LOGIN「逃げられると思うな? お前は俺のものだ」 大手商社で「無能」を演じ、目立たず生きる地味秘書の紬。しかしある夜、社の危機を裏で救った秘密を、冷徹無比な次期社長・葵に見抜かれてしまう。 翌日、紬を待っていたのは社長専属秘書への異動命令。他人に心を開かない葵は、二人きりになると強烈な独占欲を露わにし、甘く過保護に溺愛し始めて……!? さらに葵の宿敵で、色気漂うライバル会社の若き役員・蓮まで登場。 「あんな奴やめて、俺に来なよ」 強引に奪いに来る蓮と、執着を深める葵。 最高にハイスペックな二人から攻め立てられる、逃げ場ゼロの濃厚三角関係ラブ!
View More「藤咲さん、また頼めるかしら? このデータの突合と、明日の会議資料の印刷。急ぎなんだけど……」
「あ、はい。わかりました。すぐに取りかかります」
午後八時、静まり返った営業三課のフロアで、藤咲紬《ふじさき つむぎ》は控えめに微笑みながら先輩社員からの頼みを引き受けた。
大きな丸メガネに、ぼっさりとした前髪。
体をすっぽり覆うような地味なグレーのカーディガン。
それが会社での紬のスタイルだ。
社内での評価は「真面目だが要領が悪い、地味なアシスタント」。
だが、それこそが彼女の狙いだった。
過去の苦い経験から、目立つことは百害あって一利なしと学んだ。
だからこそ、能ある鷹は徹底的に爪を隠す。
頼まれた雑務をのろのろとこなしているように見せかけつつ、裏では完璧な精度と圧倒的なスピードで片付ける――それが、紬の日常だった。
「じゃあ、お先に失礼するわね。よろしく!」
先輩社員が去り、フロアにぽつりと一人取り残される。
紬はふうっと息を吐くと、丸メガネを少し押し上げた。
「さて……チャチャッと終わらせて帰りましょうか」
先ほど頼まれた大量のデータファイルを開き、キーボードの上に指を走らせる。
パパパパン、と軽快な打鍵音が無人のオフィスに響き渡った。
画面上の数式と膨大な数字が、瞬く間に処理されていく。
誰にも気づかれない、紬だけの「本気」の時間だった。
作業開始からわずか十分。
数時間はかかるはずの突合業務を完璧に終わらせ、プリントアウトの指示を出したときだった。
「――ずいぶんと素早い手際だな、藤咲」
「……っ!?」
突然、背後から低く響く掠れた声が聞こえ、紬の背筋に冷たい電流が走った。
驚いて振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
隙のない仕立ての高級スーツに、鋭い切れ長の瞳。
彫刻のように整った容姿を持ちながら、氷のような冷徹さを纏う男。
大手総合商社『鷹司グループ』の若き次期社長、鷹司葵《たかつかさ あおい》だった。
社内の誰もが恐れる最高幹部が、なぜこんな時間に平社員のフロアにいるのか。
「た、鷹司副社長……? なぜ、こちらに……」
慌てて立ち上がり、頭を下げようとした紬だったが、葵は静かな歩調で距離を詰めてきた。
高級なウッディノートの香水の香りが、瞬く間に紬の鼻腔をくすぐる。
葵はパソコンの画面に一瞥を投じると、薄い唇の端をわずかに押し上げた。
「システム部すら手を焼いていた国際財務の旧式データ突合を、たった十分で完璧に仕上げたのか。……しかも、マクロを自作して自動化した上で」
「え……あ、違います! これは、その、たまたまネットで見つけたツールを……」
慌てて弁明しようとする紬の顎を、葵の長い指先が細く捉えた。
強引に顔を上げさせられ、至近距離でその深淵のような黒瞳と視線がぶつかり合う。
「誤魔化すな。俺の目は誤魔化せない」
低く、逃げ場を塞ぐような声。
葵の指先が紬の頬をかすめ、大きな丸メガネをすっと指で持ち上げた。
前髪の隙間から、紬の素顔――誰も見たことがない、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳と繊細な素肌が露わになる。
「……やっぱりな。こんな隠し玉が、うちの営業三課に転がっていたとは」
「な、何を……っ」
心臓が早鐘のように打つ。
葵の体温が密着した胸元から伝わってきて、息が詰まりそうだった。
冷酷非道で女嫌いと噂される男が、なぜこれほど至近距離で自分を見つめているのか。
「能ある鷹は爪を隠す……か。だが、俺に見つかったのが運の尽きだ」
葵は耳元に顔を寄せ、熱い吐息を吹きかけるように囁いた。
「明日から、社長室に来い。お前を俺の専属秘書にする」
「え……っ? 専属、秘書……!?」
「拒否権はない。――逃げられると思うなよ、藤咲紬」
耳朶を掠める甘い毒のような声に、紬の全身が固まる。
それが、完璧すぎる冷徹社長による、逃げ場のない狂愛の始まりだった――。
