Masuk「知英ちゃん、先に休んでいいよ?」桐生に言われ、スマートフォンの時計を確認すると、いつの間にか日付が変わっていた。「翼さんは?」「僕は、もう少しだけ仕事してから寝るよ」桐生は鞄の中からタブレットPCを取り出した。仕事の邪魔はしたくない。私は画面を真剣に見ている桐生の横顔をこっそり見つめた。相変わらず、桐生は目鼻立ちがはっきりしており、部屋着で過ごしているにも関わらず、そのイケメンぶりを隠せていない。「知英ちゃん」「はい」「僕の顔に何かついてる?」「え……/」「さっきからずっと僕の顔を見てるから」「ごめんなさい。仕事の邪魔してた」「気にしないで」私は立ち上がろうとした。すると、桐生が私の右腕を掴んだ。「もう少しここに居て」桐生の上目遣いは、想像を超えた破壊力だった。桐生の大きな瞳が私を見つめていた。私は頷くことしか出来なかった。「知英ちゃんもコーヒー飲む?」「それなら私がコーヒー淹れるよ。翼さんは仕事してて?」「ありがとう」「キッチン借りるね」私は桐生の家のキッチンに初めて足を踏み入れた。桐生が外食ばかりだと言っていた通り、キッチンは、使われた形跡がほぼなく、綺麗なままだった。私はキッチンのカウンターに設置されているコーヒーメーカーにカップをセットした。そして、抽出ボタンを押した。ボタンひとつで本格的なコーヒーを自宅で楽しめるとはなんて贅沢なのだろう。すると、そこへ桐生がやってきた。「いい香り」「翼さん、私が持っていくのに」「知英ちゃんが楽しそうだったから見に来た」「えっ、私、顔に出てる?」「うん。そんなにコーヒー好き?」「はい。とっても」「それなら飲みたいコーヒー教えて。注文しとくから」「いいの?」「もちろん」「ありがとう、翼さん」「どういたしまして」そうこうしてるうちに、コーヒーが出来上がった。桐生はブラックコーヒーを一口飲んだ。私は砂糖をスプーン一杯分入れた。これから桐生にコーヒーを淹れる時は、ブラックコーヒーが良さそうだ。私はまたひとつ桐生のことを知った。______________________「終わったー」「お疲れ様」桐生はタブレットPCを閉じると、ソファーでジュエリーのデザインを考えている私の手元を覗き込んだ。「デザイン案?」「そう。来月、社内コンペがあるから」「ネックレス
風呂から出た私は、洗面台の前で髪を乾かしていた。私の髪から桐生と同じ香りがした。私は顔が緩みそうになるのを必死で抑えた。私の隣には、バスタオルで髪を拭いている桐生が居る。ただ、それだけなのに、桐生から漏れる色気を私は直視出来なかった。「知英ちゃん、そこの化粧水とってもらっていい?」「はい」私は綺麗に並べられたスキンケア用品の中から化粧水を選び、桐生に手渡した。「ありがとう」「いえ」私は桐生の横顔をちら見みた。横から見ても彫刻のような造形は変わらない。しかも、肌まで綺麗ときたら何も言うことは無い。「知英ちゃんも使う?」「借りようかな」私がそう言うと、桐生は化粧水をコットンに含ませた。そして、慣れた手つきでコットンを2つ折りにし、人差し指と小指で両端を挟んだ。「目閉じて」私は桐生に言われた通りに目を閉じた。すると、私の頬にひんやりとした感触が伝わった。「知英ちゃんの肌綺麗だよね」「そうかな?」「うん、触りたくなるくらい」私は桐生の言葉に思わず目を開けた。予想よりも至近距離に桐生がいたため、私は驚いて目を見開いた。「どうしたの?」「だから近いの/」「ははっ、知英ちゃんって本当に可愛いよね」「可愛くないから//」「知英ちゃんは可愛いことに無自覚だからね」「だって……」「でもそういう所も好きだよ」桐生は私の頬に優しくキスをした。______________________「明日は何時に起きる?」「えっと……」桐生に尋ねられた私は、明日の予定を頭の中で整理した。明日、私は仕事が休み。だけど、自宅に荷物を取りに行きたい。桐生は一緒に行くと申し出てくれてはいるが、多忙な彼の手を煩わせる訳にはいかない。トゥルルルルル……「もしもし、芹沢か。ああ。わかった。それなら仕方ないか……予定通りで、はい、明日」どうやら、芹沢からの電話のようだ。桐生は電話を切った後、深刻そうな表情で私に話しかけた。「知英ちゃん、ごめん。明日の朝の会議はどうしてもリスケできなくて。だから、明日は朝から知英ちゃんの自宅に行けなくなった」「私なら大丈夫だから。翼さんはお仕事優先して?午前中に必要なものだけ取りに行くから」「それはだめ。一人では行かせられない」「でも……」「明日、夕方一緒に行こう。仕事が終わったら連絡するから。ね?知英ちゃんのことが
