クズなハイスペ夫を改心させたのはもっとクズな私です

クズなハイスペ夫を改心させたのはもっとクズな私です

last updateLast Updated : 2026-07-23
By:  桜立風Updated just now
Language: Japanese
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美貌の外科医、二階堂神楽31(にかいどうかぐら)と1年間の契約結婚をした片桐紅29(かたぎりべに) 理想の妻を演じ、きっかり1年後、契約満了で豪邸を出て行った。 ところが……残された神楽の心に残る紅。 実は契約結婚は紅で3度目の神楽。 以前の妻たちは契約を守らず、神楽を愛し、体を開いた。けれど紅は思い通りにならない。 それが神楽は悔しくてならない。 実は紅も、神楽との契約結婚には、ある思いを持って臨んでいた。 神楽は覚えていないものの、2人は因縁の関係で、この契約結婚は、紅とって復讐、そしてやり返しの意味があったのだ。 離婚しても形を変えて2人は繋がり続け、攻防戦は激しさを増していき、結果、2人の着地点は…

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Chapter 1

1.契約結婚

「今夜の料理も美味いな」

「本当ですか?嬉し……」

「玉ねぎが入ってなきゃね。言わなかったっけ?俺、玉ねぎが苦手だって」

ピリっと張りつめる空気……とても仲良し夫婦の夕食風景には見えない。

射抜くように向けられた視線から逃れたくて、反射的に下を向いた。

ガラスのダイニングテーブルは透明で……夫が足を組み替えたのが見える。

「そうでしたね。……ごめんなさい」

「いやいいよ。普通の男なら満足する味だ。……普通の男ならね?」

頬杖をついて私に向ける視線は……確実に不愉快だと伝えている。

「明日は必ず……満足していただけるように頑張ります。私、料理は得意なので、今度こそ」

リベンジを誓う私を見つめ返す瞳の色が、明らかに変わった。

唇の端を歪めたのは、笑顔を作ろうとしたのか……口元のホクロが際立つ。

「明日なら無理だ。夕方から手術が入っている」

「……それじゃ、冷めても美味しい夜食を作っておきますね」

「無理するな。期待はしていない」

口元をナプキンで拭い、席を立つ夫……二階堂神楽《にかいどうかぐら》、31歳。外科医。

「……恐れ入ります」

聞こえても聞こえなくてもいいひと言をつぶやく私は二階堂紅《にかいどうべに》、29歳。主婦。

私たちは、1年間の契約で結婚した偽装夫婦だ。同居して間もなく半年になる。

「明日の手術の準備がある。君は先に休みなさい」

「はい。ありがとうございます」

神楽は長い足を見せつけるように動かし、書斎へ向かう。ドアを開けながら、さり気なくこちら向いて……嫌味なほど整った顔を紅に向けた。

「おやすみ。俺の美しい奥さん?」

「……おやすみなさい」

ずっと目で追っていて良かった。

