LOGIN結婚記念日の夜、榊原千紘は保険金目当ての夫と愛人に海へ突き落とされ、事故死に見せかけて殺された。 しかし死後、謎の死神から「復讐のために三か月をやる」と告げられ、別人・雨宮凛の身体でよみがえる。 正体を隠し、自分を殺した二人への復讐を始める千紘。そんな彼女の前に現れたのは、生前の千紘を愛し、救えなかったことを悔やみ続ける鳴海律だった。 復讐の期限は三か月。 千紘は正体を明かせないまま律に惹かれていく――。
View More結婚記念日の旅行なんて、何年ぶりだろう。
「海、綺麗ね」
ホテルを出た千紘は、潮風に髪を揺らしながら呟いた。
夜の海は黒く、その上に月明かりが細長く伸びている。
彰人が突然、「今年の結婚記念日は旅行に行こう」と言い出したときは驚いた。
最近の彰人は仕事が忙しいと言って帰宅が遅く、二人で過ごす時間もほとんどなくなっていたからだ。
だから、嬉しかった。
少し冷え切ってしまった夫婦の関係を、やり直せるかもしれない。
そんな期待さえしていた。
「少し歩かないか?」
「うん」
夕食を終えたあと、彰人に誘われてホテルの外へ出た。
二人で海沿いの遊歩道を歩く。
「覚えてる? 新婚旅行でも海に行ったよね」
「ああ」
「あのとき、彰人ったら――」
懐かしい思い出を口にする千紘に、彰人は短い相槌を返すだけだった。
やがて観光客の姿が消え、街灯もまばらになっていく。
「彰人、こんなところまで行くの?」
「もう少しだけ」
舗装された遊歩道を外れ、さらに海沿いを進む。
その先にあったのは、小さな岸壁だった。
昼間なら釣り人でもいるのだろう。
けれど夜の今は、誰もいない。
聞こえるのは、岸壁に打ちつける波の音だけだ。
「結構歩いたね。そろそろ戻らない?」
千紘が振り返る。
彰人は数歩後ろで立ち止まっていた。
「彰人?」
「……千紘」
妙に低い声だった。
「お前、何か俺に話すことはないか?」
「え?」
そのとき、背後から靴音が聞こえた。
千紘は振り返り、息を呑む。
「……相沢さん?」
そこに立っていたのは、彰人の秘書――相沢芹奈だった。
結婚記念日の旅行先に、夫の秘書がいる。
偶然だと思えるほど、千紘も鈍くはなかった。
「どうして……?」
「悪いな、千紘」
突然、彰人に腕を掴まれた。
「痛っ……! 何するの!?」
「お前、俺たちのことを調べてただろ」
心臓が大きく跳ねる。
確かに千紘は、彰人の浮気を疑っていた。
帰宅時間が遅くなり、休日にも仕事だと言って出かけるようになった夫。
不審に思った千紘は、密かに調査を依頼していた。
そして、旅行から帰ったら離婚を切り出すつもりだった。
「まさか……相沢さんなの?」
「ええ」
芹奈は悪びれもせずに答えた。
「彰人さんとは、もうずっと前から」
「そんな……」
「離婚されると困るんだよ」
彰人が言った。
「お前にかけてある保険も無駄になる」
「……保険?」
千紘は彰人を見つめる。
何を言われているのか理解できなかった。
「会社も今、金が必要なんだ。お前が死ねば全部解決する」
背筋が凍った。
「何……言ってるの?」
「事故にすれば問題ない」
あまりにも淡々とした声だった。
「結婚記念日の旅行中、夜の海を散歩していた妻が足を滑らせた。それだけだ」
「彰人……?」
「早くして」
芹奈が周囲を見回した。
「誰か来たらどうするの?」
その瞬間、彰人が千紘の身体を強く押した。
「やめて――!」
足元が消える。
身体が宙に浮いた。
けれど、とっさに伸ばした手が岸壁の縁に引っかかった。
「……っ!」
指先に激痛が走る。
すぐ下では、黒い波がうねっていた。
「彰人! 助けて!」
必死に叫ぶ。
「お願い……! 落ちる……!」
彰人がしゃがみ込んだ。
手を伸ばしてくる。
助けてくれる。
そう思った千紘も、必死に手を伸ばした。
