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第206話

Author: 浮島
瑛司は沈黙したまま、暗い瞳で彼女を数秒見つめ、それから踵を返して去っていった。

礼都は眉を深くひそめ、その表情にはどこかためらいが見えた。

瑛司が出て行こうとするのを見て、彼も後を追うように歩き出す。

だが、途中で礼都が立ち止まり、警告するような視線を蒼空に向けた。

「もし警察の調査の結果、君のせいだと分かったら──瑠々に謝れ。心から、きちんと謝るんだ」

蒼空は怯むことなく礼都を見返し、静かに言った。

「ええ」

そう言うと、彼女は布団に横たわり、「出ていって」と淡々と告げた。

瑛司と礼都が入ってきてからの病室は、二人が出て行くまでずっと静寂に包まれていた。

目を閉じていても、蒼空には周りの人たちの視線が自分に向いているのが分かった。

数分の沈黙のあと、病室にはようやく小さなざわめきが戻る。

だが、さっきまでのような大きな声ではなく、どこか遠慮がちな声だった。

蒼空は彼らの話す声を聞きながら、何を話しているのかまでは聞き取れなかったが、それでも眠れなかった。

彼女は目を開け、再び上体を起こす。

そのわずかな動作だけで、病室の空気がまた静まり返る。

しばらくして、蒼空はようやくその理由に気づき、顔を上げて周りを見回した。

「私のこと、気にしないでください」と静かに言った。

そう言われても、誰も返事をせず、誰も口を開かず、手を止めたままだった。

蒼空は彼らを見る気にもなれず、俯いて自分の指先を見つめた。

頭の中はごちゃごちゃで、何をすればいいのか分からない。

そんなとき、病室に中年の女性の声が響いた。

「あなた、第一中学校の生徒さんでしょ?」

蒼空はゆっくりと顔を上げる。

声の主は、隣の隣のベッドのそばに立つ中年の女性だった。

手には真っ赤なリンゴを持ち、半分むかれた皮が果実に垂れている。

その女性は探るような目つきで蒼空を見つめた。

蒼空は静かに答える。

「はい」

中年女性の目がぱっと輝き、続けて尋ねた。

「あなたの同級生のおばあちゃん、東の病院で治療を受けてたでしょう?」

蒼空はすぐには答えず、落ち着いた声で問い返した。

「どうしてそれを知ってるんですか?」

中年女性は手のリンゴを隣の中年男性に渡し、手を叩いて嬉しそうに笑った。

「やっぱり間違ってなかった!あの時の女の子だよね!同級生のおばあちゃんのベ
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