振り向いた時自分を見ていないと、神楽は少し不機嫌になる。

機嫌を損ねたお仕置きは、夜中の呼び出しか……翌朝の朝食に持ち越されるかのどちらか。

何度か経験して知ったが、そのどちらもひどく、面倒くさい……

「どうしても腕が痛いんだ。……ちょっとマッサージしてくれないか?」

すでにベッドに入っていた私を、携帯で呼び出す神楽。

「……わかりました」

どんなことがあっても、嫌な声は出さない。嫌な顔はしない。

契約妻になって、心に誓ったこと。

けれど、契約結婚をするにあたり、夫婦としての体の関係は無しと言っていたはずだ。だから私たちの寝室は別なのだが、呼び出されたのは……神楽のベッドルーム。

ほのかな明かりだけの薄暗い部屋で、腕とはいえ……素肌に触れるのは緊張する。

彼の香りでいっぱいで、クラクラと酔いそうになのにいつまでも解放してもらえず、ベッドの傍らで座ったまま眠ってしまった。

目を覚ました時の神楽の複雑な表情は忘れられない……

「ごめんなさい、私、契約違反ですね」

慌てて部屋を出る紅……神楽は何も言わずに見送る。

そんなお仕置きが翌朝になる時は、仕事が忙しい場合に限るようだ。

「……今朝は味噌汁と焼き魚の気分なんだけどな」

「はい……すぐに作り直します」

スクランブルエッグと手作りのロールパン、有機野菜のグリーンサラダという洋食を下げ、和食を準備する。

……もちろん、反対も然り。

機嫌を損ねて難癖をつけられ、すべて作り直しをさせられる朝を思えば、

気を抜かず注目しておいて良かったと心から思う。

そんなわけで、ドアが閉まってからもきっちり15秒……紅はドアを凝視した。

そしてやっと、体の力を抜けるのだ。

遅くまで起きているであろう神楽の飲み物を用意しておくのは、入浴を済ませたタイミングで。

こんな時飲むのは薄めのほうじ茶と決まっているらしい。でも神楽はすぐに好みを教えてくれなかった。

さり気なく様子を伺いつつ、初めは色んな飲み物を用意した。温かいものや冷たいもの、結局ほどよいホットが好きだとわかったのは契約結婚3ヶ月めの頃。

以来、書斎にこもっている時は、こうしてポットに入れ、すぐに飲めるよう準備をしておく。

自分でも喉が渇いて……冷蔵庫を開けた。食後に出そうと思っていたゼリーが目につく。

これは自信作だったのに、そういうものに限って、神楽は食べてくれない。

夜食にちょうどいいのに……けれど神楽は冷蔵庫など覗かないだろう。

当然、明日の朝食や夕食に出す事も許されない。

半年前のあの日、神楽に言われた言葉を思い出した。

「医者は体が資本なんだ。だから食事には人一倍気を使ってほしい」

契約結婚を持ちかけた神楽から、提示された条件はそれだけだった。

「料理は得意なので大丈夫だと思います。……でもどうして契約結婚をなさるんですか?」

手料理なら、愛する女が作ったものが最適なはず。

「仕事柄か、うちの病院の名前のせいか、見合いや政略結婚の話が後を絶たなくてな。……短い期間で離婚すれば悪い噂が立って、独身を通すより、結婚話は減るだろうという期待だ」

