5月上旬、季節外れの夏到来でエアコンの故障に気付いた高畑瑞穂は、上司である和田マネージャーのはからいで、とある電器屋を紹介してもらう。 古田と名乗ったその男は、格安でエアコンを提示し、この出来事がキッカケで瑞穂は和田マネージャーと古田の二人と距離を縮めていく事になるのだが……。 29歳アラサー、彼氏ナシ、ちょい個性的、香水大好き、イケメン上司、風変わりの無愛想電器屋。 過激描写アリ? 等身大のオトナ女子の恋愛模様を描いた、甘酸っぱい恋愛小説。
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· · · · · ──この匂い、凄く落ち着く。 · · · · · · · ──────────────────── 「……ちょっと、勘弁してよ」 リモコンを握りしめたまま、瑞穂はため息をつくと、額に浮き出た汗を左手でおもむろに拭った。 引っ越し当初以来、ルームメイトのごとく瑞穂と共にこの部屋で生活を共にしてきた、エアコン。 しかし、寿命が来たのか、エアコンは電車の走行音のような物々しい音を立てながら、カビ臭い吐息を排出するのみであった。 まだ5月だというのに、NHKの集金みたく望まれていない、季節外れの真夏日到来。 汗まみれになりながら、就労。 カーディガンを着て出社した自分を激しく呪いながら帰宅し、心身共にリフレッシュとばかりに、スーパーで買った「ざるラーメン」をエアコンの効いた部屋で食べ、缶ビールを一杯。 発汗作用のある入浴剤を入れたお風呂でデトックスを行い、アイスで涼を得て就寝。 そんな、ささやかな野望を抱いていた瑞穂であったが、目の前で展開されている「エアコンの故障」という現実は、瑞穂のその野望を粉微塵にまで破壊した。 帰りの電車で見た、スマートフォンの天気予報によると、このふざけた真夏日はまだ3日も続くらしい。 ──となると、何も手を打たなかったら丸三日間。 ずっと、ビニールハウスみたいに蒸し暑いこの環境で、寝起きし続けなけりゃいけない訳? 「……あり得ない」 舌打ちをしながら、瑞穂はエアコンの電源を切ると、収納スペースとなっているクローゼットから扇風機を取り出し、カバーとなっているゴミ袋を力任せに引きちぎった。 そして、続く形でコンセントを挿し込み、扇風機のスイッチを押すと、生ぬるい温風を顔面に浴びながら、瑞穂は一人沈思する。 繰り返すけど、まだ5月だ。 この休みにリフレッシュ、とばかりにGWに旅行に出かけたものだから、貯金も心もと無い。 言うまでもなく、夏のボーナスはまだ先だから、エアコンを買い換えるという選択肢は極力取りたくない。 ──となると、修理か。 瑞穂はテレビの横に置かれているカラーボックスからクリアファイルを取り出すと、そこに入れてあるエアコンの説明書を探した。 エアコンの説明書は、程なくして見つかった。 が、説明書と同封していた保証書の期限は、やはりというか、三年前に切れていた。 「引っ越ししてから、ずっと使ってたしな……」 説明書からエアコンに瑞穂は視線をやると、立ち上がり、クリアファイルをカラーボックスへと戻した。 そして、ソファーに置いたバッグからスマートフォンを取り出すと、瑞穂は扇風機の真向かいへと戻ってくる。 スマートフォンの液晶画面を立ち上げ、検索サイトに 「エアコン 格安 修理」 と、瑞穂は入力すると、表示された幾つかのサイトの詳細を、それとなくといった感じで順に確認していった。 しかし、「高額な追加請求をする業者が近年増加しております」という文言にひるんだ瑞穂は、スマートフォンの画面表示を消すと、扇風機から発せられる温風を、しばらくの間、何をするともなく浴び続けた。 「電器屋に行くしかないか」 瑞穂は、ポツリと呟いた。 修理にせよ、買い換えるにせよ、その後のアフターサービスを考えれば、やはり家電量販店だ。 