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Story1

last update Huling Na-update: 2025-09-25 10:38:15

雨上がりの匂いが、湿った風に混じって漂っていた。

大手の会社を経営する父の屋敷は高台に建っており、磨き上げられた石造りの門や、手入れの行き届いた広い庭園が、外から見れば誰もが羨むような豪邸に映るだろう。

けれど、その裏手にある古びた離れが、私――**藤咲美玲(ふじさき みれい)**の暮らす場所だった。

私は今年、二十四歳になった。

身長は少し高めの一六五センチ。けれど、まともに食事を与えられない生活が続いているせいか、体つきは細く、決して「女性らしい」と言えるものではない。視力も悪いが、コンタクトすら買わせてもらえず、ずっとかけている度のあまりあっていない黒縁の眼鏡をかけている。

本邸とは廊下で繋がってはいるが、私はふだんそこに立ち入ることは許されていない。

それでも、掃除や雑用があるたびに「家政婦のように」呼び出されては、継母や義妹の命令に黙って従っている。

使用人のように扱われながらも、戸籍上は家族。

けれど、私がこの家で居場所を与えられていないことは、誰の目にも明らかだった。

本邸のリビングでは、シャンデリアの下で父をはじめ、継母である綾乃さんと、二歳年下の義妹、紗江が笑い合い、季節ごとに買い替えられる花々が飾られているはずだ。

最新の家電や高級家具が整然と並ぶ部屋で、ふたりは何不自由なく優雅に過ごしている。

けれど私は、そこに座ることは許されていない。ただ、雑用のたびにその華やかさを横目に通り過ぎるだけだ。

私は、冷たい床に古びたベッドを置かれただけの六畳の部屋で、余りものの食事を与えられるだけの生活を送っている。

母が亡くなったのは、私がまだ十八歳の時。

そしてそのわずか数か月後には、綾乃さんが“後妻”として家に入り、紗江も一緒にやってきた。

父の愛人だったと噂されるそのふたりに、家の中のすべてが塗り替えられた。

「食べさせてもらえるだけありがたいと思いなさい」

綾乃さんはいつもそう言って、冷たく笑った。

そして紗江は、わざと私にブランド品の箱を見せびらかしながら、古びたお下がりを押しつける。

「これで十分よ。あなたには似合うわ」

その言葉の刃が突き刺さるたびに、私はただ唇を噛んで俯くしかなかった。

本邸とは廊下で繋がってはいるが、私はふだんそこに立ち入ることは許されていない。

それでも、掃除や雑用があるたびに「家政婦のように」呼び出されては、義母や義妹の命令に黙って従っている。

使用人のように扱われながらも、戸籍上は家族。

けれど、私がこの家で居場所を与えられていないことは、誰の目にも明らかだった。

 ――そんなある日

その日も、本邸のリビングの花瓶に水を補充するよう命じられていた。

中に入ることは許されていないので、いつも通り廊下の扉の前まで行き、黙って用事を済ませる――はずだった。

けれどその日は、ふとした拍子に、リビングの扉の隙間から綾乃さんと紗江の声が聞こえてきた。

「紗江にお見合いの話があるの」

綾乃さんの声は、なんとなく言いにくそうな話をしているように聞こえた。

「ええ? 見合い? 私はまだ結婚なんてしたくないわ。で? 相手はだれ?」

「一条グループの当主よ。……怜司さん」

その名前を聞いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。

日本屈指の大企業、一条グループ。その次期当主――一条怜司

財界では冷酷無比と恐れられ、社交界でも“最低の男”と囁かれている人物だ。

「はあっ? 一条怜司!? あの冷酷な二代目でしょ?」

紗江が語気を荒げた。

「噂では“身分違いの恋人”がいるって。そんな人と私を結婚させるなんて、ありえない! お父様、正気なの?」

「私だって、本音を言えば乗り気ではないわ」

綾乃さんの声には、怒りと冷静さが同居していた。

「でも……一条という“力”は、魅力よ」

確かにそうだろ。父が経営する「藤咲ホールディングス」は、古くから続く老舗の建設会社だ。

 表向きは堅実な経営を続けているように見えるが、近年は資金繰りが悪化し、財界での立場も揺らぎつつある。

だからこそ、巨大企業である一条グループとの繋がりが、父にとっては最後の頼みの綱なのかもしれない。

そうでなければ、大切な娘をさしだすようなことはしないはずだ。

しばらくの間、紗江も言葉を失っているようだった。

「たとえ中身がどうであれ、あの家の嫁という立場は、私たちにとって大きな“後ろ盾”になる。お父様は、それを選んだのよ」

「でも、それを私に押しつけるの!?」

紗江の声が、今度は怒りに染まる。

「そんなの、私じゃなくてもいいでしょ。……たとえば、“美玲”とか」

その言葉が放たれた瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われた。

冗談のつもりで言ったのか、それとも本気か――。

けれど綾乃さんは、少しだけ間をおいてから、静かに言った。

「……そうね。あの子なら、ちょうどいいかもしれないわ」

「どうせ誰にも必要とされてないんだし、誰も相手にしない“お姉様”には、お似合いよ」

くすくすと笑い合う声が、重たい空気の中に響いた。

私はただ、暗い廊下の隅で足を止め、胸の奥に冷たいものが流れ込むのを感じていた。

私は、誰かの逃げ道。

都合の悪い“席”を埋めるためだけの、便利な存在。

ここにいる限り、私は一生、そうやって使い捨てられるだけ。

――ならば。

たとえ誰であっても、嫁ぐことで、この地獄から抜け出せるのかもしれない。

……そう思ってしまった自分が、ひどく哀れで、情けなかった。

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