結婚などまっぴらだと言ってのける神楽と出会ったのは、東京のある料亭でのこと。

勤めていた企業を辞めたばかりの私は、食いつなぐために配膳のアルバイトをしていた。

「神楽先生……おひとつどうぞ」

「二階堂総合病院は、この先も安泰ですな……」

そんな会話を小耳に挟みながら料理を運び、酒を運び、空いた皿を下げていた時……人からは見えないところで、突然手首を掴まれた。

「……っ?!」

なんでもない表情で周りに笑顔を振りまく神楽。彼の口元にはホクロがあり、私はこんな場面なのに釘付けになった。

「戻ってくるから、待っててくれるか?」

耳元で、コソっとつぶやく艶めいた声は、拒否される可能性など考えていないとわかる。

アルバイトを終え、私は言われた通り、料亭周辺で神楽を待った。

……それは何故なのか。

戻ってきた神楽はまったく驚かず、待っていてくれたことの感謝もなかった。それはきっと、彼にとって当然のことだから。

自分を拒否する女はいない、という圧倒的な自信に満ちていたのだ。

「契約結婚をしよう」

こちらの心のひだに、何か隠れてはいないか、想像する習慣はないらしい

「……はい」

ニッコリ笑って、まさに二つ返事。

多くを聞かずに受け入れる私に、神楽は気を良くしたようだ。

私の……本当の狙いも知らないで。

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陽子
陽子
このお話は面白いです。タイトルにある「クズ」って言葉は、他の小説の登場人物に比べたら、全然可愛いレベル。まともな人物と思えるほどです。 テンポよくわからなかった部分が明かされるし、主人公の紅がなかなか行動力があるから、どんな展開になるんだろう、て気になります。更新を楽しみにしてます。
2026-07-02 19:01:42
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柳 雪音
柳 雪音
すごく面白いです!神楽さんも紅ちゃんもクズというか、自分の目的に忠実なのに、健気な面がチラチラ見えて、クズ好きにも健気好きにも刺さると思います。更新を楽しみにしております。
2026-07-01 20:57:42
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48 Chapters
1.契約結婚
「今夜の料理も美味いな」「本当ですか?嬉し……」「玉ねぎが入ってなきゃね。言わなかったっけ?俺、玉ねぎが苦手だって」ピリっと張りつめる空気……とても仲良し夫婦の夕食風景には見えない。射抜くように向けられた視線から逃れたくて、反射的に下を向いた。ガラスのダイニングテーブルは透明で……夫が足を組み替えたのが見える。「そうでしたね。……ごめんなさい」「いやいいよ。普通の男なら満足する味だ。……普通の男ならね?」頬杖をついて私に向ける視線は……確実に不愉快だと伝えている。「明日は必ず……満足していただけるように頑張ります。私、料理は得意なので、今度こそ」リベンジを誓う私を見つめ返す瞳の色が、明らかに変わった。唇の端を歪めたのは、笑顔を作ろうとしたのか……口元のホクロが際立つ。「明日なら無理だ。夕方から手術が入っている」「……それじゃ、冷めても美味しい夜食を作っておきますね」「無理するな。期待はしていない」口元をナプキンで拭い、席を立つ夫……二階堂神楽《にかいどうかぐら》、31歳。外科医。「……恐れ入ります」聞こえても聞こえなくてもいいひと言をつぶやく私は二階堂紅《にかいどうべに》、29歳。主婦。私たちは、1年間の契約で結婚した偽装夫婦だ。同居して間もなく半年になる。「明日の手術の準備がある。君は先に休みなさい」「はい。ありがとうございます」神楽は長い足を見せつけるように動かし、書斎へ向かう。ドアを開けながら、さり気なくこちら向いて……嫌味なほど整った顔を紅に向けた。「おやすみ。俺の美しい奥さん?」「……おやすみなさい」ずっと目で追っていて良かった。振り向いた時自分を見ていないと、神楽は少し不機嫌になる。機嫌を損ねたお仕置きは、夜中の呼び出しか……翌朝の朝食に持ち越されるかのどちらか。何度か経験して知ったが、そのどちらもひどく、面倒くさい……「どうしても腕が痛いんだ。……ちょっとマッサージしてくれないか?」すでにベッドに入っていた私を、携帯で呼び出す神楽。「……わかりました」どんなことがあっても、嫌な声は出さない。嫌な顔はしない。契約妻になって、心に誓ったこと。けれど、契約結婚をするにあたり、夫婦としての体の関係は無しと言っていたはずだ。だから私たちの寝室は別なのだが、呼び出されたのは……神楽のベッドルーム。
