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Story2

last update Huling Na-update: 2025-09-25 10:39:40

数日後、私は父に呼び出された。

滅多に私に声をかけることのない父だ。

廊下を歩くだけで背筋がこわばり、応接間の扉を開いた瞬間、冷たい視線が私を射抜いた。

「座れ」

低く短い命令に従い、革張りのソファの端に腰を下ろす。

そこには父と綾乃さん、そして紗英が並んでいた。

三人とも、まるで私を突き放すような目で見ている。

「美玲、お前に見合いが決まった」

父は淡々と告げた。

「相手は一条グループの若き当主、一条怜司氏だ」

予想していた通りの名前だった。

けれど、それが現実として突きつけられた瞬間、頭が真っ白になるほどの衝撃が走った。

ああ、本当に――逃げられないんだ。

そう悟ったとき、心の奥が静かに凍っていくようだった。

「お父様……私は」

勇気を振り絞って口を開きかけた瞬間、綾乃さんがあざ笑うような声でさえぎった。

「何を勘違いしているの。あなたに選ぶ権利なんてないのよ」

「そうよ、お姉様」

紗英があざ笑うように口を開く。

「本当なら私が行くはずだったけれど、私にはもっとふさわしい縁談があるもの。だから――あなたで十分」

そう言いながらも、紗英の口元にはわずかな安堵の色が浮かんでいた。

一条怜司の噂は、綾乃さんや紗英の耳にも届いている。

冷酷で感情を見せない男。しかも、社外秘とされているが、“身分違いの愛人”の存在も一部では囁かれているらしい。

今回の結婚は、その関係を隠すためのカモフラージュ――といったところだろうか。

形式だけ整えられればいい、表向きだけ“まともな結婚”に見えればいい。

つまり、一条にとっては、派手すぎず、おとなしくて従順な女のほうが都合がいい。

「それにね、あの男はうるさい女が嫌いなの」

綾乃さんが皮肉めいた口調で言う。

「紗英のような華やかな子とはあわないわ。でも……美玲なら、ちょうどいい。大人しくて、主張もしないし。空気みたいな嫁が、彼には合っているのよ」

嘲笑に包まれる部屋の中で、私は拳を固く握りしめた。

悔しさよりも、胸に広がるのは虚しさだった。

私は、ただの駒。

父の会社と一条グループの繋がりを強めるために差し出される、都合のいい交換材料にすぎない。

――けれど。

ここに留まる限り、私は一生家族の駒として生きるしかない。

ならば、どんな相手でも――嫁ぐことで、この屋敷から抜け出せるのかもしれない。

自分の運命を受け入れるしかないと、心のどこかで悟ってしまったからだ。

見合い当日、私は綾乃さんに言われるまま、着慣れない淡い色のワンピースを身にまとっていた。

紗英が着るような最新ブランドではなく、形も古く、サイズすらぴったりとは言えない。

鏡に映った自分を見て、思わず息を呑む。

ワンピースは肩が落ち、ウエストはぶかぶかで、体のラインをまったく拾わない。

化粧も最低限、髪は無造作に結んだだけで、普段使いの地味な眼鏡。

少しはまともに整えて出たい――そう思っても、綾乃さんや紗英に何を言われるか分からない。

見た目を気にしただけで、「勘違いするな」と冷たく笑われるのが目に浮かぶ。

一条家に恩を売りたいのなら、もっと見栄えのする服を着せて送り出せばいいのに。

気に入られなければ、どうしようもないことを理解しているのだろうか?

それとも、彼にもなにか理由があるかもしれないーー。

そんなことを思ったところで、誰も答えなど教えてくれるわけもなく、私は家を出た。

タクシーの窓越しに見える街並みは、いつもと変わらないのに、どこか他人事のように感じられた。

目的地に着いたとき、思わず息をのむ。

そびえ立つ高級ホテルの建物を、私はしばらくの間、ただ見上げることしかできなかった。

シャンデリアの灯りが漏れるガラス張りのロビー。ドアマンが微笑んで立つエントランス。

すべてが、私の知る世界とはかけ離れていた。

この場所に、私は本当に足を踏み入れていいのだろうか。

そんな不安が喉元までせり上がる。それでも、戻る場所などないことは、誰より自分がよく知っていた。

覚悟を決めて一歩を踏み出す。

ヒールの音が、場違いな自分を責めるようにホテルのエントランスの床に響いた。

フロントで名前を告げると、ホテルのスタッフがにこやかに会釈し、私をエレベーターへと案内した。

床には厚い絨毯が敷かれ、香水のように上品な香りが漂っている。

ボタンを押すたびに柔らかく点灯する表示灯さえ、どこか特別な世界のもののように感じられた。

「こちらでございます」

係の言葉に、私は小さく頷いた。

静かに開いたスイートルームの扉の向こうには、広々とした空間が広がっていた。

天井は高く、重厚なシャンデリアが優しい光を落としている。

大きな窓の外には、夕暮れの街が遠く霞んで見えた。

調度品はすべて高級そうで、ひとつ触れるだけで何かを壊してしまいそうな気がする。

部屋の奥には、大きなソファセットとガラスのローテーブルが置かれ、その中の一脚に彼は座っていた。

一条怜司――。

グレーのスーツに身を包み、姿勢正しくソファに腰を下ろすその姿は、雑誌の紙面で見た経営者そのものだった。

だが、実際に目にした怜司の雰囲気は、写真で切り取られたものよりもずっと冷ややかで、近寄りがたい。

「……これが、藤咲家のお嬢さまね」

怜司の声は低く、抑揚のないものだった。

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