桐生に案内されたバスルームはとても広々としていた。バスタブが大きく、ジャグジーまで完備されている。バスルームに置かれているシャンプーとリンスも高級品のようだ。まるで、私は高級ホテルに宿泊しているような錯覚に陥った。「どうかした?」「お風呂広いなって」「そう?」「はい。私の住んでるマンションのお風呂はこの広さの半分もないかも」「それも見てみたい」「翼さん、狭くて驚いちゃうよ」「でも知英ちゃんのことは何でも知りたい。どこでどんな生活をしてるのかな?って」桐生は自分の想いをストレートに伝えてくれる。それ故、私は毎日桐生に心を掻き乱される。今もそうだ。桐生は私の欲しい言葉をくれる。「入る?/」私は俯いたまま桐生に問いかけた。「ん?」「だから……お風呂」「え、いいの?」「はい/」私の精一杯の誘いを桐生は察してくれた。そして私を後ろから優しく抱き締めた。その姿が洗面台の鏡に写った。私を抱き締める桐生の表情はとても穏やかだった。「少しだけこうしてていい?」「はい」私は桐生の手に、自分の手を重ねた。私は桐生の寂しさを埋められる存在になれているのだろうか。「知英ちゃん?」「あ、ごめんなさい」「やっぱり、一人でゆっくり入っておいで」桐生が私から離れた。今、伝えなければ桐生はこれからも私に気を遣い続けるだろう。そんなこと私は望んでいない。「翼さん!」私は脱衣所から出ていこうとする桐生の腕を掴んだ。「……嫌じゃないよ?」こういう時、気の利いた言葉が言えない自分が憎い。もっと他に伝え方があっただろうにと思えてならない。「だから、あなたって人は……呼び止めたのは知英ちゃんだからね」「はい/」すると桐生は振り返り私の髪を優しく撫でた。「俺のためにありがとう」「ううん、翼さんが寂しいのは嫌だから」「俺は知英ちゃんが居てくれればそれだけで十分だよ」私は何も言わず、桐生を思い切り抱き締めた。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「知英ちゃん、もっとこっちおいでよ」「大丈夫です」「離れてると寂しいでしょ?」私と桐生は湯船に浸かっていた。大きいバスタブが幸を奏し、桐生との間には適度な隙間があった。しかし、それも束の間、桐生が私を自分の胸に引き寄せた。「近いですって/」「もっと近くくる?」私は恥ずかしさのあまり首を横に
「知英ちゃん、お風呂沸いたから先にどうぞ」「ありがとう」「着替え、僕の服でいい?」「借りていいの?」「もちろん。明日、知英ちゃんの家に荷物を取りに行こう」桐生は私にバスタオルと着替えを渡しながら言った。綺麗に畳まれたTシャツには、某高級ブランドのロゴが刺繍されていた。プレゼントしてくれたワンピースといい、私では手が届かないものばかりだ。「明日は仕事がお休みだから、私、自宅に行ってくるね。翼さん、仕事忙しいだろうし」「一人で行くつもり?」「はい。昼間だから人目もあるし」なにより、桐生に迷惑をかけたくない。恋人になったとはいえ、頼りっぱなしはよくない。自分でできることは自分でしたい。「だめ。一緒に行く」「でも……」「知英ちゃん、僕に迷惑かけたくないって思ってるんでしょう」「はい」「だと思った。でも、知英ちゃんだけで行かせたら、僕は心配しすぎて、何度も電話したり、メッセージを送るから全く仕事が手につかなくなるよ。それでもいい?」「……ううん、だめ」「でしょ?だから僕も一緒にいく」「こんなにも私のことを心配してくれてありがとう」「どういたしまして。明日の予定も決まったことだし、ゆっくりお風呂入っておいで」「はい。それじゃあ、お先に失礼します」「あ、バスルーム!案内するね」桐生は私の右手を握り、リビングのドアを開けた。リビングを出るとドアの閉まった部屋が3部屋あった。「そうだ。部屋の紹介してなかったね」「はい」「リビングを出て、右手のこの部屋がゲストルーム。知英ちゃんに使ってもらおうと思ってた部屋」私はその部屋の全貌を見た。セミダブルのベッドが部屋の奥に配置されており、クローゼットもある。その上、テレビまで設置されていた。その部屋は私のワンルームの部屋よりも広々としていた。「こんなにも、素敵なお部屋を使ってもいいの?」「うん。気に入った?」「はい、とっても」「他にいるものがあったらなんでも言ってね」「もう十分過ぎるよ」「それならドレッサーは?あった方が便利じゃない?あとは、冷蔵庫もか。他には……」「翼さん、そんなに置いたら部屋がものだらけになっちゃう」「ごめん、つい。僕はものを与える以外の愛情表現がよく分からなくて……」桐生の表情が曇った。いつもの自信に満ち溢れた桐生はそこにはいなかった。私は初めて桐生の脆