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2. 神楽の変化
「契約期間は1年。親への挨拶はしなくていい。新築した家が都内にあるから引っ越してきてくれ。契約結婚にかかわるすべての経費はこちらで持つ」車の中で行われた話はとてもスムーズで、簡潔だった。「仕事関係者や交友関係に君を紹介することはない。ただ、結婚した事実だけが欲しい。婚姻届は出し、同居することで、実態を伴った結婚だったと後になって周りが認めればいい」「……わかりました。私も両親とは距離を置いていますので、挨拶などの心配はいりません。ひとりっ子ですし」「それは助かる。……あの料亭で働けるということは、それなりに信用のおける人物だと理解しているが、一応身分証を見せてくれるか」求められるまま身分証を見せながら付け加える。「父はトオキ屋という老舗和菓子メーカーの跡取りです」「トオキ屋って、京都の有名な和菓子屋だね。東京にも進出してずいぶんになると思うが、それじゃ君は……」「いえ、跡継ぎは男子に限られるので、従兄弟が継ぐと思います」そんな話だけで、身分の心配は吹き飛んだようだ。きっと後で調べられると思うが、嘘ではないので痛くも痒くもない。「引っ越して来たら、すぐに婚姻届を提出したい。その日から1年後が契約満了の日。契約金は500万。……ただし」タブレットを操作して、画面を見せられた。「契約結婚の禁止事項だ。これらを破ったら、最悪途中で解消となる」画面に表示されている文字を追うと、簡潔に3つのことを禁止事項にしているとわかった。恋愛感情を持たない部外者と接触しない互いの部屋を行き来しない言いたいことを想像して、つい笑ってしまった。「……1年後に別れることが決まっている。恋愛感情や体の関係を持って、互いの心の領域に踏み込みたくない。部外者と接触しないというのは、外に恋人を作らないということだ。もちろん、契約結婚中は割り切った関係もなし」「違反した場合は?」即座に問う紅に、神楽は視線を向ける。「……それは、心配があるということか?」「そうではありません。でも……神楽さんはとても魅力的ですから、外で女性に会ったりしないか、少し心配です」膝の上で両手を組んで、少し下を向く。……運転席からじっと見つめる視線を感じた。「違反したら、まずは話し合おう。契約金をプラマイして調整してもいいが、できれば契約満了して、君に得をしてもらいたいと思ってる
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3.紅の目的
先に部屋を出た紅は、冷蔵庫を開け、冷えたミネラルウォーターをグラスに注ぐ。飲みきって息をつく紅の後ろに、部屋から出てきた神楽が近づいた。こういう時は……どんな態度を取ったらいいか。「あの、神楽さんも飲みますか?ミネラルウォーター……」「いや、いらない」肩からふわりと薄いショールがかけられた。「夜は少し冷えるからね」グラスをシンクに置いた紅の唇を、親指でひと撫でしてから手を取った神楽。……キスを拒んだのに、機嫌を損ねなかった?いや、面白くはないはず。寝室で見せた獣のような目を思い出し、紅はそっと笑った。「悪いな、遅くなった」「いいよ!神楽が最後に現れるのはいつものことだ」連れて行かれたのは、カジュアルなイタリアンバルながら、そこはかとなくラグジュアリーな雰囲気を漂わせる飲食店。集まっていたのは、神楽の友人だという3人の男性だ。……紅の目に、そのうちの1人、三田洋平《みたようへい》の顔が焼き付いた。「……で?すごい美人なんですけど」「……妻。結婚したんだ」「は?また……」言いかけた1人の口を、隣に座った男がふさぐ。別にいいのに。全部知ってるんだから。それより、三田洋平がこちらを見る視線が気になる……「はじめまして、三田洋平と言います。神楽とは高校時代からの付き合いで、他の2人は大学の同期なんだ」「……あ、よろしくお願いします」「全員医者なんだけど、俺はちっちゃい会社経営してます」三田洋平の言葉に盛り上がる2人の友人。神楽は笑顔を浮かべ、やり取りする友人たちを眺めた。それは、紅に向けるものとはまったく違う笑顔。