思ったより悪いんだ。病院へ送り届けたら、すぐ戻る」「分かった」あまりに平静な返事が意外だったのか、遼は一瞬黙った。少しして、もう一度言った。「式には遅れない。待っててくれ」これまで何年も、私は彼に待たされてきた。仕事が終わるのを待ち、時間ができるのを待ち、誕生日を埋め合わせてくれる日を待った。そして、私と美羽の間で、一度だけでも私を選んでくれる日を待った。結婚する日まで、私は待てと言われる。けれど、もう待つ必要はなかった。私は電話を切った。そばにいた拓海が安堵の息をついた。「琴葉さん、怒らないでやってください。遼だって仕方なかったんです。美羽を一人で病院に置いてくるわけにはいかないから」私は彼を見た。「もちろん、面倒を見てもいいのよ」拓海が目を瞬いた。「でも、私にも待たないという選択肢がある」意味が分からなかったのか、彼は私が腹を立てているだけだと思ったようだった。12時。新郎の到着予定時刻が迫っても、遼は戻らなかった。焦り始めた拓海は、スマホを手に廊下を行ったり来たりしていた。「遼、どうして電話に出ないんだよ」もう一度かけても、応答はない。拓海の顔が目に見えてこわばってい
Read more
第5話
遼は頭を殴られたような衝撃を受け、その場に立ち尽くした。「今、何て言った?」「琴葉さんは新郎を替えたんだ。今、式の最中だよ。新郎は久世湊、あの――」拓海が言い終わる前に、遼は電話を切った。病院を飛び出し、必死の形相でタクシーを止めた。「清流ホテルまで。急いでください」運転手はバックミラー越しに遼を見た。きちんとしたスーツ姿とは裏腹に、ひどく取り乱していた。よほど切羽詰まっていると思ったのか、すぐに車を走らせた。遼は震える指で、琴葉へ電話をかけた。出ない。もう一度かけても、応答はなかった。LINEを開き、そこでようやく気づいた。これまで毎日欠かさず連絡をくれた琴葉から、もう3日もメッセージが届いていない。目を閉じると、さまざまな記憶が頭の中を駆け巡った。琴葉が招待状の下書きを見せたとき、ろくに目も通さず、「琴葉が決めればいい」と言った。タキシードが気に入ったかと聞かれ、「だいたいでいい」と答えた。そのときの遼は、そんなことはどれも重要ではないと思っていた。二人で暮らしていくのに、結婚式の演出など人に見せるための飾りにすぎない、と。けれど、見てもらいたかった相手は、ほかでもない琴葉だった。ホテルの前で車が止まると、遼は料金を支払い、転がるようにタクシーを降りた。ロビーの入口には、まだウェルカムボードが立っていた。そこに書かれた名前を見て、彼の足が止まった。新郎――久世湊。新婦――藤崎琴葉。二つの名前を目にした瞬間、頭の中が真っ白になり、目の前が暗くなった。3日前まで、ここには自分の名が書かれていた。琴葉はデザイン案を手に、「ウェルカムボードはゴールドと白、どっちがいい?」と聞いた。そのときも、「どっちでもいい」と答えた。披露宴会場の扉は、わずかに開いていた。隙間から、司会者の落ち着いた厳かな声が聞こえた。「久世湊さん。あなたは藤崎琴葉さんを妻とし、富めるときも貧しいときも、健やかなときも病めるときも――」遼は勢いよく扉を開けた。「琴葉!」その叫びが、会場中に響き渡った。招待客の間にどよめきが走った。……ウェディングドレス姿の私は、突然響いた声のほうを見た。披露宴会場の入口に、遼が立っていた。スーツは昨日と同じものだった。
Read more
第6話
