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第240話

Author: 三佐咲美
「慎一、もう安井さんを行かせてあげて。私のこと、わざと押したわけじゃないし……平気だから」

真思は、最後までいい女を演じ切るつもりらしい。

私は心の中で鼻で笑った。私だって、かつて慎一のために、いい女を演じてた。雲香の前で、あの手この手で彼の気を引こうとした。真思が今やっていること、その全部、私には手に取るように分かる。

これ以上、あの二人のイチャつきの引き立て役になんてなりたくなかった。私はうつむいたまま、彼の横をすり抜けようとした。

その時、手首が鋭く掴まれた。

妙な空気が凍りつく。

次の瞬間、手首から伝わる熱が一気に全身を駆け上がる。どんなに手を振りほどこうとしても、彼の手はびくともしない。その熱さに、私も彼も息が荒くなっていく。

耳元には彼の熱い吐息。周囲の空気もどんどん熱を帯びていく気がして、私は思わず彼を睨み上げた。予想外のことに、彼の瞳の奥で感情の波が激しく渦巻いている。隠そうともせず、あまりにも露骨だ。

まるで狩人が獲物を狙う直前の、危険なサイン!

次の瞬間、彼は私の手首を強く引き寄せ、私をそのまま胸の中に閉じ込めた。しゃがれた声で、「行くな。絶対に行かせないから」と呟いた。

すぐ目の前で、彼がじっと私を見つめる。その黒い瞳に映るのは、青ざめた私の顔と、動揺した目。

「慎一、ここで話すのはまずいわ。誰か来るかもしれないし、とにかく安井さんを放して。私を抱えて外に出て。それでなきゃ、誰かに見られて笑いものよ」

真思は焦り、怪我のことも忘れて片足でこちらに飛んできた。

彼女は私の手首を掴む慎一の手にしがみつき、その爪が私の手の甲に食い込んだ。

痛っ……

慎一は一瞬驚いたように固まり、次第に冷静さを取り戻し、ゆっくりと私の手を離した。かすれた声で、「お前がもういいなら、今回はこれで終わりにする」と言った。

そう言いながら、私の目の前で真思を横抱きにし、トイレのドアを足で開けて、堂々と出ていった。

私は手首を見た。そこには赤い痕がくっきりと残っている。手の甲には爪でできた血の跡。

もう片方の手で血を拭うと、ぬるりとした感触に思わず震えた。

ふと顔を上げると、真思の頭が慎一の肩に寄りかかり、腰まである巻き髪がふわりと揺れている。正直、見た目はなかなか綺麗だ。

私は皮肉な笑みを浮かべ、三歩ほどで二人に追いつき、真思の髪を思
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Comments (2)
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桜花舞
出た! また「...︎に謝れ!」 やっぱダメだコイツ
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シマエナガlove
くそ男 愛人 むかつく 謝るのはお前らだ
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