ネットで、素性の分からぬ適当な業者に修理を依頼して、高額な修理費を請求されるだけならまだしも、女独り身のこの部屋で変な事をされたら、悔やんでも悔やみきれない。 · ──こういうのは、目先の金額で決めるんじゃなく、やっぱり名前のしっかりしたトコロに頼むべきだよね。 瑞穂は立ち上がると、汗まみれの衣服を洗濯機へと投げ入れ、部屋着であるTシャツとジャージにそそくさと着替えた。 そして、手首に巻いたヘアゴムで髪の毛を束ねると、台所に行き、買ってきた「ざるラーメン」の調理に取り掛かる。 「ダメだ、暑い……」 しかし、立ち上る湯気に気を削がれた瑞穂は、一度コンロの火を止めると、先程クローゼットから引っ張り出した扇風機を、今度は台所まで移動させた。 「明日の朝、シャワー浴びなきゃいけないかな……」 扇風機の温風を浴びながら瑞穂は呟くと、「ざるラーメン」の麺を煮えたぎった雪平鍋へと放り込む。 二分程、麺を熱湯の中で泳がせると、瑞穂は麺をざるにこし、冷水と氷でもって、麺にまとわりつくぬめりを丹念に取り除いていく。 続けて付属のゴマだれを器に入れ、製パン会社のキャンペーンでもらった皿に、先程冷水でしめた麺を盛ると、瑞穂はその二つをしかめ面でTV前のリビングテーブルへ持っていった。 冷蔵庫から、室温とは対照的に冷えきった缶ビールもリビングテーブルへと持っていくと、瑞穂は先程台所に移動させた扇風機を今度はTV前に移動させる。 「……いただきます」 扇風機の送風ボタンを押しながら瑞穂は独りごちると、TVのリモコンを手に取り、スイッチを入れる。 適当にチャンネルを変え、特に目を引く番組が無いと判断した瑞穂は、DVDレコーダーに録画された芸人のトーク番組を眺めたまま、缶ビールを一息に飲み干した。「……高畑さん」長いキスを終え、唇を離すと、古田は眉尻を下げながら瑞穂に言った。「何?」「現実に引き戻すようで、申し訳ないんですけど……」幸せいっぱいの表情を浮かばせている瑞穂とは対照的に、古田は困った表情を浮かばせていた。「あの……、エアコンどうします?」「は、はい?」突拍子のない古田の発言に瑞穂は真顔となると、吃音交じりに返答した。「いや、このエアコン。結構、派手に壊してますからね。こういう風に、故意に壊したとなると、保証が効かないんですよ。それに、チラッと見た感じなんですけど、ガスも漏れてるっぽいですし、もしかしたら買い換えた方がいいかもですね」「いやいやいや、ちょっと待って!」瑞穂は我に返ると、電器屋として目の前に立ちはだかっている古田に向かって、一気呵成に言葉を吐いていった。「古田さん、そりゃないでしょ!確かにアタシ、古田さんを呼び出す名目でこのエアコンを金づちで壊しましたよ。けど、それって古田さんがハッキリしない態度を取ったから、こっちがキレた結果ですし、そんな簡単に買い換えるとか言わないでくださいよ!付き合った記念にタダで修理してあげるとか、また倉庫に眠ってる型遅れの在庫をタダでプレゼントとするとか、どうにかならないんですか!」「うーん、それは……」古田は首をひねると「つーか、ドロボウとか言ってましたけど、エアコンを壊したの、やっぱり高畑さんだったんですね」と、口角を上げた。「いや、そんなのはどうでもいいから、エアコン何とかしてよ!」「どうにかねぇ……」古田は瑞穂から離れると、ジュラルミンボックスから電卓を取り出す。そして、概算をはじき出した古田は「あちゃあ……」と、頭をかいた。「いや、あちゃあって何?何でそんな、ブルース・リーみたいになってんの!」「ウチの在庫、処分してなければなぁ……」「いや、付き合った記念で! 付き合った記念で、何とかしてくださいよ!」諦めきれない瑞穂は、電卓片手に苦笑いを浮かばせたままでいる古田の傍らで、懇願を続ける。·「分かりました」古田は電卓をジュラルミンボックスに戻すと、申し訳なさそうな表情で瑞穂に切り出した。「とりあえず、高畑さんはネットか家電量販店でエアコンを最安値で買ってください。そうしたら、設置工事は俺が無料請け負いますから。ってか、今はそ
