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第2話

Auteur: 緋色の追憶
こうして、学が美羽を連れて帰宅したのは、もう深夜11時を回っていた。

リビングのソファに座る泉は、明かりも点けずにいた。ただ、柚葉の遺影を飾った小さな棚で、ろうそくの灯りが頼りなく揺れ、そのシルエットを浮かび上がらせていた。

鍵の回る音がしてドアが開く。玄関から差し込んだ光に、泉は目を細めた。

「泉、起きていたのか?」学の声は、どこか取り繕ったような、わざとらしい明るさを帯びていた。

そして、彼の後ろから、美羽が恐る恐る顔をのぞかせた。

3年ぶりの美羽は随分と痩せ、顔色は青白く、地味なワンピースに身を包み、さらりとした長い髪を肩に落としたその姿はなんとも可憐で、華奢に見えた。

美羽は泉を一瞥するとすぐに目を伏せ、不安そうに指先で裾を握りしめた。

「学、やっぱりホテルに泊まるわ……」

美羽は震える声でつぶやいた。「泉さんが私を見ると、きっといい気がしないでしょから」

「何を馬鹿なことを言ってるんだ?」

学は体を横に寄せると美羽を促した。「お前は安静が必要なんだ。ホテルなんて不安だろう?泉も分かってくれるさ」

一方、泉はゆっくりと立ち上がった。

玄関へと歩み寄ると、彼女は学と美羽の前に立った。

あの日、柚葉を死に追いやったこの女を、これほど近くで見るのは3年ぶりだった。

「泉、美羽はここ数日しか泊まらない。住むところを確保したらすぐに出てもらうから」

学はそう説明しながら、泉の肩に手を伸ばすが、泉はひらりとそれを避けた。

そして、泉は沈んだ表情で、美羽をただ見つめていた。

一方、顔を上げた美羽の目には、すぐさま涙が浮かんだ。「泉さん、ごめんなさい。合わせる顔なんてないの……柚葉ちゃんのこと、一生自分を許せないわ……」

だが、美羽が最後まで言い終える前に、泉は手を振り上げた。

そして、パシッ、と乾いた音が静かなリビングに響き渡った。

不意を突かれた美羽は大きく顔を歪ませた。その白い頬には、赤々と手の跡が浮かんだ。

すると、美羽は頬を押さえ、信じがたい表情で泉を見上げ、大粒の涙をこぼした。

「泉!」学が声を荒らげて泉の手首を掴んだ。「何を考えてるんだ!」

だが、泉は抵抗をせず、逆に反対の手をもう一度美羽の顔に叩きつけた。

二度目のビンタは更に力が込められていたから、美羽はその場に崩れ落ち、髪を乱したまま床に伏して泣きじゃくった。その背中を小さく震わせる姿はなんとも不憫に見えた。

「泉!いい加減にしろ!」ついに激昂した学は、泉を激しく突き飛ばした。「美羽は3年も精神病院にいたんだぞ!これ以上何をする気だ!」

後ろによろけた泉の腰が、仏壇の角に激しくぶつかった。すると棚に置いてあった柚葉の遺影が揺れ落ち、バリンという音と共にガラスが砕けた。

そして、とっさに拾い上げようとした泉の手も、鋭いガラスの破片に切り裂かれ、滴り落ちた真っ赤な血が写真の中の幼い笑顔に染みわたり、柚葉のえくぼを赤く染めていった。

痛みで震えが止まらなくなった泉は喉に何かが詰まったように声も出ずにいた。ただ、塩辛い涙だけが傷口に沁みて、泉はこめかみをピクピクさせていた。

「学。私、胸が苦しくて……」

そう言うと、美羽は学の腕の中で、しおれたように力なく胸を押さえて荒い息を吐いた。「さっき、古傷に当たっちゃったのかな。息が苦しい……」

すると、学は一瞬にして慌てた。彼は、血を流す泉を一瞥もすることなく、美羽を抱きかかえて部屋を飛び出した。

一方、美羽は衰弱しきった様子で学の腕にしがみついていたが、視線は学の肩越しに泉に向けられていた。

その目に浮かんでいたのは痛みでも罪悪感でもなく、一瞬だけ見せた、ふてぶてしい優越感だった。

泉には、その目線の意味が痛いほど理解できた。

そして、泉は学が丁寧に美羽をソファに横たわらせて、焦った声をかける姿を見て、自分のことなど彼は最初から眼中にないことを改めて思い知ったのだった。

3年前と全く同じだ。

学の中で美羽の体はいつも最優先だが、自分や柚葉などは、いつだって後回しにできる存在なんだ。

「美羽を寝かせてくるから、お前はここで頭を冷やせ!」学は美羽を抱えたまま、足早に階段を上っていった。

一方、床に座り込んだ泉は、散らばった最後のガラス片を拾い集めた。

そして、血に染まった掌で、慎重に破片を並べては、どうにかして元のフレームに戻そうとした。

しかし、二度と戻らない。

壊れてしまったものは、何をどうしても元には戻らないのだ。

泉は立ち上がり、物置から新しいフレームを探し出すと、大切に写真を入れ替えた。

作業の合間に、指先の血が写真に点々と飛び散るのを見て、彼女は慌てて手の甲で拭おうとしたが、かえって鮮やかなシミが広がっていった。

すると泉は手を止め、再び写真を仏壇へと戻した。

そして、泉はお香を立てて、仏壇の前で跪くと額を冷たい床に置いた。

彼女は泣き声をたてることなく、震えることもなかったが、ただ一滴の涙だけが落とされ、床の隙間へと消えていった。

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