その後、マーメイドラインのこのドレスへ替えたと伝えたときには、返信さえなかった。遼の肩が力なく落ちた。何か言おうと唇を動かしたものの、結局、言葉は出てこなかった。彼が一歩下がると、湊は半歩前へ出て、私をさりげなくかばう位置に立った。遼は最後にもう一度、私を見た。その目には戸惑いと、諦めきれない思いが浮かんでいた。やがて背を向け、一歩ずつ壇上を下り、招待客の間を抜けていった。扉を開け、まぶしい光の中へ姿を消した。司会者は数秒呆気に取られていたが、すぐに機転を利かせた。「新婦の魅力は、私どもの想像以上だったようですね。それでは、式を続けましょう」波のように押し寄せた招待客のささやきが、やがて引いていった。湊が顔を寄せ、耳元で小さく尋ねた。「大丈夫?」「ええ、全然」彼を見て笑った。今度こそ、心からそう思っていた。……遼は遠くへ行かなかった。会場外の廊下の突き当たりで壁にもたれ、ポケットからたばこを取り出した。指がひどく震え、何度か火をつけようとして、ようやくたばこに火がついた。煙を吸い込んだ途端にむせ、腰を折って激しく咳き込んだ。目の縁が赤く染まった。いつの間に出てきたのか、拓海が隣へ腰を下ろした。「遼、もう吸うなよ」遼は答えなかった。「琴葉さん、前から準備してたのかもしれない」拓海がためらいがちに言った。遼の手が止まった。「どういうことだ?」拓海はため息をついた。「考えてみろよ。タキシードのサイズを直して新郎まで替えるなんて、急にできるわけがない。少なくとも、何日か前から動いてたはずだ」あの日、リビングで琴葉が言った言葉を思い出した。「今のままじゃ合わないから、タキシードのサイズを直してもらったの」遼は、ただサイズが合わなかったのだと思い、聞き流していた。けれど、合わなかったのはタキシードではない。新郎のほうだった。さらに前、琴葉から当日の進行を相談されたときには、「何でもいい。任せる」と答えた。ブライズメイドとグルームズマンをどこへ座らせるかと聞かれたときも、「琴葉が決めればいい」乾杯や挨拶の段取りを聞かれたときも、「だいたいでいい」式場選びも、招待状のデザインも、ドレスも、料理も、何もかも彼女一人に押しつけた。琴
Read more
第7話
「言え」「美羽の胃痛、仮病かもしれない。昨日、廊下で電話してるのを聞いたんだ。『今回だけ協力して。どうしても諦められないの』って」遼は勢いよく立ち上がった。「何だって?」「美羽は……お前が思ってるような人じゃない」拓海は苦しそうに続けた。「昔、お前のプロポーズを断ったのは、その頃、元彼とよりを戻してたからだ。そいつと別れてから後悔したけど、そのときにはもう、お前は琴葉さんと付き合ってた。今になって、お前が琴葉さんと結婚すると知ったから……」最後まで聞かず、遼はその場をあとにした。病院へ戻ると、美羽はまだ病室にいた。遼を見るなり、彼女の表情が明るくなった。「遼、戻ってきてくれたの?」「美羽、聞きたいことがある」「何?」「本当に胃が痛かったのか?」美羽の笑みが固まった。「どういう……意味?」「拓海から全部聞いた」遼は低い声で言った。「胃痛は仮病だった。誰かに協力を頼んだ。諦めきれなかったんだな。結婚式の日に俺を病院まで付き添わせて、琴葉を待ちぼうけにしたかったんだろ」美羽の顔から、少しずつ血の気が引いていった。「遼、私は……」「なぜだ?」遼は彼女の言葉を遮った。「昔、俺がひざまずいて結婚してほしいと頼んだとき、お前は結婚したくないと言った。今度は俺が別の人と結婚しようとしたら、後悔していると言う。美羽、お前は何がしたいんだ?」美羽の目から涙がこぼれた。「あなたが欲しいの」「でも、お前は俺を選ばなかった」遼の声に苦みがにじんだ。「あのとき俺を選ばなかったくせに、今度は誰とも結婚するなって言った。お前が欲しいのは俺じゃない。ただ、ほかの女に取られるのが嫌なだけだ」「違う!」「もういい」遼は目を閉じた。「美羽とは子どもの頃からの友達だ。だから、これ以上ひどいことは言いたくない。でも、今日限りで連絡を取るのはやめよう」美羽は呆然とした。「遼?」彼は振り返らなかった。病院を出ると、入口に立ち、曇った空を見上げた。琴葉のことを思い出した。初めて料理を作ってくれた日、彼女は不慣れな手つきで台所に立っていた。見た目は今ひとつの料理を出し、おそるおそる遼の顔を見て、「おいしい?」と聞いた。「まあまあ」と答えると、琴葉は笑って、「じ