この数日間は、私にとって夢のような時間だった。あの日、婚約者に捨てられなければ。あの夜、雨が降らなければ。あのホテルで、桐生がお見合いをしなければ。私が桐生と出会うことはなかったかもしれない。「あ、着替えないと」私はつい物思いにふけってしまい、今、自分が何も身につけていないことをすっかり忘れていた。私はゆっくり起き上がると、床に散乱した服の中から下着とワンピースを拾った。急がなければ、桐生がバスルームから戻ってくる。私は立ち上がり、ワンピースを身につけた。「あと少しでお風呂沸くよ」「あ……」間に合わなかった。私が背中のチャックに苦戦していると、桐生が私の背後に立った。「髪、絡まったら大変」桐生はゆっくりとチャックを閉めた。桐生の指が背中に触れる度、身体の奥がゾクッとする。私はそれを悟られまいと平常を装った。「はい、できた」「ありがとう」「本当にこのワンピースよく似合ってる」「でも、今までは着る勇気がなかったの」「どうして?」私は振り返り、桐生と向き合った。「私なんかに似合うわけないって」「そんなことなかったでしょ?」「はい」「知英さんは綺麗だよ。初めて会った瞬間から僕はあなたに惹かれてた」桐生は私の頬にそっと触れた。桐生の体温を感じると安心する。だからもっと触れて欲しいと思う私がいた。「桐生さん」「どうした?」「……//」いざ、尋ねられると恥ずかしさが勝り、何も言えなくなってしまう。「なんでもないです。それより、お風呂が沸いたみたいですよ」「そんなに顔を真っ赤にしてるのに、なんでもないことないでしょ?」「だからこれは……//」「それから敬語に戻ってる」「だって……/」桐生の顔が至近距離まで近づいてきた。私は後ずさった。しかし、桐生は近づくことをやめず、私は逃げ場を失った。桐生は私を壁に追い詰めると私の顎に手を添えた。「知英ちゃん、言ってみて?」私は目を見開いた。耳元で囁かれ、その美しい顔面を至近距離で拝まされ、私の思考は停止した。「……キスして欲しいなと」私は何を言ってるのだ。桐生にいつでも触れてほしいと思っているなんて、知られるわけにはいかない。桐生が幻滅したらどうする。今度こそ私は生きていけない。「あ、あの、だからこれは……/んっ//」弁解する間もなく、桐生は私の唇にキスをした。私も桐生の首に
「そろそろリビング行きましょうか」「そうですね」私は綺麗に整頓された革靴の隣に、桐生からのプレゼントの靴を並べた。「お邪魔します」桐生は私に微笑みかけ、私の右手を握った。「足元、気をつけて」「はい、ありがとうございます」桐生に繋がれた手が熱い。そして私はふと気づいた。私と桐生は今さっき恋人になった。ここは恋人の自宅。私も桐生も子供じゃない。だけど、桐生に限ってそんなことは……いや、先程キスもした。最近、そういう機会がなかった私は、ひとり思考を巡らせた。「知英さん?どうかした?」「あ、いえ、なんでもないです」「それならいいのだけど。これからは僕に何でも遠慮なく言って欲しい」桐生は私と向き合い、目線を合わせて言った。真剣な桐生の表情を見た私は、邪なことを考えた自分を恥じた。「桐生さん、ありがとう」「どういたしまして」桐生は私に微笑んだ。こんなにも完璧な人が私の恋人だという事実が信じられない。だから私は実感したかった。私は桐生の胸に飛び込んだ。「桐生さん、好きです」「うん、僕も好きだよ」桐生は私の髪を優しく撫でた。その感触が心地よくて、私は上目遣いで桐生を見た。桐生は私と目が合うとすぐに逸らした。桐生の様子がどこかおかしい。「桐生さん、私、何かしましたか?」「無自覚にも程がある」「え?」桐生は私を抱き抱え、リビングのソファーまで来ると、私を組み敷いた。桐生の吐息を間近で感じる。桐生は苦しそうに私を見つめていた。「知英さん、嫌なら僕を突き飛ばしてください」「そんなことしません」私は微笑むと、桐生の首に両腕を回した。桐生に触れられて嫌なはずがない。「大切にします。知英さんのこと」「はい」桐生はガラス細工かのごとく、私の全身にそっと触れた。桐生に触れられた所が熱い。こんなにも大切に扱われたことが今まであっただろうか。恥かしいような、もどかしいような私は初めての感覚に酔いしれた。「身体辛くない?」「はい/」火照った身体を鎮めたいのに、桐生がそれを許さなかった。だけど、私は幸せだ。好きな人に愛され、求められ、ひとつになる。こんなにも生きてることを実感する瞬間はない。「知英さん、可愛い」「あんまり見ないで//」「嫌だ。全部みたい」「さっき、見たでしょ?/」「足りない」逃げ場を無くした私は、両手で顔を隠した。これ