……わざと名乗らなかったことは、三田には気づかれていないようだ。紅も神楽を見習い、いかにも心を開いた笑顔を見せた。テーブルの下で手を握る神楽に、そっと視線を向けながら。「……連れて行かれたのは仲間内の飲み会か」「うん。大学の同期って人が2人。……あと、三田洋平がいたわ」「え、それヤバいじゃん?!」高校時代の親友、小池亮子《こいけりょうこ》が遊びに来て、3ヶ月前の出来事を話した。「大丈夫よ。わざと名乗らなかったし、その後神楽の様子に変化はないし」「さすが紅!鉄の心臓だわね」それにしても……と、亮子は改めて身を乗り出した。「顔はもちろん背も高いし、見た目は200点満点よね。……惚れないの?一緒に
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4.契約満了
「荷物、それだけだったか?」やがて、契約満了の日。見せつけるようにスーツケースを転がし、神楽の目の前に置く。「はい。このお宅にはすべてそろっていたので、ありがたく使わせていただきました」枕、毛布、シーツ、バスタオル、バスローブ……「引っ越し先の住所を教えてくれたら送るよ?使い慣れたものは手放したくないだろ?」「……あなたはそうかもね」使い慣れた契約妻を、今も時々美味しくいただいてる。「……え?」「……使わせてもらった枕、抱きしめて寝てくれません?私のことを思い出して」不思議そうな顔に作り笑いを返した紅に、今度は驚いた顔をするので、本気で吹き出してしまった。「冗談ですよ!……人が使ったものなんて不要でしょうから、処分してください」使い始めた時は、すでに新品ではなかった寝具。使い回して、私で多分3人目だ。紅の言葉に心当たりがあったのか、神楽は少々バツが悪そうに頭をかいた。「処分なんて……だったら君、そこまでやっていけよ」「契約満了しても、ここにとどまれと?」「別に変な意味じゃないぞ?」……どうかしら?この1年、言いたい放題のわがままばかりで、神楽は自分の方が立場は上だと示してきた。それに対して従順に、そして優しく対応する私に、半年を過ぎたあたりから妙な焦りを見せるようになって……それがなかなか面白かったのを思い出す。甘い雰囲気を醸し出し、触れるか触れないかのキスをして、指先に淫らな感情を乗せて煽るように触れて……そのたびに私は「契約違反はいけない」と、その手を逃れてきた。1度だけ、本気のキスをされてしまったあのミス以外は。同居してもうすぐ10ヶ月という頃、外へ食事に行こうと誘われ、おしゃれをして待っているよう言われたことがあった。この日はタートルネックの長袖のワンピースを選んだ。それは、横に三日月型にカットされた胸元が、嫌でも視線を集めるデザイン。膝までのふわりとしたスカートが可愛らしくて気に入っている服だったが、神楽の視線は当然のように胸元をチラついた。……男なんて皆同じだ。そこで、わざと手で隠してやったのだ。「あんまり見ちゃダメです。……恥ずかしいです」「どうして?……俺は今、君の夫だよ?見るくらいいいだろ?」車に乗ってからのやり取り。唇を奪われたのは一瞬…それは見事な早業だった。「ふ……ぅっ……ダ
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5.Side神楽 謎の女、紅
「君が契約結婚を引き受けたのは、俺への復讐か?香織と同僚だったってことは、当時から俺の話を聞いていた?」「香織さんは、別れた夫とセフレ関係になってつらいって言ってました。だから契約結婚を終えてからの相談ですね」「俺と出会ったのは偶然?……それとも探し出して、」ずいぶん話が意外な方向へ行くので……らしくもなく、動揺していた。それにまさか、梨沙子のことも知っているとは。「香織さん、夫の名前は伏せてましたよ。でもある日酔った勢いで「神楽」って名前と医者だって漏らして。あの料亭で出会ったのは偶然です。めずらしい名前だったからピンと来たんですよね」紅はソファから立ち上がり、携帯に表示される時間を示した。……そうだ、出勤の時間が迫っている。「……あ、入ってますね。ありがとうございました」「なにが?」「契約満了の証です!500万、確かにいただきました」 時間を示したあと、銀行のアプリを覗いたらしい。……契約金、実はずいぶん前に振り込んである。紅は敬礼して弾けるような笑顔で見上げ、礼を言った。その顔が……妙に可愛く感じるのが腹立たしい。「そりゃよかった。だが今夜、もう一度話そう。