Read more
第8話
ビュッフェで果物を何種類か皿に取り、窓際の席へ座った。その途端、目の前に影が差した。顔を上げると、遼が立っていた。目の下には濃いくまがあり、顎には無精ひげが生えている。一晩中、眠れなかったようだった。私と目が合うと、その瞳が一瞬明るくなり、すぐに曇った。「琴葉」「黒川さん、何か用?」名字で呼ばれた遼の唇が、かすかに震えた。彼は歩み寄り、私の前で立ち止まった。「琴葉、悪かった」声は別人のようにかすれていた。「こんな言葉じゃ軽すぎる。俺も、何の償いにもならないと思ってる。それでも言わせてほしい。ほかに何を言えばいいのか、分からないんだ」私は黙ったまま彼を見た。「一晩中、考えた。俺たちが一緒にいた何年ものことを、何度も思い返した。考えれば考えるほど、自分がどれだけ最低だったか分かった。琴葉の優しさを当然だと思い、してくれることに甘えきってた。招待状をきちんと見たこともなかった。式で使うものを、一つだって真剣に選ばなかった。チョコレートアレルギーのことさえ忘れてた」声が震え始めた。「美羽には5時間かけてプロポーズを用意したのに、琴葉には『結婚するか』の一言で済ませた。あれは、俺が大人になって、派手な演出を好まなくなったからだと思ってた。でも今になって、そんな態度が琴葉を傷つけてたんだって、やっと分かった」「黒川さん、私は……」「最後まで聞いてくれ」遼は私を遮った。「昨日、美羽とは縁を切った。あいつがしたことだけが理由じゃない。美羽への気持ちは、もうとっくに過去のものだったからだ。琴葉、今、俺が好きなのは琴葉だ。愛してるのも琴葉だけだ」大きく息を吸った。「俺にそんな資格がないのは分かってる。それでも、もう一度だけ機会をもらえないか?」かつて愛した人を見つめた。初めて出会った日の遼は、濃紺のシャツを着てカフェの前に立っていた。肩に日差しを受けて立つ姿を見て、胸が一度、大きく跳ねた。付き合い始めた頃は、毎日欠かさずメッセージを送った。遼から「わかった」と一言返ってくるだけで、一日中幸せだった。ドレスを試着した日、鏡の前に一人で立った。周りの花嫁には新郎が付き添っていたのに、私だけが一人だった。あのプロポーズ動画を見つけた夜は、一晩中泣いた。「遼」私の声は、自分で
Read more
第9話
それだけ告げ、私は背を向けた。後ろから遼が呼んでいた気がしたが、振り返らなかった。ホテルを出て、入口の噴水の前を通りかかったとき、思わず足を止めた。湊がそこにいた。花壇の縁に寄りかかり、コーヒーを片手に立つ姿は、気負いがなく絵になっていた。私の顔がたちまち熱くなった。湊が遼との会話を聞いていたのか、どこまで聞こえていたのか分からない。反射的に言い訳をした。「ど、どうしてここにいるの?さっきのは遼を断るために言っただけだから、気にしないで」湊は何も言わずに私を見つめた。居心地が悪くなり、言葉を重ねた。「本当よ。深く考えないで。私たちは家同士の都合で結婚しただけだって、分かってる。だから、私は……」「琴葉」湊が私の名を呼んだ。私は顔を上げた。朝の光を背にした彼の表情は、よく見えなかった。それでも、笑っているように思えた。