「彰人……!」
しかし、その手は千紘の手を取らなかった。
岸壁にしがみつく千紘の指に触れる。
そして――一本ずつ、引き剥がし始めた。
「……え?」
「ごめんな、千紘」
「やめて……」
一本。
「彰人、お願い……!」
また一本。
「私、誰にも言わないから!」
「無理だよ」
「離婚もしない! だから……!」
残った指は、あと一本。
涙で彰人の顔が滲む。
愛していた。
信じていた。
この人と一生を共にするのだと思っていた。
「さよなら、千紘」
最後の指が外された。
「彰人――!」
身体が落ちる。
冷たい海水が全身を包んだ。
息ができない。
必死に手足を動かしても、水を吸った服が身体にまとわりつく。
苦しい。
怖い。
死にたくない。
水面の向こうに、二つの影が見えた。
彰人と芹奈。
二人とも助けを呼ぼうともしない。
ただ、千紘が沈んでいくのを見ている。
――許さない。
薄れていく意識の中で、千紘の胸を満たしたのは激しい憎悪だった。
――絶対に、許さない。
私を殺して。
私の命を金に換えて。
二人だけ幸せになるなんて。
そんなこと、絶対に許さない。
死にたくない。
まだ、死にたくない。
もし、もう一度だけ生きられるなら――。
やがて、すべてが暗闇に沈んだ。
どれほど時間が経ったのだろう。
「――随分と強い恨みだな」
声がした。
千紘はゆっくりと目を開けた。
目の前に、見知らぬ男が立っている。
全身を黒い服で包んだ、美しい男だった。
男は千紘を見下ろし、薄く笑った。
「死んだ気分はどうだ、榊原千紘?」
翌朝になっても、芹奈は彰人のメッセージに返事をしなかった。『一度だけでいいから、ちゃんと会って話したい』 何度読んでも、彰人が何を話したいのかは分からない。 別れたくないと言うのか。 それとも、あの日のことを誰にも話すなと念を押すのか。 以前なら、前者だと思えただろう。 今は後者を疑ってしまう。 会社でも、彰人は芹奈を追ってきた。 人がいるところでは仕事の話しかしない。 けれど昼休み、廊下で二人きりになると声をかけてきた。「メッセージ見た?」「見た」「じゃあ返事くらいしてくれよ」「何て返せばいいの?」「会って話したい」「この前話したでしょ」「あれじゃ何も話せてない」 芹奈は彰人を見る。「何を話したいの?」「いろいろ」「ここで言えば?」「ここじゃ無理だろ」 その答えだけで、芹奈の警戒が強くなった。「何で?」「会社だからだよ」「恋人同士の話なら、別に少しくらいできるじゃん」「芹奈」 彰人が声を落とした。 その顔を見て、芹奈は確信した。 やはり彰人が話したいのは、別れ話だけではない。「……一度だけだからね」「え?」「今日、仕事終わってから。一度だけ話す。それで終わり」 彰人の表情がわずかに緩んだ。「分かった」 ◇ 二人は以前にも入ったことのある店を選んだ。 人目がある場所なら大丈夫。 芹奈はそう考えていた。 席につくなり、彰人が口を開く。「俺は別れたくない」「どうして?」「どうしてって……好きだからに決まってるだろ」 今度はき
芹奈から返事はなかった。 翌朝になっても、昼になっても既読がつくだけだった。『昨日は言い方が悪かった』『別れたくない』『ちゃんと話したい』 彰人は何度もメッセージを送った。 電話もかけた。 出ない。 会社で話しかけようとしても、芹奈は仕事に必要なことしか答えなかった。「芹奈、今日――」「仕事の話?」「いや」「じゃあ、あとにして」 それだけ言って離れていく。 彰人は追いかけられなかった。 ◇ 数日後。 千紘は仕事で、大規模なビジネス商談会を訪れていた。 広い展示場には企業ブースが並び、あちこちで担当者が名刺を交換している。 佐伯と別れて一人で移動している途中、見覚えのある姿を見つけた。「榊原さん?」 