ここで待っててくれ」「……えー、この家、意地悪ばっかりされたから居心地悪いんですよね。だから待ってるなんてまっぴらごめんです!」バイバイ……と子供みたいに手を振って、軽やかな足音と共に、俺の脇をすり抜ける紅。「……は?ちょっと待て、紅?!おいこらっ!」いたずらっぽい笑顔と目線を強烈に印象付け、彼女はあっという間にドアの向こうに消えた。「なん……だよ、アレ……」けれど、紅とはまた会えると確信していた。なぜなら俺は、彼女のいうように契約違反をしたからだ。「その場合は確か……100万上乗せすると約束したよな」それが……契約関係を切らせないための切り札だった。悔しいが、俺はこの日が来て少し寂しい。車に乗り込み、高い塀で囲まれた敷地内を門に向かって走らせる。リモコンで開けようとして、そこに紙片がヒラヒラしていることに気づいた。車から降りて紙片を手に取り、開いてみた。「プラス100万の振込みをよろしく……?」この1年、そういえば紅の字に触れることはなかった。……それは意外なほど美しい文字。「払ってやるさ、もちろん……」……もう一度顔を合わせるならな?振り
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6.紅の生い立ち
「紅か……?」神楽との契約結婚を終え、まず向かったのは実家だった。「……お久しぶりです」手を止めず、顔も向けずに返事を返す娘に、父はわかりやすくイラ立つ。「はんっ!久しぶりに来たと思えば……なんだ?泥棒のマネごとか?」「お母さんの服を取りに来ました。そろそろ暑くなるので」「お前は、口を開けば母さんのことしか言わないな?」……あんたが口にしないからだ。今日も、ギリギリのところで言葉を飲み込む。父と言い争ってスッキリした事など一度もない。むしろ逆……怒りと悲しみ、そして絶望。父は昔から、私にそんな感情しか教えなかった。「……多分、今回持ち出せば、この家からお母さんの私物はなくなります。いろいろ、お世話になりました」頭を下げて脇をすり抜けようとした私に、父は意味深な笑顔を作る。「……紅、そんなこと言っていいのか?」「どういうことですか?」「病院代、かかるんじゃないのか?」目の前で固まる娘に目をやる父。……やっぱり、母の動向はバレてる。「お見舞いには絶対に行かないでください」「俺があいつを見舞う?……あり得ない!」担当医に、病気の原因になった父とは会わせないよう言われているので一応伝えたまで。……まさかこの人が母を見舞うわけがないことは、よくわかっている。「だったらいいです。あなたは母の病状を悪化させるだけなので……」長年支えてくれた妻が心の病気になって、見舞うなどあり得ないって、じゃあどうして結婚したのかと詰め寄りたくなった。けれどそんなやり取りは何度もしてきた。母を庇い、父に向かっていったこともある。けれどそのたびに父は、唇の端を歪めて笑うばかりだった。『母さんは美人なのに従順で大人しくて俺にベタ惚れだったから、結婚してやったんだよ』あの時の父の顔は忘れない……それからは……男という生き物を信じなくなった。「俺だって払わないとは言ってないだろ?……ほら、入院費のたしにしたらいい」足元に、膨らんだ封筒が投げられた。この厚みなら、300万くらいはありそうだけど……「結構です。病院代は私が払っていきますので」「お前、その年になってまだわからないのか?」この先の話は聞きたくない。とっさにそう思った私は、返事をせずに玄関に向かう。「母さんはもう一生病院から出られないよ?」一番言われたくないことをあっさり口にする父
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7.再会
「英語は大丈夫だけど……」『じゃあ歌ってみる?ラバークラブMiAってガールズバーなんだけど』「うん。期間は?」『まずは一晩、2回ステージ。バラードを歌ってほしいみたいよ』亮子はクラブやBARの起ち上げやプロデュースをする仕事をしている。その関係で、こういうバイトの情報が早い。亮子が関わった店なら大丈夫だろう……その日の夕方、紹介された店に行ってみた。「亮子さんに聞いてます!まずは一曲、聞かせてもらえますか?」面接は歌のみ。難なく合格をもらった。手渡された衣装はシルバーグレーのシンプルなドレス。ヘアメイクはプロが入ってやってくれた。呼ばれるまで待機するよう言われ、若い女の子たちが次々とフロアへ出ていくのをぼんやり見送る。