「神楽……常務……っ!」耳元に残るツー、ツーという無機質な電子音を聞きながら、紬は受話器を握りしめたまま大きく息を荒げた。社内のセキュリティは完璧なはずだった。葵が配置した専属の警護も、ビルの出入り口を厳重に固めている。それなのに、蓮はまるで手品のように、会社の固定電話へと直接連絡を寄こしてきたのだ。どうして……どうやって私の居場所や電話番号を……。履歴書に記されていた不審な経歴。そして、タイミング良くかかってきた蓮からの電話。これは偶然ではない。蓮は最初から、葵が不在になるこの三日間に合わせて、社内のシステムや書類の隙間に自分の爪痕を残そうとしているのだ。紬は震える手でスマートフォンを取り出し、海外にいる葵へ連絡しようと画面を開いた。けれど――指が止まった。いま葵さんに連絡したら……あんなに心配して出張に行ったのに、余計な焦りを与えてしまうわ。私がしっかりしなきゃ……。葵の重すぎるほどの過保護と愛を知っているからこそ、これくらいのことで遠くの彼を動揺させたくないという思いが、紬の指を躊躇させた。「……まずは、人事部にこの推薦枠の出所をこっそり確認してみよう」自分を落ち着かせるように深呼吸をし、紬はデスクの資料をまとめ直した。その頃、時差のある海外の高級ホテルのスイートルーム。重厚なデスクの前に座る葵は、ノートパソコンに映し出された現地の経済指標からふと顔を上げ、眉間に深いシワを寄せた。現地でのミーティングは順調に進んでいるはずだった。だが、なぜか胸の奥がざわつき、耐えがたいほどの焦燥感が消えない。……紬に、何か起きているのか……?葵は冷徹な自己否定でその感情を押し殺そうとしたが、左手薬指にはめたプラチナの指輪に触れた瞬間、胸の動悸はむしろ激しくなった。まるで、愛しい妻の危機を本能が察知しているかのように。「……すまない。予定を一日前倒しする。明日の午前中の便ですべての交渉を切り上げ、帰国する手配をしろ」スピーカーの向こうに控える秘書に冷徹な声で指示を飛ばすと、葵はスマートフォンを手に取り、紬へとメッセージを打ち始めた。『体調は崩していないか。変な影を感じたら、すぐに警護の者を呼べ。……すぐに帰る』日本の夜。静まり返った本社オフィス。残業を終えた紬が、タクシーではなく葵が手配した専用車へと乗り込もうとしていた
葵が海外出張へ旅立ってから、最初の夜。都心の夜景を一望する広い自邸は、いつも以上にしんと静まり返っていた。「……葵さん、無事にお着きになったかしら」紬はリビングの大きなソファに一人腰掛け、スマートフォンの画面を見つめていた。時刻は夜の十時を回ったところ。時差を考えれば、葵が現地に到着して最初のミーティングに入る頃合いのはずだった。ぽつん、と画面が明るくなり、通知音が入る。『無事に到着した。現地での対応も予定通り進んでいる。……お前の声が聞けなくて寂しいが、今夜はゆっくり休んでくれ。愛している、紬』画面に表示された文字を追うだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。冷酷なビジネスマンとしての素顔の裏に隠された、自分だけに向けられる一途で深い愛。『葵さんもお仕事頑張ってください。私も無事に一日を終えました。お会いできるのを楽しみにしています』メッセージを送信し、小さく息を吐いた紬は、ふと自邸の廊下に目を向けた。マンションのフロア全体、そしてエントランスには葵が手配した専属の警護が二十四時間態勢で配置されている。セキュリティシステムも完璧で、本来なら不安を感じる要素など何一つないはずだった。それなのに――昼間に会社の避難階段で感じた、あのスモーキーな香水の残香が、まるで鼻腔の奥にこびりついているかのように離れない。……ただの気のせいよね。考えすぎたら、遠くにいる葵さんに無駄な心配をかけてしまうわ。紬は首を横に振り、自分に言い聞かせるようにしてベッドルームへと向かった。翌朝。秋の冷たい雨が都心の街並みを濡らしていた。黒塗りの専用車で本社へ出社した紬は、いつも通り副社長室のデスクにつき、葵不在の間の日常業務に取りかかっていた。葵がいなくても、秘書としての責任を完璧に果たすこと――それが、今の自分にできる葵への一番の支えだと信じていたからだ。「鷹司秘書、失礼いたします」昼過ぎ、秘書室のドアがノックされ、人事部のスタッフが厚みのあるファイルを手にして入ってきた。「こちら、来期の新規採用に関する最終候補者のデータです。副社長からのご指示で、出張中に鷹司秘書が一次確認をしておくようにとのことでしたが……」「あ、はい。承りました。デスクでお預かりしますね」ファイルを受け取り、書類に目を通し始めた紬。だが、その中の「中途採用者リスト」の
