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第572話

Author: 浮島
瑛司は彼女を見つめて言った。

「わかった」

二人は廊下の突き当たりまで歩いた。

蒼空が口を開く。

「あの日、あなたも現場にいたよね。飯田隆が何をしたか、覚えてるはずでしょ?」

本当は、彼の答えなんて聞きたくなかった。

蒼空は冷たく笑う。

「少しでも良心があったら、こんな真似しないはず」

蒼空は心底、失望していた。

彼女は瑛司が自分を愛していない、拒絶している――

そこまでは受け入れていた。

他のことに関して、彼は間違えることはないだと思っていた。

五年経って、もう未練も期待もないはずだった。

それなのに今、目の前の現実を見せつけられて、避けようがなく失望した。

「本当に、あの男を助けるつもり?」

蒼空がそう問うと、瑛司は言った。

「俺や松木家が動かなくても、彼はきっと別の手を使う」

「でも、今助けてるのは確実に『あなた』だよね?」

蒼空はまっすぐ彼を見た。

瑛司は低く言う。

「彼は長く商売して、人脈も資源も多い。簡単には崩れない。お前の準備では足りなかった。それが、この結果だ」

蒼空の目は徐々に静けさを取り戻す。

「つまり、あなたは彼を選ぶってこと」

「選んだじゃない」

不意に、瑠々の声が割り込んだ。

蒼空は気配に眉を動かす。

瑠々は歩み寄り、親しげに瑛司の腕に手を絡めながら言った。

「今の蒼空の気持ちは分かるよ」

彼女は困ったような顔をして続ける。

「少し焦りすぎじゃない?もし蒼空の秘書さんの......あの件のためなら、そんなに騒ぎ立てることじゃないと思うの」

「どういう意味?」

蒼空が静かに問うと、瑠々は淡く笑った。

「確かに飯田社長は蒼空の秘書さんに良くないことをした。でも、結局『何もされなかった』でしょ?途中で私たちも止めに入ったし。結果的に、秘書さんは大きな被害を受けてない。だから、そこまで気にする必要ないでしょ?この件で飯田社長を敵に回すのは......得策じゃないと思うの」

蒼空は一度も遮らず、静かに聞き続けた。

瑠々は続ける。

「さっき私たちも飯田社長に話をしたのよ。秘書さんへの補償に応じるって。これですべて丸く収まるでしょ?」

蒼空は無言のまま、ずっと瑠々の顔を見ていた。

長い沈黙が落ちる。

瑠々は不安げに問いかける。

「いい案だと思うけど......?」

蒼空は淡々
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