やがてひときわ派手な音楽が鳴り響き、店長に呼ばれて紅が近づいていくと、まじまじと見つめる視線が絡みつくのを感じた。「紅さん、ドレス似合いますねぇ……美人がさらに際立つなぁ」「選んでくれたの、店長さんですよね?ありがとうございます」「うん、俺……センスいいでしょ?」まだ20代と思われる若い店長。馴れ馴れしく肩に手を置かれ、つい眉間にシワが寄る。さりげなく距離を取られたことには気づかない、鈍感なタイプらしい。派手な音楽は、ステージに注目させる意味があるのか……急に暗転し、歌う曲のイントロが流れた。合図と共にステージに出る。面接で歌った洋楽は、歌い慣れているので余裕……仄暗いスポットライトが当たった時、端の席の客が立ち上がったのがわかった。けれど気にせず歌う。……今夜、これをもう一度繰り返せば、数万円が手に入るのだ。神楽にもらった契約金に手を付けず、ホテルに泊まれる。契約を満了してあの家を出て以来、1日だけホテルに泊まったものの、あとはネットカフェを転々としている。……働かなければ、神楽からの契約金が底をつく。あのお金は、母と暮らすための家を買うのに貯金したい。あぁ、それにしても、とうして仕事の世話をしてもらわなかったんだろう。契約結婚の条件のひとつとして付け加えてもらえばよかった。最後の最後にミスをした。神楽は、男としてはクズだが、そこは有名病院の後取り息子。いい仕事先のひとつやふたつ、知っているはずだ。……曲はサビに入り、一旦思考を手放し歌の世界に入る。「I loved only you. If
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8.妻ではありませんが?
「何も変わってないから……」大きな玄関ドアを開けると正面に立派な観葉植物。その後ろはガラス状の壁になっていて、歪んだ模様が上手に視線を隠している。「確かに、何も変わってないみたいですね?」「……だろ?」……といっても、ここを出てからまだ、10日にもならない。リビングも……当然ながら何も変化はないわけで。何気なく進んだ先にソファがあり、座ろうとした紅に、神楽がすかさず言う。「冷蔵庫の中も変わらないぞ?」「はい……」「……」何なんだ?開けて確かめてほしいのか?固まる紅に、神楽は後頭部を撫でながら続けた。「ビールが冷えてると思う。君が出ていった日、入れていっただろ?」「……さぁ、記憶に、ないです」「ツマミは、冷蔵庫に入ってるもので適当に作ってくれたらいいから」神楽はそう言って、先にソファに座った。……この人何を言ってるんだろ。私はもう奥さんじゃなくてお客さんなんだけど。「……私は、オリーブとチーズをつまみにしてビールを飲みたいですね」目の前に座り、背筋を伸ばして足を組んでやった。自分の前でそんなに偉そうに座る女など初めてだったのかもしれない。神楽は目をパチパチさせて、しばらく紅を見つめた。「……何が言いたい?」やっと、用意するのは自分だと言われていると気づいた神楽。「……は、この俺に?つまみを用意しろと言う女がいる?」信じられないと驚く表情と、はっきりムカつくと書いてある表情は半分ずつ。怒りに任せてか、勢いよく立ち上がって冷蔵庫へ近づき、中を探って塊のチーズを出した。「待たせたね……これでどうかな?」……やや乱暴にテーブルに出されたのは、カットされずに大きいままのチーズ。そして脇に添えてあるのは、オリーブではなく梅干し。これは、間違いなのか?それとも嫌がらせ?「……ありがとうございます」塊のチーズをほじくり出すようにしてつまみ、梅干しのしょっぱさに唇をすぼめる。ビールを飲む前に、笑いがこみ上げてきた。「喉も潤っただろ?そろそろ2曲めを歌ってもらおうか」失笑を微笑みと受け止めたらしい神楽。悠然と足を組み替えながら言われたが、きっと笑いが邪魔して歌えない。そこで、すっと真顔に戻して答えた。「それより先に、違約金をお願いします」「ふん、金が先か」顔を歪めたものの、意外と素直に書斎へと向かっていく。そして帯が巻かれ
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9.翌朝のバトル