ネット上に流布された「神楽蓮の海外逃亡と不正融資の噂」。それは瞬く間に経済メディアの片隅をざわつかせ、鷹司グループの広報部を一時的に慌てさせたものの、葵の迅速かつ冷徹な法的措置によって、わずか一日足らずでネットの海から綺麗に消し去られた。夕暮れ時の副社長室。窓の外に広がる夕焼けの茜色が、高層ビルのガラス張りの壁を赤く染め上げていた。「……顧問弁護士からの報告は以上か」デスクに座る葵は、分厚いレポートから目を離さず、低い声で確認した。その傍らに立つ広報部長は、冷や汗を拭いながら頭を下げる。「はい。デマの出所となったサーバーは海外のプロキシを経由していましたが、すでに追跡してブロックいたしました。株価への影響も、今のところ軽微に抑えられています」「ご苦労だった。下がっていい」「失礼いたします」静かにドアが閉まり、部屋に二人きりの空間が戻る。葵はゆっくりとペンを置き、マホガニーのデスクに肘をついて、その美しい眉間を指先で揉みほぐした。神楽……。あの男は、ただの攪乱のためにあんな中途半端な噂を流したわけじゃない。……一体、何を狙っている。警察の追手を巧みにかわし、未だに国内のどこかに潜伏しているはずの蓮。表立った大きな仕掛けをあえてせず、水面下で微弱な波紋を広げ続けるその意図が、葵の鋭い警戒心をかえって強く刺激していた。その頃、隣のデスクで資料の整理をしていた紬は、葵のただならぬ気配を察知し、そっと視線を上げた。「葵さん……お疲れ様です。さっきの件、やはり神楽常務の仕業でしょうか……?」紬の声を聞いた瞬間、葵の険しい表情はわずかに和らぎ、アイスブルーの瞳に優しい熱が灯った。葵は立ち上がると、紬のデスクへと歩み寄り、その華奢な肩を優しく引き寄せた。「……心配いらない。あいつがどんなに小細工を弄そうと、お前と俺を引き裂くことなど絶対にできない。……俺を信じろ、紬」「はい……葵さんを、信じています」葵の温もりに触れ、紬は胸の奥のざわめきを静めようとした。けれど、スマートフォンの中に保存されたままの、蓮からの非通知メッセージ――『またすぐ会いに行くからね』という言葉の残響が、どうしても心の片隅から消えずにいた。その夜。一日の激務を終えた二人は、厳重なセキュリティに守られた高層マンションの自邸へと戻っていた。シャワーを浴びてリビ
カーテンの隙間から、柔らかい秋の朝日がリビングルームに差し込んでいた。静まり返った部屋の空気は、昨夜までの張り詰めた緊張感とは打って変わり、心地よい穏やかさに満ちていた。ソファの上。紬は毛布に包まれたまま、目の前でコーヒーを淹れている葵の背中をぼんやりと見つめていた。完璧なスーツ姿ではなく、ラフなシャツを纏った葵の背中は、どこか肩の荷が下りたようにしなやかだった。昨夜、自分の背負ってきた過去のすべてを打ち明け、それを紬に受け入れられたこと。それが葵の心から、どれほどの重圧を拭い去ったのかは想像に難くなかった。「……起きたのか、紬」振り返った葵の顔には、いつもの氷のような冷徹さではなく、どこか柔らかく蕩けるような甘い微笑みが浮かんでいた。葵はマグカップを二つ手に持つと、紬の隣に静かに腰掛け、温かいカップをそっと手渡してくれた。「おはようございます、葵さん……」湯気の向こうから覗く葵の整った顔立ちを眺めながら、紬はカップを両手で包み込んだ。「昨日は……ごめんなさい。勝手にカードを開いたりして……」「いや……あの時は、お前に裏切られるかもしれないという恐怖で視野が狭くなっていた。謝るべきなのは俺だ」葵は紬のカップをサイドテーブルに置くと、彼女の細い指先を自分の大きな掌でしっかりと包み込んだ。ひんやりとしていた指先が、葵の確かな体温でじんわりと温められていく。「お前が俺の過去を知ってもなお、変わらず側にいてくれると言ってくれた。……その事実だけで、俺はもう過去の亡霊に怯える必要はないと分かったんだ」葵の瞳はどこまでも深く、澄み切っていた。秘密を隠し合う必要がなくなった二人の間に、以前よりもさらに強く、透明な信頼の絆が結ばれていた。「はい……これからは、どんなことも一人で抱え込み優しないでくださいね。私も、葵さんの隣で一緒に背負いますから」紬が真っ直ぐに微笑むと、葵は愛おしそうに目を細め、彼女の額に優しく唇を落とした。それは激しい独占欲ではなく、ただひたすらに慈しむような、穏やかで甘い口づけだった。数日後。鷹司グループ本社の副社長室。大きな窓から都心の青空を見渡すデスクで、紬は落ち着いた気持ちで書類のチェックを進めていた。丸メガネの奥の瞳には迷いはなく、秘書としての仕事にもこれまで以上に誇りとやりがいを感じていた。葵さんの