声をかけると、彰人が振り返った。「……雨宮さん」「お久しぶりです」「この前の打ち上げ以来ですね」「そうですね」 仕事で来ているらしく、彰人の首からも来場者用のパスが下がっていた。 少し話しただけで、千紘は気づいた。 彰人は明らかに疲れていた。「榊原さん、顔色悪くないですか?」「え?」「疲れてます?」「ああ……ちょっと寝不足で」「忙しいんですね」「仕事だけじゃないんですけどね」 彰人が苦笑する。 千紘は少しだけ首を傾げた。「何かあったんですか?」「いや、大したことじゃ」 そこで彰人は言葉を切った。 少し迷ってから、逆に聞いてくる。「雨宮さんって、女の人の気持ち分かります?」「私も女ですけど」「あ、そういう意味じゃなくて」
その夜、芹奈はほとんど眠れなかった。 彰人と付き合い始めた頃のことまで思い出した。 千紘に隠れて会っていた頃は、彰人が自分を選んでくれると思っていた。 千紘さえいなくなれば、もう隠れる必要もない。 そうなれば、彰人と堂々と一緒にいられる。 実際、千紘はいなくなった。 けれど、自分が想像していたようにはならなかった。 今では彰人が何を考えているのか分からない。 彰人も、自分が何を話すのか気にしている。 これでは恋人ではない。 ただ、同じ秘密を抱えているだけだ。 ◇ 翌朝、彰人からメッセージが届いた。『昨日は悪かった』 芹奈はしばらく見つめてから、『うん』 とだけ返した。 すぐに次が届く。『今日、少し話せない?』 断ろうと思った。 けれど、このまま曖昧にしても同じことを繰り返すだけだ。『仕事のあとなら』 そう返した。 ◇ 二人が入ったのは、会社から少し離れたカフェだった。 彰人はコーヒーを一口飲んでから、口を開いた。「昨日は本当に悪かった。雨宮さんのこと聞いたのも、別に芹奈を疑ってるわけじゃない」「じゃあ、どうして?」「最近、あの人が千紘のこと気にしてただろ。だから気になってるだけだよ」「私じゃなくて?」「そうだって」 彰人は困ったように笑った。「俺たちまで揉めてどうするんだよ」 その言葉に、芹奈は目を伏せた。 俺たち。 以前なら嬉しかったはずの言葉だった。「彰人」「ん?」「私たち、もう終わりにしない?」 彰人の表情が止まった。「……何?」「別れたい」「何で急
打ち上げの翌日。 芹奈は昨夜のことを何度も思い返していた。『榊原さん、さっきからずっとこっち見てますね』 雨宮凛は笑っていた。 深い意味などなかったのだろう。 実際、あのあとすぐ別の話題になった。 けれど彰人は帰り道で聞いてきた。『雨宮さんと何話してた?』 ただの偶然だと思うには、あまりにもタイミングがよかった。 ◇「昨日、楽しかった?」 昼休み、彰人が何気なく聞いてきた。「何が?」「打ち上げ。結構話してただろ」「誰と?」「みんなと」 芹奈は彰人を見る。「雨宮さんと、じゃなくて?」「……何でそうなるんだよ」「昨日も聞いたから」「別に深い意味ないって」「だったら、もう聞かなくていいじゃん」 彰人の表情がわずかに硬くなった。「何なんだよ、朝から」「何でもない」 芹奈は席を立った。 その背中を彰人が見ているのが分かった。 以前なら、それを気にかけられていると思ったかもしれない。 今は違う。 見張られているようにしか感じなかった。 ◇ 午後になっても、芹奈の苛立ちは消えなかった。 彰人は自分のメッセージを消した。 自分には旧端末の記録を消せと言った。 雨宮凛と何を話したのか何度も確認した。 鞄を持ち歩かなくなったことにも気づいていた。 そして昨日も、自分たちが話しているところをずっと見ていた。 一つ一つなら、たいしたことではない。 けれど並べてみると、違って見えた。 彰人は、自分を信用していない。 それどころか、自分が何をするのか警戒している。 だったら、どうして一緒にいるのだろ