「さっきも言いましたけど、あの時の高畑さんの気持ちは、心から有り難かったです。あの高畑さんの言葉で、親父もどこか満足げな表情で死んでいきましたから。けど、その高畑さんの気遣いに、申し訳ないなと思ったのも事実なんです。なんて言うんですかね。なんか、死んでいく親父をダシにして、高畑さんの気持ちを捕まえようとしてるような気がしたんですよ。高畑さんに限らず、ああいう場に誰かを連れていけば、何かしら気を使ったり配慮したりするモンですしね。ましてや、高畑さんは和田さんにフラれた直後だった。その失恋直後につけこむ形で、俺の恋人役を演じさせたのも、何か卑怯な気がしてきました。あくまで仮の話ですけど、あの病院に関するくだりで高畑さんが俺に心惹かれたとしても、それって冷静じゃない状態ですからね。もっとも、高畑さんに見舞いに来てくれ、って頼んだ時は、そんな事は全く考えてなかったんですが。で、年が明けて、親父が亡くなった後かな。なんかね……。親父が死ぬまでは、店とかその後の事とか、あれこれ色々考えて生きてきたんですけど、いざ親父が死ぬと、そういうのを考える事に疲れてきたんですね。もう、何もかも色んな事を考える事から解放されたかった、って思ってきたんです。もちろん、何も考えなかった訳じゃありません。店の廃業の為、それなりに動きましたし、親父の葬儀で親戚知人に連絡しまくりましたし、オフクロの事でも色々ありましたから、結構動きましたしね。けど、それ以外は何も考えたくなかった。もう、いっさいがっさい『考える』って事自体から解放されたくなったんですよ。親父の死をキッカケとしてね。で、気付いたら、高畑さんやマイさんのLINEをブロックしていました。しがらみをリセット、って感じでね。まぁ、最初に言った通り、確かに高畑さんとは距離を置こうとは思っていました。けど、こんなに早くブロックする気はなかった。自分の気持ちにちゃんとした整理がついてから、高畑さんとはブロックという形で距離を置こうと思ったんですね。けど、親父の死後、どこか俺の心は疲れていたみたいで、今、ブロックしなきゃ高畑さんへの未練を断ち切れない、って強迫観念に駆られている自分がいたんです。で、高畑さんをブロックしたというか……」ここで紡ぐ言葉を見失ったのか、古田はバッテリーの切れた携帯オーディ
「……ホント、久しぶりですね」あの理由なきLINEのブロックは、やはり悪印象を与えていたのか、瑞穂は「久しぶり」という単語に独特のアクセントをつける事で、皮肉めいた口調を強調した。「失礼します」しかし古田は取り合わず、自身が設置したエアコンに向かって真っ直ぐに歩を進めていく。自分は「家電を修理しに来た電器屋」で、瑞穂は「その依頼主」という関係性を突きつけるかのように。「これですか」エアコンの真下で古田は歩を止めると、振り返り、瑞穂に目を向ける。「そうですよ」「いや、ちょっと……」故障と報告を受けたエアコンと瑞穂を順繰りに見ると、古田は声を上げて笑った。エアコンのフロントパネルに大きく入ったヒビは、どう見ても故障ではなく人為的にもたらされたヒビであったからだ。「ひどい故障でしょう」失笑が止まらない古田の背中に向かって、瑞穂はドヤ顔を浮かばせる。「あの……、もしかして」古田は笑うのをこらえると、エアコンを指差ししながら尋ねた。「コレ、もしかして自分でやりました?」「そんな訳ないでしょ!」図星であったのか、瑞穂は強弁する事で古田の問い掛けを一蹴した。「なんか、朝、起きたら、急にエアコンにヒビが入ってたんですよ!すごい、故障じゃないですか!だから、古田さんを呼んで早く修理してもらおうと思って!」「普通に使ってたら、こんな風にヒビが入る事はまずないんですけどね」古田は瑞穂が述べた「設定」に乗ると、ヒビが入ったエアコンのフロントパネルを慎重に開ける。