「実は俺も、琴葉が望んでいるような愛し方を、ずっとしてきたつもりだ」声はとても穏やかだった。「ただ、君が気づいていなかっただけだ」木々の隙間からこぼれた日差しが、湊の肩を照らしていた。冗談とは思えないほど、その表情は真剣だった。「湊、どういう……」「大学1年の頃から、ずっと琴葉が好きだった」……大学1年の9月。キャンパスには、まだ夏の暑さが残っていた。湊が校舎へ入ろうとしたとき、階段の近くで一人の女子学生とぶつかった。彼女が抱えていた本が傾き、床へ散らばった。慌てて拾いながら何度も謝ると、彼女は「大丈夫」と答えた。その声は、秋の風のように柔らかかった。最後の一冊を拾って顔を上げたとき、初めて彼女の顔を見た。色白で小柄な女性だった。瞳は明るく、笑うと目立たないえくぼが二つできた。彼女は本を受け取り、「ありがとう」と言って去っていった。湊はその背中が階段の向こうへ消えるまで、その場に立ち尽くしていた。何秒かして、手に一本のペンが残っていることに気づいた。彼女が落としたものだった。返す間もなかった。どこにでもある黒いボールペンで、キャップには小さな猫のシールが貼ってあった。湊はそのペンを机の引き出しへしまい、一度も捨てなかった。やがて、彼女の名を知った。国文学科の藤崎琴葉。二人は同じ校舎で授業を受けてい
Read more
第10話
琴葉がよく通うカフェでは、彼女のスタンプカードにこっそりスタンプを足してもらった。雨の日には、国文学科のある校舎の入口へ傘を一本置いた。琴葉は、誰か親切な人が置いたのだと思ったかもしれない。あるいは、一度も気づかなかったかもしれない。それで構わなかった。気づいてもらう必要などない。琴葉が元気に過ごしていると分かれば、それだけでよかった。3年生の頃、琴葉は恋人と別れたようだった。長いあいだ、一人で図書館へ行き、一人で学食へ行き、一人でうつむきながら歩いていた。遠くから見ていると、湊は胸を締めつけられた。そばへ行き、「大丈夫?」と聞きたかった。あのペンを返し、「実は1年の頃から気になっていた」と伝えたかった。それでも、何もしなかった。今の琴葉に必要なのは、別の誰かから向けられる好意ではなく、立ち直るための時間だと思ったからだ。湊は、琴葉が立ち直るまで、そっと見守ることにした。4年生になると、琴葉はまた笑うようになった。新しい恋をしていたのかどうかは分からない。ただ、スカートを履き、化粧をして、友人たちと出かけるようになった。グラウンドの反対側から、友人と一緒にトラックを歩く琴葉を見つめていた。夕暮れの光の中、彼女の影だけが長く伸びていた。大学1年から4年まで、校舎でも図書館でも、晴れの日も雨の日も、一人の人間がずっと見守っていたことを、琴葉はおそらく一生知らない。つけ回したわけでも、覗き見していたわけでもない。ただ遠くから、静かに、邪魔をせずに見守っていただけだった。まるで星を眺めるように。手に入らないと分かっていても、遠くから眺められるだけで幸せだった。卒業後、琴葉の近況を耳にすることはなくなった。湊は地元へ戻って家業に入り、毎日、会議や会食、さまざまな仕事に追われた。いつかは琴葉を忘れられると思っていた。けれどある日、文具店の前を通りかかると、ふと思い立ったように店へ入り、黒いボールペンを一本買った。キャップに猫のシールはなかった。同じシールは、もう売られていなかったからだ。新しいペンを、猫のシールが貼られた一本と並べて引き出しへしまった。引き出しの中は、少しずつペンで満たされていった。それでも忘れられないのだと、湊は思い知った。……
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status