「宿泊費は、朝食でいいから」 迷う様子を見せる紅に、神楽は腕を組みながら言う。 「私が、朝食を作るんですか?」 機嫌よくうなずきながら口元を緩めた神楽。 いつも思うが、笑うとホクロが際立って、妙に柔らかい表情になる。 「その方がいいだろ?お互いwin-winで。遠慮しなくていいぞ?」 「……朝食のリクエストなんて、しないですよね?」 「え……」 あぁ、この顔は和食を希望しているとわかる。たった1年でも、一緒に暮らした人の思考はわかるようになるらしい。 「リクエストなしでお願いします」 「……わかった」 意外と素直で、正面から顔を覗き込んでしまう。 「面接は明日の午後に設定するから、今夜はもう寝なさい」 「はい」 散らかったテーブルはどうするのか様子を伺ってみれば、案の定そのままにして立ち上がる神楽。 仕方なく片付ける……なんてことはせず、紅もかつての自分の部屋に向かった。 翌朝…… 部屋から出てきた紅に、神楽がムッとした不機嫌な顔で近寄ってきた。ダイニングテーブルを指さす表情は険しい…… 「おい、頼んだ朝食ってのはあれか?」 「そう、ですけど」 「俺は、女を家に泊めて……朝食にアンパンなんて出されたことはかつて1度もないっ!」 ……そうでしょうね。だってあなたが好むのは、従順で聞き分けのいい面倒くさくない女だもの。 「だったらクリームパンにします?……それかジャムパン、」 「そういうことを言ってるんじゃないっ!バカにしてるのか?」 「してませんよ。むしろジャムパンって今や貴重だそうで、譲ってあげるなんて優しいと思いますけど?」 紅はズリ落ちた黒縁メガネのツルを指先で持ち、かけなおした。 そして神楽を見上げる。……もちろん、余裕の笑顔で。 「貴重だかなんだか知らないが、わざわざ早朝から買いに行ったのか?そんな労力を使うなら、冷蔵庫の中身を使って料理をしたほうが楽だろ!」 「いえ。パンは昨日買って……バッグに入ってたものです」 「……は?」 せっかく離れてくれたのに、もう一度戻ってきて文句を言われそうだ。とっさに脇をすり抜け、テーブルに散らかった昨夜の残骸を片付け始めた。 「泊めてもらってありがとうございました。確かにwin-winがいいので、昨夜の片付けはやっていきますね」 「……医者は体が資本だって
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10.面接
意味深な指の動きと見下ろす視線の色気に気づいて……紅はパッと手を引っ込める。油断も隙もない、遊び人のかまってちゃんめ……「それでは午後、病院に伺いますのでよろしくお願いいたします」「あぁ……もし本院にいなかったら、絆ハートメディカルって、裏にある分院に来てくれ」「……あ、わかりました」玄関ドアを開けながら、今言われたことを心の中で繰り返す。絆ハートメディカル病院は、母が入院している病院だ。……まさか、二階堂総合病院の分院だったとは。コインロッカーにスーツケースを預け、定食チェーン店で朝食を食べることにする。目玉焼きをつつきながら、仕事はこれでほぼ決まったとして、住まいをどうするか……考えた。運よく寮があったとして、空きがあるかわからない。そこで、約束の時間までアパートを探してみることにした。「この辺であればワンルームでもそれなりの値段はしちゃいますねぇ……」飛び込みで入った不動産会社。すぐに紹介できるところ限定で情報をもらうも、どこもひどく高い。「こちらなんかいかがですか?鉄筋コンクリートですけど」「鉄筋云々より、まずは賃料の問題ですね」「あ、そういうことですか……」それなら少し範囲を広げて、と予想通りの提案をしてくれたが、やはり徒歩か自転車で通える距離は重要だ。賃料を我慢するか、それとも距離か。迷っていると、ポケットに忍ばせた携帯が振動し、メッセージを着信したと教えてくれた。「履歴書必須 神楽」短い文面を見て、すっかり忘れていたことに気付かされる。不動産会社にはまた来ると伝え、紅は近くのカフェに飛び込んだ。ついでに思いついて、白いブラウスと黒いタイトスカートに着替えることにした。実はこの服、1年間の契約結婚の間、ユニフォームのように着ていたコーディネート。まぁ、清楚な奥さん風はウケるかな……と思って選んだ服だ。同じものを3着ずつ持っている。その中で一番綺麗なものを選んで着用し、いざ……二階堂総合病院へ。「……神楽せんせぇですかぁ?お約束はありますかぁ?」立派な出入り口の正面にある受付で、早速神楽の名前を出してみると、やたら語尾を伸ばす化粧の濃い若い受付嬢……「はい。面接と契約に参りました。片桐紅とお伝えいただければわかると思います」「少々お待ちくださいませぇ……」二階堂総合病院……ホテルのエントランスのよ
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