「あっ、こりゃ」フロントパネルを開けると、古田のその顔は電器屋のモノとなった。そして、再び振り返り瑞穂に目をやると「中の基板も、まるで金づちで殴ったみたいに割れてますね」と述べ、ふぅと一息ついた。·「修理、出来そうですか?」「うーん」エアコンを見据えたまま、古田は頭をかいた。「どこまで、金づちで殴ったかは分かりませんが、部品交換だけで終われば御の字って感じですかね。けど、また派手に殴りましたね」「だから、アタシが殴ったんじゃないってば!」瑞穂は再び強弁し、古田の疑念を払拭しようと試みた。「ってか、仮に金づちで殴ったとしたら、それアタシじゃなく多分ドロボウですよ!ドロボウが、アタシの寝ている時に勝手に家に入ってきて、エアコンを金づちで殴ってどっか行ったんですよ
夜分の不意の電話に、古田は首をかしげた。そして、手に取ったスマートフォンで時刻を確認してみる。9時を過ぎた辺りであった。火急の用件でもない限り、固定電話に電話を掛けるにはためらう時間帯である。それに親族や友人といった知人なら、固定電話ではなく自分のスマートフォンに直接電話を入れてくるハズだ。何より、今年の初めに電器屋を廃業させてから、固定電話に電話を掛けてくる人間はほぼ皆無であり、久方ぶりに着信を告げる固定電話に、古田は訝しげな思いを抱きながら受話器を取った。「もしもし」セールスや詐欺に関連する電話の可能性もある為、古田は名前を名乗らない。しかし、電話はセールスや詐欺の類いではなかった。「……古田電器さんですか?」電話の向こうにいる人間は、たどたどしい口調で古田に尋ねてきた。「そう、ですけど」電器屋を廃業している今、そう答えるのもどうかと思ったが、結局古田は応じた。「あの、こんな時間なんですけど、ちょっとお願いしたい事がありまして……」電話の向こうの相手は、逡巡の末に出した結論といった様子で、話すスピードを徐々に上げながら言葉を述べ始めた。聞くトコロによると、昨年古田電器を通して買った家電が故障したらしい。で、保証書にゴム印で押印されていた購入店情報から古田電器の電話番号を知り、こうして電話を掛けてきているといった次第であった。「つまり、修理って事ですよね?」古田の言葉に、電話の向こうから「そうです」という言葉が返ってきた。「修理か」古田は言葉を濁すと、天を仰いだ。そして、数秒程思案したのち「分かりました。じゃあ、メーカーに連絡してそちらに来てもらうよう手配しておきます」と、返答した。「いえ、簡単な故障みたいなんで、まずは古田電器さんに見て欲しいんですよ」電話の向こうの人間は古田の答えに納得せず、食い下がってきた。「ウチにですか?」古田は眉を寄せる。電話の相手には申し訳ない話だが、今週は朝から晩まで古田の身体は電気工事でほぼ埋まっており、修理に出向くとなれば今日明日はとてもじゃないが行けない。それ故、修理に行けそうな日は、工事が昼過ぎで終わる土曜日の夕方くらいしか無く、自分が修理に行くとなれば、迅速な対応が出来かねる事を納得してもらうしかなかった。「あの、土曜の夕方まで修理を待ってもらう事になるんですけ
心身ともに凍らせるような厳しい寒さが、2月の間とめどなく続いた。冬将軍はその猛威を遺憾なく発揮し、雪によって街が真っ白に染まるのも、一度や二度ではなかった。その凍えるような寒さの中、古田は懸命に働く事で、日々を過ごしていった。働く事で、自身の心に深くこびりついている「何か」を、まるで取り除こうとするかのように。母親の奈津子は、父親の四十九日が終わると同時にすぐに荷物をまとめ、名古屋にいる伯父の家に引っ越した。父親の闘病中、運悪く伯父も脳梗塞で倒れ、命に別状はなかったものの手足に障害が残り、介護が必要となったのだ。「お父さんが亡くなったらさ、お母さん。名古屋の伯父さんの面倒を見てあげたいと思うんだけど、いい?」昨年の父親の病院見舞いの帰り、それとなく息子の古田に切り出す、母の奈津子。古田は頷くと、「俺の事は大丈夫。一人であの家を守っていくよ」と付け添え、心配する母親を気丈に送り出した。母親を名古屋に送り出した事で、家は古田一人となった。店の廃業によって在庫を処分し、両親二人もいなくなった事で、かつて古田家が住んでいた家屋は、実際のスペース以上に広いと古田に思わせた。淡雪のように、徐々に募《つの》ってくる寂しさを少しでも紛らわせる為、古田はセイヤなど現場で知り合った人間や、野球部時代の親友などを何人か家に呼び、飲み会を開いた。が、彼らが帰った後に残るのは「独り」である、という事を改めて実感させる寂寥《せきりょう》であり、古田が抱え込んだ孤独感は、消える事なくどんどんと増幅していった。やがて、3月を迎えた。冬将軍は長雨と共に去っていき、ようやく春の陽気が垣間見えるようになった。ポカポカとした陽気故か、街を歩く人々のその表情に、笑顔がこぼれているように見える。しかし古田の心は、未だ春の陽気とは程遠いモノであった。ピースが一つ足りないジグソーパズルを、常に心に抱えながら毎日を生きているような喪失感が、常に古田の中に去来していたのだ。そんな折、古田のスマートフォンにLINEを通じて、メッセージが入った。『和田です。ようやく落ち着いたので、今年最後のスノボにでも行きませんか?行けそうな人は連絡お願いします!』古田は『今回は遠慮しておきます』とだけ返信し、その後和田からのLINEを一切見ようとはしなかった。4月に入ると、和田から再び
店を後にし、「スナックに行って、何曲か歌ってくるわ」と陽気に述べるセイヤと別れると、古田はその足で駅に向かい、電車で地元の福徳長へと帰った。乗車時間、10数分。数駅を経て電車を降り、改札をくぐって駅を出ると、真冬の寒風がナイフのように古田の身体を切り刻んだ。古田は着ていたダウンジャケットのパーカーを被る事で寒さに抗うと、肩をすくめながら自宅へと歩を向ける。冬が始まる前、「今年は暖冬」という予測を、古田はテレビのニュースで聞いていた。が、掌を返すようにやって来た最強寒波は、借金取りのように日本国内に滞在し続け、その結果心まで凍えそうな寒さを、古田を含む国民にもたらしていた。──もう、2月も中頃だ。この寒さを乗り切れば、春がもうすぐやって来る。自らが吐く、白い息を見つめながら、古田は歩を進めていく。酔いざましと、寒さをしのぐ為に自販機で缶コーヒーを一本買うと、古田はシャッターの閉まった店舗脇にある、自宅の玄関をくぐった。「ただいま」0時前という時間の為、小声で古田は述べると、後ろ手で玄関のドアを閉める。すると、母親の奈津子はまだ起きていたのか、居間の電灯が煌々とついていた。「まだ、寝てなかったのかよ」古田は苦笑交じりに居間へ通じる引き戸を開けると、中にいる奈津子に言葉をかける。「うん、もう少しだけやろうかな、と思って」奈津子は振り返ると、手を止めた荷造りを再び始めた。「明日、俺、仕事ないから手伝う、つったじゃん。母さん一人で、そんな頑張らなくてもいいんだよ」古田は肩をすくめると、荷造りの終わった段ボールを、既に在庫を処分し終え、がらんどうとなった店舗スペースへと持っていく。「キリのいいトコロで、やめるから」「分かった」奈津子の言葉に古田は頷くと、ダウンジャケットのポケットに入れたままとなっていた缶コーヒーを開け、一口飲んだ。「……ところでさ、カツアキ」二つ目の段ボールを、古田が店舗スペースに持っていこうとした時、奈津子が独り言のようにポツリと切り出す。「んっ?」「アンタ、一人で本当に大丈夫?」奈津子は再び作業の手を止めると、立っている古田を見上げ、尋ねてきた。·「俺の事は大丈夫、って言ったじゃん」酔いが回り、気も大きくなっているのか、古田は気丈に答えると、脱いだダウンジャケットをカーテンレールへと掛けた。「
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